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湯西川温泉旅行記-#1

平家落人の隠れ里、湯西川温泉散策と「日本夜景遺産」のかまくら祭見学

日本夜景遺産のかまくら祭

2014年2月。雪深い山奥の平家落人の隠れ里を巡る湯西川温泉の旅行記。冬の間は「日本夜景遺産」にも認定された「かまくら祭」が開催され、火が灯されたたくさんのミニかまくらが暗闇に連なる幻想的な光景が見られる。宿泊した宿は、創業1666年の平家直孫の本家伴久。平家ゆかりの露天風呂やかずら橋、湯西川温泉発祥の炭火を囲む囲炉裏料理など、歴史と趣のある館内とともに楽しめる。帰りには、万病に効くという川治温泉の「薬師の湯」にも立ち寄った。

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1日目:浅草~湯西川温泉

特急スペーシアと路線バスで平家の里湯西川温泉へ

朝8時浅草発の特急スペーシアで、まずは終点の鬼怒川温泉まで約2時間。
平日ですが、卒業旅行らしき学生たちがたくさんいました。

スペーシアスペーシアから

鬼怒川温泉から湯西川温泉までは、電車と路線バスのどちらでも行くことができますが、電車だと湯西川温泉駅から、結局、鬼怒川温泉駅からくる路線バスに乗らなければならないので、乗り換えのないバスで行くことにしました。

9時59分に鬼怒川温泉駅に着き、バスは2番のバス停から10時5分発。
そこから終点の湯西川温泉(電車が停まる湯西川温泉駅ではなく宿がある温泉郷)まで約1時間です。

鬼怒川温泉駅前広場地図
バス停バス

この日は天気も良く眺めも最高。
山奥に進むにつれ、先日の大雪の影響らしく、雪がかなり積もっていました。

車窓車窓
車窓

途中、龍王峡や川治温泉などを通り抜け、湯西川温泉駅に到着。周りにはなにもない場所ですが、駅には温泉や観光案内所などもあります。
浅草から乗ってきたスペーシアで見かけた人たちが何人かバスに乗ってきました。

そこからさらに山道を進み、湯西川温泉郷の入り口へ到着。バスは町中では短い間隔で停まってくれるので便利です。
今回宿泊する「湯西川温泉 平家直孫の宿 本家伴久」の前にもバス停があるのでそこで下車。

時刻は11時すぎ。
まだチェックインには早いので、とりあえず身軽になるために、荷物だけ預かってもらいにいきました。
伴久は、1666年創業の栃木で一番古い温泉宿ということで、囲炉裏のあるロビーからかなり趣があります。

本家伴久本家伴久
本家伴久本家伴久

館内の探検は後にとっておいて、まずは、周辺の観光に出発しました。

湯西川温泉と本家伴久の歴史

湯西川温泉は、日光国立公園内にある平家ゆかりの温泉郷です。
湯西川温泉については、後で伴久の館内を探検したときに見つけた案内が面白かったので、まず最初にご紹介しようと思います。

平家の秘湯 湯西川温泉
ここは今から八百年の遠い昔、1185年(平安時代末期)壇の浦の戦いに敗れ散った平家の哀話が今も語り継がれていて、神秘な渓谷ひなびた湯けむり、素朴な民情は今も昔のおもかげを残す静寂な平家子孫の里である。

平重盛の六男、平忠實(一名忠房)は、一族二百騎とともに、当時平家に親しみをよせた野州宇都宮氏の勢力下にある川治の鶏頂山弁天沼の畔に身をひそめた。端午の節句の早朝、忠房に嫡男が出生した。不運の中でも祥事を喜ぶ一族郎党は、せめてもの祝いにと各々袖をほどき形ばかりの鯉のぼりをつくって揚げた。これが運悪く源氏の追ってに知られ、急襲をうけた一族は夜明けの鶏の声によってまたも討たれて落ちのびたのは主従わずか四十騎(以来この地では鶏を飼わず、節句ののぼりも揚げないが、女子の祝いとともに男子も子供の祝いとして雛祝いを屋内で盛大に執り行われる)

