異国情緒あふれる写真と旅行記 KaycomDESIGN

コーカサス旅行記-#7

シルクロードでアルメニアの首都エレヴァンへ

古代シルクロードを走りアルメニアの首都エレヴァンへ。途中、ノラドゥーズでアルメニア正教ゆかりの石碑ハチカルを見学。セリム峠では、かつてのキャラバンサライ、アレニ村では、アルメニアの至宝ノラヴァンク修道院に立ち寄った。また、アララト山を背に建つホルヴィラップ修道院では、トルコの国境が間近に迫り過去の歴史にも触れることができた。

7日目の主な訪問地:ツァフカゾール~ノラドゥーズ~キャラバンサライ~ノラヴァンク修道院~ホルヴィラップ修道院~エレヴァン

コーカサス旅行8日目 ツァフカゾール~エレヴァン

アルメニアの紅葉とホテルの朝食

朝起きてさっそく外を見ると、朝日に照らされる絶景が広がっていました。まわりの樹々が紅葉で色づいていてとっても綺麗です。
昨夜、遠くに街の灯りが見えたところは雲海に覆われていました。

ツァフカゾールの朝

美味しい空気をたくさん吸った後、ホテルのレストランで朝食です。

MULTI REST HOUSEの朝食
MULTI REST HOUSEの朝食

8時ホテル出発。
アルメニア2日目の観光開始です。

MULTI REST HOUSE

伝説が残るノラドーズのお墓

バリルイス!
バスが出発すると、ドライバーさんから「おはよう」の挨拶。
「バリ」は「優しい」、「ルイス」は「光」という意味で、バリルイスは「これから優しい一日になるように」と言う、とっても素敵な朝の挨拶となっています。

今日はこれから、アルメニアの首都エレヴァンまで移動。直行すると1時間もかからない距離ですが、途中でいろいろ観光しながら進んで行きます。
まずは、ガバル町のノラドーズ村にあるお墓へ。

=====ガイド=====
ここにあるアルメニアスタイルの墓は9~13世紀のもので、それよりも新しいロシアのお墓も見ることができる。十字架の形(ハチカル)をしたものがアルメニアのスタイルで、ここには900ほどある。ロシアのお墓は石だけで、名前や顔などが彫ってある。

13世紀にモンゴル人が攻めてきたときに、このお墓に軍服を着せたくさん軍人がいると見せかけて、モンゴル人を撃退したという伝説がある。
===============

ノラドーズのお墓
ノラドーズのお墓
ノラドーズのお墓
ノラドーズのお墓
ノラドーズのお墓

=====ガイド=====
結婚式のことが描いてあるお墓がある。
この絵には、トルコ人が結婚式の時乱入して、そこにいた綺麗なアルメニア人の女性を無理やり奪って結婚したことが描かれている。
アルメニアの女性は、家族や自分の大切な人たちが殺されないように結婚した。当時、トルコ人は美しアルメニアの女性と結婚することが多く、そのためトルコの料理とか文化は、アルメニアのものととても似ている。
===============

ノラドーズのお墓

=====ガイド=====
この小さな教会にも伝説がある。
モンゴル人が攻めてきたとき、軍人が教会の神父にこう言った。
「この教会の中に入ることができた村人の命は助けるが、入れなかった者は殺す」

この軍人は、アルメニアでは修道院や教会を建てるとき、必ずトンネルを作ることを知らなかった。そのため、村人は教会に入ってトンネルから出てを繰り返し、全員入ることができた。

驚いた軍人が、最後の人と一緒に中に入ると、神父だけがお祈りをしていた。軍人が村人はどこにいったのか聞くと、ここでお祈りして鳩になって出ていったと言った。
このお陰で、村人は誰も殺されずに済んだ。
===============

