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日本三名園「偕楽園」と千波湖散策#01

鹿島鉄道で向かう水戸観光

偕楽園

2015年9月。茨城県にある日本三名園の水戸偕楽園とその麓に広がる千波湖を散策。水戸まではレトロな大洗鹿島線で向かい、水戸駅前に建つ水戸黄門像に挨拶したら、そこから白鳥や黒鳥が優雅に泳ぐ千波湖を経由して偕楽園へ。 この時期は萩祭りが開催され、園内の見晴広場には満開の萩が咲き誇っていた。偕楽園の名所のひとつでもある好文亭の楽寿楼からは、千波湖一帯を一望できるのでぜひ訪れたい。

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鹿島鉄道で向かう水戸観光

ガールズ&パンツァーコラボ中の大洗鹿島線で水戸まで

シルバーウィークを利用して茨城に引っ越した両親の家に行き、滞在中、水戸にある日本三名園のひとつ「偕楽園」に出かけてみました。

今回は、最寄の鹿島灘駅から大洗鹿島線に乗って行くことに。
鹿嶋の家には何度も訪れていますが、この電車に乗るのは初めてです。

鹿島灘駅は無人駅で、単線のためホームはひとつしかありません。
なんだかこれだけでもワクワクする。

大洗鹿島線
大洗鹿島線大洗鹿島線
大洗鹿島線
大洗鹿島線

鹿島神宮方面へ行く電車を見送り、折り返してくる電車を待ちます。
車輌を見ると、なにかのアニメのキャラクターが描かれていました。
あとで調べてみると、沿線の大洗を舞台にした「ガールズ&パンツァー」(略してガルパン)というアニメのキャラクターだそう。

箱根ではエヴァンゲリオンとコラボしているし、どこもあの手この手でお客さんを呼ぶ努力が必要なのでしょうね~。

大洗鹿島線
大洗鹿島線

無人駅からの乗り降りは電車の一番前のドアのみ利用でき、乗るときは車内で整理券をとり、降りるときはそこで清算します。

車内もレトロ感がステキで天井の扇風機なんかもいい味出しています。
車窓からは田んぼ広がり遠くには筑波山なども見え、途中の高台にある北浦湖畔駅はとりわけ景色もよく何かのドラマのロケ地にもなったそうです。
私が乗ったときは一部で田んぼアートもやっていました。

沿線には他にもいろいろな見どころがあるので、長閑な景色を眺めながら乗ってみてはいかがでしょう。

大洗鹿島線
大洗鹿島線
大洗鹿島線
大洗鹿島線
大洗鹿島線大洗鹿島線
大洗鹿島線

鹿島灘駅から約1時間ほどで水戸に到着です。

千波湖

水戸駅はまだ新しくとても綺麗で駅ビルも充実しています。
駅前の水戸黄門像に挨拶し、父おすすめの散策ルート、桜川沿いを進み千波湖経由で偕楽園まで行くコースを歩くことにしました。
ちなみに偕楽園までは駅前からバスも出ています。

水戸
水戸

水戸黄門像のある出口とは反対側へまわりエスカレーターを下りて少し行くと、駅南大橋がかかる桜川に突き当たります。そこを右折するのですが、川を渡ってからにした方が千波湖の方へ近づけます。

しばらく桜並木を進んでいくと千波湖が現れました。
私たちは川を渡る前に曲がってしまったので、桜川を間に挟んで湖を見ることになったのですが、前方に橋があったのでそこを通り湖の方へ。

水戸水戸
水戸水戸
水戸

千波湖
千波湖は偕楽園の南東に位置する周囲約3kmのひょうたん形の湖です。偕楽園から眺める千波湖の風景は美しく、水戸八景の1つ「仙湖暮雪」は、偕楽園から眺める雪の千波湖の夕景色を表現したものといわれています。湖畔は緑に囲まれるとともに、ウォーキングコースなども整備され、市民や観光客の憩いの場となっています。(案内版より)

湖にはスワンボートなども浮かび、たくさんの観光客が繰り出していました。
湖畔や湖面には白鳥や黒鳥、鴨などの野鳥も見られとても気持ちのいい散歩コースです。

水戸
水戸
水戸
水戸
水戸
水戸
水戸

好文cafe

けっこう歩き小腹が空いてきたので、母おすすめの湖畔に建つ「好文cafe」へ。
サンドイッチが美味しいとのことで、スモークサーモンのクロワッサンサンド、生ハムとスモークサーモンのバゲットサンド、デザートに白鳥をかたどったシュークリームとカフェラテなどを注文。

