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世界遺産・国宝の姫路城と姫路市内観光-#3

千姫が暮らした西の丸見学と姫路名物あなご

主な訪問地:姫路城(西の丸)~姫路市内

千姫の生涯を顧みながら千姫が暮らした姫路城の西の丸にある長局を見学。姫路を去る前に姫路名物のあなごを堪能。おすすめのお土産も紹介。

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3日目 姫路~品川

朝起きて外を見ると、雨も上がり日差しがさしていました。

今日はお昼に姫路を発つので、それに間に合うように帰ってこなければなりません。
考えた末、姫路城の脇にある美術館と城内の西の丸の見学をすることにしました。

姫路城が開くのが9時なので、それに合わせて8時30分ごろホテルを出発。
12時のチェックアウトなので、大きな荷物は部屋に置いたまま。ラクチンです。

外に出ると今日も暑い。
なるべく日陰をと思い、昨日発見した巨大なアーケード内を通っていきます。

まずは美術館へ行くことにしました。
姫路城のお堀沿いを右側に進んでいくと大きな公園があり、美術館はその先。
寄り道しながらのんびり向かうと、なんと開館は10時から。
ならば博物館だとそちらに行くと、ここも10時から。

姫路城姫路城
姫路城姫路城
美術館

おのれ・・
天下の姫路城が9時からがんばってるのに下々の者が10時とは何事だ

世が世なら打ち首だぞと思いつつも仕方ないので、西の丸へ行くことにしました。
同じ道を戻るのもつまらないので、とりあえずそのまま前進してみます。

姫路城姫路城

木々が立ち並ぶお堀沿いの道をしばらく行くと、石垣の間に開いた清水門を発見。
その脇には「千姫の小路」なる散歩道が続いています。
さらに、「姫路城跡」の案内板があり古めかしい地図が描いてあるのを見つけました。

姫路城姫路城
姫路城
姫路城

ガイド:特別史跡 姫路城跡
左図は酒井家時代(1749~1868)初期の姫路城下の中濠以内を描いた絵図である。南部中濠は埋められ国道となっている。
内濠以内には、天守や櫓・御殿などがあり、内濠と中濠の間には南部に家老などの屋敷地、東部から北部にかけては一般の武家屋敷地となっていた。中濠の外には町人町や寺町、足軽などの屋敷などがあり、外側に土塁と外濠を設けていた。
明治時代以後、中濠以内は軍用地となり、武家屋敷はとりこわされたが、幸にも天守群などは残され、戦火も免れ、往時のままの偉容を今日に伝えている。
戦後、城の北東部は、拘置所、保健所、市役所(現市立美術館)、裁判所、検察庁、労働基準局等の官公庁街となっていた。
姫路城の多くの建物のうち、天守群は「国宝」に指定、同様に中濠以内の地域は、武家屋敷や城門の遺構を埋蔵する重要な文化財で「特別史跡」として指定され、平成5年に姫路城は日本最初の世界文化遺産に登録された。(案内版より)

時間の関係で「千姫の小路」はあきらめ門から中へ入ると、城側にはさらにお堀と石垣があり姫路城の方へ渡れません。
そこにあった地図を見ると、どうやらさきほど通ってきた方向に、一番近い城内への門がある模様。

木が生い茂るこの場所には休憩所などがあり、市民の方々が朝から散歩したりしています。
そんな人たちを見ながらしばらく歩いていくと喜斎門に到着。
さっきの美術館の近くでした・・。

姫路城姫路城
姫路城姫路城

気を取り直し城内へ入ります。

姫路城

少し坂をのぼっていくとパッと視界が開け、整備された庭や遠くに姫路の街が見えました。

姫路城姫路城
姫路城姫路城

気持ちの良い小道を進み、チケット売り場へ向かいます。

昨日同様、チケット売り場で400円のチケットを買い中へ。
入り口には、黒田官兵衛の誼で長浜城・大阪城にも入城しようと書いてあるパネルが立っていました。
そこには、