栄枯盛衰は世の習いとはいえ、昨日まで金殿玉楼に夢を結んだ身が、今日は枯野に追手をのがれ、隠れ里を探して駆けまわる。忠房の愛馬も疲れ果て、ついに力尽きてしまった。忠房は涙ながら湯西川のほとりに「藤弦の乗鞍」を埋めて愛馬の塚を築き潜み住んだ。

時を経て江戸初期1570年、平忠房より十一代を経て、伴対馬守(ばんつしまのかみ)が雪の中に湯けむりが上がるのを見つけ、その上を掘り起こすと、この鞍宝物が見つかり、先祖の配慮に感動する。そしてこの湯を「藤鞍の湯」と名付け、現在この湯は本家伴久の露天風呂にあたる。又、伴とは「平の人である」という意味の隠し文字である。

1666年(江戸時代)湯西川村落として存在し始め良質の温泉の評判が近隣に聞こえ、湯治宿屋の伴久旅館(本家伴久)の創業となる。
そして平成の世、1994年10月には、湯西川旅館組合主催で、鎌倉より源頼朝会の方々を招き、平家の里にて源平の和睦調印式が行われた。当館お夕食処「平家隠れ館」で緊迫感のうち両氏の前夜祭は始まり、宴席を共にするうちに次第に和み笑顔で心は一つになる。

湯西川をはさんで、本館と食事処「平家隠れ館」に架けられたかずら橋は、平家落人の歴史ある四国祖谷(いやだに)の匠(たくみ)の手により架けられた。
平家ゆかりのかずら橋は、本来逃亡のために橋を切り落とした歴史がある。ところがこの源平の和解により、八百年の恩讐(おんしゅう)は消え去り、隠れ館に至る「かずら橋」を両氏手をつないで渡るという、渡り初め儀式がとり行われた。この平成の世の今、訪れるお客さまの「縁を結ぶかずら橋」として存在している。

又当地には先祖である平高房を祀る神社(高房神社)もある。忠房の墓である平家塚などがあり、平家の里では平家関係展示館や村の生活資料館などとして開設され、毎年六月初旬に平家大祭が執り行われ、見物客で賑わう。現在湯西川温泉は観光地として、村民が一体になり村興しをし、お客様の心の故郷となるよう努めている。(案内板より)

和解したのが1994年って、ついこの間のことなんですね。
それまでの八百年もの間、延々と源平のわだかまりを引き継いできたなんて、特にこれといって重要な血を引き継いでいない私には想像もできません。
本文の中に「緊迫感のうち両氏の前夜祭は始まり~」とありますが、緊迫感が生まれるような気持ちをこの長い間リアルに抱き続けてきたということですよね、きっと。

私の感覚からすると、例えば、よく断崖絶壁が出てくる2時間ドラマで繰り広げられるベテランと若手刑事のやりとりのシーンで、

ボス、ヤツが被害者と争っていたのはもう20年も前の話ですよ。動機としてはちょっと弱いんじゃないスか?

というのがありますが、それを今の時代で、源平のいざこざが原因による何かの事件が起きた場合に例えてみると、

ボス、ヤツの祖先が被害者の祖先と争っていたのはもうかれこれ800年以上も前の話ですよ。本人直接係わってないじゃないスか。

的なイメージだったのですが、それは大きな思い違いだったようです。子孫の方々にとっては、何百年経ってもちょっとやそっとでは消えない深い深い気持ちがあったんだと知りました。

・・・

・・・なんだか、大変そうだなぁ

私には、そういう想いを何代にも渡って維持し続けるというのがどういうことなのか図り知れませんが、でもこうやって和解に踏み切ったということは、やはりいつまでも引きずっていたくないとの想いもあったのではないでしょうか。そして、その大きな一歩を踏み出した湯西川の人たちってすごいなと思います。

平家集落

湯西川温泉は、湯西川沿いに温泉宿やお土産屋さんが連なり、伴久のある中心街からかまくら祭りの会場や平家の里など歩いて周れます。
雪の量はすごいのですが、メインの道は綺麗に除雪されていて凍って滑るようなところはほとんどありませんでした。
ただ、観光する場所にはたんまりあるので、それ用の靴をはいていたほうがいいです。

