主な訪問地:ゴルムド~青蔵鉄道~ラサ
世界一高所を走る青蔵鉄道(青海チベット鉄道)にゴルムドから乗車し、天空の都ラサを目指す。車内は人であふれ、荷物置き場もすでに埋まり、想像していた優雅な鉄道の旅とはかけ離れていた。高山病でヨロヨロになりながらもなんとかラサに辿りつき、翌日には完全復活。元気にラサの観光に出かけた。町は各地から集まった巡礼者や僧侶たちがマニ車片手にゴンパを巡っている。世界遺産ポタラ宮は昼夜と訪れその見事さに圧倒された。
朝5時30分出発。外はまだ真っ暗です。
今日は、いよいよ憧れの天空列車・青蔵鉄道に乗車します。恐らくこの旅で、一番の目的にしてきたメンバーも多いはず。私も父も同様で、とても楽しみにしていました。
出発前にこの町でお別れするドライバーのHさんとバスの前で記念撮影をしました。本当に長い道のりを安全運転でありがとうございました。Hさんは、ゴルムドの駅まで私たちを送ってくれたあと、再び西寧に戻るそうです。
静まり返った町の中を進み、ゴルムド駅に到着。荷物をかついで階段を登ります。駅の構内に入る前に、飛行機なみの荷物検査とボディチェックを受けました。みんな無事に通過していきます。私も問題なく通過。しかし、うちの父だけがひっかかってしまいました。X線検査で荷物の中に怪しいものが写り、せっかくパッキングした荷物を開けさせられています。そして開けてみるとその怪しいものとは、チャカ塩湖で大量に採った塩でした。Sさんが一緒に対応してくれましたが、どうやら麻薬に間違われたらしいのです。
幸い、塩と判明し取り上げられることもなく事なきを得ましたが、危うく麻薬密売人とその一味になるところでした。
なんとか無事セキュリティチェックを通過した後は、改札が開くまでしばらく構内で待ちます。その時、少し時間があったので、もう一度外へ出て駅舎の写真を撮ってきました。再びボディチェックを受け構内に入ると、まもなく改札が開きました。いよいよホームへ入ります。しかし、列車に乗るまでは大きな荷物を持って、再び階段を上り下りし、反対側のホームまで行かなければなりません。私はバックパックだったので平気でしたが、スーツケースの人たちは大変そうでした。みんなで協力し、息も絶え絶えなんとか全員乗車。出発ギリギリでした。
しかし、乗った後も大変でした。私たちの席がすでに、西寧から乗車したと思われる他の乗客に占領されていたのです。通路にも人がいっぱいで、席にたどり着くのも一苦労。指定席のはずなのに、なんでこんなに人が溢れているのか不思議でしたが、今はそんなことを考えてる余裕はありません。
とにかく座席を確保するべく、メンバー一丸となって協力し、座っている乗客をどけようとしますが、このすったもんだを見物しに人が集まり、さらに大混乱。なんとか席を取り戻しますが、席の上の荷物置き場にはもうスペースはなく、大きなスーツケースなどを置く場所がありません。仕方ないので、座席の一部を犠牲にして荷物置き場にしましたが、おかげで、最初のふれこみの「3席に2名、2席に1名」というスペースは確保できず、非常に狭苦しい長時間の鉄道の旅になりました。
やっとのことでなんとか全員座れましたが、同じツアーの人は、想像していた優雅な青蔵鉄道とのあまりのギャップに半ば放心状態。私も、まさかこんなだとは思ってもいなかったので、かなりショックを受けました。
乗車直後の大混乱の中、列車は何事もなく静かに出発していきました。
気を取り直して、これから見えるであろう絶景に期待をゆだねます。だんだんと夜も明け、あたりが明るくなってきました。それと同時に、チベットの絶景が姿を現します。玉珠峰(6178m)や雪に覆われた 崑崙山脈、ココシリ自然保護区では、北京五輪のマスコットキャラクターにもなっているチベットガゼルなどの野生動物も見ることができました。
標高4500mを流れる長江源流の沱沱河(トトフ)やエメラルドグリーンの水を湛えるツォナ湖は、この時期まだ凍っていましたが、太陽の光が反射してなんとも言えない色合いをかもし出しています。
赤茶色の荒涼とした大地に青白い凍った川が走り、真っ青な空とのコントラストは、これぞ「チベット」という風景でした。