2014年のNHK大河ドラマは、「軍師 官兵衛」に決定しました。秀吉が官兵衛を補佐として戦った中国攻めを通してみた時、長浜城はその本拠地、姫路城はその前線基地と言えるでしょう。また、秀吉が官兵衛の助力により天下統一を果たした象徴が大阪城と言えるのです。官兵衛の姿は長浜・大阪・姫路、この3城をめぐってこそ、初めてその全体像が分かります。

とあり、またまた姫路城が注目されそうな予感がします。

姫路城

坂を上って菱の門で写真を撮っていると、そこにいたガイドさん(昨日とは別の人)が「ちょこっとガイドしましょか」と声をかけてくれました。
ではお言葉に甘えて・・とメモを取り出しスタンバイ。

菱の門

姫路城姫路城

なぜ菱の門というのかというと、菱の花の彫刻がふたつあるから。
菱の花は沼地に咲く小指くらいの小さな花で、昔この辺に沼があったと思われる。

そしてこの門から続いている白壁は88.7mあり、姫路城で3番目に長いもの。
また白壁にあいている○や△や□の穴は狭間(さま)といい、ここから銃や弓で攻撃する。長方形の穴が弓用。

姫路城姫路城

門の上にある窓は、両側の曲線があるのが華頭窓、間のが武者窓という。
そしてその下の櫓をすいてきやぐら(漢字不明)といい、加藤清正が朝鮮から持ってきて、ここと熊本城にしかない。

姫路城

三国掘曲輪

門を入ってすぐのところにある池。
このエリアに敵がたまらないように池にした。
そして両側から攻めると逃げられない構造になっている。

るの門

菱の門からは見えない石垣に開けられた穴門で、敵に気づかれることなく攻め込むことができる。

姫路城

石垣の稜線

縦に入っている稜線を境に右が羽柴時代の野面積、左が池田時代の打込接ぎ(うちこみはぎ)。

姫路城

時間があれば城内全部ガイドして周ってくれるようでしたが、残念ながらお昼までにホテルに戻らないといけないのでここでお別れ。
これから西の丸を見に行くというと、「それならひとつ教えときましょ」と言って、

千姫はヘビースモーカーやったんやで

「その証拠に千姫の部屋にタバコセットが置いてあるから見ておいで」と、いいとこのお姫様のイメージがガラガラと崩れるようなことを教えてくれました。
ふと、

ホント、この着物重いのよね

とタバコをふかしながら毒づく姫の姿がチラつきました。

西の丸

西の丸へは菱の門を入って左の坂を上っていきます。
千姫が暮らしていた居館が横たわり、ここも修復中でしたが中には入れました。

姫路城姫路城

入り口で靴を脱いで階段を上ると、長細い板の間の廊下がずっと先まで続いています。
ここは西の丸長局(百間廊下)と言って、部分部分で名前のついた渡り櫓が重要文化財になっています。

姫路城姫路城
姫路城姫路城

中は風が通り抜けとても気持ちいい。
ところどころに開いた窓からは姫路の町が見渡せました。
千姫や侍女たちがしずしずと通っていた光景を想像しながら奥へ進んでいきます。

中庭側には部屋がずらりと並び、その中のいくつかに入ることができました。
今では家具も何もなくガランとしていて、床も壁も板張りでとても質素。
見た限りでは当時の様子はうかがいしれませんが、入れる部屋には千姫や姫路城にまつわるエピソードなどが書かれたパネルが置いてあるので、それを読みながらいきましょう。

序章 千姫千年愛
千姫の生涯を辿り、姫路城西の丸に宿る恋の物語にふれる。

徳川家康の孫娘として戦国の世に生まれた千姫が、運命に翻弄されながらも、ひとときの幸せをかみしめたのが、ここ姫路城でした。
波乱の生涯をたどる「ひめじ千姫ものがたり」。
千姫が実際に過ごした西の丸で、その面影を探してみませんか。
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第一幕 悲哀の姫
祖父・徳川家康、父・徳川秀忠、母・江・・・ 愛に囲まれて生まれながらも、戦国の思惑に翻弄された幼少期。

