コーカサス旅行記-#1
アゼルバイジャン・ジョージア・アルメニア縦断旅
カスピ海と黒海に挟まれた3か国アゼルバイジャン、ジョージア(グルジア)、アルメニアを縦断するコーカサスの旅。アゼルバイジャンのバクーから陸路で国境を超え、ジョージア、アルメニアへ抜けるコース。絶景の中に建つ教会や、ステンドグラスが美しい荘厳な装飾、十字を切って祈る人々など、キリスト教の世界を垣間見ることができた。
主な訪問地:バクー~シャマフ~シェキ~テラヴィ~ムツヘタ~トビリシ~カズベキ~セヴァン湖~ツァフカゾール~エレヴァン
旅行時期:2018年10月/利用航空会社:カタール航空/[外務省]アゼルバイジャン共和国基本情報、ジョージア基本情報、アルメニア共和国基本情報
行程
- 1~2日目:成田~ドーハ~バクー
- 3日目:バクー~シャマフ~シェキ
- 4日目:シェキ~(アゼルバイジャン)国境(ジョージア)~テラヴィ
- 5日目:テラヴィ~ムツヘタ~トビリシ
- 6日目:トビリシ~カズベキ~トビリシ
- 7日目:トビリシ~(ジョージア)国境(アルメニア)~ハフパト修道院~セヴァン湖~ツァフカゾール
- 8日目:ツァフカゾール~エレヴァン
- 9日目:エレヴァン
- 10日目:エレヴァン~ドーハ~羽田
コーカサス旅行 評価:4.0 -kaycom
コーカサス旅行1~2日目 成田~ドーハ~バクー
カタール航空ドーハ経由でアゼルバイジャンへ
2018年10月。10日間の日程でコーカサス旅行に出発。
今回の参加者は14名です。
成田空港から22時20分発のカタール航空で、まずはカタールのドーハまで。ここまでの行程は、今年2月に行ったオマーン旅行と同じです。
ただ今回違ったのは、出国手続きの際の顔認証システムの導入。
読み取り機にパスポートの顔写真のページをあて、カメラが顔を撮影し自動で照合。そして、出国スタンプは申告制で、言わないと押してもらえません。
このシステムに導入によって審査側が楽になったのかもしれませんが、読み取り機から審査カウンターまでの導線がうまくいってなく列がグダグダ。このあたりは、改善されることを期待したいです。
定刻より少し早めに搭乗が開始され離陸。
その後、0時近くと、翌朝の2回機内食が出ます。
映画を観たりうたたねしながら時間を潰し、予定より1時間ほど早い3時すぎにドーハ着。
空港内のランドマークになっているでっかい熊と再び対面し、次の飛行機を待ちます。
7時30分、コーカサスの入口のひとつ、アゼルバイジャンの首都バクーに向けて出発。
約3時間のフライトで、飛行機は3列3列の小さなもの。それでも機内食が一回でます。
11時半、無事バクーに到着です。
入国審査も思ったよりスムーズに済み、1時間後には現地のガイドさんと合流できました。
空港の外に出ると、あいにくの雨模様で肌寒い。
用意されていたバスはかなり大きく、一人3席くらいはいけそうな感じです。カメラやなんだかんだで荷物が多いので、これはありがたい。
火が燃えるアテシュギャーフ(拝火教寺院)
アゼルバイジャンでガイドをしてくれるのは、日本大使館でも勤めていたことがあるというベテランガイドのバラシュさん。
一見気難しそうなおじさんですが、日本人が好きという親日家。
=====ガイド=====
アゼルバイジャンは今回行く3カ国の中で唯一のイスラム国。人口は約1千万人で、そのうちの91%がアゼルバイジャン人。4%が北コーカサスからやってきた人々で、5%がロシアとかユダヤ教の人たち。
アゼルバイジャンの首都バクーは、南コーカサスの中で一番大きな都市で一番大きな港がある。
今は秋に入りかけているので、雨が増え始めている。でもこの雨は収穫に必要なものでとても大切。
イスラムというのは比較的新しい宗教で、それがやってくる前は拝火教(ゾロアスター教)という火を崇める宗教が主だった。
これから、最初の観光地アテシュギャーフ(拝火教寺院)へ行くが、その拝火教の場所。
博物館もあるが、中の写真を撮る場合は10マナト(約7ドル)かかる。ただし、スマホでの撮影は無料でOK。
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20分ほどでアテシュギャーフに到着。
バクーは「風の町」とも言われるほど風が強いそうですが、この日もビュービュー。嵐か台風かというくらい吹き荒れる中での観光です。
まずは、寺院の中央にあるメインの火の場所へ。
