主な訪問地:シェイ~マトゥ~スタクナ~ストク~チョグラムサル~レー
ガイド役を引き受けていただいた、ダライラマ法王とも行動を共にするほどの高僧パルダン氏と初対面。さっそく上ラダックのゴンパ(僧院)から、かなり詳しくマニアックに案内をしていただいた。ラダック王国の始まりとなったシェイ王宮からスタクナ・ゴンパ、マトゥ・ゴンパ、ストク・カルを巡り、夕方近くになってからチベット人居住区チョグラムサルでトゥクパのランチ。夜は、ラダックで旅行会社を営む知り合いと久しぶりに再会した。
朝熱いシャワーを浴びてさっぱりしたところへ、モーニングティーが部屋に運ばれてきました。ちょっと生姜の利いたマサラティーです。
カーテンを開けて外をみると雲がたくさん・・。
この時期のラダックは天気がいい・・というよりそもそもあまり雨が降らない地域なのに。
ちょっとテンションが下がりますがこればっかりは仕方がない。
8時、朝食。
山名さんが持ってきてくれた味噌汁と、トースト、オムレツなどしっかりいただきました。
9時出発。
ロビーに行くと赤い袈裟を来たパルダンさんがいらっしゃいました。
山名さんとはもう10年来の友人で、今回のガイドも無理を言って引き受けてもらったのだとか。
とても偉い僧侶の方だと聞いていたのでちょっと緊張していたのですが、なんとも人懐こい笑顔を向けてくれてほっとひと安心。
今回はそのパルダンさんのガイドを受けられるということで、日本からICレコーダー(ICD-UX523-S)を持参してきました。
いつもはメモだけなのですが、それだけでは全てを書き取れないのは自明の理。きっと威力を発揮してくれるはずです。
さて、準備も万端整いまずはシェイ王宮へ向かいます。
ホテルから30分ほどのどかな道を走り到着。
丘の上にあるのでそこまで坂を上っていくのですが、すぐに息が切れてしまいます。そんな中、息も乱さずスイスイ上っていくパルダンさんはさすが。御年67歳だと伺いましたが本当にお元気です。
ぜーぜー言いながら、なんとか建物の入口までたどり着き、ガイド開始。
ガイドは、最初にパルダンさんが英語で説明してくれて、そのあと山名さんが日本語に訳してくれます。
各説明はICレコーダーの内容と写真を照らし合わせて掲載していきますが、録音状態により、聞き間違いなどあるかもしれませんのでご了承ください。
=====ガイド=====
シェイ王宮はラダック王国の始まりとなった王宮。
もともと西チベットに王様と3人の息子がいたが、その息子たちにチベットの方と、この辺りと、ザンスカールのエリアをそれぞれに分け与え、その中の一人でこのエリア担当になったラツェン・パルディブンが最初の王様になった。彼は、ここからちょっと離れた場所に小さな王宮を建て、ラダック王国を統治していった。
ここに来たときいくつかの家族も連れてきたが、こういう辺鄙な場所なため、まずインダス川から水を引いて周辺を耕作し畑を作っていった。
そうやって人の住める環境を整え、どんどん村が広がっていった。
王宮やゴンパを建てるときは、できるだけ、丘の上で後ろに岩壁や山、前に湖や川などがある場所を選ぶ。
最初の王様ラツェン・パルディブンが建国したのが9世紀で、その後王様が新しくなる度に王宮を建て増ししていき、17世紀前半、シンゲン・ナムギャルの息子のデルダン・ナムギャルがこの建物の礎を作った。
デルダン・ナムギャルの時代になった時には、バスゴーの王宮もレーの王宮もすでにあったが、このシェイ王宮をもう一度作り直したいと思い手を入れることになった。そして、この建物とともに目の前の池も作った。
池の脇にある小道はずっと昔からキャラバンが使っていた道で、その当時の人はその池に王宮が写る景色を見ながらやってきた。
昔はこの辺りにも集落があり、その集落全体が城壁に囲まれていた。その城壁には南と西にゲートがあり集落にはそこからしか入ることができなかった。
デルダン・ナムギャルは父のシンゲン・ナムギャルのためにお堂を作り、当時ではラダックで一番大きな釈迦牟尼仏陀を安置した。
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さらに階段を上って中に入っていきます。 階段の上には大きなマニ車がありました。
