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チベット旅行記-#3

ラサからツェタンへ・・騒乱勃発

主な訪問地:ラサ~カンパ・ラ峠~ヤムドゥク湖~ツェタン

2008年3月に起こったラサ(チベット)騒乱の前日。なんだか町の様子がおかしく、本来観光するはずだったいくつかのゴンパに行けなくなった。ガイドさんのネットワークを駆使しても正確な情報はわからず、中国のきまぐれだと諦め予定を変更しながらもラサ観光をつづけた。翌日はラサを離れ、チベット奥地ツェタンに向けて出発。その途中、ラサで騒乱が起きているという情報が入った。

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チベット旅行6日目 ラサ

薬王山

薬王山(チャクポ・リ)予定にはなかった薬王山(チャクポ・リ)から観光開始です。摩崖石刻と呼ばれる岩壁にたくさんの仏様が描かれていて、その前でみんな五体投地をしています。
  その脇の道を上がっていくと、マニ石を掘る青空工房があり、その先にマニ塚という巨大なピラミッドのような塚がそびえ立っていました。巡礼者は、右手にマニ車、左手に数珠を持って、その周りを右回りにまわり、下までおりてきます。私たちも同じように一周してバスに戻りました。

パラルブ寺

パラルブ寺途中、ポタラ宮の撮影スポットの丘に登ったあと、崖にへばりつくように建っているパラルブ寺へ。ソンツェンガンポ王が7世紀ごろに作った石窟寺院です。中に入ると予想通り、階段を上がらなければならない構造でした。でもがんばった甲斐があり、頂上からは綺麗にポタラ宮が見れました。中に入ると、ご本尊のお釈迦様が岩の洞窟のなかに祀られています。別の部屋に行くと、お坊さんが赤い長細い紙に何か書いていました。Sさんに聞くと、この紙に自分の名前や亡くなった人の名前を書いてもらうと仏様のご加護が受けれるというので、さっそくお布施を払い、数年前になくなった家族の名前を書いてもらいました。天国で喜んでくれると嬉しいです。
そのあと入り口の方に戻ると、バターランプの修行場があるということで、併設されている建物に行って見ました。中に入ると一人の僧侶がいて、炎の熱で灼熱の中、数え切れないほどのランプに火を灯していました。冬でもこんなに暑いのに、夏はさぞかし大変だろうと思います。

ノルブリンカ

ウズベキスタン航空次に、2001年に「ラサのポタラ宮歴史地区」として世界遺産に追加登録されたノルブリンカに行きました。ノルブリンカとは、宝の公園という意味で、1755年のダライラマ7世の頃に、法王の夏の離宮として立てられました。見所は、14世が実際に住んでいた宮殿タクテン・ミギュル・ポタンで、1954年に完成した新しいものです。14世はその5年後に、このノルブリンカから亡命しました。現在は、ラサの人々の憩いの場になっているそうです。
  黄金に輝く屋根の宮殿内部には、ダライラマ14世が子供の頃愛用したラジオや、猫の絵、チベットで唯一のダライラマ14世の肖像を見ることが出来ました。また、ポタラ宮やジョカン、ツェタンの歴史を描いた壁画も圧巻です。

ラサ駅

青蔵鉄道のラサ駅のんびりと園内を散策したあと、市内のレストランで昼食を取り、余った時間で、その近くにあったポタラ宮とジョカンを見つめる金のヤクの像の写真を撮りにいきました。

 その後、これも予定にはなかったラサ駅に向かいます。ラサに着いたときは夜で、写真が撮れなかったのでリクエストしたら叶えてくれました。実は、ラサ駅は街から離れているので、ツアーではなかなか来れないそうです。
ラサ川を渡り、ポタラ宮をモデルにしたといわれるラサ駅へ。広大なロータリーの向こうに、山々を背に従え、大きな駅舎が横たわっています。今の時間は列車の乗り入れがないため閑散として、構内には入れませんでしたが、昼間に見れてよかったです。時間まで散策していると、Jさんが慌てた様子で近づいてきました。

ジョカンが見学できるかもしれません。急いでバスに戻ってください!

