主な訪問地:アルチ~マンギュ~サスポール
ホテルのすぐ近くのアルチ・チョスコル・ゴンパは素晴らしい曼荼羅の世界が広がっている。ここではローツァワ・リンチェンサンポと曼荼羅の勉強。午後はインダス川沿いにマンギュ・ゴンパと石窟にある崩れかけのニダプク・ゴンパへ。
朝起きて外を見ると今日も快晴。
朝日が差し込む2階の部屋の外の一角で、スタッフが持ってきてくれたモーニングティーをいただきます。
屋根はあるものの、ここは完全な外なので直に外気が入り込むのですが、風もなく空気もカラッとさわやかでかなり気持ちがいい。
この山の空気を嗅ぐとなんでこんなに幸せな感じになるのだろう。
一息ついたあとは朝食です。
おかゆが美味しい!
山名さんが日本のお米を渡して作ってもらったのですが完璧。その他にラダックのパンも出てきたのですがこちらもいけます。
9時。
まずは、ホテルのすぐ脇にあるアルチ・チョスコルを訪問。
細い路地を抜けると、壁の向こうに一本の木がありました。
=====ガイド=====
チベットのグゲ王国の僧侶ローツァワリンチェンサンポがカシミールに向かう際、いろいろなところにいってお寺を作っていた。
シェイとティスセの間にニャルマチョスコルという僧院の跡があるが、ここがリンチェンサンポがラダックに来た時のメインのお寺だった。
チョスコルというのは、聖なる場所とか聖域という意味。
彼がニャルマに来たとき、この周辺にいくつかのチョスコルや洞窟のゴンパを作った。
ここの山を越えていったところに、スムダチェンモというゴンパがあるが、そこも彼が作った。
彼がニャルマに来たとき、スムダ出身のスカダンシェラが彼の弟子になった。
そして、スムダにゴンパを作ってほしいとお願いされ作ることになったが、スムダに向かうとき、それを聞いたアルチの人にもお願いされた。
しかし、今からスムダに行かなければならなくどれだけ時間がかかるかわからないから、帰ってきてから考えましょうと言って、この木の場所に持っていた杖を刺し、大事にしてくださいと言い残し出発していった。
その後、スムダにゴンパを建てて帰ってきたとき、その杖が木になっていた。
それをみたリンチェンサンポは、ここは非常に大事な場所だと確信し、お寺を建てることにした。
それが、これから見学するアルチ・チョスコル。
以前、パルダンさんがここに来たときには、中が空洞になっている大きな木があって、その中で子供たちが遊んでいた。
今はその木は倒れてしまったが、その木の芽から今の木が育った。
そしてこの木は全ラダックやカシミールの方でも見たことがなく、写真を見せていろいろな場所の人に聞いたが知っている人はいなかった。
そのため、リンチェンサンポの杖がどこの木なのかわかっていないし、すごく不思議な力を持った木とされている。
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中庭につづく門を入り、まずは5つあるお堂の中のメインの大日堂へ。
アルチ・チョスコルはすばらしい仏教美術がたくさんありますが、残念ながら建物の内部は撮影禁止なので外観の写真のみ。
いよいよラダック観光には欠かせないアルチ・チョスコルの見学が始まりますが、その前に、このゴンパを建立しチベット仏教史の重要人物でもあるローツァワリンチェンサンポについて勉強です。
=====ガイド=====
アルチ・チョスコルはローツァワリンチェンサンポが建てたが、彼が建てたお寺には3つのタイプがる。それは、ツクラカン(学校のようなところ)、チョスコル(平地につくられることが多い)、ラカン(小さいお堂)。
ここは、11世紀から12世紀くらいのものなので、ヨガタントラまでの教えが描かれている。
ローツァワリンチェンサンポは西チベットのグゲ王国のトリン近くのジャクニーズという今は廃墟になったお寺しか残っていない場所で生まれた。
とても特別な方で、お釈迦様が涅槃に入る際に、「私が涅槃に入って1500年後に一人の僧侶が生まれてきて、その僧侶が私の教えを広めるだろう」と予言をした。
