天山山脈が連なるキルギスとカザフスタンの自然と遺跡、シルクロードの歴史を巡るキルギス・カザフスタン旅行記。カザフスタンのアルマティからスタートし、キルギスへは陸路で国境越え。世界遺産のブラナの塔と石人や玄奘三蔵法師も訪れたというアク・ベシムなどの遺跡、草原で鷹を操る鷹匠、大自然の中のフラワーハイキング、標高3000mを越えるソン・クル湖畔にある遊牧民のユルタでの宿泊体験、天山の真珠(中央アジアの真珠)とも言われるイシク・クル湖のクルーズなど、天山の麓に広がる大自然と文明が交差するシルクロードの風景を堪能した。
主な訪問地:アルマティ~(国境越え)~ビシュケク~アラ・アルチャ自然公園~トクマク~チョン・ケミン渓谷~イシク・クル湖畔~カラ・コル~バルスコーン渓谷~ソン・クル湖畔~ビシュケク
旅行時期:2015年7月/利用航空会社:アシアナ航空/[外務省]キルギス基本情報・カザフスタン基本情報
キルギス・カザフスタン旅行 評価:4.5 -kaycom
2015年7月。今日から9日間の日程でキルギスとカザフスタンの旅行へ出発です。
今回のツアー参加者は15人。東京発以外に、福岡、大阪からの参加もあり、その人たちとはトランジットする韓国で合流します。
いつものようにアクセス特急で成田空港第一ターミナルへ向かい、空港内のレストランで朝食。
その後カード会社のラウンジで時間を潰し、前もって送っておいたスーツケースをピックアップして集合場所へ。
受付を済ませアシアナ航空にチェックイン。
韓国のインチョン(ソウル)で乗り継ぎカザフスタンのアルマティまで行くのでボーディングパスを二枚受け取ります。荷物は韓国でピックアップする必要はなくアルマティまで自動的に運んでくれます。
アシアナ航空はスターアライアンスなのでANAのマイレージカードなどが使用可能。
セキュリティチェックと出国審査を受け搭乗ゲートへ。
出国審査後、液体物を買うことができますが、韓国で乗り継ぎの時、再びX線検査を受けそこで没収されるので、その時までに消費するか買わないようにしましょう。
定刻通りに搭乗が始まり13時半出発。インチョンまでは2時間半のフライトです。
機内は綺麗で座席もゆったり。乗務員も親切で日本語を話せる人も多いです。
16時、仁川国際空港に到着。
飛行機を下り、出国ゲートではなく国際線の乗り継ぎの方へ向かいます。ここで出国してしまうと乗り継ぎができなくなるので注意。X線検査を受けアルマティ行きのゲートへ。
インチョン空港はとても大きくてトイレも綺麗で快適です。
ここで、今回のツアーメンバー全員と顔合わせ。
9日間よろしくお願いしまーす。
約2時間の待ち時間を経て、18時10分テイクオフ。アルマティまではおよそ7時間のフライトです。
パーソナルモニターつきなので、映画を観ながら時間潰し。今回は「Marvels Avengers: Age of Ultron」と「The Maze Runner」を観てみました。
2回の機内食があり、体が固まってきたころアルマティに到着。
時刻は21時すぎ。
ジャバラを抜け入国審査を受けますが、これがすごい人ごみ。
だいぶ並んでやっと自分の番になりブースへ行くと、これがあれこれと質問されけっこうやっかいでした。
日本人の場合、カザフスタンの入国には現在ビザは必要なく、出入国カードのみでOK(2015年7月現在)。
これにスタンプを押してもらったことを確認し、出国する際再び提出するのでなくさないようにしましょう。
ターンテーブルで荷物を受け取り晴れてカザフスタンに入国です。
ゲートから出て、今回のツアーのガイドをしてくれるキルギス人のエリさんと合流。来日経験もある日本語がとても上手な女性です。
あとについて空港から出ると、プラカードを持った人たちが大騒ぎをしていました。
一瞬デモかなにかと思いましたが、どうやら、同じ飛行機に乗っていたスポーツ選手たちのお出迎えのよう。テレビカメラも来ていたので、有名選手たちなのでしょう。
駐車場に行くと大きなバスが何台か停まっていて、そのうちの数台は日本人ツアーで利用するもの。
