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トルコ旅行記-#5

奇岩が織りなす絶景の世界遺産カッパドキア観光

主な訪問地:カッパドキア

独特の風景が広がる世界遺産カッパドキアの観光。ギョレメ野外博物館や、サンジャクリ先生のトルコ絨毯講座、カイマクルの地下都市、洞窟住居などを訪れた。夜は郊外にある洞窟レストランへ行き、妖艶なベリーダンスと民族舞踊を観劇。

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トルコ旅行6日目 カッパドキア

今日の出発はゆっくりなので、朝ごはんの前にホテルがあるウチヒサルを散歩してみることにしました。
部屋を出て明るい下で建物を見てみるとこのような感じ。

CCRCCR

早朝なだけあって結講寒く、フリースだけでは心もとない。ツアー客の中にはダウンを持ってきている人もいましたが、それくらいあった方がいいと思います。

ホテルの前の通りに出るとパーッと視界が開けました。
しかし、天気はどんよりと曇っていて、残念ながら今朝は気球は上がっていません。

カッパドキアカッパドキア

ウチヒサルはカッパドキアの観光の拠点ともなるギョレメ地区を一望できる岩山なので、カッパドキア独特の不思議な景観をパノラマで見ることができます。

流線型にうねる岩肌やとんがり帽子のような岩山が広がり、ここにしかない風景を作りだしていました。
その岩山の壁面にはところどころ人工的に空けられた穴が見られ、かつて人が暮らしていたことがうかがえます(今でも暮らしている洞窟はある)。
ここからは、有名なきのこの形をした岩は見えなかったのですが、この奇妙な風景にはかなりテンションがあがりました。

カッパドキア
カッパドキアカッパドキア
カッパドキアカッパドキア
カッパドキアカッパドキア
カッパドキア
カッパドキアカッパドキア
カッパドキア

また、ウチヒサルには細い石畳の路地が入り組み、路地好きの私にとっては、時間のゆるす限り探検したいと思わせる場所です。
今度はツアーではなくフリーで来て歩いてみたいなと思いました。

そろそろ時間もなくなってきたので、ホテルのレストランへ。
料理が並べられたカウンターには、サラダやチーズ、ハム、蜂の巣付はちみつ、フルーツなどの朝食メニューがずらりと並び、端っこの方には日本食も置かれていました。

パン専用の棚にはたくさんの種類のパンがあり、いかにも食欲をそそります。
前にも書きましたが、トルコのパンは本当に美味しく、普段朝ごはんをあまり食べない私でもモリモリいけてしまいます。

絶景を見ながらの美味しい朝食をいただきました。

洞窟ホテル「カッパドキア ケーブ リゾート スパ(CCR)」の朝食
洞窟ホテル「カッパドキア ケーブ リゾート スパ(CCR)」の朝食洞窟ホテル「カッパドキア ケーブ リゾート スパ(CCR)」の朝食
洞窟ホテル「カッパドキア ケーブ リゾート スパ(CCR)」の朝食洞窟ホテル「カッパドキア ケーブ リゾート スパ(CCR)」

世界遺産カッパドキアの観光開始

8時半ホテル出発。
まずは、ハヤティーさんから今日の予定の説明です。

=====ガイド=====
まずはギョレメ野外博物館へ向かう。
ここでは、ビザンチンの洞窟教会がある。
洞窟教会は1800以上あり、半分くらいはギョレメにある。

今日は曇って見えないが、エルジエス山(3916m)を見ることができる。この山は休火山。トルコには活火山はない。
ハサン山 (3268m)とエルジエス山が噴火した後カッパドキアができた。
このあたりはたくさん浸食された。

博物館のあと、バスで15分くらい移動して「ハドサン」という世界中で有名なトルコ絨毯の専門店に行く。
そこではサンジャクリ先生という方に説明してもらう。
その先生はとても有名で、かつて日本で「トルコ風呂」という言葉のイメージを変えた人。
大阪大学を卒業し、新聞やテレビにも出ていた。

彼はもともとは、自分の日本語の先生だったので今日の説明をお願いした。普通は政治家しか対応してくれないので、この機会を楽しんでほしい。
ハドサンは国営で、カッパドキアの人が作った絨毯を委託販売している。
本物の草木染の絨毯はなかなか見ることができない。国のプライドがかかっている。

そのあと、写真を撮りながらレストランに行ってランチ。
午後は、カイマクルという地下都市へ。ここはビザンチンの避難場所だった。日本で言うと防空壕みたいな場所。地下6階建になっている。
その後、家庭訪問をしてホテルにいったん戻る。
少し休憩して夜はベリーダンスを見に行く。