千姫は、慶長2年(1597年)4月11日、京都・伏見にあった徳川の屋敷で生まれました。
父は後の二代将軍・秀忠、母は浅井長政とお市の娘・お江。(お江は織田信長の姪ということになります。)
千姫7歳のとき、豊臣秀吉の一人息子・秀頼に嫁ぎます。秀頼11歳。幼くして母と引き離され、人質同前の政略結婚で大阪城入りした千姫は、敵対する両家の板ばさみになるつらい立場に耐えながら、秀頼やその母・淀殿のもとで美しく成長しました。
元和元年(1615年)5月、徳川方に包囲された大阪城は炎に包まれ、淀殿と秀頼は自害し果てましたが、千姫は辛うじて救い出されます。

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第二幕 愛爛漫 ~前編~
傷心の千姫が見つけた唯一の愛。

身も心も疲れ果てた千姫は江戸へ帰る途中、伊勢桑名で一人の青年と出会います。
桑名城主・本多忠正の嫡男・忠刻(ただとき)が留守中の父に代わって千姫を迎え、その凛々しい姿が千姫の心にほのかに刻まれます。
江戸へ戻った千姫を待っていたのは、「坂崎出羽守直盛に嫁ぐように」との祖父・家康の言葉でした。家康は、燃え盛る大阪城を前に「千姫の命を助けた者には妻として与えよう」と約束、坂崎出羽守は炎の中に飛び込み、大火傷を負いながら千姫を救い出したのです。
でも、千姫の心は決まっていました。幼い頃から様々な思いを自分の中に閉じ込め、祖父や父に従って、懸命に自分の役割を果たそうと耐えて生きてきた千姫。
「もう言いなりにはならぬ」「忠刻さまの妻になりたい」
初めて祖父に逆らい、思いを訴える千姫に家康も心うたれ、めでたく本多忠刻のもとに嫁ぐことになりました。
結婚相手は親が決めるのが当然の時代、異例の恋愛結婚でした。
思いを砕かれた坂崎出羽守は、千姫の輿を奪おうとして果たせず、自害したと伝えられています。
ただ、この一件は事実とは異なり、大阪城で千姫を救い出したのは別の人物であるとも、忠刻との結婚は家康の意向であったともいわれています。ヒロインには、ドラマチックなエピソードがつきものといえます。
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第三幕 慈愛の生涯
幼い息子、最愛の夫、義母、江戸の母・・・次々と訪れる別れと、天樹院としての人生。

忠刻夫妻にはまもなく勝姫が、続いて幸千代が生まれ、幸せに暮らしました。ところが、幸せは長くは続きません。
元和7年(1621年)、幸千代がわずか3歳で病死してしまいます。その後夫妻は子どもに恵まれず、人々は「大阪城で滅ぼされた秀頼のたたりか」と噂しました。千姫は姫路城の西にある男山に天満宮を建立し、西の丸長局の廊下から毎日欠かさずこれを拝んで、男子出生と一家の繁栄を祈願しました。
千姫の願いはかなえられませんでした。忠刻が病に倒れ、寛永3年(1626年)5月、帰らぬ人となったのです。31歳でした。忠刻は幸千代とともに書写山に葬られました。後を追うように忠刻の母・熊姫もなくなり、さらに江戸の母・江の死の知らせが届きます。涙のかれるほど悲嘆にくれた千姫は、勝姫を連れて、さびしく姫路を去っていったのでした。
千姫は江戸に戻ると髪をおろして天樹院となり、寛文6年(1666年)2月6日に70歳の生涯を閉じるまで、弟・家光のもと静かに暮らしました。勝姫は、鳥取藩主で後に岡山に転封となった池田光政に嫁ぎました。
千姫は、寂しくなった江戸城で、忠刻や幸千代の冥福を祈りながら、ひとときでも幸せだった姫路城に思いをはせたことでしょう。
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姫路城姫路城
姫路城姫路城
姫路城姫路城
姫路城姫路城
姫路城姫路城
姫路城姫路城