バスの車内は15人のお客さんで使うにはとても広く、一人3席くらい利用できそうなほどゆとりがありました。
一眼レフなど荷物が多いのでこれは助かります。
空港からホテルまでは20分ちょっとで到着。時刻は23時前。
今夜のホテルはパンフィロフ公園前にあるOTRAR(オトラル)で、少々古さを感じますがWi-Fiも利用でき部屋の設備も必要充分。
今日は移動で疲れたのでシャワーを浴びてすぐに就寝です。
朝、部屋の窓から外を見ると、木々の向こうに天山山脈の頭が少しだけ見えていました。
まさか、こんな間近に見えるとは思っていなかった。
朝食はホテルのレストランでしたが、遊牧民族のユルト(ユルタ)を模した部屋でなかなかの迫力。
メニューはハムやチーズ、目玉焼きなど普通によくあるもので、日本人にも問題なく食べられると思います。
食後、ツアーメンバーから上の階に行くと山がよく見えると聞いたので行ってみると、エレベーターホールに小さなテラスがあり、そこからギザギザと連なる山が見渡せました。目の前のパンフィロフ公園にあるゼンコフ正教教会の上部も森の上に少し見え、ここからの眺めはカザフの街中ではなかなかいいと思います。
8時、ホテル出発。
日差しは強いものの、朝は涼しくてとてもいい気持ち。
まずは添乗員さんから今日の行程の説明。
=====ガイド=====
今日はキルギスの国境を越えてビシュケクに入る。その後、博物館、バザールなどを見学しホテルに向かう。
国境を越えるときは、スーツケースも含め一旦すべての荷物を持っていく。
両替はビシュケクに入ってから。目安としは、ビールが2ドルくらい、ソフトドリンクが1ドルくらい。
お土産は、ほしいと思ったものがあったらその場で買うのがおすすめ。日本と違ってそこにしかない場合も多いため。
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続いてエリさんからカザフスタンのガイドと自己紹介。
=====ガイド=====
ビシュケクまでだいたい4時間、280kmある。
まずは少しカザフスタンについて。
カザフスタンは旧ソ連の国で1991年12月21日に独立した。その時からの大統領はナザルバエフ大統領。7月6日は彼の誕生日で、カザフスタン全国が休みになる。今年75才になった。
カザフスタンは、中国、キルギス、トルクメニスタン、タジキスタンと国境を接して、カスピ海とアラル海に面している。
天然資源が豊富で石油を輸出し国が潤っている。
人口は1860万人。
人口の割合について言うと、64%がカザフ人、20%がロシア人、その他ウクライナ人、ドンガン人、タタール人など。
1998年までの首都のアルマトイは、中央アジアではロシア系の人たちが集まっている。アルマトイの人口は150万人でその割合は、50%がカザフ人、30%がロシア人。
気候は大陸性の気候なので、平均は20度くらいだが、夏は暑く38~40度になることもある。今日は32度まで上がるそうだが、ちょうど2週間前はビシュケクもアルマトイも40度まで暑くなり大変だった。
冬はだいたいマイナス10度くらいだが、寒くなるとマイナス25度くらいになる。夏は暑いが乾燥しているので日本の暑さとはちょっと違う。
国土の50%以上は乾燥したステップなので、アルマトイのような町に人が集まっている。
1998年にカザフスタンの首都はアスタナにかわったが、アルマトイ出身の人は今でも本当の首都はアルマトイだと考えている人が多い。
アルマトイの意味は、林檎の里という意味。なぜかというと、ソビエト時代にはアルマトイは緑がとても多い街(1番のキエフに続き2番目)で廻りには林檎の木がたくさんなっていたから。今は少し建築物も増えてきてそんなにならないが、現在でもアルマトイ産のリンゴは中央アジアのバザールで誇りをもって売られている。
アルマトイには新車も増えてきているが、ほとんどが中古車。日産やホンダ、トヨタも走っている。アルマトイやビシュケクに中古車のバザールがある。