と驚きの朗報。バスの中で詳しい話を聞くと、なんと突然今日の15時30分から開けるという情報を得たということ。急いで現場(ジョカン)に向かいます。それにしても、本当に行って見ないとわからない、添乗員泣かせの中国旅行です。

念願の大昭寺(ジョカン)

チベット密教総本山の大昭寺(ジョカン)内部本当に開いているのかドキドキしながら門の前に行くと、無事開きました。チベット密教の総本山的役割をしているジョカンを見ずしてチベットは語れません。ジョカンは、7世紀ごろ、ソンツェンガンポのもう一人の妃、ネパールから送られたティツンによって建てられたチベット最古のラカン(寺院)です。遠路はるばる五体投地でやってくる巡礼者が目指すのが、ポタラ宮のご本尊とともに、このジョカンのお釈迦様なのです。私たちもご本尊の前で五体投地をしました。

 ジョカンの2階からは、ポタラ宮が綺麗に見れるとのことですが、この時は、2階に上がることはできませんでした。恐らく警察に占拠されているのだろうということです。Jさんが後の旅行記録の中で書かれていましたが、この日数時間大昭寺が開いたのは、中国がチベットの問題はもう解決したと観光客に示すことが目的だったのかもしれない。この日、数時間開いて以降、3月末の今でも大昭寺の門は閉ざされたままです。

そう考えると、あの数時間に滑り込めたのは、本当に運がよかったのですが、日本へ帰ったあと詳しい状況を知り、先日ジョカンが記者団に公開されたとき、泣きながら訴えている僧侶の姿を見たときは、とてもやりきれない思いで一杯でした。あの時ジョカンを訪れたとき、緊迫した雰囲気はまったく感じ取れなかったのです。2階では、いったい何が起こっていたのか今では謎のままです。

旅遊局に呼び出し

まだ平和が漂うジョカン前この後、西蔵博物館の見学ですが、その間、JさんとDさんは旅遊局に呼び出しをされたということで、そちらに出向くことになりました。理由は、

昨日大昭寺での見学をしつこくせまったから

というものだそうです。少しお灸をすえられるだけで、強制送還とかはないと言っていましたが、ちょっと心配です。でも、今考えるとあのときの状況では、向こう(中国)もピリピリしていたんでしょう。

西蔵博物館

西蔵博物館本当は閉館が4時半でしたが、(ここでも)無理を言って5時半までにしてもらいました。ここでは、日本語対応のイヤホンガイドでの見学となりますが、その説明があくまで中国寄りだったとみんな言っていました。展示物は豊富で、じっくりみていたらかなりの時間が必要そうですが、私と父はあまり興味をひかれるものがなく、時間よりも早く出てきてしまいました。
  入り口の椅子に座って時間まで待っていると、呼び出しを受けたJさんが帰ってきました。どうだったか聞くと、結局、打ち合わせのために立ち寄った手配会社で、もう大丈夫と言われ、旅遊局には行かずに済んだ、ということでホッと一安心です。

ポタラ宮のコルラ

世界遺産ポタラ宮の周りに連なるマニ車博物館のあと、ポタラ宮の裏側と雪山が一緒に撮れるスポットを探しバスでうろうろ。あまりいい場所ではありませんでたが、なんとか小さく見ることが出来ました。その後再びバスに乗り、これも予定外のポタラ宮でコルラをしに行きました。Jさんが言うには、日本にいろいろな旅行会社がありますが、この「夢」を実現したツアーはないでしょうとのことです。
  約50分かけて、ポタラ宮のまわりにある数え切れないほどズラリと並んだマニ車を回しながらコルラを終えました。終わった後の手をみると、マニ車で真っ黒になっていましたが、全て回したという達成感で一杯です。

 ポタラ宮の脇に駐車してあるバスに戻るとき、その駐車場の端っこに、軍の車が3台止まっていました。ナンバーは隠されています。いつもはないそうですが、今ラサのお寺でおこっているデモと関係があるのでしょう。昨日Jさんが言っていた言葉を思い出します。

 ポタラも今夜か明日には見れなくなるかもしれない…

チベット鍋ギャコック

ウズベキスタン航空ポタラ宮のコルラを終えて、すっかりお腹が空きました。今夜の夕食はギャコックというチベットの鍋です。なんだか怪獣のような名前のその料理は、煙突型の鍋にヤクでとったスープをいれ、野菜やハムを入れて煮込むのですが、これが…ちょっと、イマイチな感じで箸が進みません。つけダレもいろいろ工夫して薬味をいれたりしたのですが、スープの脂っこさがそれを全て打ち消し、だんだん気持ち悪くなってきました。他のみんなも徐々に元気がなくなり、半ば諦めムードで、後でラーメン食べに行こうなどと話しています。
  でも、めったに食べれないご当地料理を食べれたのは、いい経験になりました。

ラサのスーパーマーケット

ラサのホテルの部屋食事をしていると、Jさんから

ラサのスーパーマーケットに寄りませんか?

