主な訪問地:ティンプー~戴冠式見学~ドチェラ峠(ブータンヒマラヤ)~パロ
ブータン第五代国王の戴冠式でのスピーチを全文掲載。若干28歳の若き国王が語った国語であるゾンカ語でのスピーチは、国民はもとより観光客として訪れた外国人たちにも感動を与えた。雲ひとつないドチェラ峠からはブータンヒマラヤの連なりが拝め、今回のお祭りに合わせてインドから来た移動式遊園地、ブータン名物石焼風呂ドツォも体験。
11月7日。
今日は、ホテルの近くのチャンリミタンスタジアムで戴冠式のイベントが行われます。
余談ですが、このチャンリミタンスタジアムは、2002年6月30日に行われた、FIFAワールドカップの世界最下位を決めるブータン対モントセラノ戦が行われた場所です。最下位を決める試合といっても、両国にとっては世界注目の大舞台のため、大変な盛り上がりをみせました。
試合中には犬が二度ほど乱入し、相手国の選手は、何度も飛行機を乗りついでやっと着いたと思ったら、食中毒と高山病でバタバタ倒れていったとか。
おかげで(失礼)、ブータンのドルジ選手がハットトリックを決め、その他1得点を獲得し、4-0で圧勝したそうです。
しかし、トロフィーは2つに分割し両チームに分け与えられ、なんとも心温まるワールドカップのもうひとつの試合になりました。
ちなみにこの模様は後に「アザー・ファイナル [DVD]」というドキュメンタリー映画になりました。 (といういうより、映画を撮るためにこの試合が企画されたらしい)
紹介文:2002年6月30日、FIFAワールドカップ決勝戦の6時間前、アジアの別の場所で行われていた最下位を決める“もう一つの決勝戦”ブータンvsモントセラト。その両チームの選手たちの夢と希望を試合前から追った感動のスポーツドラマ。
さて、今日も民族衣装を着て参加する予定でしたが、すでに長い行列ができているとのことで、急遽、着付けは取りやめて並びに行くことになりました。
列は、いつも男性用と女性用に分かれて二列できているのですが、警備員の人の了承を得て、私たちは、空いている男性用の列に並ぶことが出来ました。
今日も昨日と同様、カメラの持ち込みは禁止です。
荷物検査と金属探知機のゲートを通り抜け、スタジアムの入り口でブータンの国旗の小旗をもらい、会場内に入ると、すでにたくさんの人で席も通路もいっぱいでした。私たちは、係りの人に外国人用に用意された特別席へ案内されました。なんだか、昨日も今日もこんな待遇を受けて申し訳ないです。
シートが敷かれたその一角には、インドや欧米から来たであろう人々が集まっていました。そして、なぜか持ち込み禁止のはずのカメラを持って撮影していたり、無礼のはずの帽子を被っている人がたくさんいたのです。あとで知ったことですが、そういうルールをきちんと守ったのはドイツ人と日本人だけで、そのことで各方面からクレームがあがり、次の日のカメラの持込はOKになったそうです。
それにしても、その国のルールを守らないのは、訪問者としてどうなのか疑問を感じました。
今日も雲ひとつない青空が広がり、強い日差しが容赦なく降り注ぎます。帽子がないので、さっきもらった小旗でかろうじて日影を作り、国王が登場するまで、また数時間の待機です。
だんだんロースト状態になってきたころ、次々と招待客や王族、首相が集まり始め、そしてぜひ拝見したかった第四代国王も現れました。しかし、遠くてお顔までははっきりとわかりません。残念…
元国王は席に着くことなく入り口の門のところで待ち、インドの大統領やソニア・ガンディーなどを迎えていました。
10時半をすぎたころ、ようやく新国王が到着。お父さんである第四国王と一緒に親子仲良く、VIP席と玉座のある中央の階段を上っていきました。
そしてやっと本日のイベントが開始です。すでに何時間もスタンバッていた軍隊や警察の行進が楽隊の演奏と共に行われ、国王がジープに乗ってフィールドを一周。
玉座に戻った後、スピーチが始まりました。
※写真:BHUTAN OBSERVER紙より
ゾンカ語でのスピーチは、内容こそわかりませんでしたが、ゆっくりと落ち着いた話し方で、十数分(数十分かも)にわたるほど長いものでした。遠目に見ていましたが、国王はスピーチの間、原稿などを読んでいる様子はなく、集まった国民のほうへずっと顔を向けてお話されていました。
世界一若い国王が話されたこの心のこもったスピーチは、多くのブータンの人たちを感動させたそうです。後日、新聞で英訳されたスピーチの内容が掲載されていたので、せっかくなので全文(もっと長かった気もするけど)をご紹介します。
---
BHUTAN OBSERVER 新聞より
掲載元:http://www.bhutanobserver.com/2008/11/page/3
It is with immense joy that we are gathered together on this most auspicious day.In these last 100 years the dreams and aspirations of our forefathers and the vision of our Kings have been fulfilled beyond all expectations. The wise and selfless leadership of our kings, the sacrifice and hard work of generations of Bhutanese and the special bond between the People and King have given us this unique and special nation ? a jewel of the earth.