バスには番号が書いてありそれで行き先がわかる。料金はだいたい80テンゲ(40~50円)。バス停じゃなくても停まることがある。バスの中の席は多くて15席あるが、ぎゅうぎゅうになるまで乗ることが多い。
アルマトイでは普通の車でも、行き先と料金が折り合えばタクシーとして利用している。ビシュケクではそういうのはない。
カザフ人と日本人の顔はとてもよく似ている。キルギス人も似ているので、自分が日本にいたとき、よく日本人に間違われた。
私は2010年から11年まで大阪大学で日本語の勉強をしていた。
その前に高校を卒業して大学に入ってから日本語を勉強し始めた。その頃は日本語を勉強する学生も多く競争も激しかった。
例えば、日本語のコンクールとかあったら、まずは大学の中で選抜される。
3年生の時に初めて弁論大会に出て、まずは大学代表になり、国内で4位になった。その後、ウズベキスタンのタシケントで行われた中央アジア弁論大会に参加して、優勝はしなかったが、その時、タジキスタン、ウズベキスタン、カザフスタンから集まってきた現地の若者と公用語として日本語を話せるのはいいなと思った。
4年生になったとき、もう一度弁論大会に出てみようと思い挑戦したところ、国内で優勝した。そして、アルマトイで行われた中央アジア弁論大会では3位になった。また作文コンクールでは「子どものためにできることは何か」というテーマで作文を書いたら2位になった。
電子辞書や辞典などはこのようなコンクールでもらった。
さらに、4年生の夏に東京で行われた若者サミット「若者が平和のためにできること」というのに作文を出したら、200人の中で選ばれて1ヶ月で東京に行くことができた。その時は、福岡や大阪にも行くことができ、ホストファミリーもできた。
戻ってきてから、文部省のプログラムで合格すれば一年間留学できるというのにも挑戦したら合格することができ、大阪大学に行った。
大阪大学から戻ってきて、あと一年勉強しなければならなかったが、同時に日本語の先生もやっていた。卒業してからも大学の1、2年生の学生と日本人センターの社会人コースで日本語を2年間教えていた。
そしてちょうど一年前に旅行会社に入ってガイドとして仕事をしている。今こうして日本人の人と話せるのはとてもラッキーで、それは中央アジアではそうしたチャンスはなかなかないから。
今でもたまに教えていた生徒に会うが、先生は厳しかったと言われる。
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日本語の勉強を始めたころは難しくてやめようと思ったこともあるそうですが、今ではがんばって勉強してよかったと言っていました。
そういえば、ウズベキスタンに行ったとき現地ガイドをしてくれたドニヨルくんも学生時代に日本語の論文大会に出場したと言っていたな。
そんなエリさんが話す日本語はとても綺麗でわかりやすく、ガイドの内容も多岐に渡るので、あまり知られていないキルギスとカザフスタンについての詳しい旅行記ができそうです。
しばらく街中を走りやがて郊外に出ると、車窓には、建物に遮られることのない万年雪をかぶった天山山脈が現れ始めました。旅行の最初からテンションがあがる光景です。
エリさんによれば、カザフスタンでは、天山山脈のことをイリスキーアラタウと呼び、「中国に流れているイル川の向こうの天山山脈」という意味だそう。天山の一番北にある支脈にあたり、アラタウとは一番高い山を表しています。
今回の旅行、久々に興奮して脳みそが痺れそうな予感。
途中でガソリンスタンドに寄り給油。
カザフの方がガソリンが安いので国境を越える前に満タンにするそうで、この大型バスには520Lも入るのだとか。
満タンになるまで結構時間がかかるので、カザフやキルギスのイスラム教などについて話がありました。
=====ガイド=====
カザフスタンの平均年齢は29.7才、キルギス25.7才、日本は46.1才。平均寿命は、カザフは70.24才(男:64.98/女:75.17)、キルギスは70.06才、日本は84.46才で、どこも女性の方が長生き。