=====ガイド=====
マニ車の中には、観音菩薩の真言(マントラ)「オンマニペメフム」について書かれた紙が入っている。
全チベットにはいろいろな菩薩さんなどがいて、それぞれにマントラがあるが、その中で観音菩薩というのは、仏陀に、「悟りの道に入って無限の慈悲を与えなさい」と言われ選ばれた人である。
ダライラマも観音菩薩の化身あり、観音菩薩というのは全チベットで一番大事にされている菩薩。
マントラとは、もともと長い言葉を短くしたもので、必ず最初は「オウム」から始まり、最後は「フム」で終わる。
「オウム」というのは「ア」「オ」「マ」という三つの言葉が合わさっていて、それは身口意の「ボディ」「スピーチ」「マインド」を表している。
まずは「オウム(オン)」と発することによって「自分の身口意を浄化してください」と始める。
最後「フム」は「プリーズ」という意味。
「オンマニペメフム」というのは、最初の「オン」は身口意、「マニ」は「宝珠」、「ぺメ」は「蓮」で、「観音菩薩の身口意を通して、私の身口意をあなたの持っている宝珠、蓮と同じように自分の中で浄化してください。」という意味。
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そこを過ぎるとちょっとした広場があり、大きなストゥーパが聳えていました。
ここからは麓の景色が遠くまで見渡すことができます。
=====ガイド=====
ここは法要する広場で、今でも村の人たちが使っている。
シンゲン・ナムギャルが亡くなった時に息子のデルダン・ナムギャルがこのストゥーパ(亡くなった人のために作るもの)を建てた。
建設する際、全チベット(今のチベット自治区や青海、ネパールやザンスカールの方も全て)にシンゲン・ナムギャルが亡くなったのでストゥーパを建てるということを知らせた。
すると、チベット中から(ダライラマやパンチェンラマなどからも)シンゲン・ナムギャルのために経典や仏像、宝物が届いた。それがこのストゥーパの中に入っている。
お堂の中にある釈迦牟尼仏陀の像を作る際に、今のネパールのパタンから2人の職人を呼んだ。
実際に作るときになって、ネパールのボダナートに興味を持っていてたデルダン・ナムギャルが、それはどのようなものかその職人たちに尋ねた。するとその職人たちは、ボダナートのミニチュアを作ってデルダン・ナムギャルに見せた。それを見たデルダン・ナムギャルはとても気に入り、ぜひ作ってほしいと依頼。
そして、できたのがシェイ王宮の麓に建っている。(現在修復中)
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お堂の方に回ると、小さな小屋がありました。これはバターランプの小屋で、お堂の中で燃やせないためここで火を灯しています。
さらにお堂の入口にはバターが入ったペットボトルが置いてあり、参拝に来た人がおいていったものだそうです。
さて、いよいよお堂の中に入ります。
=====ガイド=====
仏像は金と銅で作られていて、13~14mある。
仏像の制作にあたってはいろいろな決まりがあり(各部のサイズや形など)、それに沿って作成するが、作っただけではあまり意味がない。
仏像の中にお経とか仏像とかを収めた上で、僧侶による開眼法要を行うとやっと仏陀と同じものになる。
仏陀というのは、個人を指すものではなく悟りを開いたものという幅広い意味があり、仏陀になるというのは、修行して解脱して悟りの道に入るということ。
悟りの道に入った仏陀という存在は、32の身体的特徴を有しており、仏陀を作る際は、その中の螺髪と白ごうは確実に反映させている。
身口意(ボディ・スピーチ・マインド)が一番大事。
ボディの特徴としては螺髪と白ごうを作る、スピーチは教えを守ってフォローしていく、そしてマインドは、4つの無限の愛、喜び(?)平和、平等で、それらは仏陀の教えの根幹となっている。
お堂の中の壁画はすすで真っ黒だったが修復されて今は綺麗に見える。
獅子吼観音(センゲータ)やグルリンポチェ(パドマサンババ)の八変化など。
