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パキスタン(フンザ)旅行記-#3

風の谷の桃源郷フンザ

主な訪問地:カリマバード~ナガール~ホーパル氷河~ハセガワメモリアルスクール~ドゥイカル

カラコルムハイウェイをひた走り、やっと辿り着いた桃源郷フンザの散策開始。杏の花が満開に咲き誇る谷を四駆のジープに分譲し、ナガール村ホーパル氷河アルチット村バルチット城バザールなどを訪れた。長寿の里として有名なフンザには元気なお年寄りがたくさんいて、民族舞踊を鑑賞しながら食べた伝統的なフンザ料理はこのうえなく健康的だった。ドゥイカルの丘では夕暮れのフンザ渓谷を一望。

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パキスタン旅行6日目 カリマバード~ナガール~ホーパル氷河~カリマバード

ジープサファリ

朝食を食べて、9時に出発。
絶景が見えるというホテルからの眺めはすばらしいものでした。

フンザ
フンザ
フンザフンザ

外には赤と青のかわいらしいジープが並んでいました。まず午前中は、フンザ川の対岸のナガールとその奥にあるホーパル氷河へ向かいます。

フンザ川を渡ってすぐのところからカリマバードの方を見ると、ウルタル峰を背にした村の風景が一望できるポイントになります。この時はちょっと雲が多くてウルタルが隠れてしまっていますが、目の前に迫るその壮大さは迫力でした。

フンザ

ちょっと寒かったですが、せっかくのジープだし、途中で周りに張られているホロを取って走りました。

ナガール

ナガールへ入ると、険しい山間の谷に段々畑が広がり、その斜面にたくさんの杏の花が咲きほこっていました。

フンザフンザ
フンザフンザ
フンザフンザ
フンザフンザ

いくつかのビューポイントで降り散策しながら行きましたが、村のある場所で降りると、やはりすぐに子供達が集まってきて写真を撮るとおおはしゃぎです。
パキスタン北部のフンザの方まで来ると、白人系の人たちが増え、外で働く女性の姿も多く見られるようになりました。

ナガールの子供達フンザ
ナガールの子供フンザ
ナガールの子供フンザフンザ

ホーパル氷河

山道をひた走り、2時間ほどでホーパル氷河(標高約2800m)に到着。

フンザフンザ
フンザ
フンザフンザ

ジープを降りて山の斜面を少し登ります。頂上につくと、眼下に、ディランから流れ落ちる氷河が姿をあらわしました。

フンザホーパル氷河
ホーパル氷河

ここでも子供達が大勢集まり、狭い山頂はぎゅうぎゅう詰めです。
子供達をすりぬけながら写真を撮っていると、パラパラと雹が降り始めました。

フンザホーパル氷河

寒くなってきたので早々に麓の休憩所へ下り、熱いチャイであたたまります。
塀の向こうには、氷河を見物にきた私達を見物しにたくさんの子供達がいました。

フンザホーパル氷河
フンザ

11時半に子供達と笑顔でお別れして休憩所を出発。帰りもナガール村に寄り道しながら、一旦ランチのためにホテルへ戻りました。

フンザ
フンザフンザフンザ
フンザ
フンザ
フンザフンザ
フンザ
フンザフンザ

アルチット村

ホテルで、昨夜の日本人シェフの中華料理でお腹を満たし、午後はカリマバード市内とその周辺の散策です。

ランチフンザ

14時にホテルを出発し、まずはアルチット村へ向かいました。村の狭い広場でジープを下り、そこから歩いて村の中を巡ります。細い迷路のような路地が入り組み、子供達が元気に遊んでいました。

アルチット村
アルチット村アルチット村アルチット村
アルチット村アルチット村

少し奥まで進むと、何やら音楽が聞こえてきました。角を曲がると、数人の青年たちがそれぞれ楽器を携えて、フンザの民族音楽を奏でています。そしてその傍らでは、小さな男の子が音楽に合わせてフンザの踊りを舞い始めました。
楽器は太鼓と笛だけでとてもシンプル。踊りもどちらかというと、盆踊り的な大人しいものです。
しかし、音楽が鳴ると、小さな子供でもすぐに踊ることができるので、きっと学校とかではなく、親から子へ代々受け継がれてきているんだなと思いました。