水戸
水戸
水戸
水戸
水戸

サンドイッチはいずれも500円ですが、中身がぎっしりでボリューム満点。これでこの値段は安い!
シュークリームは白鳥の方はカスタード、黒鳥の方はゴマクリームですが、こちらもクリームが隙間なく入っています。

他にも茨城牛ビーフシチューや美明豚のソテーなどご当地グルメもあるので、散策の途中で立ち寄ってみてはいかがでしょう。千波湖の眺めも抜群です。

日本三名園「偕楽園」

千波湖から偕楽橋を渡り、常磐線の線路を下に見ながら偕楽園へ向かいます。

水戸水戸
水戸水戸

橋を渡り切ると森の中に入り坂を上っていきます。その途中にひっそりと「大日本史完成之地の碑」なるものがありました。

大日本史完成之地の碑
大日本史は、明暦三年水戸第二代藩主徳川光圀卿が編集に着手されてから歴代の藩主がその遺志を継承され實に250年を経て圀順公の時に至り、明治39年この地で397巻の完成をみたのである。(案内板より)

水戸

そこを通り過ぎさらに上っていくと偕楽園の入口に到着。入園は無料です。

偕楽園
偕楽園は金沢の兼六園、岡山の後楽園とならぶ「日本三公園」のひとつで、天保13年(1842年)に水戸藩第九代藩主徳川斉昭が領内の民と偕(とも)に楽しむ場にしたいと願い、つくりました。13haの園内には約100品種・3000本の梅が植えられ、早春には多くの観梅客でにぎわいます。
偕楽園は梅の名所として有名ですが、その他にも四季折々の見所があり、春には桜、初夏には深紅のキリシマツツジ、真夏には緑あざやかな孟宗竹や大杉林、秋には可憐な萩の花やモミジが見られます。これらを通して眼下に広がる千波湖を望む景観は絶景の一言です。
また、偕楽園の眼下に拡張した新しい公園は、梅を中心とした田鶴鳴(たづなき)梅林、猩々(しょうじょう)梅林、窈窕(ようちょう)梅林の各梅林、芝生広場の四季の原、水鳥たちが遊ぶ月池などが点在し、広大な風景をゆったりと楽しめます。(パンフレットより)

偕楽園偕楽園
偕楽園

中へ入ると、この時期、萩まつりが行われていました。
見晴広場にはたくさんの紅白の萩が咲き誇り、その間に観光客がゴザなどを広げて寛いでいる姿がありました。


偕楽園の萩は、天保12年(1841年)から天保13年(1842年)に徳川斉昭が各藩(ミヤギノハギは仙台藩)より譲り受けたものを、偕楽園創設とともに植えたのが始まりといわれています。
園内には、ミヤギノハギやマルバハギなど五種類、約750株の萩があります。(案内板より)

偕楽園
偕楽園
偕楽園
偕楽園
偕楽園
偕楽園
偕楽園

庭園には萩だけではなく、松や桜なども植えられ見事な枝ぶりを見せています。
二季咲桜の枝には桜の花も咲いていました。

二季咲桜
シキザクラ(和名)の仲間で、秋から冬にかけてと春の年二回咲く一重咲きの桜です。
初代の二季咲桜は、水戸藩士米某氏邸にあったものを移し替えたと伝えらえています。好文亭中庭と東門付近にもあります。(案内板より)

偕楽園
偕楽園
偕楽園

そんな風景に、父も久しぶりに一眼カメラを持ち出して盛んに写真を撮っていました。

見晴広場から見える好文亭はとても美しい。
日本三名園である偕楽園の象徴ともなる建物なので好文亭を背景に記念撮影する人も多く、この日は結婚式の写真撮影が行われていました。

偕楽園

好文亭のそばまで行くと、その脇に大きな石の碑が立てられていました。

偕楽園記碑
偕楽園の名前の由来や創設した理由、利用の心得などが、斉昭の直筆で記されています。
碑には、斉昭の宇宙観や人生観、藩主としての姿勢、偕楽園が弘道館と一対の施設として構想されていたことが記されています。
また、この公園は自分ひとりのものではなく、領内の人々が学問や武芸を学んだあとで余暇を利用して休息し、心身を養うところであることを明らかにしています。
偕楽園の名前は、「多くの人々と楽しみをともにしたい」との思いから名付けられました。
碑の裏には斉昭の定めた園内の禁止条項(六条)が刻まれていますが、その内容は今日の公園管理の先駆をなすものといえます。(案内板より)