この案内版は最後の方にあるので、事前にこういう話を知った上で歩くとまた違って見えると思います。

最上階にくると、大きな扉がありました。
これは「廊下の大戸」というもので、女性ばかりが住んでいたところだったので、毎夜閉ざして厳しい守りをしていたそうです。
なんだか扉に刻まれた小さな傷にも、いろいろないわれがあるんだろうなぁなどと思ってしまう。

姫路城姫路城
姫路城姫路城
姫路城姫路城
姫路城姫路城

その先に、千姫が男山を拝んでいたという場所がありました。
なるほど、すぐそこに見ることができます。

姫路城

いったいどんな思いで眺めていたのでしょうか。

立ち並ぶ部屋を覗きながら進んでいきます。

姫路城姫路城
姫路城姫路城
姫路城姫路城

途中、「奥女中のくらし」という案内版がありました。

姫路城

ガイド:奥女中のくらし
奥向きに勤める女性を奥女中、あるいは御殿女中といいました。彼女たちは長局内に部屋をもらって住んでいました。江戸城の例では、「タモン(多聞櫓の多聞に由来)」と呼ばれる女中の下働きもいて、部屋の中は、にぎやかだったようです。

と説明書きがありました。
やはり、女性が集まると賑やかになるのは、いつの時代も同じようですね。

廊下はまだまだ続きます。

姫路城姫路城

さらに奥へ行くと、ついに「化粧櫓」に到着。

ガイド:化粧櫓
千姫が本多忠刻に嫁いで将軍家よりもらった10万石の化粧料で、この櫓を建てたと言われています。
階上には18畳、15畳、窓辺に6畳の3室をとって、天井には杉柾張り、壁面はすべて黒い木枠に紙を張ったものをはめ、すみずみまで技巧を凝らした住宅様式になっています。毎朝、千姫は城の北西にある男山天満宮を遙拝したと言われ、そのときの休息所がこの化粧櫓だったと言われています。
武蔵野御殿跡など桃山時代の居館様式を示す建物が姿を消している今、化粧櫓はわずかに当時をしのばせてくれるものだけに、その存在価値は大変大きいものです。

入口には千姫の羽子板などが展示されています。
そこから中へ入ると、今まで見てきた部屋とは明らかに違う畳敷きの広い部屋が広がっていました。

そしてその部屋の奥にはなんと千姫が!
お付きの女性と何かのカードゲームをやっています。
さらに傍らには噂のタバコセットも完備。

姫路城
姫路城
姫路城
姫路城姫路城
姫路城
姫路城姫路城
姫路城姫路城

ガイド:千姫
慶長2(1597)~寛文6(1666)年。江戸幕府2代将軍特区側秀忠の長女。7歳で豊臣秀頼に嫁ぎましたが、大阪夏の陣で秀頼が自害し、死別。元和2(1616)年、本多忠刻に再嫁しました。
ここにある人形は、弘経寺(茨城県常総市)所蔵の「千姫姿絵」をもとに再現したものです。煙草盆があることから、煙草を嗜んでいたことがわかります。
また情景としては、百人一首を楽しんでいるところを想像してみました。

なるほど。
煙草を吸いながらの百人一首でしたか。

それにしても、窓がたくさんあって眺めも風通しも良く、本当にいいお部屋です。
一度でいいからこんなところに住んでみたい。

さて、化粧櫓でここの見学はおしまいです。
階段を下りると、入ってきたところとは反対側へ出てきました。

姫路城姫路城

中庭を通りながら菱の門へ戻ります。
さきほどガイドをしてくれた人と一緒にいた方と挨拶を交わし姫路城を後にしました。

姫路城姫路城
姫路城姫路城
姫路城姫路城
姫路城姫路城
姫路城姫路城
姫路城

いや~姫路城、見ごたえありました。

お城の観光も終わり、あとは姫路の美味しいものを食べて帰るのみ。
大手前通りを駅まで向かい、途中、昨日のガイドさんに教えてもらった中堀の石垣と、国道2号線を通りました。