Two years ago, at a time of profound change I came onto the Throne as a young King. You, my people, in the spirit of generations past, worked with me with complete faith and gave me your wholehearted cooperation and goodwill.
Thus, in these two short years while we have taken gigantic steps towards strengthening our nation, we have done so in a calm, deliberate manner in complete harmony. It is with great pride that we stand as new democracy, having successfully completed an unprecedented and historic transition.
Yet we must always remember that as our country, in these changing times finds immense new challenges and opportunities, whatever work we do, whatever goals we have ? and no matter how these may change in this changing world ? ultimately without peace, security and happiness we have nothing. That is the essence of the philosophy of Gross National Happiness. Our most important goal is the peace and happiness of our people and the security and sovereignty of the nation.
Our generation of Bhutanese have been gifted a strong, dynamic nation by our forefathers. I am confident that as long as we are willing to work with their commitment and dedication and follow their example we can bring greater peace, happiness and prosperity to our country.
I am confident because I know the worth and character of our people. You are the true jewel of this nation. As citizens of a spiritual land you treasure the qualities of a good human being ? honesty, kindness, charity, integrity, unity, respect for our culture and traditions, love for our country and for God.Throughout our history our parents have upheld these values and placed the common good above the self.
My deepest concern is that as the world changes we may lose these fundamental values on which rest our character as a nation and people. It is critical that we are able to recognize Bhutanese character irrespective of how far we look back into the past or into the future. The Bhutan we see is vastly different - unrecognizable even - when compared to the Bhutan in the time of our first King. Yet, the character of our people and the nature of our fundamental values have remained unchanged. Henceforth, as even more dramatic changes transform the world and our nation, as long as we continue to pursue the simple and timeless goal of being good human beings, and as long as we strive to build a nation that stands for everything that is good, we can ensure that our future generations for hundreds of years will live in happiness and peace.
It is not because I am King that I ask these of you. Destiny has put me here. It is with immense gratitude and humility that at this young age, I assume the sacred duty to serve a special people and country. Throughout my reign I will never rule you as a King. I will protect you as a parent, care for you as a brother and serve you as a son. I shall give you everything and keep nothing; I shall live such a life as a good human being that you may find it worthy to serve as an example for your children; I have no personal goals other than to fulfill your hopes and aspirations. I shall always serve you, day and night, in the spirit of kindness, justice and equality.
As the king of a Buddhist nation, my duty is not only to ensure your happiness today but to create the fertile ground from which you may gain the fruits of spiritual pursuit and attain good Karma.
This is how I shall serve you as King.
I cannot end without addressing our most important citizens - our youth. The future of our nation depends on the worth, capabilities and motivation of today's youth. Therefore, I will not rest until I have given you the inspiration, knowledge and skills so that you not only fulfill your own aspirations but be of immense worth to the nation. This is my sacred duty. A strong motivated young Bhutan guarantees a strong bright future.