=====ガイド=====
1~2世紀くらいの間、ここはペルシャ帝国に統治されていた時代があった。寺院のあるこの場所は、1~2メートルも掘れば天然ガスが出てきて、自然に発火していたため、拝火教だったペルシャの人々に聖地とされ寺院が建てられた。
1世紀ころからこの神殿の建設が始まった。その時はササン朝のペルシャ。
7世紀頃にアラブ人によってこの辺りは滅亡させられ、アゼルバイジャンで作られた寺院というのはそのあと忘れらていた。
17世紀、インドの商人がこの地にやってきて、この寺院の跡を見て、拝火教寺院として再建した。そのために、財産をすべて寄付した。
後に、この場所を巡礼のために訪れる聖地とするため、シルクロードなどの商業目的ではない純粋な信仰のための道を作った。
1710年に、このあたりには拝火教の人たちが住み始め、それまで多かった盗賊などの悪人たちが信仰の方に傾いていった。
1910年、ロシアの統治下だった時代、ニコライ二世がここにやってきて軍事要塞を作った。そのせいで宗教は解散され、信者たちはこの場所を離れ、聖職者たちだけが残った。
寺院には21の部屋があるが、18世紀から20世紀はじめくらいまでは、約200人の信者が住んでいた。
拝火教というのは、ゾロアスターという人が開いた宗教。はっきりはしていないが、紀元前6世紀頃にイランのヤズドで始まったというのが定説。現在でも5000人ほどの信者がヤズドにいる。
毎朝6時に礼拝をする。キリスト教やイスラム教と同じで、拝火教にも聖典というのがあり「アベスタ」と呼ばれている。牛の皮(アベスタ・アベッチ)にサンスクリット語とペルシャ語のミックスされた文字で書かれている。
二人の神がいて、良い神がアフラマズダ、悪い神がアフラマン。この世はこれらの神で成り立っている。
彼らの中で戦いが起こっているが、最終的に勝つのはアフラマズダになるだろうという教え。しかしまだその時は訪れていなく、いつかやってくると説かれている。
インドにはたくさんの神々がいるが、そのうちの一人ヒンズー教の破壊神ビシュヌは4つの腕を持っている。この腕の意味は、地、天、水、火という自然のものを支え保っていることを表している。これを表したシンボル(スワスティカ)があるが、これはインドでも重要なサインだった。この寺院の門のところにもある。
2世紀にイランでゴールドのネックレスが発見されたが、それにもデザインされていたり、インドのマハラジャもスタンプに使ったりしていた。
拝火教では「地」というものは聖なるもだから、遺体を埋めたりしない。山に遺体を置き鳥葬をする。で、骨になったところで地に埋める。ワシやハヤブサは聖なる鳥として、幸運を運ぶとされている。
1920年、ドイツからナチスのヒトラーがきて、
我々は日本人でもなく、アラビアンでもアフリカンでもない特別な人種だ。昔のインドのように自分たちも自然を崇める。
そう言ってスワスティカをコピーした。ナチスのマークにはそのカギ十字とワシが配されている。
ザクロというのが一番いい果物とされていて、インドではエナフという。二つの意味があり、赤い色でも象徴されている「火」という意味がある。
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バラシュさん持参の写真なども使って詳しく説明してくれました。
これでも少し端折りましたが、かなりのガイド量。これはアゼルバイジャンの記事だけでも、けっこう長くなりそうです。
寺院の敷地内では、あちこちで火があがっていて、部屋の中を見学していると心なしか息苦しいような。。。
展示されている人形たちが妙にリアルで、暗い部屋の中に入って脇にいたりするとけっこうビビります。
何度か悲鳴を上げながら見学しました。
「Ateshgah(アテシュギャーフ)」でランチ
見学後、すぐ近くにある寺院と同じ名前のレストラン「Ateshgah(アテシュギャーフ)」でランチ。
「アテシュ」とは「火」、「ギャーフ」は「家」という意味だそう。
お店は、ステージも完備している観光客向けのレストランです。
メニューは、肉と野菜がはさまったクタブや、トルコでも有名なブドウの葉で具材を包んだトルマ、スイカのシロップ漬け、チャイなど、中央アジアや中東を感じさせる料理です。
また、この辺りはワインも美味しいということで、数人で赤ワインのボトルを頼んでシェアしてみました。
