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ウズベキスタン旅行記-#3

タシケント弾丸ツアー

主な訪問地:サマルカンド~タシケント

タシケントに戻り、空港に行く前のわずかな時間で弾丸ツアーを決行。訪問予定の博物館が閉まるだのとトラブルもあったが、がんばった甲斐があり満足の行く最後のツアーになった。

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ウズベキスタン旅行7~8日目 サマルカンド~タシケント~成田

弾丸ツアー開始

いよいよウズベキスタン観光の最終日です。今日も快晴。今回は本当に天気にも恵まれました。
8時にホテルを出発。もう最終日なので、持っていたお菓子をホテルのオーナーにもらってもらいました。

サマルカンドサマルカンド
サマルカンド
サマルカンド

今日は、シルクロードを通りタシケントへ向かいます。
途中、林檎や魚の露店を見物。お父さんやお母さんががんばって売っていました。私たちは林檎を購入。

シルクロード
シルクロードシルクロード
シルクロード
シルクロードシルクロード
シルクロード
シルクロード

しばらく行くと通行止めで遠回りをすることになってしまい、そこで1時間ほど時間をロスしました。ただでさえ時間がないのに、これは痛いハプニングです。と言うのも、今日のスケジュールは、ウズベキスタンを出国する前にタシケント市内観光をこなし、21時05分発の飛行機に間に合うように空港に行かねばなりません。おかげで、タシケントに着いてからは、競歩もしくは駆け足で観光をすることになりました。

まず、ランチです。ビュッフェ形式だったため時間がかからず30分くらいで終了。その後クカルダシュ・メドレセなどをまわりましたが、同じような建物と急いでいるせいもあってそんなに感動することもなく消化していきました。

タシケント
タシケント
タシケント
タシケント
タシケント
タシケント
タシケント
タシケントタシケント
タシケント
タシケントタシケント
タシケント
タシケント
タシケント
タシケント
タシケント

チョルスーバザール

次にチョルスーバザールに行きました。サマルカンドのバザールと比べるとすごい人で、歩くのも大変です。白いテントの屋根があり、その下にたくさんのお店が品物を広げていました。ドン君とはぐれないように必死でついていき、なんとか人ごみを突破。屋内のバザールに入ります。お菓子エリアで会社へのお土産を、お茶エリアで家族にお土産を買いました。時間がないので迷っている暇はなく、即決です。

タシケント
タシケント
タシケントタシケント
タシケント
タシケント
タシケント
タシケント
タシケント
タシケント
タシケントタシケント
タシケント
タシケント
タシケント
タシケント
タシケントタシケント

地下鉄乗車体験

駆け足でバザールを突き抜け、今度は地下鉄の乗車体験をします。地下への階段を駆け下り、おもちゃのような乗車券を自動改札に入れて中へ入ります。ホームは薄暗く、芸術的な装飾がされていました。夏はすずしく、冬はあたたかいので、みんな電車にのるためでなく休憩するためにも来るそうです。

ホームには、現在の時間と電車がくるまでの時間が表示された電光掲示板がありました。その予告通りに電車がやってきて乗り込むと、結構混んでいるのに驚きました。日本の地下鉄の風景と同じです。乗換えをして目的の駅に着きました。妙に早いエスカレーターで上まで行き、さらに階段で地上へ出ます。

アミル・ティムール広場とその近辺

出るとそこはアミル・ティムール広場の中でした。緑豊かな公園で、市民の憩いの場のようです。

公園の中心までいくと、ティムール像が建っていました。かつてはレーニン像があったそうですが、ソ連崩壊とともに、おじいさん達が夜中にこっそりとどこかへ持っていってしまったそうです。今でもどこに隠したかはわからないとのこと。

タシケント
タシケントタシケント

写真を撮り、公園の外で先回りをしていた車へ乗り込んで百貨店へ。もうこの際百貨店はいいやとも思いましたが、ツアーの一部なのでとりあえず向かいます。せっかく来たので一応一通り見てまわりますが、とくに面白いものもなく、みんな集合の5分前に集まりました。

タシケント

最後に美術館でシメです。しかし、入場口に行くとすでに今日は閉館とのこと。駆け足でスケジュールをこなし閉館前に間に合うように来たのに残念です。
ドン君ががんばって交渉してくれましたが、結局ダメでした。そこで急遽予定を変更し、テレビ塔へ行くことにしました。