The future is neither unseen nor unknown. It is what we make of it. What work we do with our two hands today will shape the future of our nation. Our children's tomorrow has to be created by us today.
I end with a prayer for Bhutan - that the sun of peace and happiness may forever shine on our people. I also pray that while I am but King of a small Himalayan nation, I may in my time be able to do much to promote the greater wellbeing and happiness of all people in this world ? of all sentient beings.
Tashi Delek
-----
このスピーチの中でも、ブータンの国王らしいというか、感動したのが、
あらゆる面において、私が治世している間は、
国王として、決してあなた方を統治するつもりはありません。
私は、親としてあなた方を守り、兄弟としてあなた方を守り、
息子としてあなた方を守るつもりです。
私は、すべてをあなた方に与え、何も保持するつもりはありません。
…
まだ若干28歳の若者が、一国のトップに立ち国民にこう宣言したのです。その肩にはきっと、私たちには想像できないほどの大きな責任がのしかかっていることでしょう。
今まで、いろいろな国の偉い人が同じような意味のことを口にしているのを度々聞いてきましたが、そのほとんどが「言葉」だけで終わっているような気がします。
ブータンがそのような諸外国と違うのは、実際にそれを実践し、国民も実感していることだと思います。
だから、言葉のひとつひとつが真実味を帯び、国民からの絶大な信頼を得ているのではないでしょうか。
いたるところで、テロや戦争が起きているこの地球上に、まだこんな国が存在していたなんて…
これは私にとって大きな発見であり感動でした。ほんの表面だけしかまだ知りませんが、実際ブータンに行って、ブータン国民の王族に対する敬愛振りを目の当たりにしたとき、両方の関係がうまくいっているということは明明白白でした。
いつまでもこのままでいてほしい…
訪問者の勝手な思いですが、心からそう思います。
感動のスピーチの後は、雰囲気はガラッと変わり、お祝いのプレゼントの献上や踊りが披露されました。
プレゼントのひとつの親子象(生きてるやつ)が入場したときには、会場から大きな歓声が上がっていました。どうやら初めてナマで見たようです。
その後、お昼過ぎまで踊りを見学し、まだ途中でしたが、ランチのためにホテルへ一旦戻りました。
※写真:BHUTAN OBSERVER紙より
午後は、民族衣装に着替え、ティンプーの市内観光に出発です。
まずは、昨日の戴冠式が行われたタシチョ・ゾンへ向かいました。ここは、ブータンの政治と宗教を担う最重要機関で、国王の執務室も併設されています。今回の戴冠式を祝う晩餐会も、招待客を集めこの中で行われたそうです。
ゲートに着き中へ入ると、昨日とはうってかわって、ほとんど人がいませんでした。国王が出入りする入り口には赤いじゅうたんが敷かれ、数人の警備兵が立っています。私たちは、その入り口とは別のところから中へ入ることが出来ました。写真撮影もOKとのことなので、今までのを取り返すべく、みんな思い思いにシャッターを切っています。中庭では、晩餐会の準備が着々と行われており、丸いテーブルの上に食器が並べられていました。
準備風景を横目にみながら、ある一角へ案内されました。
そこは、昨日の戴冠式の玉座があった真上の階で広いバルコニーになっています。普段は入れないようですが、今回は他の観光客がいないからか、特別に入れてくれました。
最初のドアをくぐると暗い空間が少しあり、それを抜けると、眼下に昨日の会場が広がり、その向こうにブータンの山々が連なっています。バルコニーには、何本も柱が立ち並び、壁には何枚もの大きなタンカが飾ってありました。みるからに貴重そうなもので、あとで気づいたのですが、戴冠式のために撮った国王の写真の後ろに、ここにあるタンカの一枚が写っていました。
こんなすごいものを実際に見れるなんて、なんてラッキー!