まずは、宿からすぐ近くの「平家集落」へ。
橋の上からその集落が見えると、思わず「これこれ!」と感激の言葉が口をついて出てしまいました。
湯西川温泉の風景としてよく紹介される場所で、平家落人の里の雰囲気を醸し出しています。
昔は萱葺き屋根の集落が並んでいたそうですが、今は一部を除いて瓦屋根になっていました。

平家集落

その集落の中には、湯豆腐で有名な会津屋豆腐店や湯西川で一番古いという平家そば 志おやなどがあります。川沿いにはミニかまくらが一列に並んでいて、日と月曜日に点灯されるそう。

橋の脇から下に続く階段があり、そこを下りると平家集落になりますが、雪がかなり積もっていて階段など滑りやすい。
集落の軒先にはたくさんのツララがさがり、屋根の上では雪かきをしている地元の人の姿も見えました。思えば、ナマで屋根の雪かきを見たのは初めてかも。

平家集落平家集落
平家集落平家集落
平家集落平家集落
湯西川湯西川
湯西川

平家集落の突き当たりから階段がのびていて、そこを上って行くと志おや、その向かいに慈光寺があります。しかしお寺は完全に雪に埋もれてしまい、そばに行くことはできませんでした。

湯西川温泉慈光寺
志おや湯西川温泉

さきほど下りた階段のところの橋とは別の橋がお寺の麓にあり、そこを渡ると町の中心街に出られます。橋の上にも雪がたくさん積もっていて、その積もりっぷりもまた見ごたえあり。
その橋のすぐ脇に伴久の宿があり、川の奥の方に名物のかずら橋や氷爆を見ることができました。

平家集落
平家集落
平家集落本家伴久
湯西川湯西川

パンフレットなどには、紅葉に彩る集落の写真がよく掲載されていますが、真っ白な雪の中に佇む古民家の風景もとても日本らしくて絵になります。

平家塚

かまくら会場に向かっていると、途中で「平家塚」を発見。
しかし、雪に埋もれてよく見えませんでした。

平家塚の由来
今からおよそ八百年有余前湯西川を安住の地と定めた平家の武将、平忠實、忠房とその家臣や姫達の武具、金銀財宝等を埋めた所と伝えられている。
この玉垣の中には、七つの塚が点在し塚の上には子孫繁栄を願って、楡の木、一位ノ木等を植えたのが現在大木となり、その根元が塚となっている。
先祖代々この場所を神域と崇め子孫は今でも大切に保存伝承に努めている。(案内板より)

平家塚

平家の里

そしてそのすぐ近くに、今度は立派な「平家の里」と書かれた看板がありました。
一人500円の入場料を払って中へ入ります。ここも例外なくすごい雪。

平家の里
平家の里
平家の里平家の里

「平家の里」に尽力した第五代栗山村長 齋藤喜美男氏の石碑がありました。

第五代栗山村長 齋藤喜美男
栗山村長 齋藤喜美男氏は、栗山村の観光資源の開発と就労の場の拡大を図ると共に、地域の活性化を期し、平家落人の隠れ里として広く世に知られる、ここ湯西川の地に「平家の里」を復元する決断をした。広く村民の強力を得て、第三期山村振興対策事業、並びに県単山村振興事業を導入し、敷地面積約1.7ヘクタールを買収し、昭和57年から4年の歳月をかけて施設の整備を行い、総事業費約三億円を投入して、昭和60年6月6日開村した。又同時に、山口県下関の赤間神宮より「平家の里」開村を祝し国内初の赤間神宮分詞がなされたことも偏に齋藤喜美男氏の熱望に依って実現されたものである。
以来「平家の里」は、湯西川温泉の唯一の名所となり、今日の繁栄を見るに至った。茲に、齋藤喜美男村政六期二十二年間の実績を讃えると共に「平家の里」の復元、並びに「平家落人大祭」の創設等、氏の大きな功績を顕彰する。(モニュメントより)