テレビ塔

車を飛ばし、テレビ塔の近くで下車。この先渋滞で駐車場まで行くのに時間がかかるから、ここから歩いていくとのこと。しかしそこは、高速道路並みにスピードを出している車が行き交う道路脇。テレビ塔に行くには、その道路を渡らなければなりません。片側3車線の幅の広い道路を車の隙間をぬって走り抜けます。命からがら全員渡りきり、テレビ塔の入り口へ。厳しい身体チェックと荷物チェックに時間をとられながらも、やっと中へ入れました。

タシケントタシケント

ガタガタと怪しい音を立てるエレベーターにのり展望台へ。そこからはタシケントの町が一望でき、すばらしい夕暮れの風景が見れました。

タシケント
タシケント
タシケント
タシケント

そこでドン君がさらに上に行けるというので、係りの人と一緒に再びエレベーターに乗り上階へ。エレベーターから降りると、いきなり吹きさらしの「外」でした。展望台のような硝子の窓がある室内ではなく、柵だけのまるで工事現場の足場のような場所です。下をみると鉄の棒が隙間を開けて並んでいるだけで、遙か地上のほうまで見ることが出来ます。みんないきなりのあまりの恐怖に、叫びながらもなぜだか笑っていました。美術館より断然印象に残るラストになったと思います。

タシケントタシケント
タシケント
タシケント
タシケント

出国そして帰国

なんだかスッキリした気分で地上に戻り、夕食のために中華料理のレストランへ行きました。予定は大幅に遅れています。席に着くや否や適当に注文し、最後の夕食という感慨もなく終了。

その甲斐あって、時間通りに空港に着くことができました。ここでドライバーのブラッドと別れ、空港の入り口でドン君とお別れです。最初は、中まで行く予定でしたが、入り口のところで止められてしまったので、そこで別れることになりました。簡単な挨拶しかできなかったのが残念です。

チェックインを済ませ、税関のところで、入国のときもらった入国用の税関申告書の控えと出国用のものと2枚を提出します。結構じっくりチェックしていたので、矛盾のないようにちゃんと書きましょう。
最後の荷物検査のところでは、靴を脱いでその靴もX線検査にかけなければなりません。
すべてのチェックを通り、やっと待合所の椅子に座るとホッと一息つけました。その後、飛行機は予定通り離陸し、約7時間50分のフライトで翌朝9時無事成田へ到着しました。

総評

イチャンカラ今回の旅行は、町を中心にしたツアーで、天気も快晴だったので、比較的ラクにまわることができました。ただ途中、体調を崩してしまう人が続出し、その日の観光が出来なかった人もいたので、体調管理(特にお腹)には注意したほうがいいと思います。自信のない人は、水はもちろんですが、サラダなども控えたほうがいいかもしれません。お腹を壊して日本から持ってきた薬を飲んだ人がいましたが、一時的に効いただけで治りはしませんでした。

 ウズベキスタンは行くことが決まるまでは、どこにあるのか場所も知らず、なんとなく危険なイメージがありました。しかし、実際に行ってみると人々は穏やかで、子供たちが外を元気に走り回るような治安のよい国でした。もっとも私が行ったのは観光地だけなので、国境付近はやはり危険だという話もあります。ツアーでいく場合は問題はないので、ぜひ機会があればシルクロードの世界を体験してみてください。

 気候は夏は暑く、冬は寒い国です。地域によっては50度から-40度にもなるそうなので、できればその時期を避けたほうが無難でしょう。私が行った9月下旬は、ちょうど涼しくなってきた頃で、昼間は暑かったですが乾燥しているのでそれほど不快ではなく、夕方から朝にかけては寒いくらいなので、観光するにはとてもいい気候でした。ただ、日差しはとても強いので、日焼け止め対策は万全にしたほうがいいでしょう。暑くても長袖を着て歩くことをオススメします。

 安全に異国情緒を味わうにはぴったりの国だと思います。冒険というほどハードでもなく、リゾートというほどのんびりでもない、適度に外国の雰囲気を楽しめるので、初めての海外旅行にもいいかもしれません。ただし、青空トイレは必須です。