その予言を受けてかわからないが、その通りにローツァワリンチェンサンポが生まれた。
彼を生んだお母さんが彼を身ごもった時に、金色のガルーダが夢の中でお母さんの中に入ってきて身ごもったという有名な話がある。
彼は1歳や2歳ころからお祈りをし始めた。
それを見た父親が、この子はものすごい僧侶になるのではないかと思い、当時のトリンのヘッドラマにお願いして修行を始めさせた。
するとめきめき頭角を現し、18歳になったころに当時の王様に、カシミールに行って仏教のすべてを学んできてほしいとお願いされた。
当時の仏教の様子は、どんどん廃仏が進んでいて仏教徒は西へ移っていた。
そんな中、西チベットのグゲ王国の王様は、仏教を守りたいと思っていて、そのころちょうどよくローツァワリンチェンサンポが現れた。
王様の命令を受けた彼は、2人のお連れとともにカシミールに向かい10年勉強し、
その間、75人のラマについて多くのものを学んだ。
彼はとても賢くて、一度聞いたことはすべて覚えてすぐに翻訳することができた。
その後、グゲ王国に帰るのだが、10年の間に一人のラマから「早く歩ける」という特別な力を授けられ、行きに3か月かかった道のりをものすごい量の経典を持った状態で6日間で帰ることができた。
帰ってから、正式に王族の仏教の先生として迎えられ、お寺をつくることになったが、まず最初にトリン、コジャ、ニャルマに作った。
この3つに関しては、彼自身が法要をした。
そしてお寺ができると、仏像や壁画もほしくなり、再び王様に頼まれて、カシミールに行く。
今度は5~6年そこですごすが、帰るときに最先端の技術を持っている32人の職人さんを連れて帰り、僧院の中を作っていった。その後、全チベット文化圏にある108のローツァワリンチェンサンポのお寺に1000以上の仏塔を建立していった。
彼はすたれていったチベット仏教を復興させたとても重要な人物。
またそれ以外にも、アムチ(伝統医療)の教えを持って帰ってきた。なので、チベットの人たちはローツァワリンチェンサンポが最初のすべてだと言っている。
一番大事な功績は何かというと、ローツァワ(大翻訳官)として、もともとサンスクリット語で書いてあった経典をチベット語に翻訳して持って帰ってきたこと。
インドではサンスクリット語で書いてある経典は残っていないので、とても貴重。
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大日堂の中は曼荼羅の世界。
そこに入る手前には前庭があり、千仏画や砂曼荼羅の展示があります。
写真撮影は禁止なので、ここでカメラを預けました。
=====ガイド=====
ここに入るところに仏塔があり、そのなかにも仏塔がある。
外側の仏塔のまわりの壁には曼荼羅や仏舎利がある。ここに巡礼に来る人は、お寺に入る前にこの仏舎利にお祈りしてから入る。
今から中に入るが、中は完全な曼荼羅の世界で造り自体も曼荼羅になっている。
曼荼羅というのは、修行する際に、曼荼羅の前に座って自分自身を投影し、自分の中に曼荼羅のイメージを作り上げていく。
そしてその中に、完全な曼荼羅世界を立体的なものとして自分と統一化させその教えを自分の中に授けていくもの。
そういった世界に入る前に、曼荼羅をイメージをできるように、僧院の入口のドア淵には、完全な曼荼羅の世界が再現されている。
金剛界五仏、大日、アシュク、阿弥陀、八大菩薩など。
そこには、文殊菩薩もあるが、自分たちの実世界における地位などは現世だけのものであって、ここではそういうのはまったく意味がなく、来世にむけてよいカルマをつみ解脱をすることというのを認識するためにある。
また一番大事な若波羅蜜多の教えも描かれている。
日本の般若心経の最後の部分「ぎゃてぎゃて~」はサンスクリット語の音をそのまま漢字にあてはめているため漢字に意味はない。
ちゃんとしたものは16巻、ちょっと抜粋したものは3巻、さらに抜粋したものは1巻、そして究極に短くしたものは「がてがてぱらがてぱらさんがてぼでぃそわはー」という言葉。
