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鎌倉「葛原岡・大仏ハイキングコース」旅行記

山も海も大仏も!有名スポットを心ゆくまでじっくり歩く

鎌倉の大仏

2016年6月。観光客に大人気の古都「鎌倉」を山から海まで有名スポットを巡りながら歩く「葛原岡・大仏ハイキングコース」のご紹介。山歩きもできるこのコースは、北鎌倉と長谷を結ぶ約3キロの道のりで、途中では円覚寺や浄智寺、銭洗弁財天、高徳院(大仏)、長谷寺などにも立ち寄ることができ、ゴールを長谷にすれば、最後は由比ガ浜でものんびりできます。名物のしらす料理などを食べられるお店もたくさんあるので、いっぱい歩いた後、キンキンのビールと共にご賞味ください。

北鎌倉から長谷まで(円覚寺、浄智寺、葛原岡神社、銭洗弁財天、鎌倉大仏、長谷寺、由比ヶ浜)歩く

大混雑の北鎌倉駅から円覚寺へ

紫陽花の綺麗な季節になったので、天気の良かった週末に鎌倉に行ってきました。
スタートはJR横須賀線の北鎌倉駅。車内では「本日北鎌倉駅はかなり混んでおり・・」というアナウンスがあり、実際に着いてみるとホーム上で行列ができるほどの人ごみ。この時期の鎌倉は混むとは聞いていましたが、まさかここまでとは。。。

ホームの途中で臨時の改札口ができていたので、そこから外に出ました。
今回は、北鎌倉駅から江ノ電の長谷駅まで続く「葛原岡・大仏ハイキングコース」を歩く予定ですが、まずはハイキングの前に駅の近くの円覚寺に寄り道です。

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円覚寺
当山は、臨済宗円覚寺派の大本山であり弘安五年(1282)の開創。開山は中国(宋)より渡来の佛光国師無学祖元。開基は鎌倉幕府の執権北条時宗公。国師は時宗公の熱心な招請に接し、弘安2年来日。初め建長寺に住し、時宗公はじめ鎌倉の武将を教化し、多くの門弟を育てた。
時宗公は弘安4年再度の蒙古の来襲を撃滅した後、翌5年正法を興隆し、師恩に報じ、また文永・弘安の両役に戦死した敵味方両軍の菩提を弔うために当山を建立した。
国師の流派を世に佛光派と称し、弟子に佛国国師、孫弟子に夢窓国師が出て、室町時代には国師の法孫は天下に満ち、五山学僧の主流となった。
江戸時代やや衰微していたが、江戸末期に中興誠拙禅師が出、明治に至って今北洪川、釈宗演の二大禅師が出生され、再び関東禅界の中心となった。(案内板より)


たくさんの人が行き交う総門から境内へ入っていくと、立派な山門が現れました。
それでは山門から主な見どころを順にご紹介していきましょう。


山門(三問):県重要文化財
山門は三解脱(空・無相・無願)を象徴するといわれ、諸々の煩悩を取り払う門とされます。山門を通って娑婆世界を断ち切り、清浄な気持ちで佛殿の本尊さまをお参りしなければならないとされます。
現在の山門は1785年(天明五年)開山五百年遠諱の年に大用国師(誠拙周樗)によって再建され、「円覚興聖禅寺」の扁額は伏見上皇(北条貞時の時代)より賜りました。楼上に十一面観音像・十二神将・十六羅漢をおまつりしてあり、毎年6月18日に楼上で観音懴法(観音さまに懺悔をする儀式)が行われます。また毎年8月には山門を取り巻いての盆踊りがにぎやかに行われます。(案内板より)

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仏殿
円覚寺の本尊さまをおまつりしてある建物で、関東大震災で倒壊しましたが、昭和39年に再建されました。本尊さまは冠を被っておられるので、宝冠釈迦如来とよばれます。華厳の盧遮那仏とも称されます。本尊さまは1282年(弘安五年)佛殿開堂の際に安座されましたが、1563年(永禄六年)の大火で焼失、お顔のみが救出されました。後に江戸時代、天甫昌円によって1625年(寛永二年)佛殿が再建される際に体部が補造されました。その時、本尊さまの両脇に梵天、帝釈天がまつられました。「大光明寶殿」の扁額は1378年、後光厳天皇より賜りました。開山毎歳忌、達磨忌、臨済忌、祝聖などの諷経や毎朝の暁天坐禅がここで行われています。(案内板より)