キルギスはキルギス人が70.9%、ウズベク人が14.3%、ロシア人7.7%、ドンガン人(漢族のムスリム)など。
宗教はこのあたりはイスラム教がメインなので、イスラム教徒が70%以上、キリスト26%、無神論2.8%。キルギスはイスラムが75%、ロシア正教20%。
イスラム教徒と言っても、サウジアラビアなどに比べるとかなりゆるい。
カザフとキルギスのイスラム教は他の国とずいぶん違う。ここのイスラム教はシャマニズムでハイカ教とまざっている。イスラム教よりもシャマニズムの規則が大事にされている。例えば、今はラマダンだがカザフもキルギスも暑い夏はほとんどの人がしていない。アラーは信じているが、イスラム教の規則がすべて正しいと思っている人が少ない。なので、お酒も祭や誕生日やお正月に普通に飲んでいる。
田舎の方ではきちんとやっているところもある。陽が昇ってから沈むまで何も飲まず食わずで過ごす。今は日の出は夜中の3時で、日没が8時45分なのでその間は何も口にしない。
断食をしている人の話によると、最初の3日間は辛いが、その後は体が慣れて普通になってくるという。
それほど厳しくないのは、シャマニズムと結びついているということもあるが、それと同時にロシアの支配下だった影響もあるのではないか。
厳格なラマダンを実行すると、唾も呑み込めないと言われている。
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イスラム圏の国にはいろいろ行きましたが、やっぱり国やエリアによって温度差がありますね。
給油も終わり再び出発。
町はどんどん遠くなり草原が広がってきました。
馬や羊の姿も見られ、ところどころに墓地も見えます。
エリさんは、遠くにでも墓地が見えると決まった所作をしてお祈りするそうです。しかし隣にロシア人とか乗っていたら変な風に見られるかもしれないので、そういう場合は遠慮すると言っていました。文化が違うといろいろと気を使うことが多いのかもしれません。
ここでエリさんに、ソビエト時代はどうだったかという質問がありました。
=====ガイド=====
私は1988年生まれなのでソビエト時代がどうだったかよくわからないが、イメージや見聞きした情報によると、やはりその時代は厳しかったそう。
例えば、宗教的なことを禁止されていたりルールを守らないと罰せられたりした。でも両親の話によると、そのときの方が生活が楽だったという。大学に行くのは無料だし、キルギスの人はモスクワやキエフなどでも教育を受けることができた。そして大学を出てからも、どこに入ってどんな仕事をするか60才までだいたい決まっていた。
でも今はモスクワなどで教育を受けるのはお金もかかるし難しい。仕事も自分の力で探さなければならないし、大学を出てもいい仕事につけるとは限らない。そのため、卒業後外国に行ってしまう人も多い。大学にいる間も学生は将来を不安に思っているが、ソビエト時代はそんなことは誰も思っていなかった。
しかし現在は、カザフとウズベクはちょっと厳しいが、キルギスでは自分の意見とかも自由に発言できる。例えば、大統領や政治家の悪口をテレビで言っても問題ない。
なので、いい点もあれば悪い点もある。
ソビエト時代の中央アジアはひとつの国のようだったので、別にどこの国の人かとか気にしなかった。しかし独立してから、特にアルマトイでは、カザフ語ではなくロシア語やキルギス語で話すと変な目で見られる。ロシア語は公用語だからまだいいが、それでもカザフ語(国語)で話す傾向が強い。
最近ではカザフやキルギスの政治家からも、それぞれの国語で話そうという動きがでているが、それは正直厳しいと思う。なぜかというと、教育を受けるとき、本などがみんなロシア語で書かれているので小学校からロシア語で勉強しているから。それをキルギス語に訳すとなると経済的な負担になり、まだまだ弱い国なのでそこまでの余裕はない。