ノラドーズのお墓
ノラドーズのお墓
ノラドーズのお墓

お墓というと暗いイメージがありますが、ここにはサンサンと太陽の光が降り注ぎ、とても開放感のある眺めの良い場所でした。

ノラドーズのお墓

お墓を巡ったあと、入り口にあるお土産屋さんで休憩。
ここでいただいたオーガニックのハーブティがとても美味しかったので、お土産に買って帰りました。

ノラドーズのお墓
ノラドーズのお墓
ノラドーズのお墓
ノラドーズのお墓

アルメニアの祭事とシルクロードのキャラバンサライ

次の目的地のキャラバンサライまでの間、のどかなアルメニアの景色を見ながら、アルメニアの文化についてのガイドです。

シルクロード
シルクロード
シルクロード
シルクロード
シルクロード

=====ガイド=====
アルメニアでの結婚は、大学に入学したくない人は高校を卒業後に結婚する。男性もするが、18歳になったら軍隊に行かなければならないため、20歳までは結婚したくないと思っている人が多い。

普通、17歳くらいで結婚するが、村の方では20歳くらい。子供の数は、都会では2~3人だが、田舎は農作業など手伝いが必要なため4人くらい産む。

村では、結婚したら女性が男性の家に入って生活し、親と離れて生活することは少ない。アルメニアでは、両親と一緒に暮らすのは末っ子で、他の兄弟は別の場所で暮らす。

アルメニアのお正月は日本と同じ1月1日~3日。12月はその準備で忙しい。
アルメニアでのクリスマスは1月6日となっていて、サンタクロースはお正月の夜にきてプレゼントを子供たちのベッドの中に入れる。

クリスマスには「イエスキリストが産まれておめでとう」という特別な挨拶をし、お米とブドウのドライフルーツの料理やマス料理などを作り、ブドウの赤ワインで乾杯をする。

クリスマスからイースターまでの40日間ほどの間は、肉やバターなどはあまり食べず野菜中心の食事をする。

クリスマスの次の大事なお祭りは3月の終わりか4月にあるイースター。世界中のイースターと同じで、玉子に色をつけて遊ぶ。

他には、3月8日の女性の日で、女性のためにプレゼントを買ったり旅行にいったりする。4月7日は母の日で、プレゼントをあげたりする。

4月24日は虐殺記念日で、1915年に西アルメニアから外国に逃げた人が、亡くなった人たちのためにアルメニアに戻ってきてお祈りする。この日はエレバンの中心地では車を走らせることはできず、そのお祈りの場所までみんな歩いていく。

5月は、1918年5月28日、1945年5月9日、1995年5月9日が戦争に勝った日のため「勝利の月」と言われている。

9月21日はソビエトからの独立記念日として、大事な日となっている。
10月は、ゲレワンの誕生日という紀元前8世紀から続くお祭りがある。みんなでダンスをしたり、無料のコンサートや打ち上げ花火が開催。

夏の一番暑い日には水で遊ぶ祭りがあり、みんなが大好きなお祭りのひとつとなっている。
===============

アルメニアのクリスマスが1月6日だとは初めて知りました。世界で最初にキリスト教を国教としたアルメニアがこの日なら、こっちが正解な気がしてきます。

山道を進むとキャラバンサライが見えてきました。周りに何もない荒野にポツンと建っています。

キャラバンサライ
キャラバンサライ

=====ガイド=====
このキャラバンサライは、ペルシャまで続くシルクロードを旅する行商人たちが寝泊まりした場所。1332年にオルべリアン王によって建てられた。オルべリアン時代のシンボルは、強さや平和の象徴のライオンと鳩と牛で、キャラバンサライの入り口にもこのシンボルが彫られている。

建物の中には、これまで訪れた教会と同様に明り取りの穴があけられ、その下には水場がある。暖をとるために、引き連れていた動物たちも建物の中に入れていた。

18世紀くらいには、ここのシルクロードは使われなくなってしまった。現在は別の道が作られている。
===============

キャラバンサライ
キャラバンサライ
キャラバンサライ
キャラバンサライ
キャラバンサライ
キャラバンサライ
キャラバンサライ
キャラバンサライ
キャラバンサライ

この辺りは、標高2400mほどのセリム峠なのですが、改めて周りを見ると本当に何もない。そんな中でこのキャラバンサライは、長旅をして疲れた行商人や旅人にとっては、救いの場所だったのだろうなと思います。

広場の一角に屋台が出ていたので行ってみました。
レトロな車の脇に商品が並べられているのですが、私たちが行くと、あれやこれやと試食を進めてくれます。

キャラバンサライ
キャラバンサライ
キャラバンサライ
キャラバンサライ

冷たい風が吹く中でしたが、ご夫婦のあったかい笑顔にとても癒された一時でした。


アレニ村の特産とランチ

キャラバンサライのご夫婦とお別れし、次の目的地アレニ村へ。
険しい山道を下っていきますが、途中でタイヤから変な音が。どうやら何かの不具合が発生。いったん停車して運転手さんが調べ始めました。しばらくして原因を突き止め、オイルで真っ黒になりながら華麗に復旧。さすがプロ!