フンザダンス
フンザダンスアルチット村

さらに奥へ進むと、たくさんの村人たちが出てきました。本当に子どもが多いな。

アルチット村アルチット村アルチット村
アルチット村アルチット村アルチット村

働く女性

村のはずれまでくると、材木の切り出し場がありました。ここでは驚いたことに、たくさんの女性が働いています。
今まで訪れた場所では、表で女性を見ること自体あまりなかったので、これは意外でした。
しかも、やっている作業が、木材の寸法を測ってのこぎりで切ったりなど、男性的な仕事なのでさらにビックリ。

アルチット村アルチット村
アルチット村

アルチット城

そこを通り過ぎると杏の花が満開の広場に出ました。

アルチット村アルチット村アルチット村
アルチット村アルチット村

花びらが舞い落ちるアーチの下を歩いて行くと、アルチット城の入り口に到着です。石段を登り丘の上に聳えるお城の麓まで行き、そこから城内へ続く階段をさらに登ります。

アルチット村アルチット村アルチット村
アルチット城アルチット城
フンザ

中に入るととわずかな明り取りしかないのでかなり薄暗く感じます。昔は囚人を収容していたということもあり、雰囲気もなんだかお化け屋敷のよう。
さらに細い階段を登って屋上へ行きます。

アルチット村アルチット村アルチット村
アルチット城アルチット城

上からは、中の雰囲気とは打って変わって、壮大なフンザの風景と麓の村を見渡すことができました。

フンザ
フンザ

絶景を満喫した後は、再び村の中を通ってジープに乗車。
次はバルチット城へ向かいます。

アルチットアルチット
アルチット
アルチットアルチット

バルチット城

さすが四駆のジープだけあって、カリマバードの急斜面を軽々登っていきます。
途中まで行って、後半は歩いてお城まで行きますが、これもかなりの坂でちょっと息がきれました。

フンザフンザ
フンザフンザフンザ
フンザフンザ
フンザ

がんばって登っていくと、頭上に、白壁に赤茶色の屋根のお城が迫ってきました。どこかで見たことのあるデザインだと思ったら、チベットのポタラ宮に良く似ています。
説明を聞くと、やはりポタラを模して造られたそうで、その昔、チベット文化の強いバルティスタンからこちらに嫁いだお嫁さんが、チベット建築の職人を引き連れて建てさせたということです。

フンザ

中に入ると、実際のポタラ宮のような煌びやかさはありませんでしたが、なんとなく造りが似ていてちょっと懐かしい感じがしました。
内部の写真撮影は有料で、入って見てみてから撮るかどうか決めていいと言われたので、最初は撮らずに周っていたのですが、結局そのまま出ることになってしまったので撮れませんでした。

内部には、台所や居間、寝室などが、当時の様子を再現する形で展示されています。その中に天然冷蔵庫があったのですが、昔は、後ろに聳えるウルタル峰からの氷河がすぐそばまできていたので、その冷気で冷やしていたそうです。

屋上へ行くと、ここからも素晴らしいフンザの眺めが広がっていました。
夕暮れが近いということもあり、傾いた太陽の日差しが雲の間から谷に差し込んでいます。なんだか別の世界に来てしまったかのような幻想的な風景。

屋上には守り神のアイベックスが祀られ、片隅には城の主のためのカウチも置かれていました。かつてここを統治した藩主も、色々な思いを抱きながらこの風景を眺めていたのでしょう。

フンザ
フンザフンザ
フンザフンザ
フンザフンザ
フンザフンザフンザ

バザールで買い物

お城を出た後は、麓のバザールを買い物しながら歩いてホテルへ戻ります。
私はNさんに付き合ってもらって、ハイダラバードというフンザの小さな村で作られた絨毯を購入。手作りで6ヶ月かけて完成したという一品です。
あとは、杏のドライフルーツに杏の種などフンザ名産のお土産をいくつかゲット。
絨毯以外はどれもお手ごろで会社などのお土産にピッタリです。