大手前通り大手前通り
中堀中堀
国道二号線国道二号線

今でもしっかりとした石垣が残っています。
昔はこのあたりをたくさんのお侍さんや町人たちが闊歩していたのでしょう。

姫路の街並みを見ながら駅の方まで進みます。
よく見ると電話ボックスや消火栓の蓋なども街並みにあっている。

電話ボックス消火栓の蓋

駅までつくと駅ビルの前にデッキのようなものがあり、そこから写真を撮っている人がいました。
私も好奇心にかられて上ってみると、大手前通りから姫路城までずっと見渡せて最高の写真スポットです。

展望デッキ
展望デッキから

数枚写真を撮ってからさっさと下り、姫路の美味しいものの情報を得るために近くの観光案内所へ行ってみました。
ここにも、大河ドラマ「軍師 官兵衛」の宣伝コーナーが。
商店街にものぼりがずらりと立っていたし、町中で盛り上がっているようです。

大河ドラマ「軍師 官兵衛」の宣伝コーナー

お客さんは私だけだったので、そこにいたスタッフみんなで相談に乗ってくれました。
結果、あなごに決定。
「まち歩きマップ」を広げて説明してもらうと、あなごを食べられるお店にはあなごマークが記載してあります。
お勧めのお店を聞いたのですが、ここでは特定のお店は紹介できないとのことで、駅から近いお店を教えてもらいました。

お礼を言って案内所を出て、いったんホテルに戻ります。
すでに汗だくだったのでシャワーを浴びてからチェックアウト。
そしてさきほど教えてもらったお店に向かいます。

鮨 久右衛門

そのお店は商店街の中にある「鮨 久右衛門」というお寿司屋さん。

鮨 久右衛門鮨 久右衛門

お店に入ってカウンターに座り、あなご丼を注文。
で、出てきたのがこちら。

鮨 久右衛門

なにこれ・・うまっ

ふわっふわで溶けてなくなるほどの柔らかさ。
あまりに美味しくて、この店一押しのあなごのにぎりも追加。

鮨 久右衛門

うまうま~~!

一押しだけあって、こちらの方がよりあなごを食べた感があるのでお勧め。

いや~姫路あなごマジうまし!
姫路に行った際はぜひ食べてみてください。

さて、お腹も一杯になったところで次はお土産の調達。
駅ビルの中にある数件のお店を渡り歩き、いろいろ買い込みました。(詳しくは後述)

時間になったので新幹線の乗車ホームへ。
姫路のエスカレーターは右側立ち。
ホームに上がるとここからも姫路城が見えました。

姫路駅姫路駅
姫路駅姫路駅

ほどなく新幹線ひかりが到着。
飛行機と違って座席が広々としていて乗り心地は最高です。

最初はガラガラでしたが、京都あたりでお客さんが結構乗ってきました。
しかもその多くが外人さん。さすが世界の観光都市です。

姫路城

約3時間半で品川に到着。
2泊3日の充実した姫路旅行でした。

姫路土産

今回の戦利品はこちら。

ヤヱガキ酒造の日本酒
かつては姫路城の大天守に献上していた由緒あるもの。

おでん
姫路のおでんは生姜醤油で食べる独自のもの。「まち歩きマップ」には、あなごと並んでおでんマークもあった。

円教寺御用達 書写 千年杉
本屋で立ち読みした姫路のガイドブックに載っていたバームクーヘン。

姫路城煎餅
姫路城のお土産屋さんで購入。海苔の部分に姫路城が描いてある。

姫路土産姫路土産
姫路土産姫路土産
姫路土産

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