セリム峠
セリム峠

アレニ村へ入ったところで村の紹介。

=====ガイド=====
この村で有名なのはワインで、特にアレニワインが有名。アルメニアでは店でもワインを買うが、それは自分用ではなくパーティーなどで利用するもの。自分用のは自分達で作るが、それができない場合、アレニ村にワインを買いに来る。

ザクロワインも人気があるが、イエスキリストの血の意味があるブドウのワインが一番人気。8月にブドウのお祭りがあり、正教会が行う。

ブドウの他に、クルミの木もたくさんあり、特産品となっている。サラダやケーキにも入れるが、一番よく使うのはクルミのジャム。若いクルミをとって皮をむき、10日間くらい水につける。そうすると緑色の実が黒くなる。そうしたら砂糖を入れて煮込む。冬にお茶を飲みながら食べたり、ヨーグルトにかけたりもする。
クルミは脳によく、たくさん食べるほど頭が良くなると言われている。
===============

「クルミは脳みその形に似ているから脳にいい」という話は日本でもよく聞きますが、アルメニアでも同じなんですね。

次はノラヴァンク修道院の見学ですが、その前に修道院の隣にあるレストランでランチです。ここへ着くころにはすっかり天気になり、修道院の姿が青空に映えていました。

ノラヴァンク修道院
ノラヴァンク修道院
ノラヴァンク修道院
ノラヴァンク修道院
ノラヴァンク修道院
ノラヴァンク修道院
ノラヴァンク修道院
ノラヴァンク修道院
ノラヴァンク修道院
ノラヴァンク修道院

メニューは、サラダ、チーズ、きのこと野菜のスープ、まるごとジャガイモと豚肉の煮込み、フルーツそのまんまというシンプルなもの。薄いパンのラヴァシュに豚肉をくるんで食べると美味しかったです。


アルメニアの至宝!ノラヴァンク修道院の未完の階段が残るアストヴァツァツィン教会

レストランを後にし、建築家モミックの最後の傑作でアルメニアの至宝とも称されるノラヴァンク修道院へ。

ノラヴァンク修道院
ノラヴァンク修道院

=====ガイド=====
ヴァヨツ・ゾル地方にあるノラヴァンク修道院は、アルメニア使徒教会の修道院で、オリベリヤン時代の1205年に建築家モミックによって建てられた。

ノラヴァンクは、「新しい修道院」という意味。なぜ「新しい」のかというと、他のアルメニアの教会と比べると別のスタイルの建築となるため。
ノラヴァンク修道院が建つ前にも教会があったが、地震で倒壊してしまった。ノラヴァンク修道院も戦争で壊れたが修復された。

ノラヴァンク修道院では、アストヴァツァツィン教会、カラペット教会(ステファノス教会)、グリゴール教会の3つの教会を見ることができる。
アストヴァツァツィン教会のところに10世紀ごろまで別の教会があり、地震で倒壊。その後、オリベリヤンのお墓を作り、その上に現在の教会を建てた。

アルメニアの教会では、普通アダムのことは描かないが、ノラヴァンクではモミックによって描かれている。キリストと聖マリアと共に見ることができる。
ここも修道院なので、会議室や図書室もあったが、倒壊後は教会だけ修復されたため今は見ることができない。

モミックについての伝説がある。
トルコのキリキアにいたモミックは、彼が作った建築物に惚れたオリベリヤンの王(正確には王ではないがその代わりの偉い人)によってアルメニアに呼ばれ、この地に教会をいくつも作った。