という嬉しい提案がありました。個人的には、地元のスーパーに行くのはとても好きで、他の国でもチャンスがあれば必ず寄ります。全員一致で行くことになりました。
  ハデハデで大きなお店に入ると、本当に品数豊富で、食品から日用雑貨、CDまでなんでもそろっています。私は自分用のお茶とお土産用のお菓子、父はラサビール(これが後で問題を起こす)などを購入。時間いっぱいまで楽しみました。

 満足してホテルに戻る途中、ポタラ宮の前を通ったのですが、昨日と比べて警察や軍の姿がかなり増えていました。ガイドさんも「今日はちょっといつもより多い」と言っていましたが、なぜなのか理由はわからないようでした。

チベット旅行7日目 ラサ~ツェタン

ラサ出発

偉い人のトイレ3月14日早朝7時30分。あのラサでの大騒乱がこの後起こるとは知るよしもなく、まだ静寂につつまれているラサのホテルを出発しました。今日はツェタンまでの長距離移動ですが、5つ星ホテルに3連泊し、すっかり高所にも慣れたあとなので、苦痛というよりは、どんな景色が待っているのかとても楽しみでした。

 バスは、ラサ川、ヤルツァンポ川に沿って中尼公路を進みます。途中、町の堺で検問が行われていました。僧侶の出入りを禁止しているとのことです。なんだか刻々と状況が変化していますが、まだこの時は、(表立っては)差し迫った危険な感じはしませんでした。

 問題なく検問を通過し、中国の偉い人(名前は忘れました)がこの辺を訪れたときにトイレがなくて困ったということで、3日間で作ったというトイレに立ち寄りました。偉い人のために作ったにもかかわらず、中国でのこういう郊外にあるトイレは、基本的に床に穴を開けただけの扉のない(仕切りはある)もののようです。

カンパ・ラ峠とヤムドゥク湖

カンパ・ラ峠までの山道トイレも済ませ、まず目指すのは、標高4749mのカンパ・ラ峠。また記録更新です。
  木の生えていない、茶色い荒涼とした山道に入ると、切り立った崖の細い道をぐんぐんと登っていきます。山道らしいU字のくねくねした道が延々とつづき、眼下には段々畑なども広がっていました。
  標高が上がるにつれ、若干頭が痛くなってきたような気がします。私の父は青蔵鉄道に乗った日から高山病で体調があまりよくなかったのですが、やはり早くから頭が痛いと言っていました。父の隣に座っていた同じ年くらいの男性も調子が悪いらしく、すっかり意気投合し「お互いがんばりましょう」と励ましあっていました。(←もう、何かの合宿のよう)

 けっこう長い時間をかけて頂上につくと、貧血を起こしたときのようにサーと血の気が引くような感じがして頭がフラつきました。でも、深呼吸をしながらゆっくりと行動しているうちに治まったので、ホッと一安心。バスの周りには、アクセサリーなどのお土産を売る人や、チベット犬を連れた人たちが集まってきました。Jさんの話だと、このチベット犬の写真を撮るとお金を取られるので、勝手に撮らないようにとのことです。

 バスから下りるとJさんが、カタに名前を書いてそれを供えるというのでみんなで書きました。今でもこの峠ではためいていることでしょう。

聖なる湖ヤムドゥク湖およそ4800mから見えるのは、聖なる湖ヤムドゥク湖。峠からは見下ろすかたちですが、それでも4440mもの標高があります。写真でよく見る風景が、目の前にそのまま広がっていました。今は凍っていますが、そうとは思えないほどの鮮やかなトルコブルー。チベタンが「聖なる湖」と崇めるのがよくわかります。