フンザフンザ
フンザフンザフンザ
フンザフンザ
フンザフンザ
フンザ

夕暮れのカリマバード

ホテルに戻る途中、後ろを振り返るとウルタルとレディースフィンガーが見えました。
今まであまり晴れなくて、有名どころの山が見えなかったのでみんな大喜び。
もう夕暮れで暗くなり始めていましたが、何度も振り返って写真を撮りながらホテルへ帰りました。

ウルタルフンザ

フンザの伝統料理と民族舞踊

さて、今夜の夕食は、フンザの伝統的な音楽を聴きながら郷土料理をいただきます。今までのレストランとは別の、絨毯が敷き詰められた広い部屋へ案内されました。

すでに3人の演奏家の人たちが楽器を奏でています。
昼間、アルチット村で聞いたのと同じような音楽ですが、さすがプロだけあって迫力があります。
この3人のうちの一人が、パキスタンでも有名な演奏家なのだとか。

ホテル音楽隊

Sさんから、郷土料理とこれから行われる踊りの説明があり、どうやら私達も踊るハメになるかもしれないという漠然とした不安を抱きつつ、宴会が始まりました。

フンザの料理は健康食で有名で、ここフンザは長寿の里としても知られています。
しかし、カラコルムハイウェイが開通してからは、砂糖や油などがどんどん入ってくるようになり、今では癌や糖尿病の人が増え、以前はたくさんいた100歳越えの人は減ってしまったそうです。
それでも現在の平均寿命は男性が70~75歳、女性が75~80歳で、日本と変わらない高水準を維持しており、まちのあちこちには元気なお年寄りがたくさんいました。
(ちなみにパキスタン全体の平均寿命は男性が55~60歳、女性が60~65歳)

民族舞踊最初の料理が運ばれてきて、部屋の中央では踊りも始まりました。
フンザの人はみんな踊り好きで、後ろには順番待ちのおじさんたちが控えています。
そしていつの間にか、ホテルのスタッフもみんな集まってきて、あきらかにこの部屋のなかは、お客さんの私達よりフンザの人の人数の方が上回っていました。

踊りはまず、「王様の踊り」から始まり、本来ならその後は年齢順に踊っていくとか。
しかし今回は、色々な踊りを披露してくれるため、王様の後は「若い人の踊り」「ナガール地方の踊り」「軍人の踊り」と続き、あとは「ホテルのスタッフの踊り」「ホテルのオーナーの踊り」と、踊りたくてウズウズしているおじさんたちが出演です。

音楽隊にチップを渡す踊っていると、まわりのギャラリーがダンサーの帽子にチップを挟みにきます。そして踊りが終わるとダンサーは、そのチップを今度は音楽隊に献上。
踊っている人にチップを渡すのはどこでも良く見かけますが、それをもらったダンサーが、さらに音楽隊に渡すのは見たことがありません。
Sさんの解説によると、ダンサーにチップを渡すのは、

お前、ダンス上手いな

という意味(これは普通)、そしてダンサーが音楽隊に渡すのは、

踊りが上手く踊れるのは、君達の素晴らしい演奏のお陰ですよ

という気持ちが込められているそうです。
なんともステキな感謝の連鎖。こういう習慣を見ても、そこに暮らしている人たちの人柄が伺えます。

次々運ばれてくる料理は、一度食べると2年長生きできるという、たしかに健康食でした。
そして健康食とは、総じて、多くの現代人にとっては、

美味しい♪

と手放しで言えないというのも定説です。

フンザ料理
フンザ料理フンザ料理
フンザ料理フンザ料理
フンザ料理フンザ料理

まずくはないが…

すっかり贅沢に慣れてしまった自分を恥じつつ、食べられなかった人のためにセコンドで待機していたチキンカレーに手が行ってしまいました。他のみんなもほぼ同じような思いだったらしく、カレーがどんどん売れていきます。