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1時間ほど走って、途中のドライブインでトイレ休憩。
ここは有料ですが、その割にあまり綺麗じゃない。ただし、トイレットペーパーは受付でもらえます。
再び荒涼とした道を走っていくと、警察にバスを止められました。
あとで理由を聞くとこういうことです。
=====ガイド=====
この道路は、このような大きなバスは制限速度が50km。さっきの警察は62kmで走っていたから罰金を払えと言ってきた。しかし、このバスはちゃんと登録しているのでその証書を見せたら納得して払わなくてすんだ。普通の車は制限速度は60km。
罰金を払うときは、その場で払うか、カードをもらってあとで銀行で払う。
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この旅行中ではこの後も止められることがあり、その度に時間をとられました。
その多くはお金目的だったり、理由がはっきりしないことが多いそうです。
国境に着くまでの間に、こちらの言葉についてのお話。
今回の添乗員さんはガイドさん並にいろいろな説明をしてくれたので、いつもの旅行記とは違い、ガイドの内容を必要に応じて分けて記載していこうと思います。
=====ガイド=====
#添乗員
カザフ語とキルギス語はどのくらい違うのかというと、東京弁と関西弁ほど違わない。キルギス人のエリさんはカザフ語はだいたいわかるそう。
#ガイド
キルギス語講座。
こんにちは:サラマトスズブ
ありがとう:ラフマット
はい:オーバ
いいえ:ジョク
キルギス語と日本語の文法は一緒。
#添乗員
キルギス語もカザフ語もトルコ系の言葉なのでだいたい語順はこのような感じ。スタン系の中ではタジキスタンだけが言葉と民族が違いイラン系なので語順はヨーロッパと同じ。
#ガイド
キルギス語を聞いて発音とか難しいと思ったかもしれないが、日本人はキルギス語を勉強してから3か月でキルギス人のように話せるようになる人が多い。
例えば、ジャイカで来た人たちは、キルギス語のコースにいったりしているが、そこでキルギス人よりうまく話していた。実は、ビシュケクに住んでいるキルギス人たちは、ロシア語などが混ざってしまいそんなに綺麗なキルギス語は話せない。逆にキルギス語を勉強した日本人は、純粋なキルギス語だけを最初から習うので癖もなく綺麗に話している。
キルギスでは、ロシア語とキルギス語のふたつを話すのでいいなと思う人もいるかもしれないが、実はそうでもない。最近の若者では、日本のようにひとつの言語をちゃんと話せた方がいいと考える人が多い。なぜかというと、例えば私の場合は、家ではキルギス語、学校ではロシア語だが、宿題でロシア語とキルギス語を比較するという課題が出ると、キルギス語の作品の言葉がよくわからず、なぜ母国語なのにできないのかと思ってしまう。ロシア語ができるのはいいことだが、やはり母国語のレベルが低いので寂しい。
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私などは単純にたくさんの言葉を話せていいなと思いますが、こういう感情もあるのだなと初めて知りました。
多国語を話す国の人ならではの考えですね。
1時間半ほど行くと国境の街コルダイに近づいてきました。
時刻は12時すぎ。いよいよカザフとキルギスの国境越えです。国境付近は撮影禁止。
バスを降りて各自スーツケースを持ち、出国審査へ向かいます。道路がデコボコなのでスーツケースを転がすのが大変。
週末のため人が多いらしく、建物に入ると狭い部屋はすでに人であふれていました。
各ブースの列もどこか曖昧で、それでも見当をつけて並んでいたのですが、後から来た人たちがどんどん横入りしてきます。
審査もなかなか進まず、しまいには地元の人が怒り出し、私たちも含めあたりはイライラムード。
なんだか、外国にきたな~と妙に実感。
やっぱりロシア圏などのこういう手続き関係は煩雑な場合が多いので、時間に余裕をもって行動しましょう。
