コーカサス旅行記-#6
ジョージアからアルメニアへ国境越え
ジョージアのトビリシから国境を越えてキリスト教を最初に国境としたアルメニアへ。世界遺産ハフパト修道院や、「アルメニアの真珠」と呼ばれる美しいセヴァン湖、その湖を見下ろす丘にあるセヴァン修道院など訪れた。
7日目の主な訪問地:トビリシ~(ジョージア)国境(アルメニア)~ハフパト修道院~セヴァン湖~ツァフカゾール
行程
- 1~2日目:成田~ドーハ~バクー
- 3日目:バクー~シャマフ~シェキ
- 4日目:シェキ~(アゼルバイジャン)国境(ジョージア)~テラヴィ
- 5日目:テラヴィ~ムツヘタ~トビリシ
- 6日目:トビリシ~カズベキ~トビリシ
- 7日目:トビリシ~(ジョージア)国境(アルメニア)~ハフパト修道院~セヴァン湖~ツァフカゾール
- 8日目:ツァフカゾール~エレヴァン
- 9日目:エレヴァン
- 10日目:エレヴァン~ドーハ~羽田
コーカサス旅行7日目 トビリシ~(ジョージア)国境(アルメニア)~ハフパト修道院~セヴァン湖~ツァフカゾール
ジョージアからアルメニアへ国境越え
今日は、ジョージアから国境を越えてアルメニアへ入国です。
ジョージア側のサダフロ国境までは、1時間半ほどの移動。
国境は閑散としていて、あっという間に出国審査終了。
ここで、ガイドのニノさんとドライバーさんとお別れ。この数日間お世話になりました。
アルメニアの入国審査では、アゼルバイジャンも訪れてきたということでちょっと警戒され、質問される人もいました。しかし、あとはスーツケースの検査を省略してもらうなど、みんな問題なく通過。(ペットボトルに入れたワインが入っているとひっかかる場合があるらしい)
無事アルメニアに入国をはたし、ガイドのアルピネさんと合流。現在妊娠中で、今回のツアーを最後に産休に入るそうです。
バスに乗り、まずは両替をしに国境近くのスーバーへ。アルメニアの通貨はドラム(Dram)です。
ガイドのアルピネさんもそうですが、スーパーの店員さんなど、女性がなんだかみんな美しい。聞くと、アルメニアは美女が多いことで有名なのだそう。
気のせいか、ツアーに参加しているおじさんたちのテンションが上がった気がします。
アルメニア人はアルメニアのことを「ハイヤスタン」と呼ぶ
最初の見学地に行くバスの中で、まずはアルメニアという国の紹介。
=====ガイド=====
アルメニアは、コーカサス山脈の南側にあり、標高は平均1600mくらいの山国。国土は2万9千平方キロメートルで、アゼルバイジャン、トルコ、ジョージア、イランの4ヵ国に接している。
ジョージアとイランとは仲が良いが、アゼルバイジャンとトルコとは仲が悪い。ジョージアとイランにはビザはいらない。
アゼルバイジャンとは、ソ連時代に国土の問題で対立し、1991年から1995年まで戦争をしていた。そのため、現在でも国境は閉鎖していてお互いに行き来はできない。さきほどの入国審査で、最初の方が少し調べられていたのは、みなさんがアゼルバイジャンに入国していたから。
トルコとの関係。1915年にオスマントルコは西アルメニアを侵略しアルメニア人を虐殺した。今のトルコの東側40%はもともとこの西アルメニアだった場所。1921年にトルコとの国境は閉鎖されているが、ジョージアを経由したり飛行機で行くことは可能。
アルメニアは、トルコに西側を侵略されるまでは、40万平方キロメートルの国土がある王国だった。 現在アルメニアの人口は300万人。世界にいるアルメニア人は800万人でアルメニアにいる人より多い。 301年に世界で最初にキリスト教を国教とし、首都は1921年からエレバンになっている。
アルメニア人はアルメニアのことを「ハイヤスタン」と呼ぶ。ハイヤスタンという名前の由来は、ノアの箱舟のノアの孫の名前「ハイク」からきているという伝説がある。ハイクがノアの箱舟があったアララト山から下りてきて「ハイクの暮らす場所」という意味の「ハイヤスタン」という国をつくった。アルメニア人は自分たちのことをハイクと呼んでいる。
言語はアルメニア語で、文字もアルメニアの文字を使う。39字があり文字は405年から使っている。
アルメニアの国旗は1918年にできた。赤、青、オレンジが使われ、赤はアルメニア人の血、青は平和と空、オレンジは仕事を意味している。シンボルにはライオン、鷲、ザクロ、アンズ、ブドウで、ザクロは豊か、アンズはノアの箱舟、ブドウはイエスキリストの血の意味がある。