ブータンのタクツァン僧院に仏教を運んだのはグルリンポチェだが、ここに描かれているような恰好で行ったのではなく、ドルジドロという姿で行った。
ウイグルの39屈の手前のところに竜樹の像が建っている。竜樹の絵には頭の上に竜が描かれている。
竜樹は当時、ナーランダー僧院(仏教の総合学習センター)の6人のマスターの中の一人で、今ある経典とかはサンスクリットでこの人たちがずっと書いて残してきた。
初期から中期のまだ成熟していく前の仏教を広めていった。
お釈迦様(シャキャ・トゥパ)、十六ラカン、持金剛(バジェラ(金剛)を持っているお釈迦様のひとつの化身)、サキャ派の祖師など。
仏教を西の方に広めようとしたタクツァンレーパは17世紀にはここにいた高僧で、イスラムの方に仏教を広めてきなさいと言われたので頭にターバンを巻いている絵が描かれている。
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(?):よく聞き取れなかった箇所
シェイ王宮を後にし、しばらく進むとインダス川に架かる橋を渡ります。
そこを渡ると向こうの丘にスタクナ・ゴンパが聳えていました。
車を降りてマニ車を回しながら入口まで上っていきます。
丘の上に行くとインダス川の風景が遠くまで見渡せました。
中庭に出るとカラフルな建物がぐるりとまわりを囲んでいます。
正面の階段を上がってドゥカンの中へ入ると、内部は外にもましてきらびやかで、数々のタンカや壁画で埋め尽くされていました。
=====ガイド=====
16世紀にシンゲン・ナムギャルの時代に建てられて、ドゥクパカギュ派という宗派のゴンパ。
スタクとは虎のこと、ナは鼻で「虎の鼻」という意味。
なぜこの名前がついたのかというと、このゴンパが建っている岩山が虎の姿に見え、その鼻先にゴンパがあるため。
ドゥクパカギュは、ブータンの国教にもなっている宗派で、ラダックにはこの宗派のお寺が多いが、その中でも代表的なのがへミスゴンパ。しかし、こことは微妙に違い、スタクナはどちらかというとブータンに近い。
16世紀にブータンからチョゼムジンという僧侶を呼んで、ここのお寺を建立した。
ドゥカンにはスタクナリンポチェの写真があり、かつてここのヘッドラマだったが4年ほど前に亡くなった。
亡くなった後転生するが、その生まれ変わりの人はまだ見つかっていない。
ご本尊は、三世仏(過去仏、現世仏、未来仏)。
過去仏は「覚者仏陀(?)」、現世仏は「釈迦牟尼仏陀」、未来仏は「弥勒菩薩」で、弥勒菩薩は、56億7千万年後に仏陀になり人々を救うと言われている。
その両脇にはカンギュールがある。カンギュールとは釈迦牟尼仏陀(お釈迦様)の教えをまとめた経典。
バージョンによっていろいろあるが、だいたい120くらいある。
カンギュールの他にテンギュールというのがあるが、これは竜樹など、そのあとの人たちがカンギュールに対してコメントなどを加えていったもの。それが225典ある。
トータルで、340~350あるがチベットにはオリジナルが残っている。
当時仏教の中心地カシミールなどに入ってきたときはみんな失ってしまったが、その前に翻訳してこちらに持ってきた。
ナーランダーとかヴィクラマシーラなどの仏教の総合大学があったが、それは今のインドとかパキスタンなどイスラム圏に多くあったので、そちらにあったものは、偶像崇拝を禁止しているイスラムに破壊されてしまった。
ここに残っているのは全てではなくて、中でも重要なものを翻訳して持ってきた。
ナーランダー僧院が燃やされたとき、ものすごい数の経典があったため7か月間煙が立ち上り続けた。
スープラ(お経)とかタントラ(実践する方式)がヒマラヤの仏教に残って、実践することができるようになっている。
そういう重要なものが残っている場所なので、以前は汚かったが、当時のスタクナリンポチェがきちんと修復した。
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(?):よく聞き取れなかった箇所
ドゥカンの壁画の説明です。
=====ガイド=====
一番上の青い持金剛は、タントラの実践をしているタントリックフォームで、南インドで教えをしているときにしていたスタイル。
