主な訪問地:新湯富士山頂~大沼園地~ヨシ沼~新湯温泉神社~貉の湯~元湯
塩原自然研究路のトレッキングの後、ルートの開始地点にある新湯温泉神社にお参り。昔ながらの妖怪がいそうな神秘的な雰囲気の神社だった。その後、新湯で有名な立ち寄り湯「狢の湯(金泉湯)」に入浴。小さいながらも、かつて二宮金次郎が病気療養をしたという温泉は、いかにも効果がありそうなパンチのあるお湯だった。
富士山頂から大沼園地まではひたすら下りが続きます。
大きな岩がゴロゴロとむき出しの道がしばらく続き、苔で覆われているのでけっこう滑る。
途中、野生のリスなんかも見ながら急な坂を下りました。
急坂が終わると、ヨシ沼と大沼方面への分岐の案内板があり、ここから大沼までは10分ほど。
山道を少し行くと、舗装道路に出てすぐにつきました。入り口には、駐車場とトイレがあります。
中へ入ると、綺麗に整備された公園があり、目の前に大沼が見えました。
大沼の周りには木道が設置されているのですが、今は一部水没しているとのことで通行禁止。
自然研究路は別の道もあるので、問題なく先へ進めます。
ほとりの公園に木のテーブルとベンチがあったのですが、それが一面苔むしていていい感じ。
良く見ると、苔の上に小さなきのこや何かの植物が生えていました。なんだかまるで箱庭のような光景です。
さっそく写真を撮りましたが、持っていたレンズが望遠だけだったのであまり思うようにいきませんでした。
私たちは、ここが折り返し地点なので、また来た道を戻り、さきほどの分岐をヨシ沼方面へ向かいます。
富士登山口のコースとの分岐にあった案内版には以下のように書かれていました。
ヨシ沼コースはなだらかだということで、ほとんど起伏がありません。
気持ちの良い森林浴をしながら歩いているとほどなくヨシ沼に到着。
その名の通りびっしりとヨシが生い茂っていて、同じ沼と言っても、この間行った磐梯山の麓のカラフルな五色沼とはまったく別物。
沼の周りを遊歩道が一周していて、のんびり歩いても15分ほどで周ることができます。
そこから新湯の富士山コースの分岐を通り、新湯温泉神社まで20分ほどで到着。
案内板に書かれている所要時間は、写真を撮りながら歩いている私たちでも余裕があるくらい、けっこう長めに見積もられています。
行きに素通りした新湯温泉神社にお参り。
木々に囲まれた小さなスペースに、本殿と栃木県指定有形文化財の石幢などが建っています。
とても静かで神秘的な雰囲気。
新湯温泉神社
新湯温泉神社は安元元年(1175)元湯に温泉神社として創立された。
万治二年(1659)村は大震災の山津波により崩壊状態になり、復興を重ねたが二度目の日光大地震にあい廃村となってしまった。
神社は正徳三年(1713)御神体と共に元湯からこの新湯に移され、石幢、石段、鳥居等も人力により運搬され、この境内に移築されました。
天明二年(1782)この新湯温泉神社は温泉の守り神として地域の発展と深い信仰の願いにより再建されました。
本殿は流れ造りでケヤキ材により造られています。(案内板より)
温泉神社石幢一基
刻銘文によると、永正十五年(1518年)四月吉日、願主昌泉が悪疫流行を治めるために旧湯本村(現在の元湯温泉)温泉神社に奉納したものである。
その後、湯本村は万治二年(1659年)二月末日の大地震により、八十五軒の村落が瞬時にして崩潰し、村人たちは天和年中に新湯村、高原村、上塩原村、下塩原村等に四散して再起の道を選ぶ。この石幢も、そのとき温泉神社と共に、この地に遷されたものである。
指定理由:この石燈形の石幢は、鎌倉期から室町期かけて盛んであった地蔵信仰の供養塔で、関東地方では稀にみるものであり、また、湯本村の隆盛を物語る貴重な資料でもある。(案内板より)
最近の御嶽山噴火もそうですが、日本は昔から多くの自然災害に見舞われてきたのですね。
この古びた石段も鳥居も、そんな災難をくぐりぬけて今ここに静かに佇んでいると思うと、なんだかそれだけで感慨深いものがあります。
参拝後、長い石段を下って麓の温泉街に向かいました。
新湯温泉神社を後にし、町を散策しながら共同浴場の「狢の湯(金泉湯)」に向かいます。
途中、ここの源泉を祀った「源泉七福神」というのを発見。
そのすぐ奥には、「新湯爆裂噴火跡」があり、山の中腹には石碑が建っていました。