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仏殿の天井には、前田青邨監修、守屋多々志揮毫の「白龍図」が描かれています。


選仏場
選仏場とは、仏を選び出すという意味で、修行僧の坐禅道場のことです。創建時代の坐禅道場は建武二年の境内絵図に山門と佛殿の間の左側に裳階つきの大建築として描かれていますが、永禄六年十二月の大火で焼失してしまいました。
元禄十二年(1699)、伊勢長島城主松平忠充が江戸の月桂寺、徳雲寺住職一睡碩秀の薦めにより、円覚寺に大蔵経を寄付され、同じ位置に経典を収蔵する蔵殿と坐禅道場を兼ねた現在の選佛場が建立されました。
その後坐禅道場は正続院に移り、現在の選佛場には、南北朝時代の薬師如来が中央に祀られています。年二回地元の薬師講衆が参詣し、ご祈祷が行われ、また平成十五年より円覚寺百観音霊場の一番として、大慈大悲観世音菩薩が安置されています。(案内板より)

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居士林
在家修行者のための専門道場です。「居士」とは一般在家の禅の修行者を指します。広く一般の方に向けて各種坐禅会が催されています。(パンフレットより)

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境内にはこの時期らしくあちこちに紫陽花が咲いていてとても綺麗です。

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方丈
本来は住職の居間ですが、現在は各種法要、坐禅会や説教、夏期講座などの講習会や秋の宝物風入など、多目的に使われています。(パンフレットより)

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方丈には一般の参拝者でも上がることができ、美しい庭を見ながら休憩することができます。


百観音霊場
百観音霊場の由来は、養老二年(718)徳道上人が開設した西国三十三観音霊場と、鎌倉時代、観音信仰に篤かった源頼朝が開いた坂東三十三観音霊場と、その後にできた秩父三十四観音霊場の総称とされています。円覚寺方丈前の百観音は江戸時代、拙叟尊者が百体の石仏を岩窟に泰案したことが由緒となり、明治に至って今北洪川老師が整備されました。
円覚寺の百観音を結願所として円覚派の寺院に百観音巡礼の札所が開設されました。
昔は、霊場に写経を納め、その際に納経印をいただいていましたが、それが現在の御納経帳または御朱印帳に変わったものとされています。行く先々の霊場で観音さまの由来を知り、観音さまのご利益にあずかり、観音さまを念じながらお参りされると、心が清浄になり安心を得られることと思います。(案内板より)

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柏槇(ビャクシン):市指定天然記念物
向かいの大木は円覚寺開山、無学祖元禅師により植えられたとの言い伝えから、七百年以上の樹齢だと言われております。幹の中心に樹木医による治療跡が見ることができます。開山様との御縁で平成二十四年に京都、南禅寺に若木が移植されました。(案内板より)

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方丈を出てさらに奥へと進みます。妙香池を通り過ぎ、左へ行くと国宝の舎利殿があります。

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舎利殿(国宝)
円覚寺の舎利殿には「佛牙舎利」と尊崇されるお釈迦様の歯牙をおまつりしております。
その由来は将軍源実朝公が宋の時代、中国能仁寺から請来したものです。この舎利殿は鎌倉にあった太平寺(尼寺・廃寺)の佛殿(鎌倉時代末~室町初期に再建)を移築したもので、中国、南宋時代の建築様式に学んだ禅宗様建築の代表的な遺構です。関東大震災に倒壊しましたが、昭和四年に復元しました。
内部正面に佛舎利をおまつりする宮殿が安置され、その前に鎌倉彫りの須弥壇があり、観音菩薩と地蔵菩薩がまつられています。隣は円覚寺派の厳格なる修行道場となっており、円覚寺開山 無学祖元禅師をおまつりした開山堂とともに円覚寺随一の幽邃の地となっています。
正月の三が日、五月の連休日と十一月の宝物風入などの特別期間以外は修行の為、拝観を制限させて頂いております。(案内板より)

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ちょっと道を戻り白壁の路地を通っていくと、途中に、お茶がいただける佛日庵があります。

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そこからさらに進むと、境内の一番奥にある黄梅院へたどり着きます。


黄梅院
北条時宗公の夫人、覚山尼が時宗公追善の為に建立した華厳塔の敷地に円覚寺第15世夢窓国師の塔所として建てられ、国師の門弟方外宏遠が文和三年(1354)に開創した。
後の応安元年(1368)、室町幕府二代将軍足利義詮の遺骨が分骨され足利家の菩提所としての性格を帯びている。山号は「伝衣山」。本堂には、本尊「千手観音菩薩坐像」の他に「夢窓国師坐像」、室町期のものとされる銅像「千手観音菩薩立像」、木造「聖観世音菩薩立像」がまつられている。(案内板より)

