主な訪問地:ブハラ~サマルカンド
中世の街並みが美しいブハラや青の都とも称されるサマルカンドの街を散策。日本とは似ても似つかない異国情緒ある景色は、遠い外国に来たことを実感させる。
この日は一日、世界遺産のブハラの町を観光します。朝9時スタート。今日も相変わらず快晴です。
まず車でカラーン・モスクまで行きました。カラーンとはタジク語で偉大という意味で、ブハラに来て、ここを訪れない人はいないというくらい有名な場所です。ここには、中央アジアで一番高いカラーン・ミナレットもあり、4500スムで頂上まで登ることが出来ます。
カラーン・モスクの入場で1500スム支払い、中を見学しました。イスラム建築はみんなそうですが、装飾が本当に細かくて美しい。色鮮やかなタイルがいろいろな模様を作り出しています。
そのモスクから、カラーン・ミナレットへ登る入り口があるので、さっそく登ってみます。階段エリアは決して明るくはありませんが、イチャン・カラのミナレットよりも断然登りやすく、頂上の展望部分も広くてよかったです。
その後、宝石・絨毯市場を見学。そして街中を歩いてアルク城へ向かいました。
アルク城はハーンのお城で王座や執務室などがあります。沿道にはコスモスが綺麗に咲いていました。この城壁もイチャン・カラの城壁と同じように波打った形をしています。
写真代1300スムを払い、中へ入ります。入るとすぐ細い上り坂が少し続きますが、かつてこの場所は脱税した犯罪者などを収容する牢獄でした。今ではその様子が人形で再現されていて、お土産屋さんも数件並んでいます。が、こんな狭いエリアでも、お店(人)によって同じものの値段がかなり違うので、買う場合は注意しましょう。
見学の途中で一息ついていると、一人のお土産屋の青年が近づいてきました。自称「志村ケン」というその青年は、前に日本に住んでいたことがあるそうで、日本語が少し話せました。
アルク城を出て、車がビュンビュン通る目の前の大通りを反対側へわたります。そこは公園になっていて、たくさんの木々が植えられていました。
少し歩くと、その木々の向こうにハウズ(ため池)とハウズモスクが現れました。このモスクは、ブハラ・ハーンの専用のモスクです。中には入れませんでしたが、今までのモスクとは違い、木の柱が20本立つとてもカラフルな建物です。でも、この柱、本当は40本あると言われ、あとの20本はどこにあるのかというと、モスクの前のため池に映る柱も入れて40本だと言うことです。なんだか、こういう感覚は日本人と少し似ている気がしました。
このモスクの入り口には、時計がたくさん掛けられていて、それぞれが別々の時間を指しているのですが、これは、ラマダンやお祈りの時間を示しているそうです。
住宅街をしばらく歩き、チャシュム・アユブ廟を見学。「ヨブの泉」という意味で、昔人々が水不足に困っているとき、預言者ヨブがここを杖でたたいたら水が出てきた、という場所です。中に入ると蛇口があって、今でも冷たい水が出てきます。私は飲みませんでしたが、地元の人はペットボトルなどに入れて持って帰るそうです。
そこから5分ほど公園の中を歩くと、ほぼ正方形の姿をするイスマイール・サーマニ廟に着きます。ここは、中央アジアに現存する最古のイスラム建築で、長らく砂に埋もれていました。月の明かりで見るととても美しいと言われ、この周りを邪念を捨てて願い事をしながら3回まわると、その願いが叶うという、とてもロマンチックな建物です。試しに私も3回まわってみましたが、「暑い」とか「お腹すいた」とか邪念が混じり、願い事が叶うのは絶望的だと思われます。
ここで一旦自由行動になったので、ここから15分くらい歩いたところにあるブハラの城壁とタリバチ門にいってみました。なんだか工事現場のようなその場所は、砂煙がすごく別に行かなくてもよかったかなという景観でした。そのすぐ脇に大きな湖があり、カップルが足こぎボートをこいでいました。
時間になったので再び廟まで戻りランチへ向かいます。レトロな感じの観覧車がまわる遊園地の脇を通り、車でレストランへ行きました。
歩き回ったのでお腹がぺこぺこです。今回のレストランで、焼きうどん(ラグマン)が出たのですが、にんにくの効いたトマトソースが絡んだその料理は、ナポリタンのようでとってもおいしかったです。みんな食欲が落ちる中、きれいに完食してしまいました。