今外は7度くらいで寒いので、あたたかい恰好で外に出るように。
海抜は1340mある。

カッパドキアというのは「すばらしい馬」という意味。昔から素晴らしい馬で有名だった。
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ギョレメ野外博物館

ギョレメ野外博物館についてバスを降りると冷たい風が吹き付けました。
これは冬の恰好じゃないと寒いです。

ゲートを抜け中へ入ると、まだ観光客もまばら。
しかし、少したつと続々と団体客が押し寄せてきました。
ハヤティーさんは、どこの場所が何時くらいに混むというのをみんな熟知していて、一番観光しやすい順番で案内してくれます。さすがベテラン。
ギョレメ野外博物館は朝一番に来た方がいいとのこと。

ここでは、小さな洞窟を見て回るのですが、今年の3月から混雑解消のため洞窟の中でガイドができなくなったそうです。
そのため、外であらかた聞いて、あとは各自で見学するスタイル。

ギョレメ野外博物館
ギョレメ野外博物館ギョレメ野外博物館
ギョレメ野外博物館ギョレメ野外博物館

=====ガイド=====
黒っぽい石は溶岩で一番堅い玄武岩。お坊さんたちが質素な暮らしをしていた。

聖バジリウス教会
バジリウスはキリストの弟子だった。
中に描かれている絵はほとんどが、9世紀から12世紀あたりのもの。中は撮影禁止。
入って右手には穴が開いており神父さんたちのお墓、真ん中には祭壇があり11世紀に描かれた三位一体のキリストが見える。
壁にはたくさんの赤い三角形が見えるがそれは三位一体を表している。9世紀の偶像破壊時代のもの。
左の壁にはバジリウスが見える。彼はカイセリの町で生まれた。
そのそばには、カッパドキアの聖者が見え、馬に乗って蛇を殺している。

林檎の教会(エルマル・キリセ)
入口の前に林檎の木があったため、地元の人にそう呼ばれていた。11~12世紀のビザンチンの黄金時代。
入ってすぐ正面には、祭壇がある。祭壇の上にはデイシス(聖顔)が見える。必ず3人いて、真ん中がキリスト、その右に聖母マリア、左に聖書を書いたヨハネ。

紀元前を表すADは、After Deisisのこと。
デイシスの下には、キリストの6人の弟子が並んでいる。みんな聖人でそのうちの一人、聖ニコラスはサンタクロースの起源。
実はサンタクロースはトルコ人で、地中海沿岸のデムレ(昔のミュラ)という場所には、サンタクロース教会があり、後にフィンランドに伝わった。

祭壇の右のアーチには、「最後の晩餐」の絵がある。真ん中のアーチには「ユダの裏切り」、その右手の壁には「キリストの張りつけ」、反対側には「キリスト降誕」の絵が見える。
入口の上には「最後の審判」の絵があり、キリストの前でお辞儀して許しを乞うている。半分は天国、半分は地獄に行く。
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サンタクロースがトルコ人だったとは初めて知りました。
びっくりです。

=====ガイド=====
今のトルコを作ったアタテュルクは、建国一年後にトルコとギリシャの間で住民の交換をした。トルコにいたギリシャ人はギリシャに戻り、ギリシャにいたトルコ人はトルコに戻ってきた。

暗闇の教会(カランルック・キリセ)
中に簡単に光が入らないからそう呼ばれている。その中だけは別料金(8リラ)。

蛇の教会(ユランル・キリセ)
入ってすぐ左の壁には聖ジョージ(聖ゲオルギウス)と聖テオドロスが一緒に蛇を殺している。
そのそばには、コンスタンティンと母親ヘレンが一緒にエルサレムの十字架を持っている。

キリストが立っている絵のところには背の低い方がいる。この方は子どもではなく偉い神父さん。しかし、キリストのことを敬うために小さく描かれている。
また別の壁には、心が男性、体が女性の聖オノフォリオスが描かれている。最初は美人の女性だったが、男たちにうんざりして神様に助けを求めた。それで神様はひげを生やし醜くした。

現在は蛇の教会と呼ばれているが、本当は教会ではなく神学校だった。新約聖書の学校。
右手の左の方には溶岩の椅子がある。神父さんたちはそこに座って聖書を勉強していた。祭壇がないから教会ではありえない。

教会の食堂
神父さんたちは一緒にここで食事をしていた。
煙突があり、壁には食器棚、松明を置く窪み、ワイン倉庫、天井からは干し肉をぶら下げ、自給自足をしていた。水の代わりに腐らないワインを飲んでいた。