みんなで興奮しながらタシチョ・ゾンを後にしました。
次に向かったのはドゥプトプ尼僧院です。
そのすぐ近くの道路脇からはティンプーの町を見下ろすことが出来るので、そこで写真を撮ってから僧院へ向かいました。
中へ入ると、尼層はみんな戴冠式へ行っているらしく、一人もいませんでした。そのため、本堂の中は見ることが出来ず、外からの簡単な見学のみです。
建物の梁の上に小さな三角のものが置いてあるのを見つけました。これは、「ツァツァ」と呼ばれるもので、お墓を持たないブータンでは、亡くなった人の骨と灰を固めてこのようなものを作り、お寺や仏塔などにお供えするとのことです。
続いて、ティンプー市内を一望するには定番のテレビ塔へ行きました。
山道をどんどん登っていくと、たくさんのタルチョやダルシンがはためく高台へ出ます。一番頂上まで行って、そこから景色を見ながら歩いて下っていくと、ティンプーの町が山間に広がっているのが見えました。首都とはいえ、このように全貌を見ると、とても小さな町だというのがわかります。
高台から、車で少し下ったところにあるタキンの保護区には、国獣であるタキンが飼育されています。
ここには10頭ほどのタキンが飼育されていますが、タキンは通常、3000m以上の高所でしか生息できず、現在は、ブータン、ミャンマー北部、中国の雲南省の一部にしかいません。
国王が、動物を狭い檻に入れることを好まなかったため、ここは、かなり広い敷地(といっても山そのもの)の一部を、フェンスで囲っただけのもので、人間がその脇にある狭い道を歩き、運がよければタキンが近寄ってその姿を見れるというなんとも自然を大切にした施設です。
そして、私たちは運がよかった。
一頭のタキンがフェンスのすぐ向こう側まで来てくれたのです。その姿は、頭が羊、体がヤク(牛?)という非常に変わったもので、エサとしてあげた近くの草をモグモグする顔は、とても愛嬌のあるものでした。
最後に、今回の戴冠式のお祝い期間中のみ設置される「CENTENARY GROUND」というイベント会場に寄りました。もう日も暮れかかっていますが、これからが本番と言わんばかりに続々と人が集まってきています。
入り口のすぐ脇には、大きな野外ステージが設置され、その脇を通り奥へ行くと、連なったテントのお店が伝統的なお土産から、本、電化製品までいろいろなものを売っていました。
さらに進むと、なんと移動式の遊園地が登場。聞くところによると、この時のためにインドからやってきたとか。
ジェットコースターに、バイキング、観覧車はインドのおじさんが一生懸命手で回していました。どれも小さな乗り物ですが、みんなにとっては初めての遊園地らしく、たいへんな盛況振りです。
民族衣装のブータン人、袈裟をきたお坊さん、そして小さな子供まで、みんな本当に楽しそう。
私たちは乗りませんでしたが、なんだか見ているだけでもワクワクした気分にしてくれました。
最初はあまり期待していなかったのですが、とてもいいものを見れた気がします。
もう少しいたかったのですが、時間切れになったので、後ろ髪ひかれつつ、ホテルへと戻りました。
ホテルの部屋に荷物を置いた後またすぐ集合し「コロネーションウォーク」へ出かけました。すっかり暗くなったティンプーの町を一回り歩きます。
ホテルから、たくさんの屋台が連なるスタジアムの脇の道を通り、町外れの郵便局、たくさんの人と電飾で飾られたお店が並ぶメインストリートへと進みます。
そこで、ずっと探していた、今回の戴冠式の記事が書かれたBUTAN OBSERVER新聞がワゴン車で販売しているのを発見。すかさずみんなで買い始めると、近くにいた地元の人も、なんだなんだと集まり、つられて買っていました。特別号なのか、普段からそうなのかわかりませんが、カラー写真がふんだんに使われたとても豪華な新聞です。
そこから少し行くと、初日に寒い思いをした時計台の野外ステージで、またイベントをやっていたのでのぞいてみました。相変わらずの人の多さでしたが、なんだか今回はやたらに盛り上がっています。
MCの人が観客に
盛り上がってるかーい
のようなことを叫ぶと、大勢の観客がいっせいに
おーー
と返す。
何回かそれを繰り返すと、またゆる~い踊り(これは変わらないらしい)が始まります。それをしばらく見学したあと、夕食のためにホテルへ戻りました。
11月8日。快晴!