お腹が一杯になったところで一旦ホテルへ戻り、少し休憩です。夏の暑い時期だと、みんなバテてしまい、夕方ごろまで休憩になるときもあるそうですが、この時は気候もよかったので2時30分まで。それでもちょっとホッと一息できました。
午後の観光は、ホテル付近なので歩いてまわります。全体的に薄茶色の石畳の町を歩いていると、本当に外国へきたんだな~という気持ちになります。
イスラム教ではめずらしい偶像をモチーフにしているナディール・ディヴァンベキ・メドレセやラビハウズ、大通りの交差点を屋根で覆ったドーム状のタキ・ザルガラン、砂に埋もれていたマゴキ・アッタリ・モスクなどを見てまわりました。
タキや路上では、いろいろな民芸品が売っています。中でも、ここブハラでしか手に入らないという、こうのとりの形をしたハサミは、切れ味もよく日本でも紹介されたことがあるらしいです。職人さんたちが、工房でカンコンカンコン金属をたたく音が響いてきて、その店先で品物が売られていました。
アブドゥルアジズ・ハーン・メドレセというミナレットの上には本物の巨大なコウノトリの巣があります。
午後の観光も一通り終わり、町の中で一旦解散。後は夕食のための再集合まで各自自由に時間を過ごすことになりました。
私たち数名は、ガイドのドン君と一緒に散歩をしながらホテルへ戻りましたが、まだ元気そうな私はドン君に「散歩しましょう」と誘われ再び町へ出ました。
すこし歩くとすぐ、同じツアーの参加者に出会い3人で散策。そしてすぐにビールを飲みに行くことにしました。
観光名所が集まる町から少し外れたところに、そのお店はありました。簡単なテーブルと椅子が置かれ、20人くらい入れば一杯になってしまう広さです。屋内ではなく外にあるので、涼しい風が吹き抜けてとても気持ちがいい。日本で言う大ジョッキに冷えたビールがなみなみと注がれ、しょっぱいナッツがおつまみです。暑い日差しの中を歩き回った後のビールは本当にうまい!次の集合まで、そこでいろいろな話しをしながら、時間をつぶしました。
6時40分にホテルのロビーに集合。さきほどの観光で行ったナディール・ディヴァンベキ・メドレセに向かいます。そこは今は、食事をしながら民族舞踊のショーが見られる場所となっていて、世界各地の観光客で賑わいます。
中に入ると広い中庭があり、たくさんのテーブルと椅子に囲まれた絨毯のステージがありました。その周りをおみやげ物屋さんが囲んでいます。私たちの席は、ステージのすぐ脇のとてもいい場所でした。
7時開演。会場は満席です。民族音楽の生演奏とともに、民族衣装のファッションショーと民族舞踊が始まりました。ファッションショーのモデルさんは、マネキンのような抜群のスタイルでため息ものです。民族舞踊も次々と鮮やかな衣裳で踊りが舞われ、音楽とともにすっかりウズベキスタン文化を堪能できました。食事もおいしく、目と舌で楽十分楽しめた夕食でした。
ディナーショーも終わり、星空の中すぐ近くのホテルへと戻りました。ここでドン君が「夜の散歩に行きたい人いますか?」と聞いてきたので、私は元気よく手をあげ、もう一人の参加者と共にそのまま出かけました。夜景を撮りたかったので、三脚をかついでの散歩です。
夜の町は、昼間とはうってかわって静かでした。空にはまんまるな月が輝き、その光でモスクや城壁が照らされています。
人のいなくなった歩きやすい道をドン君の案内で歩いていきます。コースとしては昼間にまわったところと同じですが、夜だとまた違った風景に見えました。
写真を撮りながら、ドン君のウズベキスタンの生活や文化についての話をいろいろ聞きました。結婚は親の決めた人としなければならないとか、20歳を過ぎても結婚しないと、親戚や友人、近所の人から毎日のように詮索されるとか、結婚式の前にするパーティーには1500人くらいの人が集まるが、そのうちの50人くらいが招待した人で他の人はまったく関係ないとか、そのパーティーをするとみんな借金するとか、その他にも、初めて聞くようなことが多く、文化の違いに正直驚きました。
夜のブハラを堪能し、9時ごろホテルに戻りました。