狢(むじな)の湯は、宿泊している元泉館の仲居さんが、「新湯に行くなら狢の湯に入ってみるといいですよ」と勧めてくれた温泉。
浴場は、細い階段を下ったところにありました。一人300円を箱に入れて入ります。
狢の湯(金泉の湯)の由来
安永二年(1855)五月十五日、今市地方に農業の開発指導に来ていた二宮金次郎が、庄屋の亀屋平兵衛宅に五月十六日から六月三日まで中十二日間滞在して、この狢の湯(金泉湯)に入り病気療養をして今市に帰り仕事に復帰されました。
新湯温泉の始まりは、白河天皇が堀川天皇に皇位を譲り法皇時代の康和二年(1100)の頃と思われます。昔この辺一帯は居村と云われ、八郎ヶ原に居館を持っていた塩原八郎家忠も狢の湯に入り、元湯温泉を拠点として付近一帯を支配していました。
その後、中世・近世と宇都宮城主に守護され、【元湯千軒】といわれた元湯温泉が、突然、万治二年(1659)の会津田島大震災で裏山が地滑りを起こし源泉の湯口が塞がり、湯治場が一瞬の内に機能を失ってしまいました。その後、居残りの人々で再興を果たしたが、二十四年後の天和三年(1683)九月朔日の日光大地震が発生、元湯温泉湯治場は、壊滅状態になり復興を断念する事になりました。
最後まで復興に努力をした住民の忠左衛門・平左衛門・平右衛門・源左衛門・伊左衛門・市左衛門・新左衛門・勘左衛門・長左衛門たち九軒は、しかたなく再復興をあきらめ、元湯温泉湯治場の面影を少しでも残したい決意をもって、新湯温泉に移住を決めました。
その後、宇都宮藩主の庇護により充実した湯治場として保護され、宇都宮城下の大曽から福渡温泉までの大曽條(湯の道)を造り往来し、幾度となく殿様をはじめ、家臣や藩内の庄屋などが、巻狩りに訪れ、この狢の湯に入り体を癒しました。(案内板より)
中は男女別で、小さいながらもちゃんとした脱衣所も完備。
湯船は3~4人用くらいの大きさで、お湯は白濁、そしてものすごく熱い。教えてくれた仲居さんも「熱いけど」と言っていましたが、本当に熱い。下町のおじいちゃん向けの温度です。
とてもそのままでは入れなかったので、湯船の脇に取り付けてあるホースで冷たい水を給水。
源泉を薄めるなんて邪道だと言われそうですが、入れないものは入れない。
入れ違いで出て行った女子も「水、入れまくりました」と言っていました。
思えば、すぐそこで煙が立つ源泉が沸いていて、そこからここまでの短い距離では冷めるヒマもないのでしょう。
新鮮出来立ての温泉は、まったくパンチのあるお湯でした。
この周辺では有名なお湯らしいので、近くに行った際はぜひ立ち寄ってみてください。
温泉に入った後は、また1時間ほど歩いて元湯に戻りました。
元泉館についたのは15時45分。
朝から7時間ちょっとの散歩でした。
実は今回、この旅行の直前に買ったザンバランの登山靴を履いてきたのですが、購入してから初めての山行にもかかわらず、靴擦れひとつせず快適に歩くことができました。
また、同じく買ったばかりのコロンビアのザックもちょうどよい大きさで、使い勝手が良かったです。(残念ながらモンブランのレインウェアは出番がなかった)
少し休んでから、露天風呂でさっぱりし、2日目の夕食です。
今日の献立は、牛肉のしゃぶしゃぶなどボリューム満点。お肉が柔らかくてとても美味しかったです。
リゾートホテルの豪勢な食事もいいですが、こういう昔ながらの温泉宿の料理も大好き。
食後は、また少し休んで、お気に入りの岩風呂へ。
本当に心地の良いいい香りでいつまでも入っていたい。これ、家でも入りたいな~
今日はよく歩いたので、夜はぐっすり熟睡できました。
今日はちょっと遅めに起きて朝食の前に朝風呂へ。
檜風呂に行ったのですが、朝日が差し込む中貸切でのんびりできました。
朝食はまた温泉粥で、他の料理もこれぞ朝ごはんという感じ。
質素ながらも昨日の朝とは違うメニューで十分楽しませてくれました。
今日は14時20分に東京からバスが来るので、それまでは自由時間。
元泉館のお風呂は3つあるので掃除の時間などうまくローテーションが組まれており、露天風呂がある高尾の湯には朝7時から21時半まで入ることができます。そのため、バスを待っている間も入浴して時間を潰すことが可能。
