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チベット旅行記-#4

一変したラサから帰国するまで

主な訪問地:ツェタン~民家訪問~北京

ラサ騒乱勃発の一報を受けた翌日、チベット奥地のツェタンではまだラサ騒乱の混乱はなかった。ヨンブラカンタントク寺などを訪れ、ラサの空港に向かった。すると、騒乱を受けセキュリティがかなり厳しくなっており、機内はラサから逃げる人で満席だった。乗り継ぎの北京に着くと、外国メディアが押し掛けラサから来た乗客の私たちにマイクを向けてきた。

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チベット旅行8日目 ツェタン~ラサ~北京

ツェタンの朝

ツェタンのホテル今日は9時出発なので、少しのんびりの朝です。朝食を食べにレストランに行くと、他の外国人旅行者のツアーの人たちがいました。聞くと、今日泊まっているのは、私たちとそのツアーだけだそうです。思い返せば、今までのホテルもガラガラで、観光地もかなり空いていました。Dさんが言っていましたが、今の時期は観光客も少なく、気候もいいので、一番のベストシーズンだということです。

 準備も終えて、ホテルの外観の写真を撮ろうと外に出ると、キーンと空気が張り詰めけっこう寒い。でも、暑いより寒い方が好きな私にとっては、この感じは嫌いではありません。
  ホテルを出発し、ツェタンの街中を通っていきましたが、今のところ変化はないようです。

 いよいよチベット最後の観光が始まります。今まで、体調を崩すも一人も脱落することなく、ここまで来ることができました。

ヨンブラカン

ヨンブラカンまで馬でいく本日最初の観光地は、ホテルから15分ほどのヨンブラカン。ここは、チベット最初の王宮で、ヨンブ(母鹿)に見える丘の上に建っています。吐蕃の初代王、ニャティ・ツェンポが住んだ宮殿といわれ、2000年以上前に建てられた仏殿が残されています。

 建物までは、山道を徒歩で登っていくのですが、希望者はラクダや馬に乗っていくことも出来ます。体調を崩していた父は、10元払って馬に乗っていきました。他のメンバーでは、ラクダに乗った人もいます。道自体はそんなに急ではないので、歩いてでも十分登れます。建物に着くと、タルチョやルンタを売る売り子さんがいますが、とりあえずここではお断り。

食事中の僧侶たち建物の入り口の階段をさらにのぼり中へ入るのですが、そこには6人のお坊さんがいて、食事をしていました。若い人から年配の人まで一緒に食卓を囲んでいます。食べているのはツァンパ。青麦の粉末で、味はきな粉のような感じです。それにバター茶を入れて手で練って食べるのですが、少し分けてくれたので、みんなで味見させてもらいました。
  中は吹き抜けの2階建てになっていて、2階には壁一面に経文が並んでいました。窓から朝日が差しこみ、バターランプの器をキラキラと照らしています。
  とても小さな建物なので、すぐに見て周れますが、人も建物も本当に素朴で、こんな空気を感じることができてよかったと思える場所でした。

山頂から見たヨンブラカン外に出て、そこからさらに登ると、山と山を渡したタルチョが大量に捧げられている場所に出ます。そこまでは少し急な登りになるのですが、その風景は一見の価値がありました。へばりそうな人は、さっきの売り子さんたちが手を引いて連れて行ってくれます。
  頂上は狭く、平らではないのでちょっと気をつける必要がありますが、ここから見るヨンブラカンとタルチョのはためきは、本当に圧巻でした。ここまで来たら、ぜひがんばって登ってみてください。
  頂上で、Jさんがルンタを分けてくれたので、それを撒いてみることにしました。

ハジャロハジャロラソソソー!

そう叫びながらなるべく高く、なるべく遠くにルンタを飛ばします。色とりどりのルンタが風に舞っていきました。どうか世界が平和になりますように…
  そんな願いを込めながら山を下りました。ここでは、さっきの売り子さんからタルチョをお土産に買い、麓の村でルンタを買いました。いいお土産が出来てよかったです。

 ヨンブラカンの麓の村では、子供たちが元気に遊び、若者は青空ビリヤードをしていました。その脇では、お母さんが糸を紡ぎ、家の角では家畜が草を食んでいます。そして父は、民家にお邪魔しトイレを拝借していたそうです。どうやらお腹を壊したらしい…。

タントク寺

タントク寺次に訪れたのは、タントク寺です。タントク寺はチベット最古の寺院のひとつで、その昔、仏教が入る前のチベットに住んでいた人の肉を食べる凶暴な悪鬼を鎮めるために、ソンツェンカンポ王がいくつか鬼の体の上に建てた寺院のうちのひとつです。文化革命によってかなり荒れ果てていましたが、今では復興が徐々に進んでいます。