キリスト教徒はアラブ人から逃げて、こういうところで生活していた。
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ギョレメ野外博物館ギョレメ野外博物館
ギョレメ野外博物館ギョレメ野外博物館
ギョレメ野外博物館ギョレメ野外博物館
ギョレメ野外博物館ギョレメ野外博物館
ギョレメ野外博物館ギョレメ野外博物館

このあと自由時間になったので、暗闇の教会(カランルク・キリセ)に行ってみました。
入口に受付があり、そこで8リラのチケットを買い入ります。

ギョレメ野外博物館ギョレメ野外博物館
ギョレメ野外博物館ギョレメ野外博物館

細い階段を上がっていくとドーム状の空間が広がり、その壁一面に見事なフレスコ画描かれていました。これまで見た中で一番素晴らしい。これはお金を払っても観る価値ありです。ちなみにここも撮影禁止。
しばらく口を開けて眺めた後、時間いっぱい写真を撮りながら戻りました。

ギョレメ野外博物館ギョレメ野外博物館
ギョレメ野外博物館ギョレメ野外博物館
ギョレメ野外博物館ギョレメ野外博物館
ギョレメ野外博物館ギョレメ野外博物館
ギョレメ野外博物館ギョレメ野外博物館

一旦入口に集合して、バスの駐車場まで少し坂を下っていくのですが、その間もたくさんの洞窟が見れました。遠くには馬の牧場も発見。
道すがらには、トルコアイスの露店もありました。帰るまでに一度は食べないと。

ギョレメ野外博物館ギョレメ野外博物館
ギョレメ野外博物館ギョレメ野外博物館
ギョレメ野外博物館ギョレメ野外博物館

サンジャクリ先生のカッパドキアの絨毯講座

バスで15分ほど移動して「ハドサン」という有名なトルコ絨毯の専門店に到着。
朝の案内でもありましたが、ハヤティーさんの日本語の先生だったというサンジャクリ先生が案内してくれます。

綺麗な建物に入っていくと、満面の笑みで先生が出迎えてくれました。
大阪大学にいたというだけあって、関西弁まじりの日本語でユーモアたっぷりの説明です。

サンジャクリ先生

=====ガイド=====
オリンピック、おめでとうございます。
東京がはじめなら、その後イスタンブールの方がいい。
日本は太陽が昇ってくる国で、トルコは月だから。

カッパドキアにはふたつの面がある。
遊びのカッパドキア(観光、5つ星ホテル、大自然など)が2割で、あとの8割は生活のカッパドキア。
今からその生活の方のカッパドキアを紹介する。観光業のカッパドキアより面白い。

絨毯畑の紹介。
2000年前の中国の歴史の書にもこの絨毯畑のことが記載されており「アルタイ山脈の野蛮人(トルコ人)たちの国に絨毯畑がある」と書いてある。
13世紀のマルコポーロが来たときも、大自然と絨毯畑のことを書いている。

ここは海から遠く鉄道もないから産業もダメ。農業はジャガイモやブドウが有名だが、冬に雪が降らなかったら地下水がなくなるからそれもダメ。
最近20年以上前から異常気象で雪が降らなかった。だからここの人は大昔の仕事、羊を飼っている。でも家には家畜小屋が見えない。ここの家畜は冬が寒いから、家の地下で飼われている。
夏もあまり家にいない。草が古くなるから、山でテント生活をする。

女性は仕事が多くて大変。洗濯するのはお母さん、毛を紡いで糸を作るのはお婆ちゃん、そしてお婆ちゃんは孫娘を呼んで5000年前の自然(どの植物から何色がとれるかなど)を教える。

9月は草木染の季節。10月になると寒くなり山で生活できないから村に戻ってくる。
10月から5月の生活は、お母さんたちは6時前に起きて働き、お父さんたちは寝ている。
お母さんや娘たちは、家畜小屋の掃除、ミルクの搾乳、そしてそのミルクからチーズやバターを作り、午後1時くらいに食事。午後は夜中まで家で絨毯を織っている。

ハドサン
ハドサン
ハドサン
ハドサン
ハドサン
ハドサン
ハドサン

お母さんたちは織った絨毯を売るが、娘たちは売らずに嫁入り道具にする。できれば8枚とか10枚、織って持っていく。
そして、年をとって働けなくなり収入がなくなったらそれを売る。なぜなら、村には健康保険制度や年金制度がないから。
これは2000年以上前から続く習慣。

だからカッパドキアの娘さんたちは残念ながら学校に行かせてもらっていない。
8歳の時に2年間、お婆ちゃんのもとで指の練習、その後10歳から3年間は早織りの練習をしなければならないため。この時期を逃すと二度とできない。