偕楽園
偕楽園
偕楽園

芝前門をくぐり好文亭の入口へ。ここは200円の観覧料が必要です。

好文亭
好文亭は、水戸藩第九代藩主徳川斉昭(烈公)が詩歌・管弦の催しなどをして家中の人々とともに心身の休養をはかるために天保13年(1842年)に建てたものです。
好文というのは梅の異名で、「学問に親しめば梅が開き、学問を廃すれば梅の花が開かなかった」という中国の故事にもとづいて名付けられました。
建物は木造二層三階建ての好文亭本体と北につながる奥御殿(平屋造り)からなり、全体を総称して好文亭と呼んでいます。斉昭はその位置から建築意匠まで自ら定めたといわれています。
奥御殿を設けた理由は、万一城中に出火などあった場合の立ち退き場所として備えられたためと、当時藩内では管弦など禁制であったので城中の婦人達のため遊息としたという配慮があったようです。
昭和20年(1945年)8月2日未明の空襲で全焼しましたが、昭和30年(1955年)から3年をかけて復元されました。昭和44年(1969年)9月落雷により奥御殿と橋廊下は焼失しましたが、昭和47年(1972年)2月に復元されました。
平成23年(2011年)3月1日の東日本大震災では壁の崩落など大きな被害を受け閉館を余儀なくされましたが、平成24年(2012年)2月に復旧しました。(案内板より)

偕楽園
偕楽園
偕楽園

庭に入ると木立の向こうに落ち着いた日本家屋が現れました。
玄関で靴を脱ぎお屋敷に上がります。

偕楽園
偕楽園
偕楽園
偕楽園
偕楽園

順路通りに進んでいきます。

羽衣の松
偕楽園には、天翔の松・羽衣の松、三公園の兼六園には、根上りの松・唐崎の松、特別名勝の栗林公園には、鶴亀松・根上り五葉松と、それぞれ名木がある。
天翔の松や羽衣の松は、兼六園、栗林公園の松のように、人為的に創られたものではなく、永年の風雪に耐えた自然な姿である。この松の樹容は、偕楽園の自然式大名庭園を象徴するものであろう。
梅林から眺めた天翔の松は、空高く天を衝く黒松である。(省略)
羽衣の松は、仙奕台の南岸に根を生やし、やや斜めに立ち上がって、全ての枝を南崖に垂らす。(省略)
羽衣の松も黒松であって、幹周り2.4メートルで天翔の松より若い。
白梅を白砂、波、衣にたとえ、黒松を添えると、三保の松原に連なる。
常盤公園覧勝図誌には「仙奕台の辺りに松樹ひと根は駿州三保の松原羽衣の松笛をうつされしとなり」とある。真偽はともかく、この松の由来はここにみられる。(以下省略)(案内版より)

偕楽園

細い廊下に入り組んだ間取りでちょっと冒険心がくすぐられる造り。
各部屋には四季を感じさせる絵がふすまに描かれていて、それにちなんだ名前がつけられていました。

偕楽園偕楽園

菊の間

偕楽園
偕楽園偕楽園

つつじの間

偕楽園偕楽園
偕楽園偕楽園
偕楽園偕楽園
偕楽園偕楽園

松の間

偕楽園

紅葉の間

偕楽園
偕楽園

竹の間

偕楽園偕楽園

梅の間
明治二年から同六年まで藩主夫人の居室となり、明治三十五年大正天皇が皇太子の時ここにお泊りになられました。
また、大正元年、昭和天皇が皇太子の時秩父宮高松宮殿下とご一緒に御来亭の折御休息なされ大正十五年には、三笠宮殿下が御休憩なされた部屋です。(案内板より)

偕楽園
偕楽園偕楽園
偕楽園

萩の間
藩主夫人がお城から好文亭においでになった時、お供の御殿女中が休息した控えの部屋です。(案内板より)

偕楽園

桜の間

偕楽園
偕楽園偕楽園

華燈口
奥御殿から茶室に渡る出入口で、小坊主が控えていて連絡にあたった部屋です。
室内の杉戸には、古今集の和歌が華麗な色紙短冊に書かれていましたが火災により損傷したので、一部作り直したものです。(案内板より)