好きなものを好きなだけ食べてそこそこ生きるか、フンザの郷土料理を食べて100年生きるか

贅沢な選択ですが、まわりにいる人とちょっと話したら、メンバーの一人(ツアー参加者最年少)は、前者を採用していました。

しかし、初体験のフンザ料理はいい経験になりました。
こういうものを毎日食べていれば(それだけではないと思うが)、おのずと長生きができるということをここの人は証明しているのですから。

民族舞踊宴会はどんどん進み、踊りも、ホテルのオーナーからスタッフから名人まで一通り終わり、ついに私達の番になってしまいました。
始めはちょっと遠慮してましたが、やはり参加しないと盛り上がらないので、

こうなったらみんな巻き込んでしまえ

と、まわりにいる人たちを片っ端から誘い込み、気づけば踊る場所が狭いくらいの大人数で踊っていました。
地元の人に教わりながらだんだん動きも覚えてくると、これがなんとも楽しい♪
みんなで輪になって、息が上がるまでくるくる回っていました。

パキスタン旅行7日目 カリマバード~ハセガワメモリアルスクール~ドゥイカル

最後の桃源郷フンザの絶景

早朝6時。
部屋のカーテンを開けると、目の前に真っ白な雪山が飛び込んできました。

晴れてる!

やっと綺麗に見れた高峰たち。
またいつ雲に隠れてしまうかわからないので、そのまま上着を着てカメラをひっつかみ、急いで外へでました。

向かい側には、ディラン(7257m)、ラカポシ(7788m)、左奥にはうっすらとゴールデンピーク(7027m)、そして振り向くとレディスフィンガーとフンザピークがそれぞれ聳えています。

ピンとはりつめた空気の中に白く輝くその姿は、まさに奇跡の美しさ。

すでに起きていた人たちと静かに歓声をあげ写真を撮っていると、他の人もちらほらと起きてきました。
今までの天気が悪かったので、みんなうれしそうです。

レディスフィンガーゴールデンピーク(7027m)
ラカポシ(7788m)フンザ
フンザ
フンザ
フンザ

天空散歩

7時になり、朝食が始まったので一旦切り上げて食べに行きました。
そこで、出発まで少し時間があるので、メンバーのご夫婦と一緒に散歩に決定。このご夫婦は、以前にもここに来たことがあるので、山の絶景ポイントを知っているそうです。

まずはホテルの裏口から近道をして、昨日通ったバザールのほうへどんどん坂道を登っていきます。
すると、前方にウルタルⅠ(7329m)とⅡ(7388m)峰が現れました。
そしてその麓の谷には杏の花が咲き、段々畑や白い民家が朝日に輝いています。

フンザ

来て良かったー!

長く険しい道のりを越えて、やっとたどり着いた桃源郷。
本当にこのとき、今までの苦労が報われた思いがしました。
後で聞いたところ、ホテルにいた日本人シェフは、ここに2週間ほどいるですが、その間でこんなに晴れて山が見えたのは、今日が初めてということでした。

まだ時間が早いので、バザールのお店はほとんど閉まっています。
しかし昨日絨毯を買ったお店の前を通ると、ちょうどご主人が掃除をしていて、私のことを覚えていてくれたらしく声をかけてくれました。

そんな風に道すがら、色々な人と挨拶を交わしながらビューポイントで撮影。
戻る時間を考えて行けるところまで行き、Uターンして寄り道しながら引き返しました。
ほんの一時間ほどでしたが、本当に素晴らしい朝の散歩でした。

杏の花とディラン峰
フンザフンザフンザ
杏の花とディラン峰
杏の花とディラン峰
杏の花とディラン峰

ハセガワ・メモリアルスクール

9時ホテル出発。
今日はこれからカリマバードの観光です。まずは「ハセガワ・メモリアルスクール」へ向かいます。
朝の散歩で通ったバザールを再び抜けるとすぐに到着。
この学校は、ウルタルで雪崩に遭い亡くなった登山家「長谷川恒男」さんの意志を継ぎ、奥様たちが建てられた学校で、現在は580人ほどの生徒が通っているそうです。