今日は、他のメンバーとは別行動で、ガイド兼ドライバーを頼んで、ブータンヒマラヤを一望するドチェラ峠へ行きます。参加したのは、同じツアーできた4名。(女性2人、おじ様2人)
もともと、そのうちの一人が事前にこのツアーを申し込んでいて、あとの3人が追加料金を払って、それに便乗させてもらったというものです。
今日は、本当はキラを着る予定はなかったのですが、ブータンヒマラヤと一緒にキラを着て写真を撮りたいという思いから、一緒に行くもう一人の女性と、朝ホテルで着付けてもらいました。
出発まで少し時間があったので、朝のティンプーの町を散策することにしました。今日もスタジアムでイベントがありますが、昨日のような行列はもうできていません。ちょっとその様子を写真に撮りたかったのですが、残念です。
スタジアムの脇を歩いていると、戴冠式のときにも会場にいた、どこかの日本のテレビ局の撮影隊がいました。レポーターの女性が晴れ着を着ていたのですぐわかります。
スタッフの人に聞いてみると、
「世界ふしぎ発見!」の撮影で、放送は来年の1月10日
だと言うことです。
戴冠式の模様を詳しく見れると思うので、興味のある方はぜひご覧ください。
さて、そろそろ時間なのでホテルへ戻り、ガイドのKさんと合流。日本語は話せないので英語のみの案内となりますが、写真好きの面倒見のいい青年で、そのお陰で、後々、とても楽しいツアーになっていきます。
朝9時、乗用車に前二人、後ろ三人乗り込み出発です。天気もすこぶるいいので、綺麗に山並みを見ることが出来るだろうと期待に胸がふくらみます。
人や牛や犬がのんびり行き交う山道を順調に登っていきます。途中、ドチェラ峠へのチェックポイントがあり、そこでガイドさんがなにやら手続きをして、さらに上へ進みます。
しばらく行くと、うっそうと茂っていた木々がなくなり青空が広がりました。ティンプーから約一時間、標高3200mのドチェラ峠に到着です。ひろい広場の端っこに車を止めて外に出ると、目の前に、雪をかぶったヒマラヤ山脈が一列に連なっていました。
うわーー
その見事なパノラマに一同大歓声。
それは雲や霧で隠れることなく、完全な姿を見せてくれていました。観光客も数えるほどしかいなく、まさに独り占め状態。一回目にしてここまで完璧に見えるとは本当にラッキーです。
しばらくそこでヒマラヤを堪能したあと、そのそばある、たくさんの仏塔が立ち並んだ小高い丘へ登ってみました。青い空と白い仏塔、その向こうにはブータンヒマラヤが連なり、それはどこを向いても絵になる風景です。
これはまさに、
「ブータンヒマラヤとキラを着た私」
というテーマで写真を撮るにはうってつけでした。
さっそくお互いに写真の撮りあいです。Kさんにも頼んで、一緒に撮ってもらったりしていたのですが、このあたりから、写真好きのKさんによる写真教室になってきました。
細かい立ち位置やポーズの指示が入り、熱心にベストショットを狙ってくれます。
そのうち、自分で撮った写真をKさんにチェックしてもらってアドバイスを仰ぐようになり、いつのまにかみんなKさんのことを
先生
と呼ぶようになっていました。
仏塔での撮影を終えた後は、その向かい側にある僧院へ向かいます。坂道と階段を登り、まずは僧院の脇にある展望台へ。そこからもまた見事なヒマラヤの山々を拝むことができました。先生による記念撮影をした後、僧院の入り口で靴を脱いで中へ入ります。
この僧院は、入り口から絢爛豪華な装飾がされ、黄金色のドアを入ると、天井の高い本堂の壁一面に、仏様や王族の歴史を表した絵が描かれていました。そして祭壇には、ブータン各地の僧院で見られるグルリン・ポチェの像も祀られています。その前では地元の人が五体投地をしてお祈りしていました。
そろそろお腹がすいてきたので、峠から車で少し行ったところにあるレストランに行きました。