平家の里平家の里

真っ白な雪の中にぽつぽつと建つ萱葺き屋根の風景はまるで日本昔話の世界。
それぞれの家の中には入ることができ、当時のさまざまな生活道具や平家一族に関するものが展示されています。

平家の里
平家の里
平家の里平家の里
平家の里平家の里
平家の里平家の里
平家の里平家の里

平家の歴史を展示した家では、平家一族の絵や仏像、源平関係の略年図などが飾られていました。

平家の里平家の里

平清盛(入道清盛)1118~1181
「祇園精舎の鐘の声諸行無常の響きあり・・」という有名な書き出しで始まる「平家物語」の中心人物であり、また日本の歴史上の人物としてもこの名を落とすことのできない人がこの平清盛です。
清盛は一介の武士から身をおこし、遂には天下を制した立志伝中の人物でもあります。
「平家にあらずば人にあらず」というほど栄華を極めた平家一族はこの清盛の働きによって築かれたものです。また、この「平家・・」のことばなどから清盛の人物像が権力をかさにきた強欲無道であったふうにとらわれがちですが、実は清盛は、貧困を乗り越えて湯治の最高位である従一位大政大臣の地位についた努力の人でもありました。
世に有名な保元の乱(1156年)や平治の乱(1159年)をたくみに生きぬいた名将でもあります。それに清盛は国際的な感覚の持ち主で、神戸に港を築いて中国(宋)との貿易に力をいれようとしたり、「世の中を平和にしたい」という願いのもとに文化の発展や芸術の振興にも心を注いだあとが見受けられます。
また信心も厚く自分の病を治すため、出家入道「浄海」と名乗ったりしました。
この像はその頃のものであり、清盛が人間的にいちばん充実していたときであるともいえるでしょう。そして清盛は波乱万丈にとんだその生涯を64歳にして閉じています。
清盛の死後わずか四年にして平家は壇の浦の決戦(1185年)に敗れ、さしも栄華を極めた平氏もその時代に終わりを告げたのであります。(案内板より)

平敦盛(1168~1184)
平敦盛は経盛の三男に生まれ、五位に叙せられたが、官位につくことがなかったので「無官の大夫(たゆう)」とも言われた。
敦盛は鳥羽院から曾父の忠盛に下賜された名笛小枝を譲り受け大いにたしなみ、笛の名手としてその芸術的才能はとみに有名であった。
一の谷の合戦では義経の奇襲に敗北し、多くの武将を失ったが、その半ば以上が十代の少年公達で敦盛もその一人であった。
「敵にうしろを見せさせ給ふものかな かなへさせ給へ」敦盛は沖の船に馬を泳がせたところ、源氏方の熊谷直実に呼びかけられ組討したが押さえつけられ、直実が首をとろうと甲を押しのけると、十六、七の息子と同じ年頃の美少年ではないか、首をとることなどできない、助けてやりたい、しかし大勢の源氏の兵が見過ごすはずはない、直実は泣く泣く敦盛の首をとった。
その後、直実は弓矢取る身の空しさを自覚して仏門に入り、紅顔の貴公子を悼んだと言われている。(案内板より)

平家の里平家の里

里の一番奥のひときわ大きな家では、「平家落人大祭」の様子がビデオで流されていました。

平家落人大祭
平家が源平の戦いに敗れて800年の歳月が流れました。平家落人の里で知られる湯西川温泉では、毎年6月上旬、華やかだった昔を忍び平家落人大祭が開かれております。
絵巻行列をはじめ、白拍子の舞、火渡り式など古式豊かな優雅なお祭りです。(案内板より)

平家の里平家の里
平家の里平家の里
平家の里
平家の里

さらにその奥には、赤間神宮がありました。赤い鳥居が白い雪に映えて雰囲気があります。

平家の里
平家の里平家の里
平家の里

観光客が他に一人しかいなく、あたり一帯静けさに包まれていたので、観光施設に来たというよりも、どこかの雪深い田舎の集落を歩いている感じでした。

里の中にはお茶が飲める休憩処もあり、日本の田舎らしいのんびりとした時間がすごせると思います。

平家の里平家の里

かまくら祭

「平家の里」を後にし、10分ほどさらに奥に進んでいくと、メインのかまくら祭の会場に到着。
会場内には大きなかまくらがいくつもたっていて、入り口には売店もあります。
ちょっと小腹がすいたので、その売店で湯葉入り豚まんを買ってみました。
湯葉の味はそんなにしませんでしたが、普通においしい。