カザフスタンの出国審査では、パスポートと昨日の入国審査でスタンプを押してもらった出入国カードを提出。ここでは日本語で「ありがとう」と言われただけで特に質問もありませんでした。
無事全員出国し、次はキルギスの入国審査へ。スーツケースをひっぱり国境となっているチュー川を渡ります。建物に入ると、さっきの人たちはどこに行ったんだと思うほどガラガラですぐに審査完了。ようやくキルギスへ入国できました。
バスに乗ってすぐ両替屋さんがあったので、そこで30ドルをソムに両替。
日本円は使えないので、あらかじめ米ドルに両替して持ってきましょう。
ちなみに、成田空港にある銀行は同じ空港内でもレートが違うので比較してから両替したほうがいいです。
私が替えたときのレートは、三井住友銀行が123.49、三菱東京UFJ銀行が124.45で、一円近くも違いました。
=====ガイド=====
両替レートが今、1ドル60.2ソムだったが、去年のデータだと52ソムだったので、ちょっとレートが良くなっているが、円がドルに対して去年より悪くなっているので、実質的にはそんなに変わらないと思う。
500ソム札に印刷されているカラバイフさんはマナスという叙事詩の有名な語り部だった。裏にはマナスのお墓(廟)が描かれている。
硬貨の方には、comと書いてあるがこちらではcはsになるのでソムと読む。反対側にはキルギスの国章が描いてある。湖と鷹と山と太陽の絵。
日本の国章はというと実ははっきりしたものがない。パスポートの菊の紋は日本的なイメージで使われているだけで国章ではない。代理的に使われるのが内閣の桐の紋だが、あまりイメージがわかないので、菊の紋が表紙に使われている。
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また、硬貨には「3」という、あまりない単位のお金がありこれもちょっと珍しいということです。
ここからランチのお店までは20分くらいだったのですが、途中、道路工事に道を阻まれ大きく迂回。
日本だったら道の入口に工事中の看板が立っているものですが、ここではそういうものはありません。
もうすぐ14時になろうかというころ、ようやくDiyar(ディアル)というレストランに到着。
ウイグル系の名前らしく建物もそんな感じですが、料理はウイグルじゃないそうです。
内装はとてもおしゃれで、天井からはけっこうな勢いのミストシャワーが噴射。
メニューは、スープ、サラダ2種、ダパンジ(うどんのようなもの)、パン、紅茶。
サラダといっても、そのうちのひとつはスパイシーな肉料理。ダパンジはじゃがいもと肉の煮込みを麺にかけていただくようですが、すでに麺に味がついているので別々でもいいかも。このときは麺の他にごはんも出てきました。
どれもボリュームがあり味もよく、なによりパンが美味しいのに感動。
ビールと一緒におなかいっぱいいただきました。
ランチの後は、ビシュケクの市内観光です。
まずは、貴重な社会主義時代のものとキルギスの伝統的な文化に関する展示がされている国立歴史博物館へ。
館内で写真を撮る場合は200ソム(日本円で400円くらい)払う必要があります。
=====ガイド=====
博物館の1~2階は主に社会主義のものが展示されている。社会主義のものはもっともここに集まっていて、世界の中でもここでしか見られないものもあるかもしれない。3階は歴史や伝統的なものでユルタも展示されている。
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建物に入って目の前の階段を上ると社会主義時代の階です。ここには革命時などの大きな像やレリーフがいくつもありけっこう迫力。
また、「レーニンが正しい道に導いてくれるのでみんなで大切にしよう」ということで、いろいろな言葉で「レーニン」と書いてある展示があったのですが、その一番最後には日本語の少々変なカタカナで書いてありました。
続いて上の階へ。