早朝7時前に、朝の散歩に行きました。空気はピンと張り詰め寒いくらいです。町はまだ静かで、オレンジ色の朝日で照らされていました。一通り歩いた後、ホテルに戻って朝食。今日の出発は10時30分なので、それまでは部屋で荷造りしたりゆっくりしてました。2連泊だと、パッキングなどの面でとてもラクでいいです。
ロビーに集合して出発。
最初にチャルミナールに行きました。4つのミナレットという意味で、その名の通り青い塔が4つたっています。パンフレットなどによく掲載されるほど、とても美しいミナレットでした。住宅街にあるので、場所が少しわかりにくいですが、一見の価値はあると思います。
次に、ブハラ最後の王の夏の宮殿スィトラマ・マヒ・ホサを訪れました。ここは、孔雀が放し飼いにされていて、バラが綺麗な公園といった感じの場所です。
奥にある池では、王様が自分の妻40人を泳がせ、その池の脇にある台からりんごを投げて、それにあたった妻がその夜を共にするということが行われていたそうです。ちょっと最低。
車に乗り込みギジュドゥヴァンという陶芸の町へ向かいます。工房に着き、作品や加工工程を見学した後そこで昼食。 シャシリク(串焼き)が出ました。ウズベキスタンに来て、一番のボリュームのあるメニューです。凝った味付けはしていませんが、塩味がきいていてとてもおいしい。
工房を後にし、サマルカンドへの途中、コットン畑に立ち寄り、コットン摘み体験をしました。畑では子供や学生達が働いています。
ドン君の話によると、だいたい1kg摘んで80スムくらいだとか。実際に摘んでみましたが、フワフワのコットンがそのままむき出しになっていて、簡単にとることができます。しかし、かなりの数を摘まないとまとまったお金にならないような感じでした。
ブハラから約6時間。ウズベキスタンの観光の目玉、サマルカンドに到着。サマルカンドは「商人が集まる町」という意味で、「青の都」とも言われるほど、青色の建物が美しい町です。
住宅街にある民家風のホテルに着いたのはもう夕方でした。このホテルの部屋も女の子が喜びそうな装飾で、とても綺麗です。
夕飯まで時間があったので、ホテルの周りを散歩してみることにしました。そこは本当に住宅街の路地裏で、そこで生活している人たちがいました。
少し歩くと、近所の子供たちがいて、テーブルの上にバケツをおいて何かを売っています。
「これは何?」ときいてみると「ミシャロ」という答え。
私たちがウズベキスタンに訪れたときはちょうどラマダンの時期で、日の出ている間はみんな飲食をしませんが、そのラマダン明けのときに始めに食べるものだそうです。バケツのふたを開けて「味見をしてみなよ」というのでちょっと舐めさせてもらったのですが、生クリームにそっくりな甘いものでした。
ここでも「写真を撮ってくれ」とお願いされたので撮影をし、ミシャロのお礼に飴玉をあげました。それにしても、ウズベキスタンはとても子供の多い国です。
その後、いろいろな地元の人と出会いながら、1時間ほど散歩をしホテルに戻ってきました。
夕食の時間になったので集合場所に行ってみると、ドン君が「禁酒」と筆書きで大きく印刷されたTシャツを着てきました。聞くと、ドン君はいままで酔っ払ったことがないという酒豪で、飲みすぎを心配した友人にもらったそうです。
この日のメニューは大きな小籠包のようなもの。いつもそうですが、とても食事の量が多いので食べ切れません。味はおいしいので残すのがもったいないです。
この食事のとき、ドン君が大学生時代に、 ウズベキスタンの各大学からの代表者が出場する論文大会で、見事優勝を勝ち取った作文「大工の弟子から始まった」を紹介してくれました。本人の了承を得て公開するので、ぜひ読んでみてください。
夜のホテルを散策。大きな中庭を囲むように建物が建ち、ライトアップされとても綺麗でした。
今日も快晴。9時にホテルを出発して観光開始です。サマルカンドの見所は、結構まとまっているので、頻繁に車を乗り降りします。
まずは、ティムール族が眠るグリ・アミール廟。グリ・アミールとは「支配者の墓」という意味らしいです。青い大きなドームが見事で、門をくぐって中庭に入ると、タイルで飾られた壁の模様がとてもかわいらしい。中庭の片隅には石で作られたワイン桶があり、戦争で戦う兵士に振舞われたそうです。