かまくら祭かまくら祭
かまくら祭

かまくら会場をひととおりまわってみると、中で食事をしている人たちがいました。どうやら、この中でバーベキューができるらしい。
かまくらの数が限られているので、予約した方がいいかもしれません。

かまくら祭かまくら祭
かまくら祭かまくら祭

その会場の脇の川原にたくさんのミニかまくらが作られ、夜になると火が灯ります。その光景は「日本夜景遺産」に認定されていて、たくさんの観光客が訪れるそうです。
この期間は昼夜シャトルバス(片道200円)も運行されているので便利。

かまくら祭かまくら祭
かまくら祭

ここにはまた夜に来るので、一度町中に戻りお昼を食べることにしました。

本当は、平家集落にある会津屋豆腐屋か志おやに行こうと思ったのですが、この日はどちらもまさかの休業。
しかたがないので、中心街で物色。
「湯平温泉街雪だるま街道」では、お店や旅館、郵便局などの前に色々な雪だるまが作られていて目を楽しませてくれました。

温泉街温泉街
温泉街温泉街

山島屋で岩魚定食のランチ

お昼はその通りにある山島屋というお店に決定。
お昼の時間をだいぶ過ぎていたので観光客の姿はあまりありませんでしたが、常連らしい地元の人がけっこう入ってきます。

山島屋山島屋

メニューを広げると、最初に湯西川に関する案内があり、先にご紹介した「伴久」版とはまた違う感じで面白かったのでご紹介しましょう。

山島屋
今から八百年の昔、壇の浦の合戦に敗れた私らの先祖は遠くこの湯西川に逃れ落ちたのでございます。
平家の落人達は川を遡るうち、ほうぼうに湯が湧くのを見つけ、戦の傷を癒し、逃走の疲れをしばし忘れたそうでございます。
女どもは、大きな岩にうつる姿を見て身なりを整えたといいます。追われる身ではあっても平家女の心を失わなかったのでございましょう。
その岩は「平家鏡岩」として後々まで落人が己を見つめる心のより所にしたのでした。
湯西川は人里離れた秘境の地でありましたが、自然の幸が豊かでした。山々には鹿、熊、山鳥が棲み、沢には岩魚、山女魚が群れ、春秋の山菜もたんと採れたのでございます。
子孫繁栄を念じて、釜をことのほか大事にし、獲物を料理する水も釜の形をした滝で汲みました。
神聖な水とあがめた「釜ん滝」が今も昔の姿をとどめております。
こうして湯西川に住みついたものの、源氏の追討は厳しく、身分を隠す工夫を必死にせねばなりませんでした。
武士の命の鎧、兜、刀もやむなく「平家塚」に埋めて隠したのでございます。
それに土地の者は、今でも端午の節句に決して鯉のぼりを揚げません。
鬨の声をあげる鶏も飼いません。かって源氏に見つかり痛手を負った経験から始まった習わしでございます。
月日は遥かに流れても、青い山並と渓流に囲まれた美しい自然は昔と少しも変わりません。
湯西川は人情こまやかな素朴ないで湯でございます。
旅は道づれ、どうか皆様で平家ゆかりの当館にぜひお越しくださいませ。
珍しい落人秘伝の料理で、心を尽くしておもてなししとうございます。(パンフレットより)

鹿や熊が棲んでいるとありますが、そういえば、同じ日光国立公園内の奥日光や、先月行った四万温泉にはたくさんあった「熊出没注意」の看板をまだひとつも見ていません。
それほど頻繁に人前には現れないのかな。
それにしても、源平の関係は根が深い。そのあたりの史実を詳しく書いた本を読みたくなりました。

さて、たくさんあるメニューから、友人はそば定食、私は岩魚定食に決定。
ちょっと焼くのに時間がかかりますと言われた岩魚はフワフワでおいしい。また、山菜や漬物も歯ごたえがあっていいお味です。