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続いて、入ってきた山門近くまで戻り、境内の高台にある弁天堂へ向かいます。

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鳥居をくぐってけっこうな石段を上った先に、お堂と鐘、お休み処があります。麓の景色を眺めながら休憩できるお休み処では、アイスクリームや飲み物のほか、弁天堂の御朱印も入手することができます。弁天堂の御朱印はここまで来ないともらえません。

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弁天堂
執権北条貞時(時宗の子)が7日7夜江の島弁才天に参籠し天下泰平、万民和楽を祈り霊夢を感じて大鐘を鋳造(正安3年、1301年)し、当山に奉納した。あわせて弁天堂を建立し、弁才天を祀り当山の鎮守とした。以来霊験あらたかにして祈願すれば必ず感応を蒙むといわれて来た。又、この境地は眺望絶佳にして遠く富士山をも望むことが出来、多くの人々より賞賛されてきた。
因に当弁才天の祭礼は11月28日である。又、60年毎の己の年に大祭を行い、江の島弁才天と当山との間で盛大にとり行なわれる。(案内板より)

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洪鐘(国宝)
正安三年(1301年)に鋳造された国宝の洪鐘です。北條時宗公の子、貞時公が国家安泰を祈願して鐘の鋳造を鋳物師に命じましたが、鋳造がうまくゆかず、江ノ島の弁天さまに七日間参詣したところ、ある夜の夢の中で円覚寺の白鷺池の底を掘ってみよというお告げがあり、その通りにしてみると池の底より龍頭形の金銅の塊を発見、それを鋳造してこの洪鐘を造ったといわれています。
この霊験に感激された貞時公は江ノ島の弁天さまを洪鐘の神体として「洪鐘大弁才功徳尊天」と名づけて弁天堂を建立されました。(案内板より)

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円覚寺は、駅からも近く由緒あるお寺のためたくさんの人が訪れていますが、敷地が広大なためゆったり過ごせます。
鎌倉に着いたらひとまずここで落ち着いて、ハイキングをスタートするのもいいですね。


円覚寺から浄智寺

円覚寺の後は、ハイキングのスタート地点でもある浄智寺へ向かいます。お寺を出て踏み切りを渡り県道を左折。道沿いには小さなお店が並んでいるので、お昼時ならここで食べてから行くのもいいですし、お弁当があればハイキングコースの途中で食べることもできます。または、スタート時間が早ければ、ハイキング終盤の高徳院や長谷周辺にもお店がたくさんあるので、歩いた後に食べるのもおすすめ(行動食は持参しましょう)。

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県道をまっすぐ行くと再び踏み切りが見えてくるので、その手前の道を右折します。木々が生い茂る緩やかな上り坂になり、その途中に浄智寺の門があるので、お寺を拝観する場合はその門をくぐって石段を上っていきましょう。拝観しない場合は、門をくぐらず本来の道をそのまま行くか、石段の途中でエスケープできます。


浄智寺
鎌倉五山の第四位であり、豊かな緑におおわれた境内は、国の史跡に指定されています。総門の手前にある古い石橋のたもとには、鎌倉十井の一つである甘露ノ井があり、その先には、印象的な苔むした参道の階段と、上に鐘楼がある珍しい山門があります。
仏殿には、室町時代に造られたという三世仏坐像(向かって左から阿弥陀・釈迦・弥勒)が安置されており、それぞれ過去・現在・未来を意味するといわれています。また、境内一角の洞窟には、鎌倉・江の島七福神の一つである布袋尊がまつられています。
国指定重要文化財に指定されている地蔵菩薩像や「西来庵修造勧進状」などは、鎌倉国宝館に預けられています。(案内板より)

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緑が多く円覚寺に比べると格段に人も減るのでほっと一息できます。境内の中ほどにある庭園は、日本昔話に出てくるような風景で、これを見ながらしばらくぼーっとしているのも心地よさそう。

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その庭をぐるりと周ると洞穴があり、そこくぐって奥に行くと布袋尊像が安置されています。この像に触ると元気が出るということなので、みんなに触られて黒光りするお腹をなでておきました。