モミックはオリベリヤンの王の娘のことが好きになった。
そこで、王がモミックに、もし自分のために特別なスタイルの教会を作ったら娘と結婚してもいいと言った。
モミックは約束通り作ったが、完成間近に、約束を守りたくない王に殺されてしまった。
教会の階段から落ちて死んだが、それが理由で階段は最後まで造られていない。ここにある十字架はモミックが最後につくった十字架とされている。
===============

まずは、未完の階段がある聖アストヴァツァツィン教会へ。

ノラヴァンク修道院
ノラヴァンク修道院
ノラヴァンク修道院
ノラヴァンク修道院
ノラヴァンク修道院
ノラヴァンク修道院
ノラヴァンク修道院

=====ガイド=====
1階は、オリベリヤンの王族のお墓があり、その上に教会が建てられてた。
外壁に描かれている上部の十字架は、通常は葉っぱのようなデザインだが、そうでないデザインになっている。

その下には、1世紀にアルメニアにキリスト教を伝えにきたときに、キリストを射した槍を持ってきたタダイとバルトロマイのレリーフがある。何かを持っているが槍の形ではなく、イエスキリストの名前の最初の文字が書いてある。
下の方の絵は、マリアにだっこされているキリストと天使。
===============

1階のお墓は、半地下になっていてちょっと薄暗い。いかにもお墓という雰囲気です。

ノラヴァンク修道院
ノラヴァンク修道院

外壁にある未完の階段は上ることができ、上の礼拝堂まで行くことができます。手すりもなく幅も狭いのでちょっと怖いですが、せっかくだし上がってみました。

ノラヴァンク修道院
ノラヴァンク修道院
ノラヴァンク修道院
ノラヴァンク修道院

天上は明り取りがあるドームになっていて、そこから小さな鐘がつるされています。堂内は特に綺麗な壁画があるとかではなく、非常にシンプルな造り。
ここの入り口に立って、下から写真を撮るのが定番になっているようで、私も撮ってもらいました。(階段の上り下りには注意)


ノラヴァンク修道院の聖カラペト教会と聖グリゴール教会

アストヴァツァツィン教会から中庭を通って、聖カラペト教会と聖グリゴール教会へ向かいます。途中、石垣で囲われた竪穴があり、井戸かトンネルとして使われていたらしい。

ノラヴァンク修道院

まずは、聖カラぺト教会から。

ノラヴァンク修道院
ノラヴァンク修道院
ノラヴァンク修道院
ノラヴァンク修道院
ノラヴァンク修道院
ノラヴァンク修道院
ノラヴァンク修道院

=====ガイド=====
この教会は最初に建てられたもので、ガヴィットの入り口の上の窓には、人の始まりであるアダムが彫られている。その左には磔にされたキリスト、右には平和の象徴の鳩がいる。その下いくと涙があり、さらに下に、年数を表すアルメニアの文字で囲まれた聖マリアとキリスト、ザクロ、ブドウの葉などが描かれている。

ガヴィットの中には、ライオンと戦うオルベリア王のレリーフがあり、強さを表現している。教会の中に入ると、建物が十字架の形をしているのがわかる。祭壇では結婚式や洗礼式などが行われる。
===============

続いて、すぐ隣の聖グリゴール教会へ入ります。他の教会と比べると規模も小さく、ガランとした部屋に一段高くなった祭壇があるだけのシンプルな造り。

ノラヴァンク修道院
ノラヴァンク修道院
ノラヴァンク修道院
ノラヴァンク修道院

=====ガイド=====
聖グリゴール教会は、建築家シラネスによって建てられた。ここでは、獅子と人間が融合した面白い墓石が見られる。
また、壁には赤い染料で描かれた壁画があるが、この赤い色は、アルメニア高地に生息するVordan Karmirという虫から作られたもの。この虫は、1年に1回だけしか土の中から出ない貴重なもので、紀元前2世紀には王様が体や顔に塗っていたとされている。
===============

外に出ると何やらたくさんの人が集まっていて、その中を真っ白なウェディングドレスを着た花嫁さんが歩いてきました。どうやら今見てきた教会で、結婚式が行われるらしい。
とてもおめでたい瞬間に立ち会えて、こちらも幸せな気分になりました。