もともとはどういう意味かというと、「がて」は「出なさい(行きなさい)」、「ぱらがて」は「帰属した世界(もの)から出なさい」、「ぱらさんがて」は、「この中の外に出た世界に行きなさい」、「ぼでぃそわはー」は、「その先に涅槃の世界がある」。
「ここから出なさい」の「ここ」とは、
今自分たちがいる世界(六道)とのことで、
そこから出て涅槃の世界に行きなさいという意味。
そういったことが掘られたドアをくぐることによって、曼荼羅世界をイメージし、教えを授かることができる。
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いよいよメインのお堂に入ります。
中は、思わずため息が出るほどの迫力。四方から大きな曼荼羅が私たちに迫ってきました。
写真でお見せできないのが残念です。
まずは曼荼羅の見方を教えていただきました。
=====ガイド=====
中の壁画は曼荼羅だけ。7つの曼荼羅が描かれている。
曼荼羅の形のしくみ。
曼荼羅というのは、サンスクリット語で「円」とか「輪」という意味。仏教修行の段階の実践の方法を表している。
まず外側に円があり、炎とバジュラで守っている。
曼荼羅には4つのゲートがあり、下が東になる。
いろいろな曼荼羅があるが、仏教の教えの4つの段階(行タントラ・所作タントラ・ヨガタントラ・無上ヨガタントラ)のそれぞれのレベルの曼荼羅がある。
ここにあるのはヨガタントラの代の金剛界五仏の曼荼羅。
無上ヨガタントラは15世紀以降にできたが、ここは10~11世紀にできたので、当時の最先端のヨガタントラになっている。
曼荼羅を見るときに一番最初に見るのは真ん中に描かれている主尊。
大日如来の曼荼羅は、東にあしゅく、南に宝生、西に阿弥陀、北に不空成就がいる。
この5つの如来は、修行して悟りを開くために必要な智慧を意味している。
この金剛界五仏が主尊の曼荼羅には、その間にターラー、ローチャナ、ママキ、パーンダラーの4人の女性の菩薩が描かれていて、永遠に続く終わりのない愛・慈悲・喜び・平等を意味している。さらにその周りには、16の菩薩が描かれている。
四隅には同じ菩薩が描かれているが、これは、バターランプや花、お線香などを寄進する者を意味している。
4つのゲートを守っているのは、バジュラアングーシャ、バジュラバーシャ、バジュラスポータ、バジュラガンタ。
バジュラアングーシャはフック、バジュラバーシャはロープ、バジュラスポータは鎖、バジュラガンタはベルを持って、ゲートから曼荼羅の中に入ってくる悪いものをそれぞれのもので守っている。
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曼荼羅の仕組みのあとは、曼荼羅を使って実際にどのようにして教えを実践していくのかという説明です。
=====ガイド=====
曼荼羅とはただの絵でもデザインでもなく、仏教の教えを実践していく際に使用していくもの。
金剛界の曼荼羅を実践しようとするとき、イニシエーション(自分のラマから教えを授かる灌頂儀礼)をしなければならなく、そのさい、ラマがこの曼荼羅について説明をしてくれる。
その説明とは、さきほど説明した見た目のことだけではなく、この曼荼羅を使ってどのように実践していくかという方法。
その方法とは、曼荼羅の前に自分がいて、その曼荼羅に自分自身を投影し、まず東のゲートから、そのゲートキーパーがもっているフックで自分のエゴを取り除いてもらって中へ入っていく。
そして、菩薩の世界をイメージし、そのゲートにいるあしゅくを自分の中に作りだし完全な形にする。
その後一度出て、今度は南のゲートから入って同じようにする、というのを東西南北のゲートで行う。
全てのゲートが終わると、まわりの16の菩薩や4人の菩薩なども含め、自分の中に曼荼羅ができあがり、最終的に主尊である大日如来を自分の中に作り出す。