偕楽園

東広縁
塗縁の間は、烈公が八十歳以上の家臣、九十歳以上の庶民の老人を時々招き慰安したり、家臣と共に作歌作詩などして楽しんだところです。(案内板より)

偕楽園
偕楽園偕楽園
偕楽園偕楽園
偕楽園偕楽園
偕楽園偕楽園

西広縁
三間と六間の大塗縁の北側と西側各二枚の杉戸には、作詩作歌に便利なように、四声別韻字真仮名平仮名を烈公が能筆の人に書かせ、辞書代わりにしました。
現在の文字は、東京芸術大学の先生が復元したものです。
天井は杉皮網代張り、仕切り戸は竹篭目紗張りで、ここに文墨雅人がよく集まり詩歌を作り書画をかいたりしました。(案内板より)

偕楽園偕楽園
偕楽園
偕楽園

一階をひと周りした後は、急な階段を上り楽寿楼へ。

偕楽園偕楽園
偕楽園偕楽園

廊下を抜けると見事な絶景が広がりました。

楽寿楼(らくじゅろう)
三階を楽寿楼と称します。部屋は三室あり、南に面した八畳が正室で烈公が御出座されたところであり、東南西方の勾欄に寄って四辺を眺めるご遠近山河の景がここに集まる趣です。
竹の床柱は鹿児島市長から寄贈されたもので、西側の丸窓は富士見窓で烈公が作った陣太鼓の余材を用いたものです。
楽寿楼とは「論語」の
知者は水を楽しみ 仁者は山を楽しむ
知者は動き 仁者は静かなり
知者は楽しみ 仁者は寿く
すなわち、楽は水を表し、寿は山を表しているので、楽寿楼とは山と水の眺め双方を兼ねた山水双宜の楼を意味しています。(案内版より)

偕楽園
偕楽園
偕楽園
偕楽園
偕楽園
偕楽園
偕楽園
偕楽園
偕楽園

そして、急な階段を上らなければならない楽寿楼には面白いものもありました。

お膳運搬装置
お膳を運ぶのに階段を上下しなくてもすむように、この装置が利用されていました。今日のエレベーターの先駆ともいうべきもので、烈公の創意によるものと伝えられています。(案内板より)

偕楽園

再び階段を下り外へ出ます。

偕楽園偕楽園

玄関の前方に「待合」と書かれた看板があったので垣根の間を進んでみると、休憩所と、その奥に茶室がありました。

何陋庵(かろうあん)
簡素な草庵風の茶室で、何陋庵といいます。この床柱は、つつじの古木で鹿児島県屋久島の産です。
この庵の名称は「論語」にあることばをとったもので、孔子の住居がいかにも狭苦しいのを弟子が見てそのことを申したところ、孔子は
君子居之何陋之有(君子が中に居るのだ何でむさいことがあろうか)
といわれたということからきています。(案内板より)

偕楽園
偕楽園偕楽園
偕楽園偕楽園
偕楽園偕楽園
偕楽園

好文亭の楽寿楼からは本当に眺めがいいので、偕楽園に来たらぜひ訪れたい場所です。

好文亭のあとは、再び園内を散策。
好文亭中門を通って気持ちのいい森の中を歩きます。

偕楽園偕楽園

坂を下ると吐玉泉と太郎杉がありました。

偕楽園偕楽園
偕楽園
偕楽園
偕楽園
偕楽園

吐玉泉
このあたりは昔から湧水の多かったところで、徳川斉昭は偕楽園造成に当たり地形の高低差を利用して集水し、造園上の景観を考慮した白色の井筒を据えた湧水泉を設置しました。
この水は眼病に効くといわれ、好文亭の茶室何陋庵の茶の湯にも供されました。
泉石は常盤太田市真弓山の大理石で、寒水石ともいいます。現在の泉石は四代目で、昭和62年(1987年)12月に更新したものです。
湧出量は、1日約100トンです。(案内板より)

太郎杉
推定樹齢800年。
かつて太郎杉の周囲には杉の巨木があり大きい順に名前が付けられていました。五郎杉まであったようですが、現在あるのは太郎杉だけです。(案内板より)