ノラヴァンク修道院
ノラヴァンク修道院

バスに乗って下の方から修道院を見上げると、改めてすごい場所に建っていることがわかります。

ノラヴァンク修道院
ノラヴァンク修道院

訪れるにはなかなかハードな場所ですが、まわりの景色も含めとても美しい修道院なので、アルメニアの中でもおすすめのスポットです。


アララト山とホルヴィラップ修道院を望むトルコとの国境地帯へ

山道を下って、アレニ村のワイナリーやブドウ畑などのどかな風景の中を進んで行きます。

アレニ村
アレニ村
アレニ村
アレニ村
アレニ村

アララト盆地に入るとアララト山(5137m)が見えるはずなのですが、今日は残念ながら雲の中。かろうじて、隣の小アララト山(3896m)がうっすらと見えました。

これからホルヴィラップ修道院に向かいますが、アララト山を背負って立つその姿は、よく旅行のパンフレットなどで見る光景です。一応そのビューポイントで降りて写真撮影。反対側に見える山並みも綺麗です。

ちなみに、ガイドさんによると、アララト山が綺麗に見えるのは、9月下旬や5月ごろということです。

アララト盆地
アララト盆地

ホルヴィラップ修道院の麓の駐車場でバスを降り、坂を上っていきます。

ホルヴィラップ修道院
ホルヴィラップ修道院
ホルヴィラップ修道院
ホルヴィラップ修道院

上まで上がると、そこから正面にアララト山が見えました。まだ雲がかかっていますが、夕日とのコラボがとても壮大です。

ホルヴィラップ修道院

=====ガイド=====
アララト山は現在はトルコの領土にある。アルメニアは紀元前1世紀ごろ、アルメニア高原を中心に大アルメニア王国を築いたが、17世紀になるとオスマントルコ帝国と、サファビー朝ペルシャに分割され、アララト山を含む地域は、オスマン帝国領になった。

19世紀になるとペルシャ領になったアルメニアがロシアに吸収され、それが現在のアルメニア共和国の原型となっている。

オスマントルコ時代でも、アララト山周辺には多くのアルメニア人が住んでおり、19世紀後半になるとアルメニア人とトルコの民族主義者との対立が激化。アルメニア大虐殺があり、生き残ったアルメニア人たちはこの地を去ることになった。
そのため、アララト山はアルメニア人にとって、今でも諦めきれない場所となっている。
===============

ホルヴィラップ修道院から100mほどのところには、トルコ国境の緩衝地帯の柵があり、その周辺の畑ではアルメニアの人々が作業をしている姿も見えました。

ホルヴィラップ修道院
ホルヴィラップ修道院

一見とても静かで平和的ですが、歴史を知ると見えてくる光景も変わってくる気がします。


ホルヴィラップ修道院と聖グレゴリウスの伝説

トルコとの国教に思いをはせた後は、教会の内部を見学。

ホルヴィラップ修道院
ホルヴィラップ修道院

=====ガイド=====
ホルヴィラップ修道院は、ホル(深い)、ヴィラップ(場所)という意味で、現在の教会は1662年にできた。紀元前2世紀から多神教の神殿と牢獄として使われていて、キリスト教を布教した聖グレゴリウスが13年間幽閉されていた穴もある。その上に教会が建てられ、現在まで修復を繰り返している。

内部には、キリストを刺した槍や、アルメニアの王とグレゴリウスの肖像、洗礼式などの絵画が飾られている。
グレゴリウスが幽閉されていた穴の深さは7mほどあり、今でも降りていくことができる。
===============

ホルヴィラップ修道院
ホルヴィラップ修道院
ホルヴィラップ修道院
ホルヴィラップ修道院
ホルヴィラップ修道院
ホルヴィラップ修道院

上の写真が、聖グレゴリウスが幽閉されていた穴の入り口ですが、降りるのはなかなかハードそうなのでここまでにしました。中には、聖グレゴリウスの生涯が描かれた絵があるそうです。

=====ガイド=====
伝説によれば、アルメニアにキリスト教が伝わったのは紀元後すぐで、使徒(イエス・キリストの高弟)のバルトロマイとタダイが出向いたといい、3世紀に入るころには相当数のキリスト教徒が存在した。