ハセガワ・メモリアルスクールハセガワ・メモリアルスクール

門をくぐって校庭に入ると、そこではちょうど朝礼をしていて制服を着た学生達が集まっていました。

話をしていた校長先生が私達に気づき、こちらへどうぞと生徒達の前に私達を呼び寄せ、この学校やフンザと日本との関係の説明などをみんなに話しました。
続いて、歓迎のしるしと低学年の生徒たちが踊りを披露してくれました。

お返しに、メンバーの中の元大学教授が代表で挨拶をし、踊りのお礼にみんなで「ふるさと」を合唱。

すると今度は、またお返しに生徒たちが「長谷川さんの歌」というのを披露してくれました。
この歌はその名の通り、この学校を設立した長谷川さんのために作られた歌で、歌詞の中にも、

♪♪♪はせがわ~~♪

と名前が出てきます。

ハセガワ・メモリアルスクールハセガワ・メモリアルスクール
ハセガワ・メモリアルスクール
ハセガワ・メモリアルスクールお返しのダンス
ハセガワ・メモリアルスクール

生徒たちとの思いがけない心温まる交流を終えた後、構内を見学。
小さな子供たち用のかわいらしい教室から、骸骨のいる実験室、パソコンが並べられた情報処理教室、日本語の本も並べられた図書室など、その内容はとても充実しているように感じました。
ちなみに、授業はすべて英語で行われるそうです。

パソコン教室ハセガワ・メモリアルスクール
ハセガワ・メモリアルスクールハセガワ・メモリアルスクール
ハセガワ・メモリアルスクール
ハセガワ・メモリアルスクールハセガワ・メモリアルスクールハセガワ・メモリアルスクール

最後に校長室に立ち寄って、チャイとクッキーをいただきながら先生の話を聞きました。
校長室の外の壁には、長谷川さんの大きな写真が飾ってあります。
先生のお話によると、この学校はとてもレベルが高く、日本からの援助によって学費も安く抑えられているので、かなり入るのが難しいのだとか。
また、それらの支援にとても感謝されていました。

ハセガワ・メモリアルスクール長谷川さん

校舎を出るときに気持ちばかりのドネーションを寄付し、なんだか充実した気分で学校を後にしました。

桃源郷里山ハイキング

その後は、郵便局に寄ってお土産に国内用の切手を買い、つづいてその後ろの山を杏を見ながらハイキングです。

郵便局郵便局

杏の木のアーチをくぐりながらなだらかな斜面をゆっくりと登っていきます。
民家も点在しているので、いたるところで子供達と遭遇。学生の女の子たちは、私達の学校にも遊びに来て!と声をかけてくれて、学校で習ったという踊りを見せてくれました。

一面ピンクの花に囲まれながらの散歩は、なんだか昔話の中に紛れ込んでしまったような感じ。点在する民家では、牛の解体や家畜の飼育なども普通に見られ、子供達は元気に遊ぶ傍ら、小さな妹や弟の面倒をよく見て、家の手伝いもがんばってしていました。

フンザフンザフンザ
フンザフンザフンザ
フンザフンザフンザ
フンザフンザフンザ
フンザフンザフンザ
フンザフンザ
フンザフンザ
フンザフンザ
フンザフンザ
フンザフンザ
フンザフンザ
フンザフンザ
フンザフンザ
フンザフンザ
フンザ
フンザ
フンザ
フンザ
フンザ
フンザ
フンザ
フンザ
フンザ

約2時間半ほどのハイキングを終え、一旦ホテルに戻ります。

ドゥイカルまでの道

ホテルでランチを食べ、部屋でちょっと休憩。

フンザフンザ

15時に再び出発し、今日のホテルがあるドゥイカルへ向かいます。
ジープに分乗し、里山の山道を登っていくのですが、途中の写真スポットのところで、景色が良かったので歩いて登りたいと申告し、荷物だけ車に積んで後の行程は徒歩で行くことにしました。