ドニヨルの作文

ドニヨル今回、現地のガイドをしてくれたドン君が大学生時代に、 ウズベキスタンの各大学からの代表者が出場する論文大会で、見事優勝を勝ち取った作文「大工の弟子から始まった」を紹介してくれました。これは、ドニヨルが自分で習得した日本語で書いたものです。本人の了承を得て公開するので、ぜひ読んでみてください。なお、無断での複製はしないでください。

-----ここから-----

大工の弟子から始まった

No.12
タシケント国立経済大学
マドヴァリエヴ・ドニヨル

自分の運命は自分の手できりひらかなければなりません。私にはまだたいした経験はありませんけれども、努力なしに何ごとも実をむすばないということは分かっています。

私は小学生のころ、大工の弟子になりました。両親が反対しても、「将来役に立つから」と自分に言い聞かせて、その大工さんのうちに通いました。田舎では小学生が弟子になることは普通で、ほとんどの人は自分の子供を宗教の先生のうちに行かせます。弟子というのは、何も知らず、何でもやらせられる人です。

私が大工の仕事を習うと決めたのは、両親が壊れた窓を直してもらうためにわざわざ大工さんを呼んだ時、それを見て自分で直すことができたらいいなあと思ったからです。私の先生の大工さんは年をとった人だったので、他の弟子もいっぱいいました。その大工さんは毎日私たちに笑い話を言ったり、いろんな質問をしたり、人生について教えてくれたりしました。

例えば、「成功は階段だよ エスカレータじゃないよ」とか、「もしお金が話せるんなら、「さようなら」としか言えないだろうね」、また「さっさと仕事をしなさいよ、今日は昨日になるよ、明日には」など、とても楽しい日々でした。だけど、つらいこともありました。そこでは先輩―後輩関係があって新しく来た人は歳に関係なくお茶を入れたり、お客さんを迎えにいったりなどさせられたものです。

毎日五回お祈りしたのは言うまでもなく、仕事は朝の5時からでした。別に、仕事が多かったからじゃなく、その大工さんが言ったとおり早起きは三文の得だったからです。

私たちが作るものは たんす、ドア、窓、こたつなどで、そのほかはお客さんの注文したものを作りました。二年間こうやって大工の仕事を学んでから、その仕事を自分のうちでつづけました。田舎でナンを作るときよく使うもの、例えばめん棒とか穴あけ棒を自分で作って売り始めました。冬には、田舎の生活の命の綱であるこたつも作り始めました。

ある日、あるおばあさんに「うちに来てこたつを直してくれないか」と言われ、そのおばあさんのうちへ行ったら、ドアも窓も閉まらないで、部屋がすごく寒かったし、おじいさんが死にそうになっていました。私はすぐこたつを直して、ドアと窓もちゃんと閉まるようにしました。それが私の大工としてやった一番良い仕事だったと思います。あのおじいさんとおばあさんは、今でも私を見かけるとすぐお祈りを始めます。「神様この人の命を長くして下さい」と。そんな時私はこの世の中で生きている意味があるのを感じます。今でも自宅で大工仕事を自分でやっています。

そして、中学生のころ、私たちの家族は父親の転勤で町にひっこしました。町で右も左も分からなかったあのころは、何かをしたくてもできなくて、つまらなかったです。そんなある日 小説を読んでいて、「料理ができない男は一生おいしいものが食べられない」というところが出てきました。

私はおいしいものが大好きで、その言葉がきっかけで、料理の先生をさがしはじめました。それからレストランにはいって、料理の先生の弟子になりました。 ほとんど遊ばずに仕事していて 自分も充実感があったし、親もうれしかったようです。

レストランというところはいろんな人々が来るちゃんとした雰囲気のところですから、しっかりしなくてはなりませんでした。ですからそこで習ったことはただ料理だけじゃなく、コミュニケーションとか商売のしかたなども学びました。

でも、親にとって心配だったのは、私の勉強でした。私もそのころ勉強したくて、レストランの仕事をやめて田舎に帰りました。その後、二年間の準備で大学に合格しました。今、私は4年生です。もうすぐ卒業します。あの時大工の弟子として学んだことと、レストランで学んだことが、今でも役に立っていると思います。
「若い時の苦労は買ってでもしろ」という日本の諺があります。そのとおりだと思います。大事なのは種をまくことです。まかぬ種は生えませんから。

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