続いて、238年ごろ、アルメニア国王ホスロフ1世が暗殺されるという事件があり、犯人アナクの家族の大半が捕縛・処刑されたが、アナクの息子のグレゴリウスだけが落ち延び、父の罪を償うべくキリスト教の司祭となった。ところが彼はホスロフ1世の息子ティリダテス3世に捕らえられ「十二の拷問」にかけられたうえに地下牢に投げ込まれた。

グレゴリウスは前国王の妃の慈悲のお陰で食料を与えられ、地下牢で15年間も生きながらえたが、その間にティリダテス3世がおかしくなった(ガイドさんによると、いのししになったらしい)。ローマ人のキリスト教徒のリプシメという娘を手に入れようとしたが出来なかったため殺害し、その良心の呵責か天罰かで精神に失調をきたしたという。

ティリダテス3世は、自分は狼(猪)であると思い込み、山中や森をさまよい歩いた。その時、たまたまキリスト教に帰依していた王妹が夢で天使に会い「グレゴリウスを自由にすれば兄王は健康と理性を回復する」というお告げを聞いた。彼女の話を聞いてグレゴリウスを釈放したティリダテス3世の容態は回復。グレゴリウスは大主教に任命され、キリスト教は302年ごろにはアルメニアの国教となった。
===============

教会を出て、教会を一望できるという裏山に登ってみました。

ホルヴィラップ修道院
ホルヴィラップ修道院
ホルヴィラップ修道院
ホルヴィラップ修道院
ホルヴィラップ修道院
ホルヴィラップ修道院

頂上まで行くと360度の絶景が広がり、眼下には教会の全景を見ることができました。
晴れていたら、アララト山の雄姿が綺麗だったろうな~
最後は見回りのワンコに見送られ山を下ります。

麓に並ぶお土産屋さんをチラ見して、ホルヴィラップ修道院を後にしました。

ホルヴィラップ修道院
ホルヴィラップ修道院
ホルヴィラップ修道院

アルメニアの首都エレヴァンへ。メトロポールホテルに宿泊

今日宿泊するアルメニアの首都エレヴァンへ向かいます。

エレヴァン
エレヴァン
エレヴァン
エレヴァン
エレヴァン
エレヴァン

=====ガイド=====
今走っているのは、ジョージアの国境からイランの国境まで続いているシルクロード。今はまだ工事中で2019年の終わりごろには完成する予定。

これからエレヴァンに向かうが、その前にナイリでソ連時代の化学工場が見れる。今は建物の一部だけ使われて入れて、イタリアやフランスの服とか靴を作っている。それらはほとんどが輸出されて、アルメニア内ではなかなか手に入らない。

エレヴァンはアルメニアの首都で、アララト平野の標高900mに位置している。今年で2800年くらいの歴史があり、現存する世界最古の都市のひとつ。創世記に語られている「エデンの園」が存在していたという伝承もある。

ウラルトゥ王国時代の紀元前782年に、アルギシュティ1世によって市名の由来となる「エレブニ要塞」が現在の市郊外に建設されたことが町の起源。地の利を生かした交易都市として長らく繁栄していた。

13世紀には戦乱に陥り、アルメニア文化の中心はトビリシやイスタンブールへ。
1679年の地震で多くの建物が倒壊したが、1918年にソ連から独立したアルメニアの首都になった。
ソ連時代にロシア帰りの建築家タマニアンの設計で近代的な街に整備され、通りには外壁に凝灰岩の板を張り付けた美しい建物が並んでいて、バラ色の街と呼ばれている。

市内にはフラズダン川が流れ自然豊か。交通は路線バスや地下鉄が整備されている。
===============

街に近づくにつれ、人も車も建物もどんどん増えていきます。
もう夕暮れ時なのであちこちに明かりがともり、人々の生活が身近に感じられました。

まずは、このコーカサス旅行最後のホテルとなる「メトロポールホテル(METROPOL HOTEL Yerevan)」にチェックイン。
都会によくあるシティホテルという趣です。

