スリランカ航空の直行便で訪れたスリランカの旅行記。シーギリヤ・ロック(シギリヤ・ロック)を始めとする数々の世界遺産や古代遺跡が点在し、ジャングルには野生動物も多く生息している。ピンナワラの象の孤児院近くの川では、気持ちよさそうに水浴びする象たちの姿を見学したり、高原の町キャンディでは南十字星も観測。本場のセイロン茶やスパイスの効いた料理などグルメも堪能した。
主な訪問地:コロンボ~ネゴンボ~アヌラーダプラ~シーギリヤ~ポロンナルワ~ダンブッラ~キャンディ~ヌワラ・エリヤ~ゴール
旅行時期:2015年1月/利用航空会社:スリランカ航空/[外務省]スリランカ基本情報
スリランカ旅行 評価:4.0 -kaycom
2015年1月。8日間の日程でスリランカ旅行へ出発です。
今回のツアーの参加人数は18人。
特急料金がかからないアクセス特急で成田空港第2ターミナルへ。
集合時間までまだだいぶ時間があったので、カード会社のラウンジで休憩することにしました。
私が利用したのは、成田空港第2ターミナルにある「IASS Executive Lounge 2」。
このラウンジを利用するには、所有しているクレジットカードと当日乗る飛行機の搭乗券か航空券が必要と書いてあるのですが、今回の場合、まだ集合前だったのでどちらも受け取っておらず、その代りに、旅行会社から送られてきた日程表(出発の日付と搭乗する便が書いてある)を見せて入ることができました。
何か当日の飛行機に乗ることがわかるものがあれば大丈夫のようです。
そこでコーヒーを飲みながら1時間程ゆっくりし、旅行会社の受付があるカウンターへ向かいます。
今回の添乗員さん(後で知ったが常連さんからの指名が入るほど人気の方)と顔合わせし、スリランカ航空のチェックインカウンターで搭乗手続き。JALのマイレージカードが使えます。
14時、定刻より30分遅れで離陸。
スリランカ航空の機内は綺麗で各席にタッチパネルのモニターが完備されています。私の乗った機体の座席の並びは2・4・2だったので、そんなに窮屈な感じはしませんでした。
成田からスリランカのコロンボまでは、この直行便で約10時間。長時間飛行機に乗っているのは好きじゃありませんが、乗り換えがないので気持ち的にラクです。
長いフライトは映画鑑賞で時間つぶし。
今回は昼間の移動だったので眠ることなく何本も観られましたが、その中でも、トム・クルーズ主演の「オブリビオン」と「超高速!参勤交代」、「タンタンの冒険 ユニコーン号の秘密」が面白かった。
到着までの間、2回の機内食が出ましたが、内容はスリランカっぽくカレー料理もあり、けっこう辛くて美味しかったです。
コロンボに着いたのは、現地時間で21時。
スリランカ航空は今回初めて利用しましたが、乗務員のサービスも悪くなくなかなか良いフライトでした。
スリランカへの入国は、パスポート、機内で渡される入国カード、ビザが必要ですが、私の場合ビザは日本でインターネット経由で取得(ETA)しました。
一応、送られてきたメール(承認番号が記載されたもの)を印刷して持っていったのですが、実際は何もチェックされることはありませんでした。
カンボジアのようにe-VISA専用のカウンターもないので、普通の入国審査と同じ感じです。
審査後パスポートを見ると、入国スタンプの隣に承認番号が記載されたシールが貼られていたので、それがVISA受領の何かかもしれません。
その後ターンテーブルで荷物を受け取ってから税関ですが、ここはノーチェックでした。
無事入国し、空港の両替所でルピー(Rs)に両替します。いくつかお店がありますが、どこもレートは同じ。
スリランカのルピーは再両替が難しいため、様子を見ながら少しずつ替えていくのがいいそうです。
ちなみに、今回は5000円ほど両替しましが、食事つきのツアーだと他に飲み物やチップ、お土産くらいしか使わないので一人だとちょっと多いかもしれません。
観光客が多く行くような場所では、USドルや円、クレジットカードが使えるお店もけっこうあるので、最終日にルピーを余らせている人がけっこういました。
ルピーが足りなくなったらホテルのフロントなどで両替してくれます。
両替も終わり、現地ガイドのスサンタさんと合流し、イザ空港の外へ。
とたんにムワッとした南国の空気に包まれました。
もう夜なので暑さはそんなでもありませんが、まとわりつくような湿気がすごい。
真冬の日本から来たので余計にそう思うのかもしれませんが、これは想像以上に暑い国なのかもしれない・・;;
22時、駐車場からバス出発。
ドライバーのニハルさんとお手伝いの若者(19歳!)のイスルくんが紹介されました。
