湯西川温泉旅行記#2
奥湯西川の狩人村往復と川治温泉の薬師の湯
2日目:狩人村~川治温泉~浅草
温泉街から奥湯西川の狩人村まで往復
今日は、昨日かまくら祭会場まで通った道とは別の道を歩いて、かまくら祭会場からさらに2キロほど行ったところにある狩人村まで行ってみることにしました。
湯西川の右側の道を進んでいきますが、こちらにも旅館やお店は少しあるものの、左側よりはひっそりとしています。温泉街から奥湯西川の方に歩くとずっと登り坂なのですが、天気もいいし、空気もおいしいし気持ちいい。しばらく行くとかまくら祭の会場が川越しに見え、昨日写真を撮った橋が現れました。その橋を渡らずに、まっすぐ進みます。
すると、向こうから地元のお婆ちゃんが歩いてきました。挨拶をすると、どっからきたの?から始まって湯西川の近況を話してくれました。それによると、湯西川には50年ほど住んでるけれどこれほどの大雪は初めてだとか。
私は、高校の卒業旅行で湯西川温泉に来たことがあるのですが、そのときもたくさん雪が積もっていた記憶があります。なので、もともと豪雪地帯というイメージがあったのですが、それでも今回の大雪はそれ以上だったということでしょうね。
お婆ちゃんと別れてさらに上って行くと、パッと視界が開け小さな集落が現れました。その一角に、湯西川温泉 秘湯とぬくもりの宿 平の高房という旅館を発見。看板には「日本秘湯を守る会」とあり、ちょっと興味が沸きましたが今回はスルー。
この宿を通り過ぎると再び木が覆う山道になりますが、そこで今度は観光客らしいご夫婦に遭遇。挨拶をすると、狩人村ですか?と聞かれたので頷くと、雪が積もってて入れないとのこと。曰く、
行ってみようと思ったけど、自分達の前に他の挑戦者が雪に埋まってしまったのを見て諦めました。
でも、そこへ行く前に三十三観音堂というお寺とかもあるし(ここも雪で近づけないけど)、せっかくだし行ってみては?
とのことで、私達も、伴久からここまでかれこれ1時間近く歩いてきていたので、今更引き返す気はこれっぽっちもなく、逆に、どんな状況になっているのか見てみたくなり、がぜん張り切って出発。
ほどなく、雪原の向こうにひっそりと佇む三十三観音堂を発見。看板は下の方が雪で埋まり「栗山村指定文化財三十三・・」までしか見えません。雪原の入り口あたりに、ちょっとがんばっていってみようかと試みた足跡がいくつかありましたが、数歩進んだところで引き返していました。雪国初心者の私も、見知らぬ土地で手付かずの雪の中に乗り込んでいく勇気もなく、ただ遠くから拝むだけにし次へ向かいます。
三十三観音堂の前だったか後だったか忘れてしまいましたが、道の脇に「狩人村すぐそこ」という看板が見えました。田舎の人が言う「すぐそこ」というのはあてにならないので、あんまり期待せずに歩き続けましたが、やっぱりなかなかぜんぜん現れない。
だいぶたったころ、ふと、あの看板は「車で来る人用に掲げられたもの」ではないかと気づきました。でもそうは言ってもかまくら会場から2キロとあったし、時間的にもそろそろだと思った頃、ついに「狩人村入り口」という赤い看板を発見。かれこれ1時間半近くかかりました。
その入り口のところへ行ってみると、ほんの一部だけ雪かきがされていて、村の本当の入り口までは自然のまま。いくつか足跡が続いていたのでちょっと挑戦してみましたが、数歩進んだところで雪にはまったので退散。友人はちゃんとした登山靴をはいていたので村の入り口まで進んでいきました。
その間、私は周辺を歩いてみたのですが、もう人は住んでいなさそうな古民家がいくつか建っていて、屋根にはずっしりと雪がつもっていました。今にもその重みで潰れてしまいそう。
その先にはもう何もなさそうだったのでそこで引き返し、戻ってきた友人と合流。友人の話だと、受付には誰もいなかったとのこと。まあ、営業中なら雪かきもしてあるだろうな。
気もすんだし、お腹も空いてきたので、町に戻ることにしました。
川治温泉の薬師の湯に立ち寄り
町中のお店でラーメンを食べ、荷物をピックアップしてバスに乗り込みます。今回は東武のフリーパスを利用しているため、途中のバス停では乗り降り自由。なので、湯西川温泉から30分ほどの川治温泉に立ち寄ってみました。
ここにある共同浴場の薬師の湯は、フリーパスを持っていると割引(500円→300円)になるのでさっそく向かいます。男鹿川を渡ったすぐのところにあり、バス停からは5分ほど。
川治金精神の由来
今は五十里の湖底に没し去りましたが、会津旧街道の山路に深く登りはじめようとするところに由ありげな羽黒行者が住ついて厳しい修行を行っていたそうであります。或日此の業者が男鹿川を見下ろす断崖の一角で無念無想の行に入っているとき遥かな川原に瑞雲の立ち昇るのを霊感し、まっしぐらに馳せると川原の石くれに一体の金精神の混っているのを見出したので行者は此の奇蹟に感激して直ちにこれを己が伏屋に勧請したのが即ち行者塚の由来として語り伝えられて来たものであります。享保七年八月の五十里湖決壊で埋没していたものが建設省五十里ダム管理所の河川工事中発見され金精神であることが判明した次第であります。(案内板より)
薬師湯の由来
川治温泉は万病に効くことから別名「薬師湯」といわれてきた。病気やけがに悩む人々を救う薬師如来にあやかってその名がつけられたといわれる。
住人はこの湯を天与の恵みと信じ、近くに薬師堂を建てて感謝を捧げてきた。いまでも湯の効きめは変わることなく訪れる人に喜ばれている。(案内板より)
受付で割引料金の300円を払い、入り口にある鍵つきのロッカーに靴と貴重品を入れます。(それぞれ別のロッカーになっていて、貴重品の方は100円必要だが後で戻ってくる)
薬師の湯には混浴の露天風呂の他、男女別の内湯があるのでそちらへ行きました。このときは、観光客も何人かいましたが、地元のお年寄りの姿が多かったです。お風呂上りの休憩所も充実しているのでみんなここにきておしゃべりするのでしょう。
お湯は湯西川温泉と同様、無色透明で硫黄の匂いもほとんどしません。そして、内湯といっても天井付近が開いているので外の涼しい空気が入ってきます。お湯の温度もそんなに熱くないので、のんびりと浸かっていられました。
バスの時間まで少し時間があったので川治温泉を歩いてみました。薬師の湯の入口にあった地図を見てみると、いろいろな遊歩道があるようです。
しかしあまり時間がなかったので、そこに載っていたコースは諦め、町中へ行くことにしました。メイン通りの脇にある公園に行くと、足湯(このときは温度が低いということで休業)や休憩所があり、公園の一角には「かわじい」なるお爺ちゃんのキャラクター像が。いろいろ考えるな~
温泉まんじゅうを買ってバス停に行くと、ほどなく時間通りにバスが到着。
スペーシアで浅草まで
ここから鬼怒川温泉駅までは、20分ほどです。うとうとしつつ駅につくと、構内にひな人形が飾ってありました。
30分ほど待ってからスペーシアに乗車。行きと同じように学生っぽい団体さんがいて、車内もそこそこの乗車率です。
17時15分発なので車窓もだんだん暗くなり、眠っているうちに東京近郊まで来てしまいました。夜に着くと、途中、ライトアップしたスカイツリーが綺麗に見えます。
19時15分、浅草駅着。今回も楽しい温泉旅行でした。