メトロポールホテル
メトロポールホテル
メトロポールホテル
メトロポールホテル
メトロポールホテル
メトロポールホテル

部屋で少し休憩して、夕食のレストランへ出発です。


エレヴァンのレストランでアルメニア料理

お店は、エレヴァンの市街地にある「Tavern Yerevan」というアルメニア料理が食べられるレストラン。

アルメニア料理Tavern Yerevan
アルメニア料理Tavern Yerevan

今夜のメニューは、チーズの盛り合わせ、きゅうりとトマトのサラダ、チキンサラダ、クスクスが入ったグリーンサラダ、野菜スープ、羊肉や野菜の包み焼き、バクラヴァなど。

アルメニア料理Tavern Yerevan
アルメニア料理Tavern Yerevan
アルメニア料理Tavern Yerevan
アルメニア料理Tavern Yerevan
アルメニア料理Tavern Yerevan
アルメニア料理Tavern Yerevan
アルメニア料理Tavern Yerevan
アルメニア料理Tavern Yerevan
アルメニア料理Tavern Yerevan

アルメニア料理といっても、中央アジアやトルコあたりとも被る感じ。
なので、これ珍しい!という料理はなかなかありませんでしたが、よく知っている味が多いので、安心して食べられます。
このレストランでは、アルメニア音楽の生演奏や歌も聴くことができます。

ワインでいい気分になったあとは、食後の運動も兼ねて歩いてホテルへ戻ります。
途中、楽しみにしていた地元のスーパーマーケットへ寄り道。

エレヴァンのスーパーマーケット
エレヴァンのスーパーマーケット
エレヴァンのスーパーマーケット
エレヴァンのスーパーマーケット

店内はとても広くて明るく、たくさんの商品が整然と並んでいました。
みんな買い物かごを持って、時間いっぱいまでお土産を物色。やっぱり海外旅行でのお土産選びは地元スーパーや市場が面白い。

エレヴァンの夜の街並み
エレヴァンの夜の街並み
エレヴァンの夜の街並み
エレヴァンの夜の街並み

戦利品をぶら下げて、エレヴァンの夜の街を散歩。
歩いていると、建物の向こうに花火が打ちあがりました。こんな街中であげちゃうなんですごいな。

ホテルまでは短い時間でしたが、ライトアップされた街並みがとても綺麗で、気持ちの良い散策ができました。


つづきはこちら

1 2 3 4 5 6 7

旅行記・コラム一覧 コーカサスの写真素材

お知らせ

2023年4月8日NEW

コーカサス旅行記」に「8日目シルクロードでアルメニアの首都エレヴァンへ」を掲載しました。

2022年1月3日

明けましておめでとうございます!サイトデザインをリニューアル中です。

2021年11月28日

コーカサス旅行記」に「7日目ジョージアからアルメニアへ国境越え」を掲載しました。

2021年9月15日

世界のおすすめ観光スポットと宿泊施設」の「国内スポット」に「「熱海七湯」全部紹介!温泉玉子も作れる熱海温泉の源泉めぐり」と「水が創り出す芸術!富士山麓・裾野の景勝地と史跡を巡る絶景旅」を掲載しました。

2021年8月9日

世界のおすすめ観光スポットと宿泊施設」の「国内スポット」に「伊豆最古の温泉!修善寺温泉のパワースポットと見所はここ」を掲載しました。

2021年6月12日

世界のおすすめ観光スポットと宿泊施設」の「海外スポット」に「インカ帝国の都!世界遺産ペルーの古都クスコの観光スポット」を掲載しました。

2021年5月22日

世界のおすすめ観光スポットと宿泊施設」の「海外スポット」に「圧巻の石窟壁画!スリランカ世界遺産ダンブッラの黄金寺院」を掲載しました。

2021年5月9日

コーカサス旅行記」に「6日目ジョージア軍用道路を経て大コーカサス山脈の麓カズベギへ」を掲載しました。

写真・イラストについて

当サイトに掲載の写真・イラストに関してのお問合わせは、お問合せフォームよりお願いします。
また、高解像度の商用利用可能な画像は、当サイトが提携しているPhotolibraryよりお求めいただくことができます(国・地域別に掲載しているページはこちら)。
クレジット表示および当サイトへのリンクをしていただける場合は、サイトに掲載の写真・イラストを無料でサイト、ブログ、カタログなどにご利用いただけます。詳しくはKaycomDESIGNの著作権と画像の使用についてをご覧ください。

フォトギャラリー

世界各国で撮影した写真