スリランカのツアーでは、ガイドとドライバーの他にお手伝いさんがつくことが多いのだとか。
ホテルまでは20分ほどということで、その間にスサンタさんからスリランカのちょこっとガイドがありました。
=====ガイド=====
スリランカの挨拶の言葉は「アーユボーワン」。
どんなときでも使える挨拶で、「長生きしてください」という意味。「アーユルベーダ」の「アーユ」も同じ意味で、「ルベーダ」と合わせて「長生きする科学」という意味になる。
この時期のスリランカの気温はだいたい30~33℃くらい。
日差しが強いので、帽子や日焼け止めが必要。
お寺の観光では靴を脱いで入りかなり足が汚れるので、見学後に汚れた状態で履けるサンダルなどがあると便利。また、肌の露出が多い半ズボンやノースリーブでは入れないので注意する。TシャツはOK。
生水は飲めないのでペットボトルの水を買うこと。
100ルピーは約1ドルで、ホテルのチップもこのくらいで大丈夫。
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空港からホテルまでの道はとても綺麗で、渋滞もなく快適でした。
今夜のホテルは「Ramada Katunayake Hotel(ラマダ カツナヤカ ホテル)」。
ロビーに入ると、よく冷えたマンゴージュースが振舞われました。濃厚で美味しい!
鍵を受け取り部屋へ行くと、都会のスーペリアクラスのわりにとても広い。
設備も充分だし、スリランカのホテル、なかなかいいかもしれない。
6時に起床し、まずは朝ごはんです。
けっこう種類があって、なかなか美味しい。
朝食のあと、ちょっと時間があったので目の前の大通りまで出てみると、けっこう交通量が多くトラックや乗用車、三輪車(トゥクトゥク)がバンバン走っていました。
写真を撮りながらたまに手を振ってみると、100%笑顔で振りかえしてくれます。中にはクラクションを鳴らして挨拶してくれる人もいました。
あ~~この感じ、たまらなく外国に来たという気にさせてくれます。
8時、ホテル出発。いよいよ本格的に観光開始です。
今日の最終目的地はシーギリヤですが、まずは休憩をはさみながら途中のアヌラーダプラへ向かいます。
早朝にもかかわらず、すでにムシムシするので服装は夏服でOK。ただ、バスの中での冷房対策のため薄い上着も一枚持っていきました。
さっそく「アーユボーワン」の挨拶からスサンタさんのガイドが始まります。
=====ガイド=====
2000年前にスリランカで使っていた言葉はパーリ、サンスクリット。
今も仏教のお寺の中でよく使われている。この言葉を勉強しないとお坊さんになれない。
スリランカと日本のお坊さんとは教育の方法が違う。
スリランカのお坊さんは小乗仏教で結婚できない。
パーリ、サンスクリットの言葉から現在の国語のシンハラ語になった。シンハとは獅子という意味で、スリランカ人はライオンの国民。
明日行くシーギリヤも「ライオンの岩」という意味。
シンハ語はスリランカで多く使われ、二番目の言葉はタミル語、そして英語。この国では英語を勉強しないと、学校の先生とか銀行員などの職につけない。
今からいくアヌラーダプラへは、海岸通りを使って北へ向かっていく。
アヌラーダプラは、スリランカで一番最初の都だった。紀元前5世紀につくられた。
その次の首都はポロンナルワで、明日の夕方行く。
お釈迦様は3回スリランカにいらっしゃったことがある。
スリランカで仏教が発展したのは紀元前3世紀から。インドのアショーカ王時代。
アショーカ王はとてもわがままな王で、人を殺して戦争などをしていたが、仏教の奥さんのおかげで仏教徒になった。
そして、仏教を発展させるために自分の力を使って、スリランカにお坊さんである息子のマヒンダをおくった。
今日これから行くイスルムニアというところは、マヒンダがいるときにつくった。
またその近くにある菩提樹は、アショーカ王の娘で尼さんのサンガミッターが、スリランカに来るときにインドのブッダガヤから持ってきた菩提樹の枝から育ったもの。
スリランカには地震がないので、昔からある仏教の建造物にはいいが、戦争などで壊れたものも多い。
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ニゴンボの市内を通ってさらに北へ進みます。
=====ガイド=====
スリランカの国立病院や教育はすべて無料。このふたつが無料なのは世界でもスリランカだけ。
民間の病院や学校もあり、今はやっているがお金がかかる。
信号は今2~3個見えると思うが、これから10~20キロ走ってあさってくらいまで見えない。アヌラーダプラでは少しあるかもしれないが、イギリス人が作ったロータリーがあるのであまり必要ない。