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アルメニアも、ウズベキスタンやパキスタンなどに含まれる「スタン」と同じ意味の「スタン」がつく国だと初めて知りました。 スタン系だと、イスラム教の国が多いイメージだったので新たな発見です。
さらに、コーカサス旅行というと、アゼルバイジャン、ジョージア、アルメニアが「コーカサス3国」としてセットになっていることが多いですが、ジョージアを間に挟むのはこういった政治的な情勢があったからなんですね。
アルメニアの世界遺産「ハフパト修道院」
ジョージアの国境から約30kmの場所にあるハフパト村の「ハフパト修道院」へ。
=====ガイド=====
アルメニアの教会は、カトリックやロシア正教とも違い、アルメニア使徒教会で、アルメニアだけのもの。
これから様々な修道院や教会を見学するが、ジョージアなどと違って、キリスト教でない人はスカーフを被らなくても大丈夫。 ハフパト修道院では、10世紀から13世紀の建物を見ることができる。建物は固い玄武岩でできており、アルメニアにある教会などはどこでも使われている。
ハフパトとは「強い壁」という意味で、これまで地震や戦争などでも倒れなかったからこの名で呼ばれるようになった。 しかしそれ以前は、太陽が昇ると最初に教会に光が射したことから「聖なる光」という意味の「スビリシ」と呼ばれていた。1996年に世界遺産に登録されている。
修道院というのは、修道者がいて神父さんが住んでいたところで、教会というのは教会だけがあるところ。ハフパト修道院には18世紀まで神父さんが住んでいて、教会もある。
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まずは、教会のある建物へ入ります。
=====ガイド=====
この建物は、12世紀の終わりから13世紀の初めに建てられた。
入り口をはいったすぐの部屋は「ガヴィット」という場所で、4本の柱とドーム型の屋根で構成されている。
これは、キリスト教の三位(神様、神様の息子、精霊)の意味があり、三つの部屋がある。
アルメニアの教会の中には洗礼された人以外は入れないが、この「ガヴィット」は、洗礼されていない人たちでも入ることができる。また、9世紀から13世紀には王様のお墓が作られた。 なぜ洗礼をしていない人が入る必要があったかというと、戦時中は教会は砦の役目も果たしていたので、敵から身を守るために逃げ込める場所だった。
ドームの天井には明り取りがあいていて、その真下には雨が降った時の雨水を受け止める穴がある。またこの穴は、冬に暖を取るためや、供物台としても使われた。
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続いて、ガヴィットの奥にある教会へ。
=====ガイド=====
目の前に祭壇があるが、東に備えられている。なぜ東かというと、イエスキリストが世界に入ってきたのが東からだったとされるためで、これには世界を「明るくする」という意味がある。
祭壇は神聖な場所なので、神父様しか入れない。
アルメニアでは、13世紀まではキリスト教のことを伝えるような壁画を描いていたが、それ以降は戦争が始まったので絵も描けず、修復もできなくなった。
祭壇の壁には、12人のキリストの使徒が描かれている。13人の使徒がいたことになっているが、アルメニアでは、ユダは含めず12人となっている。12人の使徒のうち、聖タダオスと聖バムダミアウスの二人が1世紀にアルメニアにキリスト教を教えた。そのため、アルメニアでは「使徒教会」と呼ばれている。
教会の窓は、内側が広くて外側が狭くなっているが、これは戦争のときに誰も入れないようにするため。 窓の周りに描かれているのは、どうやってキリスト教がアルメニアに入ったのかや、どうやってアルメニア人はキリスト教を国教として認めたのかなどが描かれている。戦争や雨などでだいぶ見えなくなってしまった。
入り口の脇にある空いているスペースは、王様がお祈りをする場所。
アルメニアでは、毎日9時に神父さんがお祈りをし、ミサは毎週日曜日の11~14時に行われる。