将来のことを考えて長持ちするもの、古くなると綺麗になるものを織らなければならない。だからカッパドキアの絨毯は、二結び目で100年もの、鉱物媒染草木染。
家の中でも30年たつと綺麗な色になるが、それは長いので山に持って行って天日干しする。そうすると2~3年で色が変わる。

そしてそれをお母さんたちはどうやって売っているか?
学校に行ってないから、商売のことがわからないため、都市部の人にだまされていた。例えば冬にお店の人がここにきて、分割払いで30万円で買ったものを200万円で売った。でもこちらのお母さんはそんなことわからないし、時々残金ももらえなかった。

そのことはここ30~40年、大きな社会問題になっていた。
そのため、1995年にここの市役所、私の大学、絨毯研究所によってこの絨毯専門店ができた。絨毯を売りたいお母さんはまず市役所に持って行って委託し、頭金の2割を受け取る。サインはできないので拇印を押し村に戻る。市役所は絨毯をここに送って直売で売る。

問題は、最近でてきた中国産の偽物で、本物よりすばらしい。
8年前のこと、コンピュータができてから、絨毯の写真を撮ってそれをコンピュータに取り込み解析すると、こちらの人が一年がかりで作ったものをたったの10分で完成させることができた。さわってもぜんぜんわからない。

8年前にコンピュータができ、6年前から世界中でトルコ絨毯としてよく売られている。だから6年前までに買ったものは大丈夫。
トルコ政府は国の伝統を守るため、鑑定書の法律をつくった。

30年前のものは宝物。古くなって価値があがる。
トルコ人も本物だと思って買ったものが5年たって縮んだり、形が変形したりするものがある。
世界中で、トルコ絨毯として売られているものが実は偽物だったら、それを買った人は傷ついてトルコの信用もなくなってしまう。

そこで騙されないように、いつかトルコ絨毯を買うことがあったら正しい値段で本物を買ってもらいたいので、大学外国語教育センターの先生たちが交代で説明をしている。私もここの大学で日本語を教えている。日本では、大阪外語大学を卒業し、箕輪に住んではった。
トルコは世界で日本語が一番勉強されている国。ここで働いている人たちもみんな日本語ペラペラ。

トルコ絨毯は製品ではなくて作品。日本で絨毯だと思って買っているのは、90%が絨毯ではなくカーペット。

ここで織っている彼女たちは小さな村で織っているが、それは家の仕事。でもそうすると健康保険などに入れない。そこで市役所と大学で新しくできたこのプロジェクトで、交代でこの施設で織るようにしている。そうすれば本人はもちろん、家族全員健康保険に入れる。できれば今後20年以内に、まわりの村の人たち6万人が保険制度に加入できるようにしてほしい。
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ここで少し休憩。
フロアで絨毯を織っている村の女性たちと一緒に写真を撮ることもできます。

ハドサン
ハドサン
ハドサン
ハドサン
ハドサンハドサン
ハドサンハドサン
ハドサンハドサン

休憩の後は、説明を聞きながら別の部屋に行って、お茶をいただきつつ絨毯ショーの見物です。
先生の説明に合わせて、スタッフの人たちが次から次へと手際よく絨毯を広げていきます。

ハドサンハドサン
ハドサンハドサン
ハドサン
ハドサン
ハドサンハドサン

=====ガイド=====
ここに3枚のウールがあるが、それぞれランクが違う。何が違うのかというと、裏の毛が違う。
C級品は目が粗く糸が太い。A級品は、目が細かく子羊の毛で糸が細くて長い。これだと200年まで大丈夫。

トルコでつくられた一番大きな絨毯で、面積は60畳。絨毯研究所の人が15人で織ったものがある。

1995年、三笠宮ご夫妻がオープニングセレモニーにいらした。考古学者だったのでカッパドキアで40年以上勉強していた。
また平山郁夫さんもずっとカッパドキアに来ていた。

現在世界で絨毯を織っている国は、中国、インド、パキスタン、アフガニスタン、トルコ、エジプト、モロッコ。
オーストラリア、ニュージーランド、アルジェンティーナ、スコットランドは羊が多いのに絨毯を織っていないのは、トルコ人が行ってないから。
絨毯は、歴史の中でトルコ人が行った国だけ教えている。それがシルクロード。

シルクロードのウルムチやカシュガルは、12世紀まで手作り絨毯作りの中心地だった。その後、セルジュクトルコ、オスマントルコ、カッパドキアになった。

平山郁夫先生のお願いで、トルコ人の目の中に日本の雄大さを表す富士山が描かれている絨毯を作った。これはトルコから日本がいつも見えるという意味が込められている。
しかし、これを織っている間に先生は亡くなってしまった。
1年後、広島大学の先生たち、奥様、弟さん、ふたりの娘さんがいらした。その時、絨毯研究所が記念として、目の中にラクダを織り込んだ絨毯もプレゼントした。この絨毯には、先生の体は亡くなったけれど魂はカッパドキアに残っているという思いを込めている。