その意味というのは、金剛界五仏は5つの智慧を表しているが、それと同時に5つのエゴ(恨み、怒り、妬みとか)も表しており、この曼荼羅に入ることによってそれらのエゴを取り払うことができる。
曼荼羅の形だけでなくその意味合いも含め自分の中に完全に作り上げることにより、エゴなどを浄化し、より涅槃の世界に近づくことができる。
実際には、曼荼羅の前に座り観想するのだが、それがとても難しい。
本当の観想というのは自分の中をまったくの「無」にするところから始まる。
いろいろな邪念は、曼荼羅の周りの炎やバジュラ、各ゲートのゲートキーパーによって曼荼羅への侵入を防いでいるが、そういう意味も全て取り込みイメージし、完全に自分の中のエゴを取り払う。
曼荼羅には大きく分けて4つのタイプがある。
曼荼羅はどこまでも広げていくことができるが、逆にシンプルにすることもでき、五仏だけ描かれているものもある。
ドゥカンには他に、文殊菩薩曼荼羅、般若波羅蜜曼荼羅、8つのストゥーパ、ご本尊の大日如来、金剛界五仏、千体仏、女性の4人の菩薩などがある。
当時の様子を描いた壁画には、ターバンを巻いた人などが描かれており、どうみてもチベット人ではないが、それはこれを描いた絵師がカシミールから来た人だから。
壁画には、一部修復のためにあとから描かれた部分がある。しかしオリジナルのものとくらべるとかなり雑。
オリジナルはリンチェンサンポがカシミールから連れてきた職人さんが描いたが、今ではこのカシミール様式の仏画を描ける人はほとんどいないという。
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曼荼羅の世界から出て前庭に戻ると、砂曼荼羅が展示してありました。
=====ガイド=====
前庭にある砂曼荼羅は観光用に展示してある。
ものすごい急いで作っても一週間はかかる。
本当は完成してプジャをしたら、永遠に続くものはない象徴として壊さなければならない。
そのためここにあるのは、完全な状態で残しておくことはできないから、展示するために、曼荼羅の一部を少し崩した状態で保存してある。
中に描かれていた曼荼羅と同じものだが、仏像はシンボルで描かれている。
ここで使われている砂は自然のものではないが、昔はすべて自然界からとれたもので作っていた。
以前、東京で砂曼荼羅展をやったとき、曼荼羅を作って展示が終わった後壊そうとしたら、日本の担当者に壊さないでとお願いされた。
だから仕方なく、ここに展示されているのと同じように一部だけ崩して残しておいた。
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ここでは写真撮影禁止だったため、ポストカードを買おうと思っていましたが、まさかの品切れ。
あれだけ素晴らしい曼荼羅だったのに、なんの記録も持って帰れないなんて。頭に焼き付けるのにも限度があります。
外に出ると、迷彩服姿の軍人さん達と鮮やかなサリーをまとったご婦人方がいました。
パルダンさんによると、そのご婦人の一人がVIPで、軍人さんたちはみんな彼女のアシスタントだとか。それにしてもそのおつきの人たちの数がすごい。
ものものしい雰囲気でしたが、挨拶をしてみるとみんな笑顔で返してくれました。
やはり笑顔は世界共通。
思えば、パキスタンに行った時も、数ある検問でのチェックのとき銃を持った強面の検査官に、みんなで極上の笑顔を向けてパスしていったっけ。
次はお隣のローツァワ・テンプルへ向かいます。
ローツァワラカンとジャムヤンラカンはドゥカンのすぐ隣に並んでいます。
ローツァワラカン(翻訳官堂)、ジャムヤンラカン(文殊堂)の順で見学。どちらも入口は小さく、ドアの木枠には曼荼羅が彫られていました。
=====ガイド=====
ローツァワラカン(翻訳官堂)
リンチェンサンポがお寺を作るときにここに住んでベースとしていたといわれている場所。やはりここも曼荼羅が描かれているが、修復部分がけっこうある。
金剛界五仏の千体仏も描かれている。