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ちょうど私たちが見学しているとき、どこからともなく讃美歌の歌声が聞こえてきました。 石造りの教会の中で聴くその声は、静寂の中で透き通るように響き、とても心に残る体験となりました。
いったん外に出て、会議室だった建物へ。
=====ガイド=====
12世紀に創建され、ここもガヴィットのスタイル。
昔、ソ連時代に入るまでは、アルメニアの教会はとても強く、王様よりも強かった。そのため、重要な会議があるときはここにみんな集まって話しをした。
ここは会議室だが祭壇もある。これは、戦争中などで急に誰かが入ってきても、会議をしているとバレないようにするため。会議には必ず神父様も参加した。
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ここで、アルメニアの教会には欠かせないハチュカル(十字架)の話し。
=====ガイド=====
アルメニアでは十字架のことを「ハチュカル」という。ハチュは「十字架」でカル「石」という意味。十字架を作るときは、必ず玄武岩を使う。
また、建築物によって十字架の形が違うのもアルメニアスタイルの特徴。
ハチュカルには、三位(神様、神様の息子、精霊)が表現され、下部分が世界、中央がキリスト教、上が空の意味を表している。人が世界に生まれてキリスト教徒になり精霊になるという意味。左右には12人の使徒が描かれているものもある。
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アルメニアのハチュカルは実に様々なデザインで、ここハフパト修道院に残されているものは種類も多く国内でも有名なのだとか。 いろいろな国を訪れてきましたが、どこの国のどの時代にもこういう芸術的な才に恵まれた人って存在するんだと改めて思いました。
次に図書館へ入ると、床にたくさんの穴があいていました。 ジョージアで伝統的なワイナリーで同じような光景を見ましたが、ここでは戦争が起きたときに本をこの中へ入れて隠したのだそう。
そして、部屋の外が修道士たちが勉強した場所。外の光が入るので、建物の中に比べとても明るい。
教室から出て、修道院の外側を歩いてみます。
=====ガイド=====
丘の上に堂々と聳える鐘楼は、この修道院の中で一番新しく13世紀のもの。今は使っていない。お祈りの時間やミサの時間を鐘を鳴らして知らせていた。
教会の外壁には、アショット3世の二人の息子が教会を持っているレリーフが見られる。
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あいにくの曇り空でしたが、それがまたこの修道院の重厚さと古さを際立たせていて、現代ではない昔の物語の中にいるような感じがしました。
アルメニアの世界遺産のパン「ラヴァシュ」とBBQのランチ
「ハフパト修道院」の見学後は、近くのレストラン「FRLORA」でランチ。
=====ガイド=====
メニューは、アルメニアのパン「ラヴァシュ」や豚肉のバーベキュー「ホロヴァッツ」。アルメニアの豚肉のバーベキューは世界一美味しいと思う。
「ラヴァシュ」は、ユネスコの無形文化遺産になっている。食べ方は、チーズとかトマトなどを巻いて食べるのが一般的。
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ラヴァシュは想像通りの感じでしたが、ホロヴァッツはガイドさんが言う通り本当に美味しかったです。脇に添えられたジャガイモもホクホクで香ばしい。みんなにも好評でどんどんなくっていきました。
食事を始めてしばらくすると、続々と様々な国から来た観光客が入ってきました。きっとこのレストランは、ハフパト修道院を訪れた観光客向けのお店なのでしょう。すごい山の中なので、大人数を収容できる貴重なレストランです。
デモで道封鎖!予定変更で訪れた「アグダラ修道院」
ランチの後再び観光開始。
=====ガイド=====
これからの予定は、ここから30分ほどかけて世界遺産のサナヒン修道院に向かう。この修道院はハフパト修道院と同じ時代の10~13世紀に建てられたもので、ハフパト修道院より10年だけ古い。「サナヒン」というのは、「ハフパト修道院より古い」という意味。