ここは最近出来た(まだ一部工事中)観光客用のレストランで、壁一面の窓からはヒマラヤが一望できます。
ドチェラ峠もどんどん観光地化していくのでしょう。
料理はビュッフェ形式で、外国人用に辛いものはありませんでした。食後に本場のバター茶を飲みましたが、チベットで飲んだものと同じ味で懐かしかったです。
お腹がいっぱいになった後は、近くの山道を散歩です。
レストランから出て歩き始めると、そこで寝ていた犬が一匹私たちに着いてきました。とてもおとなしくて、私たちのペースにピッタリ合わせて歩いています。ただ、中には凶暴な犬もいて危険なので、注意が必要だと先生が言っていました。
山道からは、さきほどよりさらに近くにヒマラヤが見えました。しばらく行くと、どこからか子供の叫ぶ声が聞こえたので、ふと目を下に移すと、がけの下の山間にある一軒の家から、一人の女の子がこちらを見上げていました。先生に聞くと、山道を作るためにインドからきた人たちだということで、そう言えばこれまでにも、いろいろな工事現場でインド系の人が働いていました。
女の子のお母さんも出てきたので、軽く挨拶を交わし、これ以上進んでもいいポイントはないというので、ここで折り返して散歩は終了。犬も私たちと一緒にレストランまで戻って、また昼寝を始めました。
私たちは再び車に乗ってドチェラ峠を後にします。
ところどころにある水でまわるマニ車のお堂などに寄りながら、来た道と同じ道を下っていきます。行きにチェックをしたところで、牛や馬が放されていたのでちょっと散歩。ブータンでは、基本、みんな放し飼いで飼われているようです。
そのあと、チベット人が経営しているという売店でサモサをおやつに食べました。ブータンでチベット人が作るインドのサモサ。なんともブータンの国の位置を表していると思います。
続いて、ブータンらしい棚田が綺麗に見える高台や、ティンプーの町が一望できる道路脇など、ポイントにくるたびに車を止めて、先生と一緒に写真撮影をしました。
今でこそ、写真が大好きな先生ですが、以前は、観光客がいろんなところで写真を撮るのが理解できなかったそうです。でもあるツアーのガイドをしたとき出合った写真家にいろいろと写真の撮り方などを教わってから、すっかりはまってしまったとか。今では、お客さんよりも熱心に写真を撮ってしまい、早く行こうとせかされる側になってしまったそうです。
さて、ティンプーの町に戻ってきました。
まずは、最初にお願いしていた郵便局に行ってもらいます。
旅先の国で切手をお土産に買う人は多いと思いますが、ブータンの切手はCDの形をしたものとかユニークなのがあるのでぜひ欲しかったのです。日本の知人へのお土産用にもいいので、結構な枚数を買いました。
次に、すぐ近くにある国営のお土産物屋さんへ行きました。
ここには、ブータンの伝統的な織物や雑貨、アクセサリー、木彫りの壁掛け、タンカ…などなど、ブータンならではのものが揃っています。
国営ということで、品質は間違いないそうですが、その代わりそれなりの値段がします。ただ、店内で宅配も扱っているし、せっかくの記念の品を買いたい方は、ここでの買い物がおすすめです。
買い物が終わった後は、今日の最後の訪問地、メモリアルチョルテンへ向かいます。このチョルテンは、3代目国王ジクミ・ドルジ・ウォンチェックの追悼碑として1974年に建てられた比較的新しいものです。
私たちが訪れたときもたくさんの参拝者がいましたが、学生は学校帰りに、社会人は会社帰りにみんなお参りしていくそうです。
私たちも、みんなに混じって、時計回りにチョルテンの周りを歩きお祈りします。3回まわって、同じ敷地内にある巨大なマニ車を回して参拝終了です。
参拝し神聖な気持ちになった後、ティンプーの町の入り口にあるシムトカ・ゾンへ行きました。ここは、僧侶の学校にもなっているブータン最古の城です
