青蔵鉄道(青海チベット鉄道)に乗車しラサをはじめ、チベット奥地のツェタンまで訪れるチベット旅行記。チベットが誇る世界遺産ポタラ宮では五体投地とコルラをし、各地から集まった巡礼者とも交流。ツェタンに向けラサを去ったその日の午後、チベット騒乱が勃発しラサは混乱に陥る。ヤムドゥク湖やツェタンの寺を巡ったあとラサ空港に向かうと、飛行機はラサから逃げる人で満席だった。騒乱で閉鎖される直前のジョカンやポタラ宮、一心に砂曼荼羅を作成する僧侶たちなど天空の都チベットの旅を写真と共に綴る。
主な訪問地:蘭州~西寧~日月山~青海湖~橡皮山峠~チャカ塩湖~ゴルムド~(青蔵鉄道)~ラサ(ポタラ宮・八角街・ジョカン・砂曼荼羅)~カンパ・ラ峠~ヤムドゥク湖~ツェタン(サムエ寺・問答・ヨンブラカン)~民家訪問~北京
旅行時期:2008年3月/利用航空会社:中国国際航空、中国東方航空/[外務省]中国基本情報
チベット旅行 評価:4.5 -kaycom
2008年3月、9日間の日程でチベットのツアーに参加しました。
今回のメンバーは13人。私は父親との参加です。父は今回が海外旅行2回目で、一度目は社員旅行でグアムに行ったきりです。父と二人での旅行はこれが初めてなのもあり、若干の不安は感じましたが、添乗員付の安心ツアーなのでたぶん大丈夫でしょう。
集合は、成田空港に朝7時。家からでは、始発に乗っても間に合わないので、仕方なく空港近くの旅行会社提携のホテルに前泊しました。
翌朝、空港で先日送ったバックパックをピックアップし、指定カウンターに集合。ここで東京発組みの11人と今回同行してくれる添乗員のJさんと顔合わせです。やっぱりみなさん旅慣れてる感じで、スーツケースにはステッカーがたくさん貼ってありました。今回も楽しい旅になりそうです。
中国国際航空のカウンターで個人でチェックイン。出国審査を経て出発ゲートで待っていました。すると、
「○○様(←私)、××番の搭乗口までお越しください。」
と、呼び出しを受けました。すでにその場所にいたので申し出ると、バゲージタグを間違えたので付け替えたいとのことでした。確かにチェックインするときの係員はモタモタしていて少し心配だったのですが案の定。でもここで気づいてよかったです。それにしても、出発前からこんなんで大丈夫か?空港で呼び出しをされたのも初めてです。
9時発のフライトで北京に到着。途中、上空から富士山が綺麗に見えました。
北京のターンテーブルのところで、大阪発組みの2人と合流。
荷物をピックアップした後、中国の入国審査を受けましたが、審査官のいるカウンターに5段階評価のボタン式のアンケートが設置されていて、対応がどうだったかを投票できるようになっていました。そのせいか、審査官はみんな笑顔で乗客に対応しています。まさか中国で、公共のサービスを笑顔で受けれるとは思ってもいませんでした。空港内の柱にも、「サービス向上にがんばってます」というようなことをアピールしたポスターが貼ってありました。中国も五輪に向けて努力しているようです。
無事審査を通過し、北京のガイドさんと落ち合うはずでしたが、いくら待っても来ません。やっと連絡がとれたら、どうやら渋滞で来れないとのこと。急遽、空港の係員に乗り継ぎを案内してもらって、国内線の搭乗ゲートまで行きました。ここで少し時間があったので、父と空港内のラーメン屋さんに行って腹ごしらえ。う~ん、まずくはないけど、日本のラーメンのほうが美味しかったです。
お腹も一杯になり、国内線のゲートで待っているとき、Jさんが来てパルスメーターで血中酸素濃度と心拍数を計りました。このツアーは高地に行くので、これから毎日この数値を元に健康チェックをするとのことです。
出発時間になり国内線へ乗り込みました。なんだか、国際線よりもきれいで座席間も広く快適です。が、軽食として出た機内食はちょっとひどい。
2時間ちょっとで蘭州空港に到着。ここで、これからこのツアーに同行してくれるガイドのSさん、途中のゴルムドまで運転してくれるドライバーのHさんと合流しました。お二人ともチベット族の人たちです。
蘭州に降り立つともう夕暮れ時。少し涼しいくらいで気持ちいいです。標高は1510mで、これから向かう青海省の省都、西寧は2275m。まだそんなに高くないですが、さっきまで平地だったところから飛行機で一気に来たのでちょっと心配です。