ソ連時代の戦闘機「ミグ」をつくったのは「ミコヤン」というアルメニア人。そのミグが展示されている博物館にも寄る。
今いるアラヴェルディの街は、アルメニアの中でも古いスタイルを保っている場所。人口は5000人ほどの小さな町だが、鉱石の産業でとても豊か。 胴の鉱山がたくさんあり、昔はアルメニア人だけでなく周辺の国の人がたくさん働いていた。今はほとんどがアルメニア人。 アルメニア人全体の20%は失業しているが、鉱山のあるアラヴェルディでは、みんな仕事についていた。
アルメニアの首都エレバンからジョージアのトリビシまで走る鉄道がある。1980年に完成し、外国まで行ける鉄道はこれだけ。
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綺麗な景色を車窓から眺めていると、車が渋滞してたくさんの人が集まっているのが見えました。 ドライバーさんが状況を確かめにいくと、どうやら政府に対しての抗議デモが行われているらしく、あと4時間は道が通れないとのこと。
次に向かうサナヒン修道院はこの道でしか行けないのですが、ここで車が動けなくなるとあとの予定が大幅にくるってしまうので、今回はあきらめて他の修道院に行先を変更することになりました。
まず立ち寄ったのは、アグダラ修道院。 バスは近くまで行けないので、少し手前で降りて歩いていきます。 重厚な門をくぐると、山の中とは思えない広い敷地に美しい建物がありました。
中へ入ると、外観からは想像できないような色鮮やかな壁画で彩られ思わずため息が。。
=====ガイド=====
アグダラ修道院は10世紀の修道院。11~12世紀にはジョージア側になったが、13世紀のザカリヤン時代にアルメニアに入った。
ビザンティン様式の建築で、ハフパトやサナヒンとは少し違う。元々はロシア正教の教会だったので、その要素も入っている。このようなスタイルの修道院は他にない。 地震で壊れ当時の建築は城壁の一部が残っている。天井が現在修復中。
建物の中には、聖マリアとキリストのことや、12使徒達が他の国で布教する様子などが描かれている。ビザンティン様式なので、アルメニア語は使われてなくてラテン語が書かれている。祭壇にカーテンがあるので、ミサやいろいろな祭事が行われている修道院だとわかる。
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サナヒン修道院の代わりに訪れましたが、とても美しいものが見られて大満足。 見学後はまた歩いてバスまで戻りますが、だんだん天気もよくなって周りの景色を楽しみながら散歩ができました。
アルメニアあれこれ話
次の目的地セヴァン湖までの移動の間、アルメニアについて色々な話をしてくれました。
=====ガイド=====
アルメニアの旗の色は、赤、青、オレンジで、1918年につくった。
1911年から1918年までロシアの中にいたが、1915年にオスマントルコが西アルメニアで100万人のアルメニア人を虐殺し政略した。
その後、東アルメニアに侵攻してきたが、この時はアルメニアが勝った。それでロシアから離れて、1918年に独立し旗をつくった。
赤は、これまでに流れたアルメニア人の血、青色は平和、オレンジは仕事の意味。
軍隊のシンボルは、ライオンと鷲。 アルメニアにはライオンはいないが、紀元前9世紀からアルメニアは王国で、この時代では一番強い王国だった。なので動物の王者ライオンをシンボルとした。また鷲は空で一番強いからこれもシンボルになった。
その他に、ザクロ、ブドウ、アンズもアルメニア人のシンボルになっている。ザクロは「豊か」の意味、ブドウはキリストの血の意味で教会でよく見る。アンズはノアの箱舟からアルメニアに下りてきたハイクのシンボル。
アルメニアでは、軍隊が一番大事。ずっと昔からあって、故郷を守るために必要だった。 現在は、男性は18歳から2年間必ず軍隊に入隊する。行かなくていいのは、病人と神父さんだけ。2年の間は、1回だけ10日間家に戻ることができる。携帯電話も使えない。 大学に行く人は、入隊前に大学に入学しそのまま軍隊に入隊し、兵役が終わったらまた大学1年生として戻る。