スイカのシロップ漬け以外、初めて食べたというような味はなかったので、よほど好き嫌いがない限り無難に食べられる料理です。
ワインも飲みやすく、昼間からいい気分にさせてもらいました。
布好き必見!絨毯博物館
ランチの後、市内のガイドを聞きながら「絨毯博物館」へ向かいます。
=====ガイド=====
ここからカーペット博物館まで35分くらい。写真を撮る場合は7ドル程度かかる。スマホでの撮影は無料で荷物はロッカーに預ける。今1ドルが1.7マナトくらい。
1962年のソビエト時代に建てられた建物がこのあたりに多くあるが、だいたい4~5階建てでエレベーターはない。みんな似たような形をしている。
91年以降の建物は4階建て以上でエレベーターがある。今では52階建ての建物(フレームタワー)など近代的なビルも増えた。
建物の種類は4つにわけられ、中期のもの、ロシア時代のもの、ソビエトの19~20世紀くらいのもの、そして現代。
乙女の塔をふくめた旧市街が世界遺産になっている。
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カスピ海が現れ、カーペットの形をした博物館に到着。2011年にできたばかりの新しい建物です。
=====ガイド=====
アゼルバイジャンのカーペットは、シルク、ラム、コットンで作られる。ラムはシルクのような光沢が出る。
地域ごとにパターンが異なり、幸せのシンボルのクジャク、ドラゴン、動物、人間の目とか顔をかたどったものなどがある。
シンメトリーのデザインが多く、すべての色は自然からとったもの。赤い色は特に大切な色でザクロの色。インディゴもイスラムでは重要な色なので貴重。
お嫁に行くときはカーペットを織って持っていく。シルクや藍色のものは高い。サフランも本当にいいものはゴールドくらいの値段がする。
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簡単に説明を聞いて、あとは自由に見学。館内にはかなりの数の展示品があり、特に最上階の絨毯がとても芸術的でした。
また、実際に織り方を見せてくれるデモンストレーションもあり。
今回私はスマホのカメラで撮りましたが、デザインが本当に素晴らしいので、興味がある方は撮影代を払ってちゃんとしたカメラで撮るのをおすすめします。
世界遺産バクー旧市街のシルヴァン・シャー宮殿
次は、世界遺産のバクーの旧市街の観光です。
=====ガイド=====
バクーはかつて二重の城壁で囲まれた街だった。今では12世紀末に造られた内壁だけが残り、旧市街を形作っている。
城壁は10mから12m間隔で二重になっていて、1500mの長さがあったが、今は内側の500mが残っている。
旧市街は「イチェリ・シェヘル(内壁)」と呼ばれている。1870年までバクーというとこの城壁内部の22ヘクタールしか街がなかったそうだが、石油発見後、ノーベル兄弟などに代表される海外資本が入り、街が急激に広がった。
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旧市街の見どころシルヴァン・シャー宮殿へ。
=====ガイド=====
シルヴァン・シャー宮殿は、シルヴァン王国の宮殿。シルヴァン・シャー王朝は、13世紀から16世紀にかけて、アゼルバイジャンの一部を支配した王朝だった。
シルヴァン・シャー王国は、13世紀当初は首都をバクーより西の内陸のシャマフに置いており、バクー近くのカスピ海の小島に避暑用の夏の宮殿を造っていた。この夏の宮殿は、大地震でカスピ海に沈んでしまったが、15世紀になって勢力を強めたしシルヴァン・シャー王国はバクーに遷都し、新しく宮殿を築いた。それが現在のシルヴァン・シャー宮殿となる。
宮殿内部には複数のモスクや、聖者廟、王族の霊廟など多くの建物が建てられている。
シルヴァン・シャー朝の時代、シルクロードを通じて、カバラ、シャマハ、ガンジャ、バイラカンなどの商業都市が繁栄を極めた。様々な文明・支配者が交錯するコーカサス地方だが、シルヴァン・シャー王朝はティムール帝国からオスマントルコの時代にかけて、かろうじて独立を維持した国だった。
シルヴァン・シャー王朝(または、マズヤド朝)は、861年にハイサムによってたてられたスンナ派イスラム王朝。首都はシャマハ、後にバクーに遷都。アッバース朝混乱期に乗じて設立され、以後、1067年から1382年にケスラーニー朝(ムハンマド・ブン・ヤジード)、1382年から1538年にダルバンド朝(シャイフ・イブラーヒム)と続き、サファビー朝によって滅亡させられた。