1人二席以上はとれるゆったりバスで西寧へ出発。少し走ると、茶色い乾いた風景が広がってきて、そこには植林された木々が生えていました。政府の方針で黄砂対策として植えられているそうです。この辺りにはレンガ工場がならび、石炭もたくさん採掘できるとか。石炭やワラをたくさん燃やすため、いつもモヤがかかっているそうです。
崖が落ち込んだ地形が続き、その風景は小さなグランドキャニオンのようです。その厳しい地形の中に小さな集落がいくつも過ぎていきました。見る限り、決して裕福そうではないですが、収入は10年前にくらべると10倍も増えたそうです。
しばらく行くと夕陽に輝く河が見えてきました。あの中国を代表する大河、黄河です。まだ上流なので川幅は広くありませんが、なんとなくゆったりと堂々とした姿です。谷の合間にチラチラと見えただけですが、少しでも拝めてよかったです。
日もとっぷりと暮れた頃、今日の目的地、西寧に到着。今までの風景とは一変して、高層ビルが立ち並ぶ大都会です。ホテルはその市の中心にありました。車も人もたくさんいて、ネオンがギラギラととにかく派手。それはホテルのロビーも一緒で、クリスマスかと思うほどのきらびやかな内装でした。でも一応4つ星ということで、設備もサービスもよかったです。
ホテルに着いたのは20時30分ごろ。部屋に行く前にホテルのレストランで夕食をとりました。おおきな丸いテーブルに全員が座り、中華料理をいただきます。
この時、北京で落ち合うはずだったガイドさんを派遣した旅行会社の人が来ていて、お詫びの言葉と共に、ビールの飲み放題をプレゼントしてくれました。なんだか、空港の職員といい、旅行会社の人といい、少し中国のサービスのイメージが変わりました。
料理はとてもおいしく、食べきれないほどの量がどんどんでてきます。初日から大満足の食事を終えた後は、これからご一緒するメンバーの自己紹介。みなさんいい方たちばかりで楽しくなりそうです。
そして、ここでJさんから注意点がひとつ。チベットでは、写真撮影が制限されてるところが多いので、必ず確認してから撮るようにしてください、とのことで、写真を撮るのがメインの私には痛い報告でした。
今日は、高度順応も兼ねて西寧の観光です。でもその前に、昨日ガイドさんが言っていた「老人ディスコ」なるものに行ってみることにしました。
朝食後、ディスコが行われているという近くの公園まで、地下道を通り、車がブンブン通る大通りを渡って行きます。無事たどりついて園内を見てみると、いるいる。たくさんの人が音楽に合わせて体を動かしていました。
老人ディスコ
それは、太極拳の現代版の呼び方というか、体操全般のことで、実際にこちらでそう呼ばれているそうです。
私たちは、いくつかのグループの中でも最も太極拳っぽい踊りをしているところに加わりました。端っこの方で、近くの人の動きを見て真似をしてみます。へっぴり腰で突然参加しだした外国人に、みんな気になるのかチラチラと視線を送ってきます。
少しすると、すごく上手な人が私たちのお手本になってくれるような感じで、近くに来て踊ってくれました。その人を参考にがんばって2曲、3曲と踊っていくとだんだんと慣れてきて、少しはみんなについていけるようになりました。そして慣れてきた頃終了。動きはとてもゆっくりですが、汗がにじんで(高地というせいもあり)呼吸も弾みます。けっこうきつい。
ゼーゼーしている私に、一緒に踊ってくれたおじいちゃんおばあちゃんが近づいてきて、「よくがんばったね」のようなことを笑顔で言ってくれました。ずっと気にしていてくれたようです。
父とともに、爽快な気分でホテルに戻りました。
バスに乗り、約30分かけてゲルク派6大寺院のひとつ、タール寺に行きました。バスから降りると、ほとんどいんちきというお土産物屋さんの間を通り抜け、大きな門をくぐります。
大きな寺院ですが、とてもすいていて、道も広く歩きやすい。広場に出ると、8つの仏塔からなる八大如来宝塔が目を引きます。この仏塔は、お釈迦様の人生の八大功徳を表しているそうです。そのまわりでは、マニ車を回す人、五体投地をする人、お線香を上げる人など、みんな熱心にお祈りをしていました。
カラフルなチベット建築の間を通り、まずは護法神が祀られている小金瓦殿へ。ここは2階建ての寺院で、中に入るとその2階からヤクや羊、熊などの燻製が顔をだしてこちらを見下ろしています。
その後、祈寿殿をまわり、3000人を収容することができるタール寺最大の建物、大経堂へ。