途中なんどか駅に停車したのですが、下車する乗客以外外に出ることが許されず、車両の写真を撮ることはできませんでした。その時の車掌さんやホームに待機している警察の気分によっては、出ることができるらしいので、交渉してみるといいかもしれません。
この区間で一番のイベントは、なんといってもタングラ峠越えです。その標高は5072m。青蔵鉄道が開通するまでは、ペルーの鉄道が標高4783mで、世界一だったのですが、それを200m以上も越えています。車内には電光掲示板があり、常に標高などが表示されていて、峠が近づくとそこに表示される最高地点の標高の数字を撮るために、みんなカメラを向け始めました。
5007m…、5050m…、もうすぐだ
カメラのファインダーをのぞきピントを合わせ準備はバッチリ。いつでもこい、と待ち構えていました。すると、
5084m
あれ?予想外の数字です。確か最高地点は5072mだったはず。電光掲示板が壊れているのか、本当にその標高があるのかは定かではありませんが、確かにこの数字が表示されました。もしこれが本当だとすると、さらに記録更新です。
(後に、車体自体の高さも含まれるのではないかと判明)
天空列車とも言われる青蔵鉄道は、世界一高所を走ることで有名ですが、実は全部で6つの世界一があります。
もしかしたら今後、どこかの国に抜かされる可能性もなきにしもあらずですが、私が訪れた時点での世界一をここでご紹介しましょう。
ゴルムドからラサまでの乗車中に、昼食と夕食を青蔵鉄道の食堂車でいただきました。聞くと、ここで食事をするためには、乗車後に食堂車まで予約をしに行かなければならなく、そして必ずしも予約ができるとは限らないとのことです。出来なかった場合は、お弁当のワゴン車がまわってくるので、それを買うことになります。
食堂車には専属のコックさんがいて、できたて熱々の料理を食べることが出来ます。品数も豊富で、絶景を見ながらの食事は、とてもおいしくいただくことができました。
またここには、簡単な売店もあり、水なども買うことが出来ます。私はこの売店で、「青蔵高原」というミネラルウォーターを買いましたが、癖がなくとても飲みやすかったです。
青蔵鉄道の車両は、高所を走るために作られたカナダ製のもので、車内には酸素を供給する仕組みを備えています。そして希望者には、酸素吸入用のチューブが与えられ、いつでも吸うことができます。ただ、気圧の調整は失敗している(やってないのか?)ようで、標高が上がるにつれ頭がガンガンと痛くなってきました。他の乗客にも体調不良を訴える人が出始め、しまいには、車掌さん(医者かも)が駆けつける始末。
この旅に出る前に、いろいろなサイトを見たのですが、高度計を持っている人が実際に計ったら、ちゃんと外と同じ高度をさしていたとか。なので、気圧に関してはあまり期待しない方がいいでしょう。
車掌さんによると、4600mを越えたら酸素を吸ったほうがいいということですが、Sさんが言うには、苦しくなければ高度順応できないので吸わない方がいいとのこと。実際私が感じたのは、酸素は十分で息苦しくはなかったので、あとは標高が下がって頭痛が治まるのをひたすら我慢して待つ、ということです。でもこの我慢のお陰か、標高3600mのラサに着いたときはだいぶラクになっていました。
6時の夕食を終え、あとはラサの到着を待つのみです。チベットは日照時間が長いので、20時を過ぎてもまだうっすらと明るさを残しています。そんなころ見えて来たのが、7111mの主峰をたたえるニンチェンタングラ山脈。少し曇ってはいたものの、綺麗に見ることが出来ました。
5000m越えをした後は、4000m以上の標高が長く続き、なかなか頭痛が良くなりませんでしたが、ラサの手前からグンと下がり、少しラクになってきました。
到着予定時刻は21時50分。その時刻より少し早く着きそうだったのか、途中でわざと止まり、オンタイムにするために余計な時間調整。ホームに着いたころにはすっかり暗くなっていました。下車してから先頭部分の写真を撮るためにみんなで行きましたが、すでに切り離された後で撮影できませんでした。残念。
薄暗い駅を出ると、ここからガイドをしてくれるDさんがお出迎え。ゆっくりと急ぎながら、重い荷物を担いでバスまで歩きます。少し息がきれますが、そんなに苦しいというほどではありません。