建物の中に入って奥の部屋まで行くと、金色に輝く装飾が施されていて、ティムール族の棺が数個並んでいました。実際にはここには亡骸はなく、この3メートル下の地下室にあります。ソ連の調査で墓が開けられ、ティムールの右足が不自由であったことなどがわかったそうです。そして棺の裏側には、「自分がこの中から出たとき、大きな災いが起きる」という意味のことが書かれていて、ソ連が調査のために開けた後、ドイツがソ連に攻め込んできたということです。
次に向かったのが3つの神学校からなるレギスタン広場です。向かって右がシェルドル・メドレセ、左がウルグベク・メドレセ、そして中央にあるのがティラカリ・メドレセです。
シェルドル・メドレセの脇で入場料(撮影代)を支払い入ります。 シェルドル・メドレセには、ライオンと人の顔をした太陽神が描かれていて、偶像崇拝を禁止しているイスラムではとても珍しいモチーフです。
シェルドル・メドレセを背にして真向かいにあるのが、ウルグベク・メドレセです。ここで気になったのが、脇に立つミナレット。どう見ても傾いて建っています。今までウズベキスタンを旅行してきて、いくつかのミナレットを見てきましたが、ここまで傾いているのはなかったような気がします。
ドン君が言うには、「けっこうみんな傾いてます」とのこと。その後観光したところを注意してよくみると、なるほど、ミナレットはもちろん、門や壁もゆがんだり傾いたりしていました。大きな地震がきたら、間違いなく崩れるでしょう。この傾いているミナレットに登れるそうですが、私はやめておきました。登った人の話をきくと、上まではかなりきつく、頂上に着くといきなりトタン屋根の上に出るそうです。
どのメドレセも中庭におみやげ物屋さんがあり、私も陶器のお土産をいくつか買いました。
レギスタン広場から歩いて5分ほどのところにある博物館をサラっと見学。
そのあと、中央アジア最大のモスクのビビハニムモスクへ。このモスクはティムールによって建設されました。とても急がせて創らせたため、完成後すぐにレンガや壁が崩れ始め、修復が進んだ今でもいたるところに痛々しい姿をみせていました。
言い伝えによると、このモスクを建設中に、ティムールが遠征に出ていていないとき、ティムールの妻ビビハニムが、建築家にもっと急いで建ててくれと迫っていたところ、彼女に恋をしていたその建築家は「もし、一度だけキスをしてくれたら願いを叶えます」と言いました。ビビハニムは悩みましたが、結局それを受け入れてしまいます。ところが、そのキスの跡がビビハニムに残り、遠征から帰ってきたティムールに見つかってしまいました。怒ったティムールは、建築家とビビハニムを殺してしまったそうです。
悲劇のビビハニムモスクの後、その脇に広がる庶民の台所シャブバザールに行きました。「外国に行ったら市場に行け」とよく聞きますが、わたしも大の市場好き。入る前にドン君から「かばんに気をつけてください」と言われましたが、溢れるほどの人がいるわけでもなかったので、そんなに危険な感じは受けませんでした。
市場には、果物、乾物、お菓子、魚、パン…などなどあらゆる品物が並んでいます。こういう風景や雰囲気の中に入るとワクワクして一気にテンションが上がってしまい、恐らく口は半笑いで、他人から見たらカメラを片手に持った挙動不審な外国人に見えたことでしょう。
ウズベキスタンの人は大量買いが普通だそうで、売っている量もハンパではありません。たまねぎやじゃがいも、スイカなどは床に山積みにされ、パンもリヤカーにぎっしり詰め込まれています。
ここでお土産に、籠に盛られたドライフルーツの詰め合わせ(2ドル)とメロンの干物(200スム)をいくつか買いました。あとで、タシケントの百貨店で同じものが売っているのを見ましたが、倍の値段がしてたので、お土産を買うならバザールがオススメです。
バザールを堪能したあとはランチです。車に乗って街中のレストランに行きました。私たちは2階の絨毯敷きのお座敷でいただくことになりました。やっぱり靴を脱いで上がるとホッとします。とても装飾や雰囲気の良いレストランで、他の観光客たちも写真を撮っていました。肝心の料理も、今までの中ではかなりおいしく、デザートにアイスクリームも出ました。お腹もいっぱいになり、かなり満足です。
ここで、ドン君とブラッドと記念撮影をし、一旦ホテルへ戻って休憩しました。