中に入ると、たくさんのタンカや経典、ダライラマの玉座などがあります。建物の外側では、所狭しと巡礼者が五体投地をしていました。それにしても、建物のデザインや細工、色使いがとても美しい。歴史ある建物ですが、なんだかまるで、何かのテーマパークのような感じがしました。でも、残念ながら、内部は撮影が禁止なのでカメラに収めることができません。
次に、高さが11m、数万個の宝石が使われている銀塔がある大金瓦殿、バターで作られた彫刻がある酥油花館を訪れました。冷房付の硝子のケースの中に力作が並んでいます。これはもともと、冬になるとお供えする花がなくなってしまうので、バターで花を作ったことから始まったそうです。他にもバターの彫刻はあるそうですが、ここタール寺のが一番レベルが高いということです。
およそ2時間かけてじっくりタール寺を見学しました。
タール寺のあとは、西寧の市内に戻りレストランで昼食をとった後、青海省博物館に行きました。ここの博物館は、広い広場に面しているのですが、休日だったためか、その広場ではたくさんの家族連れが遊んでいました。中には、凧揚げをしている子供たちも。
実はこの博物館は、日本の小島鐐次郎氏という方が5億円を投じて建てたもので、他にも青海省のいろいろなものに多額の寄付をし、こちらではかなり有名な日本人だそうです。館内には、青海省にまつわる文化や仏像、たくさんのタンカなどが展示されていました。
続いて、中国蔵医葯文化博物館を見学。ここは、2006年5月にオープンしたばかりのとても新しい博物館で、展示内容もチベット医学から天門学、タンカ、砂マンダラなど多種多様で、中でも一番の目玉は、ギネスブックにものった巨大なタンカです。その大きさは、幅2.5m、長さ618mもあり、400人が4年かけて作ったそうです。そしてあまりに長いので、最後の4mは展示しきれずに巻かれていました。
描かれている内容は、チベットの歴史や密教の神々、マンダラなどがメインなのですが、途中ふと見ると妙に親近感の湧くものが下の方に小さく描かれていました。それは「電卓」です。そろばんと並んで描かれていたので、きっと文明の進化を表しているのだと思いますが、仏様やマンダラ、僧侶ときて「電卓」とは、ちょっと…いや、かなりの違和感がありました。
本日最後の観光は、ホテルのすぐ裏にある水井巷市場です。異国に来て市場に行くのはとても楽しみです。一旦ホテルにもどってから、現地のガイドさん姉妹に案内してもらいました。行く前に、スリに気をつけるようにとさんざん脅されましたが、実際行ってみると、そんな危険な感じはせず、散策を楽しむことが出来ました。
規模はそんなに大きくないのですが、小さなお店がところ狭しとならんでいて、(本物か偽者かは別にして)内容的にはかなり充実しています。中には「酒」と大きく書かれた壺が置いてあったり、雰囲気も異国情緒たっぷりでした。チベットのお土産も売っているので、ここで調達するのもいいかもしれません。
ここで、青海省の名物のヨーグルトを味見させてもらいましたが、酸味がほとんどなく、濃くて美味しかったです。他にも、クッキーや甘栗などおすそ分けでいただいたのですが、どれもなかなかでした。
一通り回って日も暮れてきた頃、ホテルに集合し、夕飯のために市内のレストランへ向かいました。
朝食後、7時30分にホテル出発。今日はゴルムドまで700キロの大移動です。
まずは、よく整備された青蔵公路を走り日月山へ。
ここは、7世紀に唐の皇女、文成公主がチベットの王、ソンツェンガンポのもとへ嫁ぐ途中に立ち寄り、故郷に別れを告げた場所です。また地理的には、ここからチベットになり、黄土高原と青海高原の境目ともなっています。
途中、Sさんに「あの山頂までいきます」と指差された日月山を見たとき、「あたし、大丈夫か?」とちょっと心配になるほど高々とそびえたっていました。標高3510m。木のまったく生えていないくねくねとした山道をしばらく登ると、まもなく入り口に到着しました。
バスを降り、さらに上にいくために階段を登らなければならないのですが、これが息がきれて苦しい。みんな、数段登っては休憩というのを何回か繰り返し、やっと月亭にたどりつきました。ラッキーなことに、観光客は、私たち以外に誰もいません。
貸しきり状態の日月山を満喫していると、突然Sさんが叫びました。
ハジャロハジャロラソソソー!