ハドサンのおかけで日本で「大トルコ展」が行われた。
毎年、ハドサン主催でいろいろな国でトルコの宣伝をしている。
トルコ絨毯で一番有名なのは「ヘレケ」でトプカプ宮殿御用達。

こちらで村のお母さんが絨毯を織っている。これから織り方を説明する。
織るときは図案を見て織る。絨毯は、ふたむすび目という織り方で作られたものは長持ちする。ひとむすび目はそれほどでもない。
横糸をとって縦糸の間に通すのが難しく力仕事。だから子供は本来できないが、家の前などで可愛さを売りにお金目的でやらせているところがある。そういうところでは買わないでほしい。買うと子供はずっと働かされて学校に行けない。

だいたい、4時間で5ミリくらい織れる。シルクは糸が細くて目が細かいから時間がかかるが、ウールは太いのでシルクよりは短時間でできる。
織った後、シルクは硬く色が濃い。ウールは表は問題ではなく裏を見る。出来てから裏にできるケバケバを無くすために焼くが、それが自然のものではなく素材が化繊だとすぐに焼けてしまう。また本物は裏にも柄がはっきりと綺麗に出ている。
絨毯ができるとそれを役所に届けるが、役所の人はそれが本物かどうか見に来る。

織りあがると、お酢の中に3週間付け込んで足で踏み色止めを行う。
そして石鹸水で洗い、80度まで温度を上げたオーブンに入れ1ヶ月待つ。
そうすると、人工のものが混ざっていると縮んだりするのでわかる。自然のものだけだとまったく変わらない。
その後、防虫剤を入れてアイロンをかける。
そしてようやく国の鑑定書がもらえる。

この鑑定書には、製造場所、国家公務員考古学者二人のサインがボールペンで書かれている。
偽物は直筆ではなくプリントしてあり、トルコ語ではなく英語で書かれていることがある。なぜなら、偽物に対してトルコ語で鑑定書を書くと偽物のトルコ絨毯を売っているということで刑務所行きになるが、英語だと本物のトルコ絨毯ではなく偽物の外国ものを売っているということになって犯罪ではなくなるから。
また、製造場所に売り場を書いてあるのも偽物。さらに、ジェネラルマネージャーの直筆のサインがないのも偽物。

絨毯を買う際の値段の計算の仕方。
一番いいのは、ちょっと燃やしてみることだが、お店ではなかなかできない。
そこで、完成するまで何か月かかったか、絨毯を織ったところの給料はいくらか、と聞いてみる。
例えば、1か月半かかったものはカッパドキアで7万円、イスタンブールだと20万、日本だと45万。
日本で72万円で売っているものは、ここでは14万5千円。ウールで一番上のヘレケ。
日本で20年前に160万円で売られていた半年かかって作ったものは、ここでは28万円。
40年前に200万円で買われた草木染の絨毯は、今トルコで1000万で買われる。絨毯を買うことは土地を買うのと同じこと。
泥染は天日干しをしないので草木染より少し安い。草木染めは天日干しをすることで色が変わる。値段はいろいろな行程によって細かく計算されている。
問題は面積ではなく、目の細かさ。

カッパドキアは物価が安いので、同じものをイスタンブールで買うと2~3倍の値段がする。だからイスタンブールのお母さんたちは、絨毯を買うときはカッパドキアまでくる。

カッパドキアではお見合い結婚だが、相手のお母さんや親せきはお嫁さん候補の家に行って、お嫁さんの顔などではなく、家にあるいろいろな作品を見る。絨毯はもちろん、カーテン、ベッドカバー、洋服、洗濯機、掃除機など作ったものや買ったものを見て、たくさんあれば働き者だとわかる。働き者と結婚してほしい。
また、学校に行っていない貧しいお嬢さんは、いい家族の息子さんと結婚してほしいから、絨毯織りなど一生懸命がんばっている。

一生懸命織った絨毯はできれば売らずに、娘や孫に残していきたい。でも生活に困ったら仕方ないから委託する。
市役所に委託された絨毯は2万枚以上で、その中の3000枚の特別のものがここに置いてある。
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怒涛の絨毯ショーでした。
柄も素晴らしいですが、シルクの絨毯は見る角度によって色が変わるのもすごい。いい目の保養になりました。