一路ホテルに向かいましたが、その道中、ライトアップされた世界遺産ポタラ宮の姿を見ることが出来ました。頭痛もふっとび、テンションが急上昇です。これまでテレビや本で何度も見たものが、今目の前にそびえ立っています。明日からの観光がとても楽しみ。
今日から3連泊するホテルは、ラサで唯一の5つ星ホテル・ヤルツァンポ大酒店で、外観から内装まで豪華絢爛。チベット風に統一されているのですが、私たちが到着してロビーに入ると、チベットの民族衣装を着たスタッフが音楽と唄とともに、歓迎の印にタカという布を首に掛けてくれました。
同じく出迎えてくれたマネージャーっぽい人は日本語も堪能で、他のスタッフも英語を流暢に話します。
部屋までの廊下には、両側にたくさんのチベットの骨董品や写真が展示され、さながら博物館のようでした。部屋番号がバラバラに並んでいるので、自分部屋を見つけるのに少し苦労します。
サービスの仕方も何か欧米風な感じがしましたが、実はこのホテルのオーナーは、以前NHKで放送された「激動する中国」で紹介され、そういうサービスを取り入れているそうです。
翌朝目覚めると、すっかり頭痛は治まっていました。高度順応ができたようです。でも、同じツアーの中には、青蔵鉄道ではまったく平気だったのに、ラサにきてから手がしびれるなどの症状が出始め、観光をやめてホテルで休養する人もいました。
今日はチベット旅行5日目の2008年3月12日。終日ラサの観光でしが、ホテルを出発したバスの車内で、Jさんから以下のような話がありました。
3月10日にデプン寺でデモが起き、昨日セラ寺でも起きたらしい。境内は警察に占拠されて、見学ができない状態。僧侶の負傷者もたくさん出たらしい。大昭寺(ジョカン)やポタラも今夜か明日にはダメになるかもしれない。
しかし、その後、デプン寺とセラ寺は修復工事のため閉鎖したと中国政府の公式発表があったそうです。このあたりから、いろいろな場面で、中国の情報操作を感じていくことになりました。
不穏な空気を感じながらも、街中は特に危険な状態ではないので、予定を変更し、臨機応変に見れるところの観光に切り替え、Jさん、Sさん、Dさんのがんばりで、本来の予定を十分にカバーできる観光が実現しました。後で聞いた話ですが、他の旅行会社で来ていたツアーは、みんなフリータイムになってしまったそうです。
まずは、まだ見学ができるチベット唯一の世界遺産ポタラ宮へ。ポタラとは「観音様が住む地」という意味で、チベット人にとってはダライラマを意味しています。1959年にダライラマがインドに亡命するまで、宗教と政治の中心として、チベット人の心のよりどころになっていました。ポタラ宮はマルポ・リ(赤い丘)に建てられ、一説には7世紀にチベットを初めて統一したソンツェンガムポ王の時代から築かれていたといいます。そして、その建築方法は、未だに謎のままだそうです。
前の広場で集合写真を撮り、その後少しの写真タイムのあと、いよいよ中へ入ります。入り口近くのポタラ宮のまわりでは、たくさんの人が五体投地をしていました。
入り口を入ると、ボディチェックと荷物検査を受けます。そして中庭にでるのですが、そこからは一層近くになった白と赤のポタラが姿を現しました。中にはトイレがないというので、ここで済まして、いざ出発。ポタラの観光は通常一時間に制限されているとのことですが、今回は観光客も少ないので無制限に時間がとれるそうです。そのため、ここから20~30分かかる長い坂も、周りの景色を見ながらゆっくりと登ることが出来ました。Jさんの話だと、観光シーズンに来ると、このあたりから人がいっぱいで渋滞するそうです。
坂の途中では、手を引きながら登る人や、道の片隅で休む人、赤ちゃんを抱えて息を切らす人など、みんなそれぞれがんばって登っていました。私たちも無事全員、まずはゲートまで到着。ゲートを入るとまた少し階段があって、チケット売り場を通ります。そこを過ぎると、開けた広場があり、その向こうに白宮がそびえ立っていました。白宮は、かつてダライラマ13世と14世が暮らしていた冬の宮殿です。
建物中央の小さな入り口から中へ入り、また階段。けっこう登ります。地元の人も観光客もみんな息を弾ませていました。そしてようやくポタラ宮の頂上へ。ラサの標高は3650mですが、この頂上は確か3765mで、ほぼ富士山の山頂と同じです。