スリランカ人は信号があまり好きではない。都会での渋滞の時は警察が手信号で対応している。
昔は信号がたくさんあったが、車を輸入して台数が増えてくると道幅を広くする工事が何度もあり、それで信号も壊してなくなってしまった。拡張工事が終わったらまた信号が設置されるかもしれない。
今走っているのはニゴンボだが、この左側1キロ先くらいはもう海。
今まだ8時20分で朝早いからお店がみんなしまっている。開くのはだいたい9時ごろ。
道路にかかっている旗は、近くにあるカトリック教会でお祭りがあった印。白い旗はお葬式があったという意味。
この海岸通りにはカトリック教徒が多いため、キリストやマリアの像がたくさんある。
今から500年くらい前に、コロンボやニゴンボあたりはポルトガルの植民地になり、そのあとはオランダの植民地になった。そのため今でもこの辺りにキリスト教の人がたくさんいる。
インドのケーララとスリランカは建物や人の顔、植物などが似ている。その他にスリランカに似ている場所は少ない。
田舎の方に行くとヤシ畑が増えてくる。スリランカには2500年前にはすでにあり、だいたい30種類くらいあると思う。
その中のひとつのココナッツの実は、家庭で作るカレーから輸出する油までいろいろ利用される。
また、咲く前のヤシの実の花から出る液を集めて、お酒(ラ)として飲まれている。日本のどぶろくと同じようなもの。ただこの生酒は若者はあまり飲まない。
この生酒を工場に持っていてアラックというお酒をつくる。アルコール度数は34度くらい。
このどぶろくを茹でて蜂蜜のようなハニもつくれる。それで甘いデザートをたくさん作る。
仏教には「ヤシのどぶろく」という物語があり、仏陀を襲わせるために象に飲ませて酔わせるという内容。
ヤシとお米はスリランカでは伝統的な植物。
お米は年に2回収穫できる。
スリランカから輸出する農産物は、香辛料(中でもニッキは90%)、ヤシ、ゴム、紅茶など。
また宝石もたくさん産出され、ロイヤルファミリーもスリランカ産のを使っている。
ヤシは他にも家づくりなどにも使え、ヤシのことを話すと止まらないくらいに説明できる。
スリランカには軍人が13万人ほどいてとても強い。
2週間前に大統領が変わったが、前の大統領の時にテロ組織(LTTE)は最後の一人まで殺した。
テロ組織ではLTTEが世界で一番怖かった。アルカイダも怖いと言っているが、飛行機や船は一つも持っていない。
しかし、LTTEは45の船と小さい飛行機6~7機、海の中に入るサブマリンは7つ所有していた。スリランカの政府の軍はひとつも持っていなかった。そんなに強いテロを倒したのはスリランカだけ。テロの時代は5~6年前に終わり、今は北から南まで安全になっている。
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左手にラグーンがチラチラと見えてきました。
この辺は海に近いので魚がたくさん獲れ、海老の養殖所や、塩田、水力発電をする場所もあるそうです。
ほどなくトイレ休憩するレストランに到着。地面は砂浜のような砂地で、まわりには何もなくてとても静か。
お店は壁がないオープンタイプで、木立の間を心地よい風が吹き抜け気持ちいい。
ここで結構時間があったので紅茶(150ルピー)を頼んでみました。
スリランカのはモロッコのように最初から甘くされていないので、無糖派の私にはありがたい。さすが本場だけあって美味しいです。
ドライバーさんたちも紅茶を飲んでいましたが、砂糖を大量に入れていました。
近くをちょっと散歩してみると、鉄道の線路を発見。この錆びれた感じがいい味だしてるな~。
そこを渡るともうすぐ海のようで、開けた空から強い日差しがさんさんと降り注いでいました。
10時20分出発。
少し行くと、さきほどの線路に列車が走ってきました。
しばらく進み、海沿いから内陸の方に入っていきます。
=====ガイド=====
左右に森が見えてきたが、もう少し行くとジャングルになる。ジャングルは森より大きい。
この辺りには野生の動物がたくさんいて、例えば象、ヒョウ、マングース、熊、へび、猪、鹿など。夜になると出てくることが多い。
スリランカの象を殺すと捕まって裁判になる。今は法律で殺すことはできなくなっているが、イギリスの植民地時代のときにはたくさん殺された。
現在象は、ジャングルの中に6000頭くらいいる。
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道路の脇には象のマークがデザインされた「象注意」の看板も立てられていました。