 さっそく写真を撮り始めました。峠はそんなに広くないので、どこから撮っても同じようなアングルになってしまうのですが、あまりの美しさについつい何枚もシャッターをきってしまいます。一通り湖の写真を撮ったあとは、峠の写真を撮りに行きました。他の観光客がいなかったので、人を入れずに撮るのがラクです。撮りながら、先日もらったカタを私も供えてみました。真っ白な長い布が、他のたくさんのカタやタルチョとともに太陽の光に輝きます。

カンパ・ラ峠の山頂ではためくタカやタルチョそこへ、Sさんが来てルンタを撒いてくれました。いろとりどりのルンタが真っ青な空に舞い上がっていきます。ルンタを撒く意味には、チベット仏教を世界に広めるという願いの他に、無事に峠を越えられるようにとの願いも込められているそうです。先日越えた橡皮山峠もそうでしたが、たしかに峠や山頂に行くと、たくさんのタルチョやカタが供えられ、地面には撒かれたルンタが落ちていました。

 カンパ・ラ峠での時間を満喫し、再びバスに戻り、寄せ書きをしたタカを車窓に見ながら峠を後にしました。その時、ちょうど入れ替えに中国の団体客が到着し、たくさんの人が数台のバスから下りてきました。重ならなくてよかった…。
  行きと同じくねくね道を下り、次は、予定にはないゴンカルチュテンゴンパに寄ることになりました。

ゴンカルチュテンゴンパ

ゴンカルチュテンゴンパの境内ゴンカルチュテンゴンパは、サキャ派の珍しいお寺だそうです。本尊はお釈迦様で、600年の歴史があります。かつては、200人ほどのお坊さんがいたそうですが、今では50人くらいに減ったそうです。そういえば、ガイドさんの話を思い返すと、今まで訪れたお寺でもお坊さんの数が減っていました。
  ここでは、キッチンと本道を見学しましたが、やはり写真を撮るのにはいくらかかかります。めったに来れないので迷わず払い、撮影させてもらいました。
  本道に入ると、天井近くの高い窓から日の光が一筋差しこみ、内部の煌びやかな内装を照らしています。まるで仏様が下りてくるような、それはなんとも言えない神秘的な光景でした。なんとなく、チベット仏教を深く信仰するチベタンの気持ちが、ほんの少しわかったような気がします。

中国のスピード違反

警察の偉い人の親戚をもつスタッフが働くレストランさて、お腹も空いたところでラサ空港近くのレストランへ昼食に向かいます。のんびりとした田舎の風景を楽しんでいると、青空トイレでもないのにバスが停車し、ドライバーさんが外へ出て行きました。どうしたのかと思っていると、どうやらスピード違反で警察に捕まったようです。バスの中から外を見ると、他にもたくさんの車が列をなして道路脇にとめられいました。そして、パトカーが2台と警官がいて、のんびりと対応しています。
  こちらのドライバーさんは、 ガイドさんも協力しいろいろと交渉しています。10分…20分…どんどん時間が過ぎていきます。30分以上も過ぎた頃やっと戻ってきましたが、結局2000元の罰金を取られてしまったようです。そんなにスピードも出ていなかったのになぜかと思ったら、この高速道路並みの整備された道の制限速度が40kmということで、みんなひっかかってしまったそうです。

 とりあえず、消沈のドライバーさんが運転するバスで、レストランに向かいました。時間はもうとっくにお昼を過ぎています。小さな町の小さなレストランでしたが、味もボリュームも申し分なくすっかり満腹に。しかしここでは、うれしいおまけがついていました。お店の人に罰金のことを話したら、なんと、その中のスタッフの親戚に警察の偉い人がいるので、話しをつけてくれるということになりました。
  結果はどうなったのか知りませんが、なんとも中国らしい話しです。実はこのあと、再び検問で車を止められました。それは、時間制限のある区間の始まりで、そこを通過した時間を記載したチケットを次のチェックポイントでまた見せ、ちゃんと決められた時間をかけて走っているか(つまり、スピードを守っているか)を取り締まるものです。あまり意味がないような気もする一同でした。

ラサ騒乱一報と頼もしい添乗員

ヤルツァンポ川お腹もいっぱいになり、希望も見えたところでレストランを出発。ヤルツァンポ川の写真撮影や青空トイレ休憩をとったりしながら、一路ツェタンに向けてバスは順調に走ります。