同じ時代に描かれたものだが、最初に描いたのが腕のいい職人さんで、彼らが他のところに行ってしまった後、残ったお弟子さん(?)たちが描いた。なのでクオリティやタッチが違う。
ジャムヤンラカン(文殊堂)
智慧の象徴の文殊菩薩のお堂。
それぞれ四方向に文殊菩薩がいるがすべて修復されたもの。
屋根などが全部落ちていたが、60~70年前に、落ちていた材料をつかって適当に組み上げた。
ここにも金剛界五仏の曼荼羅などが描かれているが、後から修復された箇所はかなり雑。
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続いてアルチ・チョスコルのメインの一つ、三層堂へ。
その名の通り、三階建てになっているお堂です。
入口の手前の頭上には、彫刻が施された木枠とそこにはめられた仏像があり、ドアのある壁には壁画が描かれています。
=====ガイド=====
本来は上には登れないが、パルダンさんは、リンチェンサンポの本を書いているとき、調査のために上った。
アルチ・チョスコルには全部で27個の曼荼羅がかかれている。
アシュクと阿弥陀がそれぞれたくさん描かれた壁がある。
阿弥陀は印相がみんな同じだが、アシュクはいろいろな教えによって違うので印相も違ってきている。
アシュクは象、阿弥陀はクジャクとともに描かれている。
カシミールスタイルの観音菩薩像の衣には、耳のつながったうさぎや、泳いでいる姿、そして般若波羅蜜などが描かれていてとても美しい。
壁画はここも修復されているが、新しいのはへたくそ。やはり昔の高度な技術は再現できないらしい。
インドには文化遺産を守るための役所があり、予算もたくさんあるが、みんなポケットに入ってしまってここまでこない。
弥勒菩薩の像の衣には、シャカムニブッダのライフストーリーが描かれている。
本来青色で描かれるアシュクが金色になっているものがある。
これは、ただ単に金は高価だからという理由でこの色を塗られた。
ものすごくシンプルにした曼荼羅もある。
文殊菩薩の像の衣には、魚や84人のヨガの行者がいて、ここだけ無上ヨガタントラが描かれている。
ここにいる人たちはものすごい力をもっていて、それにまつわる話がいくつかある。
■ひとつめ
いつも魚を釣って乞食のような汚い恰好をした行者が町の人たちに教えを広めるために行ったら、お前のような行者に教えられたくないと追いやられた。
行者は河原へ戻ったが、そこへ村人たちがやってきて追い出そうとした。
するとその行者は、「どうやって魚をとっているか見せてやろう」と言って立ち上がると、魚が飛び上がり行者の口の中に入った。
するとそこから虹が出て、その魚の魂が涅槃に昇って行った。
行者は、魚を食べるためにとっているのではなく、その魚の魂を救っていた。
それを見た村人は行者をあがめ、村で教えを授かった。
■ふたつめ
首のない2人の女性の絵。
この二人はお金持ちの人と結婚した姉妹で、何不自由なく暮らしていた。
しかしそのうち、このままでいいのかと疑問に思い、ラマのところへいって教えを実践していった。
何十年後かに、ものすごい力を得た二人はそのラマのところにお礼に行った。
しかしラマはふたりのことを覚えいないフリをしテストをした。
姉妹は金銀財宝を持って行ったが、ラマは「本当に私の弟子ならそんな財宝などはいらないことはわかっているはず。修行の成果として力を得たのなら、あなたたちの首を渡しなさい」と言った。
すると二人は、自分たちの首をとってラマの前で踊りを披露した。
それを見たラマは、二人がきちんと修行をして力を得たのだとわかり、首を返して再び修行をした。
他に八吉祥なども描かれている。
天井の方はラテルネンデッケ(カシミールやフンザ地方の建築様式)になっている。
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ここも内部は写真が撮れないので残念ですが、仏像の衣に描かれている絵や壁画はすばらしいものでした。
また、吹き抜けになっているので、上の方の壁画も一部見ることができます。