夜この道を走っていて、いきなり象が現れたらビックリするだろうな~。
しばらく走ると前方に人だかりが見えました。
どうやらこの間の選挙の時に大臣になった女性が来ているらしい。あたりはその政党のカラーである緑の旗やリボンがはためいています。
今スリランカはいろいろなことが変わっている状況のようです。
世界遺産アヌラーダプラに到着。
まずは、ホテルのレストランでお待ちかねのランチです。
飲み物は別なので、地元のライオンビール(350mlで300ルピー)を注文してみました。
ラベルにライオンの絵が描かれいてわかりやすい。アルコール度数は4%でとても軽く飲みやすいです。
スリランカ料理でまず思い浮かぶのはカレーですが、運ばれてきた料理は、お肉に衣をつけて揚げたカツや野菜炒め、ご飯など。
デザートにはアイスクリームや果物がでてきました。
野菜が多く、香辛料もふんだんに利用されていて体に良さそう。
アーユルベーダの国だけあって、健康増進の効果がある料理も多いのでしょう。
暑い国でスパイスが効いた料理を食べると元気が出ます。美味しかった。
スリランカ最初の見学は、スリ・マハ菩提樹です。
バスを降りて少し行くと本堂にあるのとは別の菩提樹がありました。
=====ガイド=====
インドのブッダガヤからきた菩提樹。
インドで言われるのは、お釈迦様が悟りを開いたところの菩提樹は1500年前に王様の御妃がお湯を掛けて殺した。王様が朝昼晩と何回も菩提樹にお参りをするから嫉妬したらしい。
だから、150~200年前にスリランカから逆にインドに菩提樹を持って行った。
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そして境内の入り口へ。
初日にスサンタさんも言っていましたが、お寺の見学は入り口で靴を脱がなければなりません。(帽子もダメなので日焼け止めは必須)
私がイメージしていたのは、建物に入る前に脱ぐのかと思ったのですが、ここスリランカでは、お寺の境内に入る前に脱ぎ、建物の中のみならず、外の砂や土の上も靴なしで歩くシステムでした。(なので、雨が降ったら泥んこになる)
今まで色々な国のお寺やモスクに行きましたが、こんな外側から脱いでいくのは初めてです。
今回の場合、バスの中で靴からサンダルに履き替えたのですが、実際やってみて「汚れた足でも履けるサンダルがあったほうがいい」という意味がわかりました。
お寺の入り口には靴を預かってくれる場所があり、係りの人もいるので盗まれる心配はありません。
最初裸足になったのですが、石畳が太陽の熱で熱かったので持参した靴下を着用。ツアー参加者の中には地下足袋を履いている人もいました。(スリッパはダメだそう)
靴を預けた後、男女別のセキュリティチェックがあります。
=====ガイド=====
なぜセキュリティチェックがあるのかというと、20年ほど前、北のテロが銃を持ってきてここで一般の人を600人くらい殺した。
今はそんなに厳しくチェックしないが、荷物の中を見られる時もある。
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中へ入ると広い中庭があり、あちこちに大きな木が枝を広げていました。
地元の人たちがその日陰でのんびりしています。
正面にお堂があり、その奥にひときわ大きな木がありました。
=====ガイド=====
金の柱で支えている木が見えるが、あれが2300年前の菩提樹。
インドのアショーカ王の息子マヒンダと娘のサンガミッターが、アショーカ王からスリランカの王様へのお土産として菩提樹を持ってきた。アショーカ王はここの王様のことをとても尊敬していた。
マヒンダとサンガミッターは死ぬまでここにいた。
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お堂を周っていくと、菩提樹の周りにあった一番古い壁が保存されていました。
階段を下りて裏側を歩いてきます。
それにしても、ツアーのみんなも言っていましたが、あちこちにあるレリーフがカンボジアのアンコールワットにそっくり。
面白いな~。
サンダルを履いて、スリ・マハ菩提樹からまっすぐな小路を歩いていきます。
両脇の広場では野生の猿などもたくさん遊んでいました。
少し行くと右側にたくさんの石柱が立った僧院跡のローハ・プラサーダが見えます。
創建当時は黄金色の屋根があったため「黄銅宮殿」と名付けられました。
その先に進むと左前方に巨大な白亜のルワンウェリ・セヤ大塔が現れてきました。仏塔の麓にはたくさんの象の彫刻が取り囲んでいます。
とても大きいので、全景を写真に収めるには少し離れたこの辺りから撮るのがいいそう。