 もうすぐツェタンの町に入ろうかというとき、時間は16時ごろでした。Jさんから、ラサ騒乱についての一報があったと、私たちに話しがありました。内容は以下のものです。

今、ジョカンのまわりに装甲車がきていて、車が5台くらい燃えている。ラサ自体が大変なことになっていて、(先日訪れた)小昭寺でも問題が起きたらしい。ラサにいる観光客は、どうすることもできずにいて、もちろんお寺の観光どころではなくなっている。まだ、ツェタンは大丈夫だが、万一に備えて夜間の外出は控えるように。

 この時、信じられないという気持ちと同時に、初めて危機感を感じました。今日の朝までいた町が、今では装甲車も現れ、暴動が起き大変なことになっているのです。
  一緒に記念撮影をしたりお店を周って値切ったジョカンの周りには、仲良くなったあの女性と同じたくさんの巡礼者がいたはずです。砂曼荼羅の制作風景をこころよく見学させてくれた小昭寺のお坊さんたちや、そこで英語を勉強して話しかけてくれた若い僧侶もいました。ポタラの夜景を撮影中に後ろからそっとカメラを覗き込んできたお坊さんたちも…。次々と、つい先日出会った人々の顔が浮かんできます。
  メンバーみんなが神妙な面持ちでいました。でも、そんなメンバーにJさんが頼もしい一言を。

 私の仕事は、皆様を無事に帰国させることです。皆様の安全を第一に考え、臨機応変にツアーを遂行していきます。このような状況下の中では見学できないお寺も出てきますが、そこはできるだけ他の場所にご案内し本来のツアー以上にご満足いただけるよう、ガイドさんと協力して精一杯がんばります。

 この旅行会社にしてよかった。そして、添乗員さんがこの人でよかったと心から思いました。

夢の世界のオフロード

サムエ寺まで広がる砂漠ラサ騒乱の一報を受けた後、今日宿泊するツェタンの町を一度通り抜け、チベット最初の僧院サムエ寺に向かいます。ツェタンはまだ情報が伝わっていないかのように、一見平和そのものでした。

 ヤルツォンポ大橋を渡ると、道は一気に悪くなり恐ろしく揺れ始めます。それはバスの天井についている非常口の扉が跳ね上がって開いてしまうほど。それと同時に、なんでこんなところにこんな砂漠が…と思えるほどの壮大な砂漠が広がってきます。
  サムエ寺までの道は、ヤルツォンポ川沿いにカンパ・ラ峠に行ったときのようなくねくね道を進んでいくのですが、水と砂漠と雪山という相反する素材が普通に同居していて、こういう風景は現実にありえないと思っていたのでかなりの衝撃を受けました。これは、絶対に一見の価値ものだと自信を持って言える景色のひとつです。峠でしかバスを降りて写真を撮れなかったのが残念でなりません。

チベット最初の僧院サムエ寺

チベット仏教建築の最高傑作サムエ寺結構な時間をかけ、やっとサムエ寺に到着。サムエ寺はチベット仏教建築の最高傑作といわれ、チベット仏教最初の僧院です。8世紀に、仏教を国教と定めたティソン・デツェンパによって建てられました。僧院とは、僧侶が修行と勉学に励む場所で、ジョカンのような寺院とは違うそうです。

 この僧院(ゴンパ)の建設は、当初なかなか進みませんでした。仏教が広まるのを妨害する土着の土地神や龍神によって、昼間の工事がすべて夜の間に壊されてしまうのです。このためティソン・デツェン王は、密教の力を借りるために、インドのヴァラナシから密教行者であるパドマサンバヴァ(後のニンマ派開祖)を招きました。彼は、土着の神々を手なづけ、仏教の護法神に変え、無事完成させたといわれています。
  またこのサムエ寺の建築は、神様の世界である曼荼羅を表すよう設計され、須弥山(全ての中心・神々の地)を中心とした宇宙観に従い、4つの大陸を表す4つのお堂と、4色のチョルテン(仏塔)が四方を固めています。建物は3階建てで、1階はチベット風、2階は中国風、3階は印度風に作られています。

 お堂の中は、赤い電気の光に照らされ、赤い部屋がさらに赤く染まっていました。たくさんの黄金の仏像に囲まれ、僧侶達はこのなかでお経を唱えるのでしょう。中庭には、ぐるりとマニ車が一周しており、ポタラ宮のコルラと同じように、回しながら一周しました。その後2階、3階へと登っていきます。

問答

サムエ寺での問答3階までくると金網が張り巡らされ、地上を見渡すことができました。そこで写真を撮っていると、「パン、パン」という音が遠くから聞こえるのに気付きました。その音の方をよく見ると、別のお堂の庭にたくさんの僧侶が小さく見えました。

 もしかして「問答」か!?