昔の生活道具や伝統的な織物、アクセサリーなどデザインがステキで見ていて楽しい。馬関係の展示が多いのもこの地域を表していると思います。キルギスの英雄マナス関連の展示もありました。
そして、明日行く世界遺産のブラナの塔とアク・ベシムの模型や想像図もあるので、行く前に見ておくとより現地で楽しめるでしょう。
博物館の見学後は目の前のアラ・トー広場へ。遠くには天山山脈も見えます。
広場の中ほどにはマナスの像が建てられているのですが、かつてはレーニン像だったそう。
その向こうに衛兵がいて、一時間ごとに衛兵交代式が行われるそうです。
衛兵がいる場所に高いポールが立っていてその先端にはキルギスの国旗がはためいていました。国旗の模様はユルタの天井部を表しています。
その後、博物館の方まで戻り裏にある大きなレーニン像を見学。この像がもともとアラ・トー広場にあったもの。
今ではこのような裏手に回されてしまって、時代の移り変わりを感じます。
一旦バスに戻って、ビシュケク市内の市場オシュバザールに向かいます。
バザールはどこの国でも楽しみな場所のひとつですが、キルギスのはどんな感じなのだろう。
バザールに近づくと人も車も増えてそれっぽい雰囲気になってきました。
その人ごみの中でバスを降り、エリさんについて迷路のようなバザール内を見学。
バザールは道を挟んで分かれているのですが、まずは日用雑貨中心の方へ行ってみます。
日常生活に必要なものはすべて揃っているような品揃えで、同じようなものを売っているお店がいくつもあるのですが、やはり値段が違うらしくおすすめのお店というがあるらしい。
通り道が細いのでみんなでまとまって歩くのはけっこう大変ですが、ホントに入り組んでいるので初心者が一人で歩くと迷子になるかも。時間があればそれも面白いんですけどね。
日用品の方は外側を軽くみただけで、次は道の反対側へ。こちらは主に食料品を扱うエリアです。
やっぱり市場では食べ物関係が面白く、雰囲気もまさにバザールという感じ。
この時期は野菜も果物も豊富で、そのカラフルな色彩がとても綺麗。いい色に焼けた丸いパンも美味しそうです。
それ以外にもB級グルメが食べられる屋台や、異国っぽさを醸し出すスパイス屋さん、美しくデコレーションされた花束が並ぶ花屋さんなど、見ていて飽きません。
店番をする人たちも声を掛けてくれたりして、風景や雰囲気だけでなく、地元の人たちとの交流も楽しめました。
暑い中での観光でちょっと疲れ気味でしたが、この日最後にたくさんいい写真が撮れました。
バザールを後にし、今日宿泊するAk Keme(アク・ケメ)ホテルへ。
割り当てられた部屋はとても明るく機能的で、今回のツアー中に泊まった街中のホテルの中では一番気に入りました。
もちろんWi-Fi完備で、中庭には大きなプールもあります。
部屋やエレベーターホールなどからは、天山山脈やビシュケクの町並みが綺麗に見渡せました。
ちょっと休憩してから、市内にあるレストランへ夕食に出発します。
今夜のレストランはBoctok(Vostok)。
半分外の席で、すぐ脇には天山から流れてきたかなりの勢いの川が流れています。
ここで、エリさんと同じ会社の人が来て、ワインやコニャックの差し入れと、一人一人にキルギスの伝統的な衣装を着た人をかたどったボールペンをプレゼントしてくれました。ありがとうございます!
まずはビールを注文。
キルギスではビールにストローがささってくることが多いと聞いていたので、ここでストローつきのが出されたときはみんなで歓声。
さっそく乾杯し料理をいただきます。
今回のメニューは、サラダ2種、ジャイロミックス(ジャイロとは牧畜する場所の意味)、パン、ボールソク(キルギス風の揚げパン)、デザート。
ジャイロは、グリルされた肉や野菜がユルタを模した生地の蓋の中に入っていて、どれも香ばしくてとても美味しい。 デザートもおしゃれで目でも楽しめました。
レストランを出たのは21時半ごろでしたが、まだ外はうっすらと明るく、この時期のキルギスの日照時間はとても長いようです。