ラチューを肩に掛け正装し、中へ入ります。夕暮れ時ということもあり、見学者は私たちだけのようでした。ほとんどの僧侶もお勤めが終わっているらしく、本堂のほうにはあまりいません。そのせいか、とても静かで、仏様の前に立って拝んでいると自分まで静かな気持ちになりました。
本堂から外に出て、その周りを囲む高い建物の間の回廊を歩きます。壁にはマニ車が並び、空を見上げると、月が青白く輝いていました。
旅してるなぁ
という実感が、お腹の底から湧き出てくるような感じを覚えました。こういうゾクゾク感を味わいたくて、旅行がやめられないのかもしれません。
ひととおり見学した後、犬に見送られて本堂の門から出ました。そこで、全員の集合写真を撮ろうということになり、シャッターを押してくれる人を探すと、ちょうど近くに数人の僧侶を発見。先生が彼らを呼びとめ、撮ってくれとお願いしています。若いお坊さんは、快く引き受けてくれましたが、どうやら一眼レフで撮ったことがないらしく、操作方法がわからないようでした。
すかさず先生が使い方の指導をし、フレーミングを決めています。他の僧侶たちも、なにが始まったんだと、興味深げに集まってきました。一眼レフを持ったお坊さんは、初めての体験にとても楽しそうにカメラを触っていますが、そのぎこちない姿がとても愛らしく、私たちも集まった僧侶もみんな笑いがとまりません。
やっとのことで写真を撮ってもらいましたが、それを見ると、人は首から下が切れ、ピントもずれ、斜めになっているという、非常に残念な作品になっていましたが、それを見たみんなは再び大笑い。
それぞれのカメラを他の僧侶にも貸してあげて、お互いの写真を撮りあう、大盛り上がりの撮影大会となりました。
写真を送ってくれと言うので、日本に帰ったら先生経由で送るという約束をし、僧侶たちと別れました。思わぬ異文化(?)交流ができ、きっかけを作ってくれた先生に感謝です。
ここで、今日の観光は終了。他のメンバーが待つパロのホテルへ向かいます。
日が暮れる中、真っ暗な山道を1時間半ほど走り、無事パロに到着。市内からは少し離れた山の上にあるホテルまでは2時間といったところでしょうか。
ロビーに入ると、ちょうど他のメンバーが部屋の鍵を受け取って、それぞれの部屋に向かうところでした。
今日はこれから、ドツォと呼ばれるブータンの石焼風呂に入れるとのことで、休憩もそこそこ、さっそく準備をします。夕食前に、希望者全員を入浴させるため、一人10分しか割り当てられなかったので、私は、他の女性と3人で足だけつかることにしました。
私たちの時間になり、ログハウスのような立派な浴場へ入り、その部屋の真ん中にある湯船に足をつけます。お湯はかなり熱くなっていて、すぐに体も温かくなってきました。
湯船は石を入れる部分と、人が入る部分と2層になっていて、石が入るところには太いパイプが外から渡されています。
お湯が冷めてきたら
ストーン(石)、ストーン(石)!
と外に向かって叫ぶと、熱く焼かれた石が、ものすごい音をたてながらパイプを通って湯船になだれ込むという仕組みです。
あっという間の10分でしたが、汗ばむくらいあったまりました。
さて、お風呂のあとは夕食です。
宿泊客は私たちだけのようで、食堂は貸しきり状態でした。
このホテルは、ティンプーで泊まったホテルと同じ経営者で、こちらはその奥さんが取り仕切っているそうですが、この日はティンプーからだんなさんもやってきて、おもてなしをしてくれました。
そして、パロに滞在する今日と明日の夕食では、飲み物を無料で飲み放題にしてくれる大サービスぶり。
横にいる奥さんの冷ややかな目を気にしつつも、気前のいいだんなさんは、他にも、ティンプーでラチューをプレゼントしてくれたり、とても良くしてくれました。