それにしてもこの真っ白な仏塔は、ネパールやラダックなどの仏塔を彷彿とさせます。
ルワンウェリ・セヤ大塔の入口の少し手前に、数本の柱と枠が残った遺跡があり、アーユルベーダをしたという石の桶が残っていました。
その奥の方に、僧院のような建物がありお坊さんたちの姿が見えます。
菩提樹から10分ほどでルワンウェリ・セヤ大塔に到着。
入り口でサンダルを預け中へ入ります。
入るとすぐ正面に塔(ダーガバ)が見えました。
高さは55mあり、塔の先端部には水晶が設置されています。
紀元前2世紀に当時の王ドゥッタガーマニーによって建設が始められましたが完成前に亡くなってしまったので、息子のサッダーティッサが後を引き継いだそうです。
参道を歩き象の彫刻の間を抜け仏塔の麓まで行くとたくさんの人がお参りをしていました。スリランカではお参りのときは白い服を着ていくのだそう。
塔の周りを左回りに歩いていきます。
途中、創建当時の遺跡があり囲いで囲われていました。
最後に塔の脇にある仏堂を見学して出口へ向かいます。
外へ出て、周りの風景やサルたちを見ながら元来た道を戻りました。
10分ほどバスに乗り、イスルムニア精舎へ向かいます。別名ロックテンプル(岩の寺院)。
再び入口でサンダルと帽子を脱ぎ中へ。
他に観光客の姿もほとんどなく、とても静かです。
まずは御堂の方へ。
=====ガイド=====
このお寺は紀元前3世紀、アショーカ王の息子マヒンダが泊まったことがある。
彼は、妹と他の技術者と共にここに来て仏像を造った。恐らくこの仏像は、スリランカで最初に造られたもの。
こうもりなどによって汚されないようにガラスで覆われている。像は岩をくりぬいて造った。
お堂の下にはお坊さんたちが水浴びする沐浴場がある。
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続いて隣の本堂へ。
中へ入ると極彩色の涅槃像が横たわっていました。部屋全体も美しい模様で彩られています。
お堂を出ると外の岩の間にたくさんのコウモリがいました。
こんなにたくさんの集団を見たのは初めてですが、けっこう迫力があります。
そこを通り過ぎ岩山を登って行きます。
最後の方は急な階段になりますが、周りに高い建物がないので上からの眺めはステキ。
岩の上にはダーガバがあり、向こうには2000年前に造られた湖なども見えます。
滑らないように注意しながら下りて博物館へ。
=====ガイド=====
この博物館は、昔あった建物の残りを使って作った。
ここには、王族とか踊る女、神様たちとかの像があるが、一番有名なのは1500年前の恋人の像。
男性の方は、ドゥッタガーマニー王の息子だと思われる。
それにまつわる愛情物語がある。
皇太子はあるとき、ものすごく美しいジプシーの女性と仲良くなった。
一緒になりたいと思ったが身分が違うので周りに反対される。王様はその女性を殺そうとするがあまりの美しさにできなかった。
皇太子は一緒になるために王位を捨て、王位は王様の弟に譲ってしまった。
仏像にお尻を向けて写真を一緒に撮ってはいけないが、この恋人の像も人を入れて撮ってはダメ。
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これで見学は終わりですが、靴下だけしか履いていない足の裏がけっこうジンジンします。
ランチをしたホテルでトイレ休憩をし、シーギリヤまで約1時間半。
今日のホテル「Fresco Water Villa(フレスコウォーターヴィラ)」に到着です。
ロビーもレストランも壁がないオープン設計で、宿泊棟は中庭とプールを囲むように建っています。
Wi-Fiもロビー周辺のみですが無料で利用可能。
ウェルカムドリンクをいただき、さっそく部屋へ。
どっしりとした木の調度品がステキです。広くて開放感があり、荷物を広げてもぜんぜん余裕。
シャワーを浴びてさっぱりしてから夕食です。
グラスワインを注文し、ビュッフェ形式の料理をいただきます。
カレーがあったのちょっと食べてみましたがけっこう辛い。恐らく、これでも観光客用に控えめにしているのだと思いますがピリピリとしびれる辛さです。
しかし並べられている料理は、野菜も多く味付けも美味しい。それほど脂っこくもないので、とても食べやすいです。
今回ツアーで初めて全員がひとつのテーブルに揃ったのでいろいろと話したのですが、本当にみなさんいろいろな国にいってらっしゃる。
もう全員が旅慣れているので、部屋の不具合とか添乗員さんに頼らずみんな自分たちでなんとかしていたよう。
そんな旅先での失敗談やトラブルなどの話で盛り上がり、とても楽しい夕食となりました。