お堂の見学はこれでおしまいなので、次は中庭と周辺の散策です。
まずは、庭にある仏塔の中に仏塔がある仏塔内部へ。
内壁にはリンチェンサンポと彼が教えを授かった72人のラマなどが描かれていて、上の方はラテルネンデッケになっています。
こんなすばらしい絵を内側に隠してしまうなんてもったいない・・
と俗世の私がそう思ってしまうほど精密に描きこまれていました。
このあと古いマニ車をまわし、ゴンパの外側を巡っていきます。
ゴンパのまわりには細い道がぐるりと一周していて、遠くの雪山やインダス川を見ながら歩くことができます。
インダス川の上流の方に建設中の発電所が見えました。
この発電所は、4~5年かけて造っていてこの10月に完成し、来年から本格稼働するらしい。
これにより、今までの何倍もの電力が賄えるようになるそうです。
一周して少し写真を撮ってからホテルに戻ってランチ。
今日のランチは数種類のカレーと焼き立てのナンです。
これが、全員大絶賛の激ウマで、私の中ではこの旅一番のおいしいカレー&ナンでした。
天気が良かったので外のテーブルで食べたのですが、ミツバチが次々よってきて、追い払うのが結構大変。パルダンさんによると今年最後のハチだそう。
ラダックの観光シーズンももう終わりを迎えています。
でもこの時期、朝晩は結構冷え込みますが、昼間はまだまだあたたかいし、何より黄葉が始まる季節なので、個人的にはもう少しホテルも営業してほしいところ。
9月中旬以降になると、多くのホテルのスタッフが、温かい南の地域へ移動をはじめ、冬の間はそこで働くのだそうです。
午後は、アルチからマンギュへ向かいます。
■動画:ラダックのアルチ村
インダス川沿いに進み、険しい山道を登って1時間ほどで到着。
マンギュの村の入口で車を降り、小さな村の中をさらに登っていきます。
ゴンパの前庭に続く入口を入ると右手にゴンパがありました。
ここにも内部は写真撮影禁止。
まずはドゥカン(ナンパ・ナンツァ)から入ります。
=====ガイド=====
アルチと同じ年代の創建。
ローツァワリンチェンサンポが実際にここにきて法要し、自分のお弟子さんたちに
ここにローツァワスタイルのゴンパを建てなさいと命じた。
しかし、中の仏像や壁画はリンチェンサンポがカシミールから連れてきた32人の職人さんたちが作った。
ここもローツァワの時代で、ヨガタントラの時代につくられたものだから、金剛界五仏の主尊は大日。
お釈迦様、ツォンカパ、八大菩薩があり、ネパールのクンブ郡から来た(全部じゃないかも?)。
他に珍しい35仏の曼荼羅やナーガ(蛇)の曼荼羅などがある。
壁画はいい加減に修復した部分が多くいろいろルールが間違っている。
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メインのお堂を出て脇の小さなお堂チャムカンに入ります。
=====ガイド=====
メインのお堂を中心に両脇に小さなお堂があり、その中にそれぞれ弥勒菩薩と観音菩薩が立っている。
これは、ローツァワリンチェンサンポスタイルの特徴。
大きなガンダーラスタイルの弥勒菩薩の立像があり、これだけ大きな弥勒菩薩の像はほとんどない。
壁には、弥勒菩薩、文殊菩薩、観音菩薩、千体仏。
数年前に支援を受けて修復した。
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つづいてドゥカンの隣のチューチグザルへ。
=====ガイド=====
新しくてよくみるタイプの千眼千手十一面観音(チューチグザル)があり、両脇にはカンギュールがある。
壁画の修復はここもあまりよくないものがあるが、金剛界五仏のルールは守られている。
しかし、オリジナルの曼荼羅が消えて、それを修復して描いた曼荼羅も消えた後、なんとなく白ターラを描いてみた、といういい加減な感じで修復されている箇所もある。
文殊菩薩の変化したフォーム、文殊菩薩、三世仏、サロバビットバイローチャナの曼荼羅が描かれている。