 ここで有名なのは、2階のお堂にあるダライラマ5世が母親の供養のために、2万個の真珠で作っというパドマパニのタンカです。硝子越しなのでちょっと見づらいですが、小さな真珠がぎっしりと並んでいるその様は、今までの派手なタンカに比べると、とても落ち着いたシンプルな仕上がりです。このタンカは、たとえお金を払っても写真の撮影は禁止だそうです。
  その後文成公主の手作業による刺繍のタンカや、お祭り用のお面なども見ることが出来ました。

民家訪問

チベット族の民家の仏間ツェタン市内でチベット最後の食事をしたあと、飛行機の時間に合わせて、少し急ぎ足で出発。途中、Jさんの思いつきで、民家訪問をすることになりました。Sさんに「絶対15分です」と念を押されての強行見学。もちろん、訪問先の民家にも突然のお邪魔となります。先にDさんが民家の人に確認をとり、了承を得ることが出来ました。
  入り口までの道の両側の壁には、ヤクのフンが貼り付けられ干されています。これは火をおこすための燃料として使われるとのことでした。庭に入ると、いきなり大きなチベット犬に狂ったように吠えられ、みんなそこでドン引きです。そこから進めず足踏みしていると、家の人が出てきておとなしくなりました。そのスキに家の中にお邪魔します。庭には他にも、おとなしいチベット犬の子犬や子牛もいました。
  家の人は突然の訪問にもかかわらず、快く招き入れてくれました。挨拶を交わしながら、二階の住居部分へ急な階段を上がっていきます。この家は、チベットの家の中でも裕福な方の家だそうで、たしかに大きく立派です。二階では、台所とリビング、仏間を見せていただきました。バルコニーではさきほどのヤクのフンを燃料にして火がおこされていました。仏間にはたくさんのバターランプが灯され、仏様が祀られています。僧侶だけでなく、一般人でも本当に信仰深いということを改めて実感しました。

 あっという間の訪問でしたが、チベットの人の生活を垣間見れて、Jさんとガイドさんたちに感謝です。

ラサ空港

2008年3月15日のラサ空港無事ラサ空港に到着。空港内は、ひっそりとし、あまり人がいませんでした。チェックインをするにも並ばずに済みましたが、これがこのすぐ後大騒ぎとなります。

 なんと、ラサ騒乱のせいで、昨日より新ルールが施行され、あらゆるセキュリティーチェックが厳しくなっていたのです。荷物検査でほとんどの人がひっかかり、荷物を開けさせられました。スーツケースの中でも液体の持ち込みは制限され、ペットボトルの水は係員の目の前で飲んで見せ、ビールの個数も減らされました。この時、父の荷物に入っていたビールも個数をオーバーしていたので、出たぶんを私のほうに移しました。しかし、それがまたチェックでひっかかり再び荷物を開け、てんやわんや。父はビールの他にも(やっぱり)塩でもひっかかり、なめさせられたそうです。大混乱のチェックインを済ますと、ここでドライバーさんとお別れし、二階の搭乗ゲートへ走ります。すでに離陸の時間が迫っていました。ゲートの入り口でガイドさんたちと慌しくお別れです。ボディチェックでは、靴も脱がされ、金属探知機が鳴る鳴らないに関係なく、全員が手動でもチェックを受けました。

ラサ発成都行きの機内

ラサから脱出する乗客で満席の機内なんとか全員通過し、ギリギリ飛行機に乗り込みます。最後にチェックインしたので、席も一番うしろのほうでかたまっていました。機内に入ると、みんな新聞を読んでいて、席はほとんど満席です。あとでJさんに聞くと、この人たちはみんなラサから逃げ出す人で、いつもならこの時期、満席になるなんてことはないそうです。実際、Jさんの隣の人は、

  前日にラサに入ったが、ポタラも観光できずホテルに缶詰めになった。ラサでは装甲車がいて発砲音も聞いた。すぐにチケットを今日に振り替えラサから出た。

と言っていたそうです。中国は「武器使用を否定」と発表していましたが、実際のところはどうなのでしょう。飛行機に乗れる人は裕福な人に限られます。多くのチベットの人は、飛行機に乗るお金がなく、現地に留まるしかないというのが現状だそうです。