大きな絨毯はとても買えませんが、本物のトルコ絨毯の見極め方や、質の良し悪し、妥当な値段などの講義は興味深かったです。

ちなみに、○十万するヘレケの絨毯を買った人がいましたが、船便で無事に届いたそうです。
確実に本物でいいものを欲しい人は、やはりこういうところで買った方が安心でしょう。

キャラバンサライ風レストラン「HANEDA(ハーネダン)」でランチ

先生とお別れし、カッパドキアでも有名なエセンテペの三姉妹の岩に立ち寄ってお昼ごはんです。

エセンテペの三姉妹の岩エセンテペの三姉妹の岩
エセンテペの三姉妹の岩エセンテペの三姉妹の岩

今日のランチは、キャラバンサライ風レストラン「HANEDA(ハーネダン)」でいただきます。
中に入ると、農耕具やガズィアンテップの「ジプシー・ガール」を模した絵が飾られているちょっとした展示コーナーがあり、その奥に広々としたホールがありました。かなりたくさんの人が座れそうです。
私たちはそのホールではなく個室へ案内されました。

HANEDA(ハーネダン)HANEDA(ハーネダン)
HANEDA(ハーネダン)HANEDA(ハーネダン)
HANEDA(ハーネダン)HANEDA(ハーネダン)

今日のメニューは、麦のスープ、ドルマ、イズミール風ミートボール、アイスとフルーツ。

HANEDA(ハーネダン)メヴラーナ博物館
HANEDA(ハーネダン)
HANEDA(ハーネダン)
HANEDA(ハーネダン)
HANEDA(ハーネダン)

スープは香辛料がきいていて食欲がわきます。
ドルマにはヨーグルトが添えられていてそれをつけて食べるのですが、とてもよく合って美味しい。
このヨーグルトのソース、トルコのあちこちのレストランで出てきますが、けっこうクセになる美味しさです。
日本でもできそうな感じですが、やはり売っているのをそのまま使うのではなく、何か混ぜているんだろうな。
聞いておけばよかった。

奇跡の建造物カイマクルの地下都市

ランチの後、最初の観光はカイマクルの地下都市です。
駐車場から入口まで少し歩くのですが、その間はお土産屋さんがぎっしりと軒を連ねていました。
カッパドキアは物価が安いので、お土産を買うならこの町にいる間に買った方がいいかもしれません。

カイマクルの地下都市カイマクルの地下都市

洞窟の中に入ると、ここもたくさんの観光客でひしめいていました。
地下都市なのであまり広い空間はなく、小さな部屋がアリの巣のように細い通路でつながっているのですが、そのため、狭い場所で他の団体さんとかちあうとかなり窮屈です。

ここは、カッパドキアに隠れ住んでいたキリスト教徒たちが、敵が近づいてきたときにこの中に逃げ込んで生活していた場所。
地下6階建てになっていますが、下の方は危険なので途中までしか見学できません。

洞窟には煙突あるので、中で松明も使うことができ、祭壇が備わった教会もあります。
水は外からくんできて洞窟内にためておき、厨房やワイン倉庫なども完備していたそうです。

通路は人一人が通れるほどの幅で、ところどころに敵が侵入してきたときのために丸い石が装備されていました。
高さもあまりなく、ほとんどの人はかがんで進まないといけないので少々きつい。
また、上ったり下ったりのアップダウンがあり、厚着をしていくと結構汗をかきます。

地下なのでもちろん明り取りの窓はなく、照明が届かないところは真っ暗。そしてかなり入り組んだ迷路のようになっているため、この中に一人残されたら確実に迷子になると思います。
暗さと狭さと方向感覚の消失で、ちょっとスリリングな体験ができるでしょう。

カイマクルの地下都市カイマクルの地下都市
カイマクルの地下都市カイマクルの地下都市
カイマクルの地下都市カイマクルの地下都市
カイマクルの地下都市カイマクルの地下都市

それにしても、この地下都市を築いた人たちは、本当に大変な労力を要したと思いますが、ハヤティーさん曰く「命がかかっているからやれたのです」と言っていました。

生き延びるために命がけで作ったシェルターなのですね。

ホテルに帰る前に、カッパドキアの景勝地とウチヒサルの麓にある洞窟住居のお宅に寄りました。
最初に寄った場所では、ウチヒサルのような岩山がありその麓では結婚式が行われていました。
また、ここでお婆ちゃんがレース編みをしていたので、お土産に数枚購入。素晴らしい手さばきです。

カッパドキア
カッパドキアカッパドキア
カッパドキアカッパドキア

そのあと、ギョレメの谷を一望できる場所に行きました。ちょっと曇ってきたので残念ですが、すごい景色が広がっています。
駐車場の脇にトルコの伸びるアイスの屋台があったのでひとつ買ってみました。寒いけど、なかなか美味しい。