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浄智寺から縁結びの葛原岡神社

浄智寺を後にし、いよいよハイキングのスタート。浄智寺からさらに奥に進んでいくと、駅周辺の喧騒とはうってかわって静かな空間になります。

しばらく道なりにいくと細い石段が現れるのでそこを上っていきましょう。この先から本格的な山道になっていくので、しっかりとした靴を履いていると歩きやすい。

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少し上ると稜線っぽい場所に出て、木々の間を風が吹き抜けていきます。ほんのちょっとしか高度を上げていませんが、強い日差しも遮られるため麓の暑さとは段違い。そして何より、人ごみから脱して歩けるのが最高です。

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何組かの登山客と挨拶を交わしながら20分ほど歩くと、源氏山公園に到着。一角のにある「こもれび広場」にはテーブルと椅子も設置されているので、お弁当を食べるならここがいいでしょう。
さらに、縁結びで有名な葛原岡神社もあり紫陽花がたくさん植えられています。

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葛原岡神社から銭洗弁財天宇賀福神社

葛原岡神社を背にして進んでいくと、源頼朝像との分岐になるのでそこを右に曲がります。坂を下って右に行くと本来のコースですが、ここから3分ほどで有名な「銭洗弁財天」へ行くことができるので立ち寄ってみました。

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案内にしたがって石段と坂をおりていくと、その途中に境内への入り口を示す鳥居があります。人気のスポットというだけあって、たくさんの人の姿がありました。

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銭洗弁財天 宇賀福神社
巳の年の文治元年(1185)、巳の月、巳の日、源頼朝に宇賀福神の夢のお告げがありました。「西北の谷に湧き出す霊水で神仏を供養せよ。天下は泰平になるであろう」
お告げの通りにこの地に湧き水があったので、さっそく宇賀福神を祀り、その水で神仏の供養を行ったことが、創建の由来だといわれています。この湧き水でお金を洗って使うと、何倍にもなって返ってくると信じられています。鎌倉五名水の一つです。(案内板より)


鳥居をくぐるとしばらくトンネルが続き、なんだか秘密基地へ行くような感じでワクワクします。トンネルを抜けるとお堂のある中庭があり、参拝待ちの人の行列がずらりとできていました。

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その行列の向こうの洞窟に、お金を洗う湧き水が流れています。みんな備え付けのザルにお金を入れて熱心に洗っていました。

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銭洗弁財天から高徳院(大仏)

銭洗弁財天からは、再び先ほどの分岐に戻り「大仏ハイキングコース」を歩いてきます。
ここから鎌倉大仏の高徳院までは約2キロ。多くが森の中の道を歩いていきますが、途中で葉山の方まで見渡せる場所もあります。

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40分ほど山道を歩くと県道に出るので、そこを左に5分ほどいくと鎌倉の大仏で有名な高徳院に到着です。


国宝 鎌倉の大仏(高徳院)

国宝の鎌倉の大仏がある高徳院は、さすがに人気のスポットというだけあって大勢の人で賑わっていました。
外国人観光客の姿も多く、世界的に有名な観光地だということがわかります。


高徳院
鎌倉大佛の名で親しまれている高徳院の本尊、国宝銅造阿弥陀如来坐像は、1252(建長四)年から十年前後の歳月をかけて造立されたとみられる。制作には、僧浄光が歓進した浄財が当てられたという。鋳工として丹治久友、大野五郎右衛門の名を記す史料もあるが、原型作者も含め、創建に関わる事情の多くは謎に包まれている。尊像を収めていた仏殿は、1334(建武元)年と1369(応安二)年に大風で損壊したらしい。十五世紀以後、同仏殿が再建された形跡は認められない。
台座を含む総高約13.4m 仏身高約11.3m 重量約121t(パンフレットより)

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仁王門を抜けて中に入ると、広場の向こうに大きな大仏様が現れました。ここに来るのはもう何度目かですが、前に来たのはかなり昔なので新鮮な感動です。

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大仏さんの周りをぐるりと回って裏側へいくと、「胎内拝観」のための行列ができていました。「胎内拝観」とは、その名の通り大仏の胎内に入って内側を見ることができるというものです。時間があれば、ぜひ体験してみてください。

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明治40年創業の浅羽屋本店でしらす丼のランチ

鎌倉の大仏様とお別れをし、次は長谷寺へ向かいますが、その前にちょっと遅めのランチを食べることにしました。高徳院から長谷寺までの間には、お土産屋さんも含めたくさんのお店がありますが、今回は、長谷寺の門前にある明治40年創業の浅羽屋本店に決定。