宿のまわりに何もない場所では、これはありがたいと思います。
部屋は10時にチェックアウトし、食事処のお座敷に荷物を移動させそこで出発まで休憩。
元湯には元泉館の他に、ゑびすやと大出館という温泉宿がありそれぞれ立ち寄り湯ができるので、そこで時間をつぶすのもいいと思います。
塩原元湯温泉 ゑびすや
元湯温泉は平安初期 承和元年(834年)僧空海によって発見されたと伝えられ、戸数84旅館48戸にのぼり、江戸初期には「元湯千軒」と言われる賑わいを呈していました。
しかし、(1659年)の大地震により、1村6泉皆埋没し、北端に位置していた「梶原の湯」のみが難を逃れ、現在にいったております。現在、当館内に有る「梶原の湯」は、文治2年(1186年)梶原景時、影季が平家に見方した(那須の余一の兄達)を打たんとして、傷を負い、負傷治療の為入浴したと伝えられております。(HPより)
大出館
当館の温泉は自家源泉で「天然の源泉100%」で提供しております。
その為、温泉の成分が非常に強く温泉の性質上、風呂場の壁は勿論、建物の傷み、また殆どの金属はすぐに腐食してしまいます。
電化製品におきましても、テレビは年間約50台、エアコン、暖房、冷蔵庫なども各20台近く壊れてしまいます。通常に使用しても電化製品の寿命が当館では、長くて1年なのが現状です。
秘湯と源泉100%にこだわり抜くことに際し、出来る限りの努力を心掛けて参りますが、「建物の傷みや、設備など」に関しまして、何卒お客様のご理解とご協力を宜しくお願い致します。(HPより)
私たちは、今回は偵察だけにし、元泉館の上にある大出館まで散歩しに行くことにしました。(ゑびすやはすぐ隣)
大出館は位置的にはすぐ上に見えているので、もしかしたら近道があるのかもしれませんが、私たちは九十九折の舗装された道を行きました。
天気もよく、道に覆いかぶさる木々からの木漏れ日が気持ちいい。
ずーっと道なりに坂を上っていくと、眼下に大出館の屋根が見えました。想像していたより大きな建物です。
この旅館では、黒い温泉に入れるとのこと。今回は断念しましたが、また今度入ってみたい。
そこから折り返して元泉館へ戻り、目の前の赤川の河川まで下りてみました。
そして、下まで下りて、ふと階段の脇を見ると、なんとそこに蛇が!
思わず悲鳴を上げて飛びのきましたが、蛇はじっとして襲ってくる気配はありません。
なので恐る恐る近づいてよく見てみると、どうやら脱皮の最中らしい。
今回の滞在中には蛇を何匹も見たので、もしかしたら他にもいるかもしれないと周りを注意深くチェックしてみると、あちらこちらに蛇の抜け殻がありました。中には1mほどもある大きなものもあり、こんなたくさんの抜け殻の主達がこの辺りにいるのかと思うと背筋がぞっとします。
そそくさと旅館に戻り、カウンターにいた番頭さんに蛇が多いことを言うと、最近は温かくて冬眠前の脱皮をするためにみんな出てきているのだとか。自然が多いということはこういうことなんだな~と改めて実感しました。
お昼ごはんの時間になったので休憩所へ行くと、カレーが出されました。昨日のお昼はトレッキングに出かけていたのでキャンセルしたのですが、うどんだったそうです。(今回のツアーでは2回のお昼ごはん込み)
昼食後、最後の温泉に入りに行きました。
今の時間に入れるのは大浴場だけですが、それでもありがたい。時間もたっぷりあったので、のんびりすることができました。
14時、出発。
行きに寄ったホテルにまた立ち寄り、お客さんをピックアップしながら東京へ向かいます。
車窓から見える黄金色の田んぼが美しい。
途中、羽生のパーキングエリアで休憩したのですが、エリア全体が「鬼平江戸処」という江戸村みたいな感じになっていて、ちょっとしたテーマパークのようでした。
そのせいか、お客さんもかなり多く、他のPAに比べても繁盛している感じです。
その後ちょっと渋滞などもあり、新宿に着いたのは19時半ごろ。
今回は、元泉館の温泉と居心地がとても良く、かなり満足できる旅でした。
おすすめの温泉宿です。
→塩原元湯温泉 秘湯の宿 元泉館へ
帰宅してから数日、体や服から硫黄の香りが漂っていました。
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