成都経由で北京へ

ラサを離陸した機内から飛行機は一旦、成都に寄ります。同じ機体で北京まで行くのですが、一度全部の荷物を持って外にでなければなりません。成都の空港で待っていると、日本の旅行会社から連絡を取ったJさんから話しがありました。

 今回のラサでの騒乱のニュースは日本でもかなり大きく報道されていて、チベット旅行に強いうちの会社にも、ツアーの日程を調べたマスコミからの問合せが相次いでいる。もしかしたら、北京で取材を受けるかもしれない。もし、都合が悪い方がいたら、みんな私が対応するので振ってください。大使館には、ツアーの無事を伝えてあり、そのことも報道されたようです。

 若干ドキドキしながら北京につくと、予想を超えた数の各国のテレビカメラが待ち構えていました。ラサから到着した飛行機のターンテーブルは外から丸見えだったので、すでに目星はつけられていました。荷物を受け取って外にでると、わーっとカメラが寄ってきて、あっという間に囲まれました。Jさんが代表して応えてくれましたが、それでも各メンバーにマイクを向けてきます。現地のガイドさんとすぐに落ち合え、バスに向かいますが、しばらくずっと追いかけてきました。なんだか、悪いことしてないのに、まるで逃げるように空港を出て、なんとかバスに乗りましたが、みんな無言でぐったりしてました。

最後の夜

行きの北京空港ホテルはとても近くすぐに着きました。ロビーで部屋割りを待っていると、カラオケの音が聞こえたり、他のお客さんも多く、旅行気分はすっかりなくなってしまいました。

 部屋に入ると、すぐにバックパックを開けます。実は、北京の空港で荷物が出てきたとき、上の部分が濡れていました。原因はすぐにさっしが付き、父とケンカ。ラサの空港で預かった父のビールが破裂していたのです。幸い、2本入れたうちの1本だけで、まわりに詰めた帽子と手袋がほとんどの水分を吸っていたので、他の着替えとかは無事だったからよかったですが、最後の最後で本当にやられました。とりあえず、ビール被害にあったものを洗い部屋に干しましたが、バックパックは洗えないので、ビール臭いまま日本へもって帰ることになります。
  この日の夜は、シャワーを浴び、すぐに眠りにつきました。

チベット旅行9日目 北京~成田

中国脱出

ラサから成都の機内からなんとか北京まで来ましたが、心配なことがひとつありました。それは、何かのタイミングで今まで撮った写真を没収されないかということです。テレビでのラサのニュースを強制終了するような国というのを体験をもって知ったので、その時期に撮った写真も持ち出しを阻止されるのではないか、と空港につくたびビクビクしていました。そうなったときの対応もいろいろ考えていましたが、結局取り上げられることもなく、無事に持って出国できたのでよかったです。

 北京のホテルから、さらに旅行をつづけるというメンバーと別れ、空港に向かいました。北京担当のガイドさんとも別れ、チェックインのため荷物をカウンターの前に並べます。ここでは、グループチェックインが可能だったので、順番が来てからは、Jさんがみんなやってくれました。私たちは近くのベンチで終わるのを待っているだけです。

 お腹を壊している父もトイレを済ませ、ベンチで休んでいましたが、まもなく、Jさんに呼ばれました。

荷物を開けて欲しいそうです。

そこにいたメンバー一同大爆笑。また塩がひっかかったのです。しかも、今回も父だけ。でも父もすっかり慣れ、手際よく対応していました。
  無事チェックインを済ませ、次に出国審査、ボディチェックと続きます。心配だったので、父を先に行かせ、出国審査を無事パスしたので私も安心してチェックを受けていました。
ボディチェックと手荷物検査も通過し、グループに合流すると、先に行ったはずの父がいません。

まさか…

と思い、ふと後ろを振り向くと、審査官に捕まっている父の姿がありました。でも塩は手荷物にはないはずなのに何故だと思って視線をずらすと、審査官の手にマニ車が…。それを見たメンバーが再び大爆笑。父には悪いけど、私もJさんも笑いがとまりません。マニ車は無事父の手に戻りましたが、最後の最後でチベットらしいオチをつけてくれました。
  笑いがおさまらないなか、ここで大阪組とお別れです。東京組みのメンバーとゲート前で待っていると、Jさんが、ラサで別れたガイドさんに連絡を取ることができ、 みんなの無事を確認することができました。ガイドさんたちは、なんとかラサに戻り、ホテルまでたどり着いたそうです。ラサの状況は、やはり混乱していて、ポタラ宮も完全に閉ざされ道も封鎖されているとのことでした。