さらにそこから少し下って池のある庭園へ。庭の木を見るとすでに紅葉が始まっているものも。

偕楽園
偕楽園偕楽園

その後、孟宗竹林を経て東西梅林を通り東門の方へ戻ることに。
名所の梅林はまだ時期ではないですが、この本数の梅が一斉に咲いたらそれは見事だろうな~

偕楽園
偕楽園

東門からもう一度見晴広場へ。
見晴広場の仙奕台からは、澄み渡った青空の下、遠くまで綺麗に景色が見渡せました。

仙奕台(せんえきだい)
千波湖をはじめ周囲の景観が一望できるこの突き出た台地を仙奕台と称します。
「奕」は囲碁を意味し、四方を眺め湖上から吹き上げる涼風を受けながら碁や将棋などを楽しんだところです。
石でできた碁盤や将棋盤、琴石、卓石は当時のものです。(案内板より)

偕楽園
偕楽園
偕楽園
偕楽園

こんなところで、将棋や碁を打っていたなんて風流ですね~。

東門のところにある見晴亭には、お土産や観光案内、休憩所もあるので活用するといいでしょう。
さすが日本三名園、とても見ごたえがありました。

常盤神社

偕楽園を後にし、すぐ隣の常盤神社へお参りに立ち寄りました。

常盤神社

常盤神社
御祭神 二柱
高譲味道根命(たかゆずるうましみちねのみこと)
(徳川光圀公 諡=義公)大日本史編纂の祖

押健男国御楯命(おしたけおくにのみたてのみこと)
(徳川斉昭公 諡=烈公)偕楽園開園の祖

お二柱をご祭神として、明治7年5月12日に現在地に鎮座されました。
これ以前には偕楽園内の祠堂に祀られており、明治6年に明治天皇より勅旨を以て「常磐神社」の社号を賜り県社に列格、明治16年には別格官幣社に昇格しました。

光圀公はテレビドラマ等で「水戸黄門」として有名です。
「大日本史」の編纂を始め、水戸学を興しました。

斉昭公は最後の将軍「徳川慶喜公」の父君です。
藩校「弘道館」を創設し、「偕楽園」を開園しました。

境内にある歴史博物館「義烈館」には「大日本史」・「陣太鼓」・大砲「対極」等、たくさんの遺品・遺墨・水戸学関係史料が収蔵展示されており、一見の価値があります。(案内板より)

大きな鳥居をくぐり本殿へ向かいます。
うまく言えませんが、なんというか、この神社とても心地がいい。

常盤神社
常盤神社
常盤神社
常盤神社

お参りをすませ、本堂のすぐ脇にある常盤稲荷神社にも寄ってみました。
赤い鳥居が奥まで連なりとても綺麗。たくさん写真を撮ってしまいました。

常盤稲荷神社
御祭神:宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
御神徳:五穀豊穣、殖産興業、開運招福、火防(ひぶせ)
「お稲荷さん」と親しまれている稲荷大神は日本人に最も身近な神さまで、広大無辺のご神徳を募って多くの人々に崇敬されています。(案内板より)

常盤稲荷神社
常盤稲荷神社
常盤稲荷神社
常盤稲荷神社
常盤稲荷神社

最後に義烈館を見学。
入館料が300円かかりますが、館内には、水戸学関係史料をはじめ、巨大な陣太鼓や大砲なども展示されいて、特に陣太鼓は一見の価値あり。
館内は撮影禁止で中の様子は掲載できないので、ぜひ実際に見に行ってみてください。

義烈館
義烈館

水戸駅へ

常盤神社を後にし、水戸駅へ戻ります。
帰りはすぐ近くから出ている路線バスで向かうことにしました。

水戸駅に到着後、ちょっと早めの夕食を食べていくことに。
もうあまり歩きたくなかったので、駅ビルにある、すし三崎丸に決定。ちょうど「本マグロ祭」をやっていたので、そのメニューをいくつかと、サラダや天ぷらなど定番ものを注文。

すし三崎丸
すし三崎丸
すし三崎丸
すし三崎丸
すし三崎丸
すし三崎丸

お財布に優しい値段でお腹いっぱいになりました。

腹ごしらえをしたあとは、再び大洗鹿島線に乗って帰宅。
駅に着くころにはすっかり日も暮れて、薄暗い無人駅と電車のコラボがいい感じになっていました。

大洗鹿島線
大洗鹿島線

今回、初めてじっくり水戸観光をしましたが、その周辺も含めるとけっこう見どころのあるエリアです。
今日一日では見きれなかった場所もあるので、また今度実家に行ったら遊びに行ってみようと思いました。

それにしても、朝から晩までよく歩いた一日だったな~。

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