このサロバビットバイローチャナは、大日が主尊になっているので、11世紀から12世紀、遅くても13世紀までのものだから当時描かれたもの。
金剛界五仏の大日主尊にするときの曼荼羅の大日の姿だが、ほかの一般的なものと少しルールが変わる(アシュクが南にいる)。
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お堂の庭を出て、裏へ回ると真っ白な仏塔群がありました。
そのうちのひとつカンカニの内部へ入ります。
=====ガイド=====
チョルテンの中にあるチョルテン。
ローツァワリンチェンサンポ、お釈迦様、千体仏、カシミールいたときの75人の先生の内の2人が描かれている。
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さらに歩いてトレタプリ・チョルテンへ。
=====ガイド=====
ラテルネンデッケ様式の天井。
4つの像があるが、もともと五仏があっただろうと言われていて、この仏像だけはオリジナルではない。
ツォンカパ、観音菩薩、文殊菩薩、金剛手菩薩があり、観音菩薩、文殊菩薩、金剛手菩薩の3体でリクスムゴンポと呼ばれる。
金剛界五仏や千手観音などの壁画は恐らくオリジナルのものだろう。
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再び険しい山道を下り、次はサスポール村にあるニダプク・ゴンパへ向かいます。
このゴンパは岩山の上の洞窟の中にあり、そこまで歩いて登っていくのだそう。
しかしゴンパに近づくと、新しく道路ができていて、以前にくらべて登る距離が短くなっていました。ラッキー
マンギュ・ゴンパからおよそ40分ほどで麓に到着。
目の前に石がゴロゴロとした山が聳えていました。
その頂上ちかくに赤い小さな入口が見え、そこが目指すニダプク・ゴンパです。
さっそくパルダンさんに続いて登り開始。
この近くのアルチの標高が3100mで、ここもそんなに変わらないと思うので、早くも息がきれて苦しい。
なんとか登り切り辺りを見渡すとこの絶景。
中へ入ると、狭い洞窟の壁一面に壁画が描かれていて圧巻。
とても暗いのでライトは必携です。
■動画:ニダプク・ゴンパ
=====ガイド=====
サスポール村にある。
15世紀にティスセ僧院が建てられた後に、この洞窟がゴンパにされた。
ハイタントリックが描かれている。
お釈迦様、十六羅漢、カーラチャクラ、ヘーバジュラ、チャクラサンバラ、グヒヤサマージャ、ツォンカパと先生たち、五仏曼荼羅、マハカラ、パンデンラモ、獅子マンジュシュリ、阿弥陀、弥勒、48人の行司など。
ここは修復もできないので、15世紀のままで残っているが天井から岩が落ちてきているなど痛みは激しい。
いつ崩れてもおかしくない状態なので、大人数での見学は危険。
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下まで下りて再び見上げると、山肌の間に壁画が描かれているところがありました。
ここにはほかにもたくさんの石窟があって多くが崩壊しているそうです。
アルチのホテルに戻ったのは18時半ごろ。
このあとは楽しみな夕食です。
今日は、山名さんが持ってきてくれた、きゅうりのキューちゃん、刺身こんにゃく、インスタントラーメン、そしてホテルが用意してくれたカレー各種。
お昼にもホテルでカレーを食べましたが、ここのカレーは本当に美味しい。
通販とかしてくれないかな。
さて、お腹もいっぱいになったところでいったん部屋に戻り、カメラを持って屋上へ行ってみました。
梯子を上って小さな穴から顔を出すと、頭上には満点の星空が広がっていました。
周りの灯りが少ないので綺麗に見えます。
さっそくカメラをセットしバルブで撮影。
三脚もレリーズも持ってこなかったので、なんとかあるもので工夫して撮りました。
星空観賞は、旅行に行ったときの楽しみのひとつでもありますが、今回もいいものが見られてよかったです。