眺めのいい山道をメンバー数人とSさんとでのんびり登っていきます。日差しは強いですが、標高が2300mほどあるので吹く風が心地いい。

フンザフンザ
フンザフンザフンザ
フンザ
フンザフンザ

しばらくいくと、先に行った私達のジープが停まっているのを発見。写真ストップかなと思っていると、どうやらドライバーさんの親戚の家を見学しているようです。
私達もさっそく合流し、家の中へお邪魔しました。
絨毯の敷き詰められた部屋にはたくさんの飾り付けがしてあって、とても派手。話によると、結婚式(だったと思う)がありその飾りだとか。
デコトラもそうですが、本当にパキスタンの人は飾るのが好きみたいです。

民家訪問民家訪問

ここで再び徒歩組みが数人増え、一緒に歩きます。
どんどん登って視界が開けると、幻想的なフンザの深い谷が広がっていました。山道の脇には、綺麗に整備されたジャガイモ畑も見えます。

時間が経つにつれ、日も傾き始め標高もあがってきたせいか、風が寒く感じます。
この冷たい風は氷河から吹き降ろしてくるそうで、山頂に近づくにつれ強くなってきました。
上着はみんな車に乗せたままなので、そろそろホテルについてほしいと思うのですが、なかなか姿があらわれません。

フンザ
ジャガイモ畑フンザ
フンザ
フンザ
フンザフンザフンザ
フンザフンザ
フンザ

傾斜が緩くなり、畑の間をしばらく行くとテントサイトがあり数張りのテントが見えました。

フンザテントサイト

その脇を通り角を曲がると、ついにホテルの姿が。
ホッとしながら最後の坂を登っていくと、ホテルの脇の丘から、先に着いたジープ組みが歩いて下りてきました。
なんでも、その丘の上に登るとフンザの谷と周りの山々が一望できるそうで、私達もホテルに行く前に、この勢いのまま登ってみることにしました。

結構急な斜面を10分ほど登ります。途中、イーグルなどの形をした岩がありSさんが説明してくれました。

頂上に着くと、確かに谷が一望でき、晴れていたら名だたる高峰も見えるそうです。
今回のツアーでは、ここから夕日に染まる風景を見ることになっているのですが、まだちょっと時間が早いので、ここは一時撤退。

ドゥイカルの丘ドゥイカルの丘
ドゥイカルの丘ドゥイカルの丘
ドゥイカルの丘
ドゥイカルの丘

ホテルに着くと、ウェルカムチャイでおもてなしされました。冷え切った体に熱くて甘いチャイが本当に美味しかったです。
ホッと一息ついたところで、別棟にある部屋へ行きました。
ここは標高2700mほどあるのでちょっと冷えますが、部屋には小さな電気ストーブがひとつあるのみ。
寝るときには湯たんぽが支給されるとのことですが、この寒さでぬるいシャワーを浴びるのは危険かもしれません。

ホテルの部屋

ドゥイカルの丘

夕日鑑賞の時間がきたので、ロビーに集合。
頂上まで行ってしばらく待ちましたが、依然として雲が広がっていてあまり綺麗な夕焼けは見れませんでした。
翌朝も日の出を見る予定なので、今回は諦めてホテルに戻ります。

ドゥイカルの丘
ドゥイカルの丘
ドゥイカルの丘

デザートも充実

お待ちかねの夕食はホテルのレストランでいただきます。
今日はよく歩いたので、おなかもペコペコ。こういうとき、ブッフェはありがたいです。
こんな山の中なのに、食事はもちろん、デザートまで充実していて驚きでした。ホテルも増築したとかで、きっとここもどんどん観光地化されていくのでしょう。

夕食夕食

おいしい食事とメンバーとの旅話で楽しいひと時でしたが、明日の朝は早いので、湯たんぽを抱えて早々に引き上げました。

次は、「魔の山」と恐れられる8126mのナンガパルバット峰へ

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