軍人になると、いろいろな割引などを受けることができ、バス代や医療費などが無料になったり、その家族も30%オフになったりする。
アルメニアの学校は小学校(4年間)、中学校(5年間)、高校(3年間)の全部で12年間。 2010年までは10年間ですべて同じ学校で授業を受けていた。しかし今は、小学校と中学校は同じ学校だが、高校は自分で選べるようになっている。 小学校から中学校、中学校から高校に上がるためにも試験があり、落ちたら小学校や中学校に戻るシステムだが、今のところ戻った人はいないらしい。
アルメニアで一番有名な大学は国立大学と医学大学で、人気があるのが建築大学。 夏休みは約3か月で冬休みは1か月くらい。小学校では春と秋休みもあり、1週間ほどの期間。春と秋は自分の家の農業を手伝うために、学校に行かなかったから休みになった。
アルメニアの結婚は、女性が26か27歳、男性は30歳までにする。以前はもっと早かった。理由は戦争で、外国人と自分の娘が結婚させられないように、18世紀ごろには14歳ごろまでに結婚した。しかし、オスマントルコ人は農業が盛んなアルメニアで暮らしたかったので、アルメニア人の女性と結婚した。そのため、トルコ人とアルメニア人の顔とか文化がとてもよく似ている。
アルメニア人の平均寿命は、男性は70歳、女性は73歳で、やっぱり女性の方が長い。今は、だいたい3人くらいの子供を産む。
給料は月給7万ドラム(150ドル)くらい。医者とか警察官、弁護士、建築家は給料が高い。 多くの人は給料は安いが、家を借りる場合は家賃を払わなくてもいい。そしてほとんどの人が自分の家を持っているから、住む場所にお金がかからない。
アルメニアの貨幣の価値は日本の4分の1くらい。物価は安くて、特に野菜や果物など、その旬になるととても安くなる。例えば、トマトやきゅうりの時期になると、トマトは1キロで200ドラム(約50円)、きゅうりは50ドラムくらい。しかし、冬になると1500ドラムくらいに高騰する。果物は、アンズや桃、リンゴなどが美味しい。夏の間に果物でジャムやドライフルーツなどを作り、冬のために保存食として準備する。
アルメニアで有名な飲み物はコニャック。ブランデーと混同しがちだか、コニャックの方が古さがある。一番若くても3年もので、1年ものはブランデーとなる。アルコール度数は40%。
コニャックは白いブドウからつくる。はじめに白ワインをつくって、そのあとコニャックをつくる。今アルメニアにある一番古いものは40年もの。スーパーとかには売ってないので、醸造所に行かないと手に入らない。
アルメニア人は、コニャックを飲むときは、チョコレートや果物をつまみながら数時間かけてゆっくり飲むのが習慣。
1886年に、アルメニアのコニャックはあちこちの国で有名になった。一番最初はフランスのプレジデントで、アルメニアのコニャックを飲んだ時、これはブランデーではなくコニャックだと言った。それから、コニャックと呼ばれるようになった。 コニャックと呼んでいいのは、フランスとアルメニアのものだけ。
アルメニアのワインは、ザクロワインが美味しい。味は甘くてジュースのよう。みんな家でワインをつくるから外であまり買わない。 ワイン作りは紀元前8世紀からで、ブドウは12種類つくっていた。 現在山梨で栽培されているブドウは、かつてシルクロードを通って伝わったアルメニアのブドウだそう。
アルメニアの人口は約300万人で、97%はアルメニア人。3%は外国人で、そのうち1%はロシア人のモロカン人。なぜモロカンと呼ぶのかというと、モロカというのはロシア語で牛乳という意味だが、彼らは牛乳がとても好きだったから。 面白い文化があり、結婚すると女性はスカーフをかぶり、男性はひげを長くする。家の中には誰も入れないし、携帯やインターネットも使わない。他の文化とは一切交わらない生活をしている。
アルメニアにいる日本人は、大使館員含めて15~16人しかいない。アルメニアにある日本大使館は2015年にできたが、日本のアルメニア大使館は1918年からある。初代の大使は女性でディアナ・アブガルさん。大使になっていからはアルメニアに戻ることなく日本で亡くなった。 アルメニアと日本の関係は良好。日本がアルメニアで水道を作ったり、地盤沈下に対応するために働いたり、シルクロードの道路も作ったりしている。 アルメニアは、紀元前15世紀から9世紀には、ハヤスタンと呼ばれていた。その前はナイリ。