山島屋
山島屋

お店のお婆ちゃんに「焼きたての岩魚は美味しいでしょう」と言われ、うんうんと頷きながら綺麗に平らげました。

創業1666年平家直孫の宿 本家伴久

お昼ごはんの後、湯西川温泉 平家直孫の宿 本家伴久にチェックイン。
預けていた荷物を受け取って、仲居さんの案内で部屋に向かいますが、その前に、入り口のところで歓迎の太鼓をお客さんごとに打ち鳴らしてくれます。

本家伴久本家伴久

磨きこまれた廊下を歩いていくと立派な木の階段があるのですが、これが傾いていて、面白いけどちょっとのぼりづらい。地震かなにかで傾いたのかと思ったら、木の幹にあわせてわざとこうしているのだとか。
その階段を上るとまた趣のある廊下が続き、今日のお部屋へ到着です。

本家伴久本家伴久

その名を「水車」といい、なんと部屋の中に大きな水車が飾ってありました。
入り口を入ると囲炉裏があり、高い天井には黒ずんだ梁が渡され、映画かなにかのセットのよう。
これまで数々の旅館やホテルに泊まってきましたが、水車つきの部屋は初めてです。
部屋の窓からは湯西川が真下に見え、かずら橋や冬限定の氷瀑も拝めました。

本家伴久本家伴久
本家伴久本家伴久
本家伴久本家伴久
本家伴久本家伴久

仲居さんに、ロビーでコーヒーなどのサービスをしているのでぜひどうぞと勧められたので、館内の探検もかねて行ってみました。
ロビーは二階まで吹き抜けていて、真上に図書コーナーがあります。川に面した大きな窓からは目の前に氷瀑が見えました。
その景色を見ながらセルフサービスのコーヒーをいただきちょっと休憩。平日にもかかわらずお客さんがたくさんいて驚きましたが、伴久の静かな山里の温泉旅館という雰囲気にそれぞれが浸っている感じで、決して騒がしくなく心地よい。

本家伴久本家伴久
本家伴久
本家伴久本家伴久

一息ついた後は、二階に行ってみました。
二階には、歴代の雛飾りが飾られた部屋があると聞いていたので入ってみると、圧倒されるようなたくさんの人形や飾りが所狭しと並べられていました。
色的には赤やピンクでかわいらしいのですが、例えば、夜にちょっと一人で彼らと対峙するのはそこそこの勇気が要りそうな感じ。

本家伴久本家伴久
本家伴久
本家伴久
本家伴久本家伴久

その後は、図書コーナーへ。
いくつかのソファーがあり、ぼーっとするには最高の場所です。こういうところがあると連泊する人にはうれしいと思う。
パソコンも一台置いてあったので、フロントに言えばインターネットもできそうな感じです。

本家伴久本家伴久
本家伴久本家伴久
本家伴久本家伴久

部屋へ戻る途中で、かずら橋を見てみました。
廊下の途中に外へ出るドアがあり、そこから食事処の「平家隠れ館」へ続くかずら橋に行くことができます。

かずら橋由来
八百年の往時(1185年)山口県下下関壇の浦の海上戦で対決し、源平の闘いは平家に利あらず敗走となる。
「浪の下にも都の候ぞ」と皇統八十一代安徳帝を清盛の妻二位の尼は抱き参らせ三種の神器と共に千尋の海底に沈み、平家の御代は終り一門は東西南北に散りゆくのみ。
その中に徳島県祖谷に遁れた一門は剱俊な山峡にかずら橋を架ける。敵方の気配がすれば谷で蔓をきり落し、敵方を渡れなくしてその奥山に又逃れたという。その創造力と警戒心とデザインのロマンに圧倒される橋の造形である。いやその橋を同門である当館に架けんと願い祖谷の好意が実り「匠」の手に依り平成六年十月二七日完成する。同日当地で行われた鎌倉頼朝会との和睦式後、橋の渡り初めとなる。(案内板より)