ここからは、ダライラマ14世が子供の頃、興味深々に下界を見下ろしていました。
とDさんが解説してくれました。
ポタラ宮には999の部屋があるとされていますが、観光客が見学できるルートは決まっていて内部の写真撮影も禁止されています。白宮はほとんど解放されていませんが、見所の多くは紅宮にあるので、私たちはそこを見てまわることになります。混んでいる時期に来たことがないのでわかりませんが、通路が狭いのであまりたくさんの人がいると見るのが大変そうです。
内部には、チベットの仏教徒が巡礼の対象に訪れる歴代ダライラマの玉座や霊塔があり、その中でも、最も偉大なダライラマの一人として名高い5世の霊廟は圧巻です。その高さは14mもあり、3700Kgの黄金と15000個の宝石が使われているそうです。他にも、3階にある時輪殿のチベット密教の最奥儀とされるカーラチャクラの立体曼荼羅は一見の価値あり。
その後私たちは、ポタラ宮で最も重要なご本尊の観音様の前にたどり着きました。多くの巡礼者の最終目的地のひとつとされる神聖な場所です。ここで私たちも他の巡礼者に混じって、五体投地をさせてもらいました。さながら富士山の頂上でスクワットという感じで息が切れましたが、一生分のお参りをした満足感を得ることができました。
外に出ると、Jさんがすごいトイレがあるというので、見学しに行ってみることに。それは床に2つ穴が開いただけのもので、その穴からは遙か下界が見下ろせます。一説によると、ここでトイレをするとみんな風で吹き上がってくるとかこないとか。私はしませんでしたが、もし行ったらチャレンジしてみてください。 結局、2時間以上もかけてゆっくりと観光し、後ろ髪引かれる思いでポタラ宮を後にしました。
市内のレストランで昼食をとっている間、Dさんがタクシーでセラ寺まで見学できないか確認しに行ったそうですが、現在はお寺に続く道自体が封鎖されていて近づくこともできないとのことでした。残念ですが、仕方ありません。
昼食後はチベット医学の蔵病院へ行きました。ここには、チベット医学の考え方や実際使われている薬草、トルコ石や山さんごなどの鉱物、冬虫夏草などが展示されていて、貸切だったこの日は、本物のお医者様が館内を案内してくれました。見学後は、薬草茶をいただきながら、案内してくれたお医者様による無料の脈診も希望者にしてくれました。
診察の後は、当初の予定にはない小昭寺へ行きました。バターや肉、雑貨、お土産物のお店がひしめく参道を少し歩くと到着です。入り口には、遠くから来た巡礼者がたくさん座っていました。ここは、大昭寺(ジョカン)と並ぶほど古いお寺で、重要文化財に指定されています。文成公主が唐の建築師を招いて作らせたお寺のため、その建築様式は、唐代の特徴を少し残しているそうです。火災で何度も焼失し、現存するものは立て直されたものです。現在のご本尊は不動金剛像ですが、かつての本尊は、現在大昭寺に祭られている釈迦牟尼像だったと言われています。
今回はここでとても珍しい光景を見ることが出来ました。それは、僧侶たちによる砂曼荼羅の製作現場です。Jさんによると、こんな機会はめったになく、旅行社が50回来ても見るのが難しいとか。セラ寺やデプン寺の見学ができないのは残念でしたが、その代わりこんな貴重な光景を見ることができて、本当によかったです。さらに、Jさんがお坊さんたちに頼み込んで、お布施を渡し、写真撮影もすることができました。
お坊さん達は台を囲んでお経を見ながら、定規やコンパスを使って線や円を描いていきます。とても神聖な作業だと思いますが、ガタイのいい丸坊主のお坊さん達が頭をつき合わせて、低い静かな声でボソボソと相談しながら一生懸命細かい構図をとる姿は、なんだかとても親近感が沸いてしまいました。中には、日本のお父さんのように、えんぴつを耳にはさんで作業している人もいて、思わず微笑が。
その作業を見学していると、一人の僧侶が私に英語で話しかけてきました。私はチベット語も中国語も話せないので、僧侶と直接コミュニケーションがとれるとは思ってもいなかったので、びっくりして英語で話をしてみました。
英語を話せるの?
少しだけ
英語はどこで勉強したの?
ここで
ここにいる人はみんな英語を話せるの?