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バクー旧市街散策
シルヴァン・シャー宮殿を後にし、旧市街を散策。
石畳の細い路地が入り組み異国情緒満点です。
旧市街の中には、小さなホテルやお土産屋さん、レストラン、アート作品の工房などがあり、この中だけでもいろいろ楽しめそう。
路地を抜けると、シェマハ門のある広場に出ました。
=====ガイド=====
シェマハ門は、かつて隊商達が通った門(12~14世紀)で、旧市街を囲む城壁の一部をなしていた。門には旅人の無事を祈る言葉が綴られており、門の上には2頭のライオンが彫られている。
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露店で売っていた焼き立てのクタブをつまみ食い。
素朴な味ですが、やっぱり焼き立てというのは美味しい。
少し行くと、ウズベキスタン人とインド人のキャラバンサライ跡(今はレストラン)がありました。
訪れたときは改修工事中で中は見ませんでしたが、せっかくならこういうところで食事をするのもいいですね。
伝説が残る「乙女の塔」
旧市街の最後は、乙女の塔へ。
=====ガイド=====
正式名称はグズガラスゥ。高さ28m、壁の厚さは4~5mという堅牢な造り。階段は137段。2000年に世界文化遺産に登録された。
元々は5世紀ごろに拝火教寺院として建てられたとか、天文観測台として建てられたなどと言われているが、時代が流れ要塞の役割を持つようになった。
土台の部分が5世紀で、今見る姿になったのは、モンゴル襲来に備えて12世紀に再建されたといわれている。
名前の由来は、王がわが娘に恋をして結婚しようとしたが、嫌がる娘が時間稼ぎに父に塔の建設を請願したものの、塔が完成しても父の気持ちが変わらなかったため、王女が身を投げたという伝説が一般的。
しかし他にも諸説あり、結婚に反対された娘が絶望して塔から身投げしたが、人魚が娘を救い、婚約者の男性の元へいき、二人は末永く幸せに暮らしたとか、モンゴルに襲来されても塔が陥落せず占拠されなかった塔ということで、占領に対しては未経験(ヴァージン)だから「乙女の塔」とかいう説もある。
今はカスピ海から少し離れているが、かつては、海際に建てられた要塞だった。
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この塔は、内部の階段を上って屋上までいけるので、さっそく入ってみます。
各階には展示品があり、ちょっとした博物館になっています。
上まではずっと階段ですが、この展示を見ながらゆっくり上がればそんなに疲れません。
屋上へ出ると、バクーの街並みとカスピ海が一望のもと。
この日は天気がイマイチだったので残念でしたが、晴れていたら絶好の写真スポットです。
バクー市内のホテル「INTOURIST HOTEL」に宿泊
観光後、カスピ海の目の前に建つ今日のホテル「INTOURIST HOTEL(インツーリストホテル)」にチェックイン。
落ち着いた図書コーナーなどもあり、ホテルでの時間もゆっくり過ごせそう。
部屋に入ると大きな液晶ディスプレイがあり、そこに「ようこそ〇〇さん」と私の名前が表示されていました。
名前が書かれたカードが置かれていることはありましたが、ディスプレイ表示は初めて。時代はどんどん進化しているなぁ
部屋の窓からは、カスピ海が一望。
(何度も言いますが)晴れてれば最高なのに。。
バクー市内のレストラン「Restaurant Kohne Sheher」でディナー
ホテルで一息し、夕食へ出かけます。
今夜のレストランはバクー市内にある「Restaurant Kohne Sheher」。
お店の入り口で陽気なシェフに迎えられ中に入ると、異国情緒満点のインテリアで飾られたかわいらしい空間が広がっていました。
大きな個室に案内され、すでに前菜とパンが置かれたテーブルにつきます。
赤ワインを頼み夕食開始。
今日のメインはマスのグリルで、デザートは伝統菓子のパカラバ。かなり甘いお菓子です。
全体的に味は普通ですが、店内の雰囲気がエキゾチックなので、旅行気分を味わうことができると思います。