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ウナギが名物のようですが、鎌倉に出かける前に「しらす」を食べると決めていたので「しらす丼」を注文。たっぷりの釜揚げしらすが敷き詰められた上に、ピンクの桜海老が散りばめられ見た目にも美しい。暑い中を歩いてきた後に、キンキンに冷えたビールを飲みながら食べるしらす丼は最高に美味しかったです。

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このときは15時半くらいに行ったのですが、入店した後すぐにしらすが売り切れ閉店になったので、特に混雑する休日は早めに訪れた方がよさそうです。


紫陽花が満開の長谷寺

浅羽屋本店のしらす丼で大満足した後は、すぐ近くの長谷寺に参拝。入り口のところまで行くと、本日の「紫陽花の小路」への入場は3時間待ちのため、今からの受付は終了したとのアナウンスがありましたが、他のところは通常通り見られるということで入ってみました。

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長谷寺
本尊の十一面観音像は日本最大級の木造の仏像です。寺伝によると、開山の徳道上人が大和国(奈良県)初瀬の山中で見つけた樟の巨大な霊木から、二体の観音像が造られました。一体は大和長谷寺の観音像となり、残る一体が衆生済度の願いが込められた海に流されたといいます。その後、三浦半島の長井浦(現在の初声あたり)に流れ着いた観音像を遷し、建立されたのが長谷寺です。
境内の見晴台からは鎌倉の海が一望でき、また、二千株を超えるアジサイをはじめ、四季折々の花木を楽しめます。(案内板より)


あちらこちらに紫陽花や他の花が咲いていて、シックな境内に鮮やかな色を添えています。階段を上って本堂のほうへ行くと、紫陽花待ちの人たちで大賑わい。紫陽花を見るために3時間待つというのはちょっと信じられませんでしたが、やはり「長谷寺の紫陽花」というのは魅力があるのでしょうね。

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境内の端にある見晴台に行ってみると、鎌倉の街並みと海が綺麗に見渡せました。この日はとても暑かったですが、海からの風が心地よい。

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あじさいの路には入れませんでしたが、経蔵の裏に行くと下からでも見ることができるので行ってみました。斜面一面に紫陽花が咲いていてとても綺麗です。

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経蔵の中には大きなマニ車があるので、こちらにも立ち寄ってみましょう。

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続いて本堂(観音堂)に参拝。中は写真撮影禁止です。

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お堂の奥へ行くと、巨大な十一面観世音菩薩像が黄金に輝いていました。写真がないのが残念ですが、これは実際に見るのが一番いいと思います。本堂の隣には、観音ミュージアムもあるので興味のある方はぜひどうぞ。

本堂を出て下に降りていきます。

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山門の前を通り過ぎ奥に行くと、弁天堂と弁天窟があります。ここは洞窟になっていて、その中に岩に刻まれた仏像が何体も並んでいます。わずかに照らされた灯りに浮かぶその光景はとても幻想的。さらに洞窟の奥には、背をかがめないと通れないような通路が別の石窟まで続いていて、そこでは小さな仏像を自分で奉納することができます。

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石窟から出て山門へ向かうと、思わずこちらもほころんでしまうような顔をした「和み地蔵」があるので、挨拶して長谷寺を後にしました。

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長谷寺から由比ガ浜へ、そして激混みの江ノ電に乗車

最後に、長谷寺から歩いて10分ほどの由比ガ浜に行ってみることに。参道から右に曲がり、長谷駅を通り過ぎると海はもうすぐその先です。

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砂浜の入口から海の方へ入っていくと、広大なビーチがどこまでも続いていました。まだ泳いでいる人はいませんでしたが、多くの人が砂浜や波打ち際で遊んでいます。日も傾き始めてきた時間帯で、潮風がなんとも気持ち良い。

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しばらくのんびりしてから、江ノ電の長谷駅へ向かいます。緑のレトロな車体と車窓からの景色が人気ですが、この日はものすごい人で、片足が浮いて体が斜めになるくらいの鮨詰め状態。倒れないようにするのに必死で、外の景色を楽しむ余裕はまったくありませんでした。

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この時期はあじさいの最盛期だったので特に混んでいたのかもしれませんが、鎌倉の人気スポットは、平日に行くのがいいかもしれないですね。

とはいえ、山から海まで見所満載のコースを半日かけて歩き回り、気持ちの良い汗もかけたので結果的には大満足。また他のコースも歩いてみたいです。

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