本家伴久本家伴久
本家伴久本家伴久

つり橋なのである程度は揺れますが、下に隙間もないし両側もしっかり囲まれているので怖さは感じません。
大雪が降ったときなどは渡るのが大変そうですが、伴久に泊まった人しか渡れないのでいい思い出になると思います。

冷えてきたので部屋に戻ってテーブルの上にあった案内をチェック。伴久についていろいろと書いてありました。

お客様へ
本日は、本家伴久萬久旅館にご宿泊賜り誠に有難うございます。
当館は寛文六年(1666年)宿屋として開業して以来、現在まで350年余りを経過しております。
先祖が築き上げた伝統と歴史を従業員一丸となって、守り続けております。
また当館の建物は、全国各地から選りすぐった銘木・古木を使用しております。
お部屋は往時を偲ぶ意匠凝らした造りとなっておりますが、生憎木造建築の薄壁ですので、多少隣室等から他のお客さまのお声が聞こえるかもしれません。
何卒ご理解賜りますようお願い申しあげます。もし余りに音が大きい場合は、係りにお申し付けくださいませ。
~後略~(パンフレットより)

ごあいさつ
八百有余年の歴史
平家の哀史が今に語り継がれる
平重盛の六男当館の祖
平忠実より平家直系二十五代を継承する。
天正元年(1573年)第十一代伴対馬守が温泉や財宝を発掘(現在露天風呂下)
湯西川発祥の湯として寛文六年(1666年)宿屋として開業し現在に至り、老舗旅館として代々守り継いでおり、皆様にご愛顧いただいております。
心身を癒し、安らげる空間でおくつろぎいただけるよう伴久は「心からのおもてなし」に精一杯務め努力致しております。
~中略~
平家直系二十五代内儀 伴真澄美(パンフレットより)

などなど。
確かに壁が薄いようで隣の物音が良く聞こえました^^
でもやはり、この歴史ある建物は一見の価値ありで、さらに後で登場しますが、こちらの大女将のおもてなしにもほっこりします。外国人のお客さんにも人気のようで宿泊中に何組か見かけました。

平家囲炉裏料理の夕食

夜6時。
ライトアップされたかずら橋を青い光に浮かび上がる氷瀑を見ながら渡ります。
この氷瀑は宿の人たちが作ったそうですが、ふと、八ヶ岳にある赤岳鉱泉のアイスキャンディを思い出しました。

本家伴久
本家伴久本家伴久

橋を渡るとすぐ、お夕食処「平家隠れ館」の建物です。
階段を上がり入り口のところでどの部屋かを案内されるのですが、結構な数の部屋がありそう。

本家伴久本家伴久
本家伴久本家伴久

目的の部屋に入ると、大きな広間にいくつかの囲炉裏があり、それぞれ衝立で仕切られていました。
囲炉裏にはすでにいくつもの串が刺さっています。

本家伴久本家伴久
本家伴久

席に着くと係りの人が料理の説明をしてくれました。
囲炉裏には岩魚、おもち、野菜、うずらの肉をヘラにぬりつけた一升べら、そしてその脇のお膳の上には、コラーゲン鍋や鹿肉のたたき、かまくらに入ったお刺身など彩り豊かに並んでいます。
あとから煮物や天婦羅がきましたが、天婦羅は囲炉裏の網で炙ってくださいとのことだったのでその通りにやってみると、カリカリになってとても美味しかったです。

本家伴久
本家伴久
本家伴久
本家伴久
本家伴久
本家伴久
本家伴久
本家伴久本家伴久

しばらくしたころ、一人のお婆ちゃんが部屋に入ってきて、みんなの前に立ちました。見るからにお年を召していますが、着物をしゃんと着こなしゆっくりと話す姿は堂々たるもの。実はこの方、伴久二十四代目の大女将でした。(現在は二十五代目に継承している)
こんな歴史ある旅館の大女将が直々に、スタンダードプランのお客さんに挨拶しに来るなんて思ってもみなかったのでちょっとビックリ。隣の囲炉裏のお客さんも、数々の旅館に泊まり歩いているけどこんなのは初めてだと言っていました。