そして、それと同時にルンタと呼ばれる経文が書かれた四角い小さな紙が空を舞いました。ルンタとはチベット語で、
風の馬
と言う意味で、幸運や仏法が風に乗って世界中に広まるよう願いが込められています。真っ青な空に舞う色とりどりのルンタを見ていると、あ~やっとチベットに来れたんだと感無量。まだまだチベット旅行はこれからが本番なのに、早くもこんなに感動してしまうとは。風の馬は、そんな感動しきりの私たちを後に風に乗って大空に消えていきました。
その後、タルチョがはためく第二ピークまで登ってみました。とがった山頂にタルチョが巻きつけられ、その端が山肌にまで伸びています。青・赤・白・緑・黄のひとつひとつの布には、仏様や馬の絵と共に経文がびっしりと書かれていて、チベット族の信仰深さが伺えました。
日月山の麓に下りると、白いヤクをひきつれたおじさん待ち構えていました。ヤクに乗っての記念撮影のためです。聞くと、白いヤクはとてもめずらしいそうなので、私の父が立候補。一回5元を払い跨ります。ヤクはとても人に慣れていて、大人しくおじさんの言うことを聞いていました。他のみんなも加わって、ひとしきり撮影大会が終わると、次は、中国最大の塩水湖・青海湖へ向かいます。
日月山からしばらく走ると、遠くの方に白い湖が地平線のように広がってきました。この時期、青海湖はまだ凍っていて白く輝いています。昨年は、4月中旬くらいに氷が溶けたそうです。
青海湖は、びわこの6倍もの大きさがあり、1960年代には、108もの河川が流れ込んでいたそうですが、今ではその河口の85%が干上がり、アメリカの調査では、100年後にはなくなってしまうだろうと言われているそうです。
湖畔から牧草地をはさんだ道路沿いに車を止め、写真タイム。牧草地には羊がいて草を食んでいます。ちょっと湖まで距離があったのですが、その大きさは十分に伝わりました。
夏には、湖は青く染まり、湖畔は菜の花が咲き乱れるそうです。
青海湖の写真タイムのあとバスに乗り込み走っていると、再び止まりました。
Jさんが、
今、五体投地をしている人がいるので、話しを聞けるか聞いてみますね
と言い、Sさんと一緒にバスを下りて行きました。交渉は、そのサポートをしているという親戚の女性に行われ、お話しだけでなく写真も撮っていいことになりました。五体投地をしている本人は、だいぶ遠くに見えます。
サポート役の人は、水や布団をリヤカーに乗せ、それを巡礼者の後について運んでいきます。巡礼をするのもお金がかかるので、だいたいが家族の中から一人選ばれ、その人が家族を代表して出かけるそうです。
巡礼は、朝の8時ごろから始まって、夜の8時ごろまでひたすら続きます。そうして何ヶ月もかけて最終目的地のラサまでたどり着くわけですが、この高所での寒さと疲労はきっと相当なもので、それと戦いながら続けるということは本当に心からの信仰心がなければ、到底できるようなことではないでしょう。
私たちが日本に帰ってきた今でも、ラサに向けて巡礼を続けているはずです。
バスに戻り再び広大な風景の中を進みます。
バスはどんどん標高を上げていきます。これから、本日の最高地点 橡皮山峠を越えなければなりません。標高は3817m。今まで、富士山山頂より高いところに行ったことのない私にとっては、まさに未知の世界です。
さっきの日月山でも息苦しかったのに、いったいどうなってしまうんだろう…。
好奇心と不安(と高所)で若干ドキドキしてきました。そうこうしているうちに、峠に到着。道路の標識にも「像皮峠 3817m」と大きく書かれています。
さっそくバスから下りると、JさんやSさんが
ゆっくり歩いて、走らないでくださーい
と叫んでいます。私も最初は様子を見ながらゆっくりと歩いていましたが、そのうち写真も撮りたかったのでちょっと小走りに移動したら、とたんにゼーゼー。シャッターを切るために息を止めても、やっぱりゼーゼー。目眩までしてきました。慌てて深呼吸を繰り返し生還。