実は、ラサのセラ寺で問答を見る予定でしたが、デモが起き見ることができませんでした。そのためすっかり諦めていたのですが、まさかここでこんなチャンスが訪れるとは。逃す手はありません。急遽、Dさんにお願いして、問答をしているお堂に連れて行ってもらいました。

 小さな扉を入ると、たくさんの赤い袈裟を来たお坊さんが、3人一組になって問答をしています。問答をする言葉は、チベット語とは違い、チベット人のDさんも理解できないそうです。一人が立って、その前に座っている二人に向けて、パンと手を打ちながら問答を繰り返します。もともとチベット人は、体格がよく背も高いので、そのやりとりはとても迫力あるものでした。

ヘポ・リの丘

チベット仏教建築の最高傑作サムエ寺を見下ろすヘポ・リの丘思わぬサプライズがあったサムエ寺の観光後、その近くにあるヘポ・リの丘へ登るためにバスで出発しようとしました。すると、サムエ寺のお坊さん3人がツェタンの町まで乗せていって欲しいと言ってきました。全員一致で承諾しましたが、結局乗ってこなかったのでどうしたのかと思ったら、お坊さんから、検問があって問題になるかもしれないのでやはり止めておくと言って来たそうです。とても複雑な思いでサムエ寺を後にしましたが、その時、頼んで来たお坊さんたちが、私たちに手を振って見送ってくれました。その姿を見ながらJさんが、私たちが承諾してくれてうれしかったのでしょうと言っていました。

 数分でヘポ・リの丘の登山口に着きました。ここの頂上からは、サムエ寺が形成される曼荼羅の形が見えるというので有名です。しかし今日は、丘の上には軍がいて、途中までしか行けないということでした。とりあえず、行けるところまでいってみることに。登るのは希望者のみで、父を含め数人の人はバスでお留守番。
  早速登り始めますが、息が切れます。丘といっても、すでにスタート地点が3400m(ツェタンの標高)以上もあるので、ちょっとした丘登りとは少し事情が違います。息を切らしながらも、ゆっくりと登っていくと、眼下に夕陽に照らされるサムエ寺とそのまわりの家々が広がりました。そこからさらに上に登るのですが、私はそこまでにし、写真を撮ることにしました。私たちのいるところからは、サムエ寺が曼荼羅の形には見えなかったので、やはりそれを見るにはもっと上まで行かないといけないのでしょう。
  キラキラ光る(ように見えた)山間の街並みを満喫し、ヘポ・リの丘を下りました。

ツェタン到着

本場のバター茶夕暮れの中、またあのオフロードをひたすら戻ります。ヤルツォンポ大橋を渡るころには、もうすっかり暗くなっていました。
  ツェタンのホテルに一度よって荷物を下ろした後、そのまま夕食のレストランへ。ここではJさんが、ちらし寿司を作って出してくれました。体調を崩していた人もいたので、(そうでなくても)これはうれしいプレゼントです。また、食後には、観光用ではない地元のバター茶のサービスまで。本当に至れり尽くせりです。

 この食事中、入域許可証を取るべく、みんなのパスポートが集められDさんが手続きにいってくれました。ツェタンもラサと同様に入域許可証が必要で、とくに証書をもらうとか、パスポートに記載されるとかはありませんでしたが、なんだかやはりそいうのを聞くと、特別な地域のような感じがします。

 食事の後、そこからすぐのホテルに徒歩で戻りました。部屋についてテレビをつけると、どこか外国の衛星放送でラサの騒乱風景が映りました。それは、私の想像を超えた混乱振りでした。でも、こういう形で放送されているということは、世界中のニュースで流されているということでしょう。驚きながらテレビを見ていると、突然その放送がブツッと切れました。どうやら中国当局によって電波が切られたようです。他のチャンネルは平気でしたが、そのチャンネルだけはそのあとつくことはありませんでした。

無事に中国を出れるんだろうか…

その時ふと頭をよぎりました。

次は、一変したラサから帰国するまで

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