カッパドキア
カッパドキアカッパドキア

カッパドキアの洞窟住居の家庭訪問

そして、洞窟住居へ。
とんがり帽子のような大きな岩をくりぬいて家が作られています。

カッパドキアの洞窟住居
カッパドキアの洞窟住居カッパドキアの洞窟住居

階段を上って玄関を入るとすぐにキッチンがあり、その奥が広いリビング兼子供たちの寝室になっていて、私たちはそこに通されました。
建物は三階建てになっていて、私たちがお邪魔した部屋の下がご夫婦の寝室になっているそうです。三階は倉庫。

床には代々受け継がれてきた絨毯が何枚も敷かれ、中には110年前につくられた800万円近くもの価値があるという逸品も。

自然のものを活かした手作りというだけあって、壁や床は平とはいきませんが、とても静かで暖かい。
天井が低く、背の高い人は少しかがんで移動しないといけませんが、世界遺産に指定されたので、勝手に手を入れて高くすることができないそうです。

リビングには、絨毯を織る伝統的な道具などとともにテレビなどの近代的な家具も置かれ、この家の小さな男の子は夢中でアニメを観ていました。

カッパドキアの洞窟住居
カッパドキアの洞窟住居カッパドキアの洞窟住居
カッパドキアの洞窟住居カッパドキアの洞窟住居

部屋を眺めていると、ちょうど微妙なお年頃の娘さんが、みんなに「いらっしゃいませ」という意味のレモンの香りのするコロンをくれました。そしてさらに、りんご茶を配ってくれてたので、それをいただきながら家の人の話を聞きます。

=====お父さんの話=====
今住んでいる家族は4代目。
暖房は石炭を使っている。冬はマイナス20度以下になることも。夏は涼しいので冷房はいらない。
トイレは水洗で、上下水道整っている。
63年前に地震があったが、堅い玄武岩でできているので大丈夫だった。

学校やお店は歩いて行けるくらい近いところにある。
私は洞窟を掘る仕事で、みなさんが泊まっているホテルの建築にもかかわった。
これくらいの大きさの家を作るには、二人で2か月ほどかかるが、機械を使えば3週間くらいでできる。

一日の労働時間は8時間。朝7時半から5時まで。お昼ご飯は家に戻って食べるが、時間がなかったら近くのレストランで。

世界遺産だが、土地は自分のもの。
トルコでは外国人は土地を買えない。借りることはできる。
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ほんの30分ほどの滞在でしたが、実際に暮らしている洞窟住居の様子や地元の人の話はとても興味深かったです。
この後は、目と鼻の先のホテルに戻り、夜のベリーダンスのディナーショーまで自由時間。

夕暮れのカッパドキアでPEACE RUNのランナーに遭遇

自由時間は3時間ほどあったので、ホテルの周辺を散歩してみることにしました。

外に出ると添乗員さんとばったり会い、面白い通路があるということで連れて行ってもらいました。
建物の奥に入ると隠れるようにエレベーターがあり、それにのって下ります。
すると、レリーフが施されたトンネル状の通路がドアの向こうに現れました。
なんとも異空間的な感じで、なんでこんなところにこんな感じの通路が?とビックリです。

カッパドキアカッパドキア
カッパドキアカッパドキア

その通路を抜けると、ホテルの部屋が立ち並ぶ丘の中腹に出ました。
私たちが泊まっているCCRは、ウチヒサルの丘の斜面に面して部屋が作られているので、このエレベーターはホテルの宿泊客が移動するためのもののようです。

ホテルの中庭を通って門から道路に出て、さらに下っていくとさきほど訪れた洞窟住居がありました。
そこを道なりに通り過ぎていくと、ウチヒサルの全景をすぐ麓から見渡せる場所に出ます。

カッパドキア ケーブ リゾート スパカッパドキア
カッパドキア ケーブ リゾート スパカッパドキア ケーブ リゾート スパ
カッパドキアカッパドキア
カッパドキアカッパドキア

道路の向かい側に、観光客用の宝石屋さんがあり、その脇からカッパドキアの風景を一望できるポイントがありました。
丘を登っていくとさらに景色が開け、流線型をした岩肌が刻々と夕日に赤く染まりかなりな絶景。
陽が丘の向こうに隠れるまでその景色を眺めていました。

カッパドキアカッパドキア
カッパドキア
カッパドキア
カッパドキア
カッパドキア

そろそろ薄暗くなってきたので帰路に着くと、向こうからランニングウェアで片手にトーチのようなものを持った男性が一人走ってきました。
あまりに浮いた格好なので無意識に目で追っていると、こちらにやってきて「○○はこちらの方向であっていますか?」と道を尋ねてきました。