しかしこのツアーでは、これくらいの高さはまだまだ序の口で、今後、
走るな危険
という文字がつきまとうことになります。なんとか気合と根性と深呼吸で人生初の高所を乗り切りました。
橡皮山峠を無事越えた後、昼食を取りにチャカ町のレストランへ行きました。このレストランは豚肉を出さない清真料理の店で、緑の看板が目印です。ここでは、定番の中華料理のほかに、手打ちラーメンを食べることになっていました。
ラーメンの「ラー」は「伸ばす」という意味で、ラーメンとは「伸ばす麺」というそのままのネーミングだそうです。
お店に入ると、厨房と麺打ちを見学することができました。大きな包丁に、火が音をたてて噴出すカマド、手際のいい料理人たち。そんな中、麺職人が、一人分ずつ小分けされた麺の生地のかたまりを素晴らしい手さばきで、あれよあれよと言う間に細く伸ばしていきます。
感動しながら眺めていると、人数分のラーメンがあっという間にできあがりました。
さっそく席に戻って熱いうちにいただきます。
今まで食べたことのない食感の麺はとても柔らかく、いわゆる日本のラーメンのような「コシ」というのはあまりありません。そしてスープはあっさりさっぱりなので、テーブルの上にあるお酢などの調味料を入れて自分好みに仕上げます。
他にも麻婆豆腐や、ナスや野菜の炒め物など山盛りの料理が出てきてお腹一杯。すっかり冷えた体も温まりました。
満腹になった後は、そこからバスで10分ほどの場所にあるチャカ塩湖に行きました。もともとは、青海湖のような塩水湖で、海抜3104m、面積は105キロ平方メートルもあります。雨季には水浸しになっていたそうですが、今はほとんど乾いて白い砂漠のようになっていました。
ここは、国営の塩の採掘場で、観光客などの採塩は硬く禁じられていますが、この時期は監視役がおらず、実際に採掘している現場で採りたての塩を好きなだけもらうことが出来ました。
大きな歯車みたいのが先端についたクレーンで、塩の山をガリガリと削り、その塩がベルトコンベアに乗って、トラックの荷台まで運ばれてくるのですが、その荷台から時折塩が溢れ脇に積もります。
みんな、その溢れた塩を各自持参したビニール袋にこれでもかというくらい詰めこんでいました。ふと見ると私の父も、持って帰れるのか、というくらいの量を一生懸命詰め込んでいます。その量は、ちょっといただくというものではなく、もうどこかの業者の仕入れのようです。
ちなみに私は写真を撮っただけで塩は採りませんでした。(荷物が増えるから)無料で質のいい塩を仕入れることができて、みんなご機嫌でチャカ塩湖を後にしました。
しかし、この時採った大量の塩が、後にいろいろな場面で問題を起こすことになるのです。
チャカからゴルムドまでは、砂漠に生息する野生のラクダやキレン山脈の壮大な風景を眺めながらのドライブです。茶色い草原の向こうに真っ白な雪を被った山々が幾重にも連なっている様は天空の別世界のよう。青蔵鉄道に西寧から乗車すると、このあたりは夜なのでこの風景は見れないとのことです。もったいない!
ゴルムドの手前の砂漠で、ちょうど夕暮れを向かえ、青空トイレを兼ねた写真ストップ。真っ赤な夕陽とそれに染まる砂漠を見ることが出来ました。その後、町の明かりが届く前に、今度は星空ストップ。月も細く、真っ暗な夜空に満点の星が広がっていました。
すっかり暗くなったころゴルムドに到着。ここは、石油が採掘されていて、炎を吹き出している煙突がところどころに立っています。町の中もふんだんに電気が灯され、まるでクリスマスのイルミネーションのようです。ゴミなども落ちてなくとても綺麗で整然とした印象を受けました。
本日宿泊する3つ星のホテルに到着したのは21時すぎ。それから食事をしましたが、このとき、明日乗車する青蔵鉄道のチケットのくじ引きをしました。私の番号は、8号車の22号です。
ホテルの部屋はとても広く、アメニティも揃っていて快適でした。明日は早いのですぐ就寝です。