本家伴久

そんな私達をよそに、大女将はちょいちょい笑いをとりながら、語りかけるように旅館や料理の話をされ、みんなの心をひとつかみ。「囲炉裏の火をぼーっと眺めていないで上手く使うのですよ」と締めくくり、今度は各グループのところに順番に来て挨拶をしてくれました。
恐らくこれを毎日(女将と手分けするのかもしれないけれど)全部の部屋のお客さんにやるのでしょう。

恐れ入りました。

日本夜景遺産認定かまくら祭のイルミネーション

囲炉裏の火ですっかり温まったあとは、かまくら祭(今年は3月9日まで開催)に出発です。
伴久では宿の車で送迎してくれるのでとてもラク。宿から会場まではほんの4~5分で着きました。

実際にかまくらのある場所より少し手前で下りて、そこから青い光で彩られた「かまくらメインストリート」を歩いていきます。

かまくら祭かまくら祭

やがてだんだん人が多くなりメイン会場に到着。
まずはその少し先にある橋に向かいます。
そこから川原に作られたミニかまくら全体を見渡すことができるのですが、この光景は「日本夜景遺産」に認定されています。
ちょうど橋の欄干にカメラを固定できたので、三脚なしでもそこそこブレずに撮影できました。

かまくら祭

次はメイン会場へ。
昼間も来ましたが、夜はこちらもライトアップされてとても綺麗。

かまくら祭かまくら祭
かまくら祭かまくら祭
かまくら祭

会場の向かい側の、一際人だかりができている場所に行ってみると、川原のミニかまくらがより近くに見ることができました。
人がたくさん中に入り込んでいるので、人物抜きで写真に収めるのは難しいですが、かまくらの灯りを間近に見るにはここがベストでしょう。
たくさんのオレンジ色の火が暗闇の中に連なる光景はとても神秘的。夜景遺産に認定されるのも納得です。

かまくら祭
かまくら祭かまくら祭

この夜は風もなく見学するにはいい状態だったのですが、やはり雪国の寒さはしんしんと身にしみてきます。
たくさん写真も撮ったので、40分ほど見学してから再び宿の車に乗って帰りました。

かまくら祭かまくら祭

平家ゆかりの露天風呂

お宿に戻るとロビーの窓側が少し暗くなり、ライトアップされた氷瀑が浮かんでいました。
部屋に戻る途中、再びかずら橋に寄り外からも眺めた後、部屋でちょっと休憩。

本家伴久本家伴久
本家伴久本家伴久
本家伴久本家伴久

お風呂が空いた頃合を見て、ようやくこの旅初の温泉に行きました。
伴久の温泉は前述したとおり平家ゆかりのお風呂です。

伴久の露天風呂
栄枯盛衰は世の習いとはいえ、昨日まで金殿玉楼に夢を結んだ身が、今日は枯野に追手をのがれ、隠れ里を探して駆けまわる。忠房の愛馬も疲れ果て、ついに力尽きてしまった。忠房は涙ながら湯西川のほとりに「藤弦の乗鞍」を埋めて愛馬の塚を築き潜み住んだ。
時を経て江戸初期1570年、平忠房より十一代を経て、伴対馬守(ばんつしまのかみ)が雪の中に湯けむりが上がるのを見つけ、その上を掘り起こすと、この鞍宝物が見つかり、先祖の配慮に感動する。そしてこの湯を「藤鞍の湯」と名付け、現在この湯は本家伴久の露天風呂にあたる。(案内板より抜粋)

脱衣所へ行くと、なんと夕食のときに挨拶をしにきてくれた大女将に遭遇。時刻はもう23時半をまわっていましたが、一仕事終わってお風呂に入りに来たようです。二十五代目に継承したのに、こんな遅くまで働いてらっしゃるとは・・。

氷瀑に虹が出ましたよ

と教えてくれたので露天風呂に行ってみると、確かに青色だったのが消えて代わりに虹がかかっていました。
ここのお湯は無色透明で硫黄臭さもほとんどありません。
軒下に下がっているツララが落っこちてきても刺さらない位置でのんびりお湯につかり、一日の疲れをとりました。

次は、奥湯西川の狩人村まで往復と川治温泉へ

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