紀元前5世紀に、アルメニアの王様の名前がアルメンだったので、みんなアルメンの国と呼んでいたことから、外国ではアルメニアという名前が浸透した。
紀元前9世紀からはウラルト時代。ウラルトはアシリア語だが、アルメニア語にするとアララトになる。 ウラルト人の住まいは、西アルメニア(今の東トルコ)で、アララト山のあたりまで。そのころからくさび形文字を使っていた。
ウラルト時代には広大な国土を持っていて、地中海からカスピ海、紅海からエジプトあたりまで、アルメニア高地と呼ばれていた。でも今は、周辺国に吸収されとても小さくなってしまった。
アルメニア高地で一番高い山はアララト山で標高は5,137m、湖で大きいのはヴァン湖(トルコ)、オルーミーイェ湖(イラン)、セヴァン湖(アルメニア)。ヴァン湖で有名な動物は「ヴァン猫」で、目の色が青と茶色になっている。
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アルメニアの真珠「セヴァン湖」と「セヴァン修道院」
山道をしばらく走ると、セヴァン湖と丘の上に建つセヴァン修道院が見えてきました。
=====ガイド=====
ここはゲガルクニク県でアルメニアで一番大きく、寒い場所。冬になるとマイナス30度くらいになる。夏は22~23度。
ここにあるセヴァン湖は、標高1900mの高所にあり、日本の琵琶湖の60%くらいの大きさで、深さは99m、幅は72㎞。この湖は淡水湖で、飲み水としても利用されている。28の川が流れ込んでいて、一つの川から出ている。マスが採れてとても美味しい。 1928年まで、深さは125mだったが、水力発電のために湖に流れ込んでいる川のひとつに設備を建設したら、水深が浅くなった。
これから行くセヴァン修道院のある場所は、1928年までは島だったが、水力発電所ができて水位が下がり半島になった。 セヴァン湖は、西アルメニアにあるヴァン湖の名前で呼ばれていたが、黒っぽい色なので「黒いヴァン」という意味の「セヴァン」と呼ばれるようになった。
セヴァン修道院は9世紀のもの。240段の階段を登ると二つの教会(聖母教会と聖使徒教会)がある。地震で何度も倒れ、何度も修復されたので世界遺産にはならなかった。でも修復には9世紀の石を使った。
9世紀はバグラトゥニ時代で、アショト王の妹マリアンヌがセヴァン湖の横に30の教会を作った。なぜ30なのかは、マリアンヌの夫が30歳で亡くなったため。
修道院ではアラビア人との戦争があったが、アルメニア人は簡単に勝つことができた。アルメニアの軍人は200人だったが、200の船に乗って、木で軍人の姿を作って船にのせた。アラビア人はこれを見て大規模な軍隊だと思った。
湖の向こうには3000m級の山があるゲラマ山脈があり、それを越えるとアゼルバイジャンになる。
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修道院の丘の麓にある駐車場でバスを降り、石段を上っていきます。
上までいくと、湖が眼下に広がりとてもいい景色。 もう夕暮れでしたが、ギリギリで教会の中に入ることができました。
これまで訪れたものと比べるととても小規模で、美しい絵画などもありませんでしたが、ここまで来たらぜひ見ておきたい。
セヴァン湖は「アルメニアの真珠」と呼ばれるほど美しいそう。今回は天候に恵まれず、その鮮やかな湖の色が見られなかったのがとても残念です。時間に余裕があれば、数泊してのんびりしたい場所でした。
アルメニアのリゾートホテル「MULTI REST HOUSE」に宿泊
セヴァン湖を後にし、今日のホテル「MULTI REST HOUSE」へ。湖からは車で30分ほどの場所にあるリゾートホテルです。
広々とした部屋は、リゾートっぽい色合いでとても素敵。もう暗いので外の景色はよく見えませんが、遠くには町の灯りも見えて、かなり開けた場所に建っている感じ。明日の朝が楽しみです。
部屋で少し休憩した後、ホテルのレストランで夕食。 ガイドさんおすすめのアルメニアワイン「KARAS」と一緒にいただきます。
チーズや香草たっぷりの牛肉の煮込み料理など、ワインのお供にぴったり。 夕食は20時からでしたが、みんなでワイワイ飲みながら楽しい時間を過ごしました。