これで午前中の観光はおしまいです。
20分ほどの休憩のあと再び午後の観光開始です。まずは車で、小高い丘の上にあるウルグベク天文台跡へ行きました。
天文学者のウルグベクはティムールの孫で、君主でありながら天文学ばかりに打ち込んでいたため、諸外国からいいように攻め込まれその領土を失っていったそうです。その当時のイスラムでは天文学などには無理解で、政治に無関心のウルグベクにはかなりの反発があったようです。そのためウルグベクは、後に自分の息子に殺されてしまいました。
しかし、ウルグベクの導き出した天文学の成果はすばらしいもので、当時1年間の長さを正確に計算し、今の計算と比べるとその誤差はわずか1分以内とされています。
この天文台跡には、当時あった巨大な六分儀の一部が残っています。今はその一部から想像するしかないのですが、かなり大きなものだったとわかります。
この丘には、その遺跡と小さな博物館しかありませんが、町を一望することができます。
その後、アフラシャブの丘を訪れました。丘の脇にある博物館を見た後、実際に丘を登って行きます。
アフラシャブの丘は、かつてのサマルカンドがあった場所で、かのチンギスハーンによって壊滅的に滅ぼされました。今でもその当時の遺跡が眠っているとされ、いたるところに発掘した跡があります。
次は、今回とても楽しみにしていたシャーヒ・ジンダ廟群です。 アフラシャブの丘の端にあり、「シルクロードの青の都」を象徴するような風景が見られます。旅行のパンフレットなどにも必ずと言っていいほど紹介される場所で、ウズベキスタンを代表する観光地のひとつになっています。
シャーヒ・ジンダとは「生ける王」と言う意味で、その昔、イスラムの布教に来た予言者ムハンマドの従兄クサム・イブン・アッバースのことです。言い伝えによると、クサム・イブン・アッバースはこのシャーヒ・ジンダで礼拝中に異教徒に首をはねられてしまいました。しかし、なおも礼拝を続け、それが終わると自分の首をかかえて井戸に潜っていきったそうです。それ以降、クサム・イブン・アッバースはまだここで生き続け、イスラムが危機に陥ったときに救いに現れるとされています。
中へ入ると白い階段が丘の上に続いていていました。上るときと下るときの階段の数が一致すると願い事が叶うとドン君に聞いたので、さっそく数えて上りましたが、帰りは写真を撮るのに夢中ですっかり忘れてしまいました。
階段を上ると、サマルカンド・ブルーと称される「青の世界」が広がっていました。思わず感嘆のため息が…。建物の中も外も青いタイルで飾られています。
その建物の間を通っていくと、やがて現在も使用されている墓地に行き着きます。ウズベキスタンでは本来、埋葬は無料ですが、ここだけは有料になっているそうです。墓石には故人の顔が彫られ、中には屋根がついているものもありました。
夕食までホテルで休憩です。ホテルに帰ると、今日ホテルのオーナーが喜捨をするというので、その準備が行われていました。中庭にテーブルと椅子が並べられ、果物やパンが置かれています。
喜捨というのは、イスラム教の五行のひとつで、貧しい人に食べ物などを恵むことを言うそうです。ただ、今回集まってくる人々を見ると、とても貧しいようには見えなかったので、他の意味もあるのかもしれません。
ホテルの部屋にいる間に 喜捨が始まりました。お祈りの声が聞こえ、ほどなく食事と談話する音が聞こえてきました。男性と女性は別の場所で食事をしているようです。
その喜捨中に、私たちも夕食に出発するためホテルを出ました。
今日は、民家風レストランでの夕飯です。
月明かり中、住宅街を奥へ進んでいくと、大きな一軒家に着きました。そこで暮らす家族がお出迎えしてくれて、ある一室に案内されました。その部屋は、娘さんの部屋らしく、綺麗な民族衣装が壁に飾られとても民家とは思えないような豪華な部屋でした。その部屋の真ん中にすでにセッティングされたテーブルがひとつあり、そこで食事をするようです。
今夜のメインは餃子。日本で食べる餃子を油で揚げたようなものでした。
お腹も一杯になったところで、ライトアップされたグリ・アミール廟へ行きました。ちょうど満月かそれにちかいくらいのお月様とモスクの風景は、本当にドキドキするくらい美しかったです。