私も土地勘がなかったため(地名もよくわからなかったし)教えてあげられませんでしたが、逆に、何やってるのかと聞くと、彼は「PEACE RUN(ピースラン)」という活動の一環で、現在トルコを何人かでトーチを受け渡しながら走っているとのこと。
帰国してから調べてみると、他の国でもやっているらしい。

PEACE RUN(ピースラン)

彼は宝石屋さんで道を聞き、さっそうと走り去っていきました。
いろんな国を旅行しているとホントにいろんな人に会うな~と、小さくなる彼の後姿を見送りつつホテルに戻りました。

PEACE RUN(ピースラン)

洞窟レストラン「SARIKAYA(サリカヤ)」でベリーダンスと民族音楽のディナーショー

20時。
ベリーダンスのディナーショーに出発です。
ホテルからはバスで30分ほどかかるちょっと離れた場所にある洞窟レストラン「SARIKAYA(サリカヤ)」へ。

SARIKAYA(サリカヤ)SARIKAYA(サリカヤ)
SARIKAYA(サリカヤ)SARIKAYA(サリカヤ)

建物は大きく、食事をする場所は円形のホールになっていて、中央にステージがあります。
ステージから階段状に席があるのですが、前の方だと途中でショーに駆り出されると聞いていたので、後ろの方でさらに壁側の席を取りました。(参加したい人は前よりの通路側がベスト)

席はいくつかのブロックに分かれていて、この日はそんなに観光客が多くなかったため、それぞれの団体さんごとにひとつのブロックを割り当ててくれました。なので、後ろの方といっても前から2列目でよく見えます。

最初は伝統的な民族の音楽とダンスから。
リズムのいい音楽が鳴り響き、民族衣装を着たダンサーたちがホールの中を駆け巡ります。
そしてしばらくすると、次々と観客たちがホールに連れ出されていきました。我ら「チームJapan」のところにも人さらいがやってきましたが、この時はみんな必死で固辞。
私の場合、こういう参加型の何かには結構進んでいく方なのですが、今回のはちょっと規模が大きすぎて出ていく勇気がありませんでした。

■動画:カッパドキアの民族舞踊

SARIKAYA(サリカヤ)
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SARIKAYA(サリカヤ)SARIKAYA(サリカヤ)
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料理は、始まってほどなくしてから運ばれてきます。
今日のメニューは、花嫁のスープ、ひよこ豆の前菜、壺のケバブ、デザート。

SARIKAYA(サリカヤ)
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SARIKAYA(サリカヤ)

拍手したり写真撮ったりと忙しく、とてもゆっくり食べるという感じではないですが、軽快な演奏やダンスを観ながらの食事は、ワインの酔いも手伝ってか、なんだかとっても楽しい。
壺のケバブはお肉がホロホロでとても美味しかったです。

ベリーダンスが始まると、今までの軽い感じの雰囲気は一転し妖艶な世界に。
ちょっと太めな(これが向こうでは良しとされる)ダンサーが艶っぽく踊ります。

■動画:トルコのベリーダンス

SARIKAYA(サリカヤ)
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そして、第二回目の観客参加型ダンスタイムがやってきて、ついに私たちチームJapanからも前の方の2人が連れ去られて行きました。
やがて各国の代表者が出揃い、にわかベリーダンスショーが開始されましたが、チームJapanの一人(男性)は服をめくられ大きなお腹を出して踊るはめに。その姿は、ベリーダンスというよりは、もはや腹踊りとしか言いようがないものとなっていました。

SARIKAYA(サリカヤ)
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出演を免れた私たちは、彼らに同情するも安心しきって、ステージ上の出来事をもはや他人事ととして大いに笑わせてもらいましたが、これが他の国の観光客にも大うけ。
日の丸を背負いスポットライトの中で一生懸命お腹を揺らす彼の姿は、次第に感動をも呼び起こすものとなりました。

もういい、十分やったよ

思いのほか長い出演時間に、思わずタオルを投げかけましたが(うそ)、彼ががんばっている以上最後まで見守ることに。
そしてようやく出番が終わり解放されると、当の本人もやりきった感をたたえ、我ら仲間のあたたかい拍手に迎えられながら戻ってきました。

いや~本当によくやった。感動をありがとう。

宴はまだまだ続いていましたが、規則正しいチームJapanはキリのいいところで引き上げ。
ホテルには11時ごろ着きました。

SARIKAYA(サリカヤ)SARIKAYA(サリカヤ)

あ~楽しかった♪

次は、キノコ岩が地面から生えるカッパドキアからアンカラへ

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