 この後、飛行機は時間通り離陸し、写真を没収されることもなく無事に中国を出ることができました。

帰国

チベット犬成田に着いたのは13時30分ごろ。着いてからの集合はないので、ここからは荷物を受け取り次第五月雨式に解散となります。
  入国審査を受け、ターンテーブルのところまで行くのに何人かのメンバーと会い、「(父が)楽しませてくれてありがとう」とお礼を言われました。
現地の人とすぐに仲良くなり、お腹を壊しながらもがんばってツアーについてきて、検査の度にひっかかる父は、そのつもりはくても、いつの間にかみんなを楽しませる存在になっていました。お礼を言われたときも父はトイレに駆け込んでいたのですが、それも父らしいということでさらに笑いに…。今回の旅行は、本当にいろいろなことがありましたが、父のお陰で、あの状況にもかかわらず、常に笑いの耐えない雰囲気の良い中で遂行することができたと思います。

 ターンテーブルのところで荷物を受け取った後、Jさんと最後のお別れをしました。臨機応変の対応と、代替の観光地、予定外の訪問、日本食のプレゼント…などなど、本当に完璧なお仕事でした。今回の添乗員がJさんでよかったと、心から思える添乗ぶりでした。ガイドさん共々感謝の気持ちで一杯です。

 その後、最後の税関はひっかかることなく通り抜け、父とも空港で別れました。人生二度目の海外旅行、お疲れ様でした。

総評

ツアー中の食事今回の旅行は、いろいろな意味で一生忘れない、思い出深いのもとなりました。日本に帰った今でもラサ騒乱の問題は治まらず、現地でであった人々が無事かどうか、毎日心配でたまりません。

 チベットは異国にもかかわらず、とても安らげる国(敢えて国と表現します)でした。人々は静かで信仰深く、外国人にも優しく接してくれます。騒乱が起こる前は治安も良く、日が暮れてからも巡礼者が歩いていました。
  各お寺などの観光地の多くは、写真撮影の制限が設けられているので、写真を撮る前に必ず確認しなければなりません。撮影代を払えばOKな場合や、たとえお金を払っても撮影できない場所もあります。またその時の係員の気分にもよる場合もたくさんありました。
  食事は基本的に中華料理がほとんどでしたが、量も味もとても満足いくものでした。チベット料理は、ちょっとクセがあるので、好みが別れると思います。
  気になるトイレ事情ですが、ホテル以外は、床に穴の空いただけのシンプルなものや和式のものがほとんどです。中には扉のないものもありますが、個人的には、中国本土の汚すぎるトイレとくらべれば、まったく問題ありません。あとは青空トイレになりますが、その場合は紙は持って帰るのがマナーです。

人でいっぱいの寝台車青蔵鉄道に乗る場合は、駅で荷物検査とボディチェックをうけます。そして、鉄道内には刃渡り50cm以上のナイフは持ち込めません。
  また、日本で放送されたテレビや雑誌なんかの情報を鵜呑みにしていくと、少なからずショックを受けることになると思います。時期にもよると思いますが、私たちが乗車した3月中旬の状況は、なんでこんなに混んでいるのかとびっくりするくらいの混みようでした。現地の情報によると、青蔵鉄道は基本的に全席指定ですが、いつからか席がなくても乗れるチケットを発売するようになり、座席分以上の乗客が乗るようになったのだそうです。
  最初のイメージとしては、車内を自由に歩き回り、外の景色を見れると思っていましたが、実際は、人が多すぎてそんな気も起きません。優雅な高原列車という感じはまったくなく、とても疲れる移動でした。ただ、世界一高所を走る列車への乗車体験と、車窓の風景の素晴らしさは乗らないと体験できないので、一度はいいかもしれません。

平和の願いを込めて青空に舞うルンタチベットと言えば高地。高地と言えば高山病。私もこれが一番心配でした。父は病院で高山病の薬を処方してもらい持ってきましたが、結局あまり効かなかったようです。また、以前に高所に行ったときは平気だったのに、今回体調が悪くなった人もいました。症状も様々で、頭痛、めまい、腹痛、しびれなどが発症し、その程度も状況も人によって違います。結局、行ってみないとわからないというのが実際のところなので、よっぽどの持病がない限り、心配するだけ無駄でしょう。

 今回の旅行は、世界的なニュースになるくらいの騒乱の中で遂行されましたが、幸い危険な目にも遭わず、観光して帰国することができました。そして、今まで訪れた国の中でも一番気に入った場所となりました。帰国した日の16日には、チベットへの入域許可証の発行が中止されたそうですが、一日も早く、平和なチベットに戻ることを願ってやみません。

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