いいえ、たぶん自分だけ
どうやらこの若い僧侶は、独学で英語を勉強したようです。やはり、だんだんと国際化しているのでしょうか。それにしても、小昭寺では、いろいろと貴重な体験をさせてもらいました。
再びバスにのり、大昭寺(ジョカン)へ向かいました。しかし、突然封鎖されていて、Jさんやガイドさんたちが交渉しても見学はできませんでした。すでに警察に占拠されてしまったそうです。いったいこのチベットで何が起きているのか、現地ではガイドさん同士のネットワークや、日本の旅行会社とのコンタクトで得られる情報のみで、詳しいはっきりとした情報が得られません。
しかし、こんな状況でもジョカンのまわりでは、熱心に五体投地する人の姿がたくさんありました。
私たちは予定を変更して、ジョカン近くの尼僧院アニツァングンへ行きました。このあたりは、ラサの旧市街でチベット風の建物が立ち並んでいます。その雰囲気のある路地をしばらく進んでいくと、こじんまりとした僧院に到着。よく見ていないとうっかり見過ごしてしまいそうな入り口です。
さすが女性だけとあって内部は整然と美しく整理され、雰囲気もなんとなく柔らかい感じです。Jさんたちが、ジョカンに入れなかったという事情を話すと、快く写真撮影の許可をしてくれました。
本堂の主尊は十一面千手観音で、小さいながらも金色に輝いていました。本堂の隣には、ソンツェンガンポが瞑想したという洞窟のような部屋が隣接されています。また、院内には、マニ車の中にいれる小さな経典の工房もあり、尼僧たちがおしゃべりしながら作業をしていました。住居部分になっている最上階まで見学したあと、Sさんのおごりで併設されているカフェでヤクのミルクティーをいただきました。あまくて癖がなくとてもおいしかったです。
休憩をした後は、ジョカンの周りをとりまく八角街に戻り、一時間ほどのフリータイム。様々な民族衣装を着たたくさんの巡礼者と混じって、出店で買い物をしました。いろいろなお店で値切り倒し、父はマニ車、私は小さなマニ車を模したネックレスなどをゲット。
そうこうしているとあっという間に時間がすぎ、集合場所のレストランへ行きました。ここでは夕食を食べることになっていたのですが、バイキング形式になっていてヤクのチーズや肉、ツァンパなどのチベット料理を民族舞踊を見ながらいただくことができました。その民族舞踊はとても迫力があったのですが、メンバーのなかにどうも新人の子がいて、ちょいちょい踊りをまちがえます。しまいには見事に転倒し、本人も他の踊り手も私たちも笑いをこらえながら(実際はこらえられなかった)の鑑賞でした。
楽しい夕食が終わり、レストランの一階にある高級そうなお土産物屋さんで、父がトルコ石のネックレスを母のために買っていました。ちょっとお高かったのですが、ガイドさんと協力してここでも値切り倒し、かなり安く手に入れられたみたいです。そして、「証拠写真」だと言って、お店の人と一緒に記念撮影。偽物だったらこの写真を持ってまたこのお店に来るそうです。
その後店を出て、バスに戻るためにパルコルを通って行ったのですが、もう暗くなりかけているのに巡礼者がまだたくさん歩いていました。ふと見ると、父が赤い袈裟を来た一人の女性に日本語で話しかけています。もちろんわかるわけがないのですが、お互い自分の言葉でなんとなく会話になっているようでした。今回、父とは初めて海外旅行をしましたが、まったく物怖じせず、ガンガン地元の人に(日本語で)話しかけていく姿にはかなり驚きました。今まで長い間「親子」をしていましたが、全然気付かなかった意外な一面です。
私も途中から加わり、すっかり仲良くなって最後に一緒に写真を撮りました。
バスに乗った後、一旦ホテルに戻り、希望者をポタラ宮のライトアップ鑑賞に連れて行ってくれました。これも本来は予定にはありませんでした。ほとんどの人が参加し、ポタラ宮へ。青蔵鉄道でラサに着いてホテルに向かう途中、遠くに見えましたが、間近に見るとその迫力と美しさに圧巻です。
30分の写真タイムを三脚を担ぎフルに活用しました。撮影をしていると、いつの間にか後ろに人がいることが何度かあり、その度に撮った写真を液晶で見せてあげました。言葉は通じませんが、なんとなくコミュニケーションが取れた楽しいひと時です。
あっという間のライトアップ鑑賞&写真撮影を終え、今日も夜遅くにホテルに戻りました。