その時にしていた教えは、例えばカーラチャクラ(時輪金剛)やへーヴァジュラ(呼金剛)、チャクラサンヴァラ(勝楽)、グヒヤサマージャ(秘密集会 阿?金剛)など、仏教の一番発展した究極の教え。
持金剛の両脇に、ティロパ、ナロパ、マルパ ミラレパがいて、この4人は、カギュ派という宗派を興した開祖と言われる初期の人。
下にはカギュ派の偉い僧侶たちが描かれている。
仏教の教えのタントラには、行タントラ、所作タントラ、ヨガタントラ、無上ヨガタントラという4つの段階があり(幼稚園、小学校、中学校、高校みたいな感じ)、無上ヨガタントラはこれ以上上がない究極の教え。チャクラサンヴァラの絵はその教えを描いている。
仏教の勉強も学校と同じように段階がある。
受ける側にもそれ相応のレベルが要求され、教えを受けられるレベルに達成すると自分のラマ(先生)から修行が許可され灌頂儀礼をうける。
それを授かったうえでその教えを勉強し自分のものにしてから、次のレベルへと上がっていく。
ここに描かれている壁画は、一番高いハイレベルのタントリックの教えで全てに意味がある。
例えばこのチャクラサンヴァラは、男性と女性がセックスしているが、それも悟りを開くための道で、男性は「智慧」、女性は「方便」を授かっていてそれが交わることでさらに栄え、新たなものが生まれるということを象徴している。
また、足の下に人が踏まれているのは自分の「我(エゴ)」の象徴で、そういうのを踏み潰してなくさないと次には行けないということを表している。
それらをすべて自分のものにしないと、仏教の最終目標である悟りを開き輪廻の輪から出る(解脱する)ことは叶わない。
壁画にはそういうことが象徴的に描かれており、それらをすべて理解し得とくするために修行をしていく。
段階はあるが、最終的には自分のエゴをなくすことが一番大事。
修行はものすごい量の知識や精神的な鍛錬が必要になり、カーラチャクラの教えができるのは恐らくダライラマ法王だけ。
そしてそのカーラチャクラを聞いたからと言って、自分自身がそこまでのレベルに達していなければ理解できないので意味がない。
例えば、ヨガタントラを学ぶ前には菩薩の行をしなければならない。菩薩の行をするのに大事なのは自分をなくすこと。
菩薩というのは、すでに解脱できるがあえて留まって、輪廻の中で苦しんでいる私たちを助けようとしてくれている。
自分のことよりも、周りのことをみることができる「他利心」も必要。
世界の三大仏教のキリスト教やイスラム教にはキリストやアッラーがいるが、仏教には唯一無二のものはない。
仏陀を崇めているがそれは一人でなくたくさんいる。
お釈迦様はたまたま自分たちの世代で悟りを開いたが、もとは一人の人間で、教えを実践し良いカルマを積んで仏陀になった。
全ての人は仏陀になるための種を持っている。あとは教えを実践して種を育てるかしないかの問題。
お釈迦様の経験から、悟りを開くための道は指し示すことはできるが、導くことはできない。そこまでたどり着けるかどうかはすべて自分の努力次第。
仏教で一番大切なのは「カルマ」。
日本語だと「業」と訳す人が多いがそんな重いものではなく、日々自分たちがやっている「行い」のこと。
仏教の一番簡単な教えとしてよく言われるのが、「良いことをすれば良いことが返り、悪いことをすれば悪いことが返る」という因果応報の教え。
8世紀、チベットにボン教という土着の宗教があった。聖山はカイラスで、インドの仏教の「右繞」対し、「左繞」を善しとする。
もともとそこにいたチベットのチソン・デツェンが、インドのナーランダーにいた強い力を持つパドマサンバヴァ(グルリンポチェ)を招へいし、この地に仏教を広めてもらおうと使者を送った。
そのとき、たくさんの経典や宝物を持って行ったが、パドマサンバヴァは欲とかをすべて捨て去った人なのでそういうものはいらないし一緒には行かないと言った。さらに、自分が必要だと思ったときにはそこへ行くとも言った。
そして、チベットからきた使者の人に、チベットに行く日を伝え、結局そのままナーランダーに残って使者を帰らせた。
使者たちは半信半疑のままチベットへ戻ったが、約束した日になると、パドマサンバヴァがその場に現れた。現在のサムエ寺がその場所で、もともといた悪霊などをパドマサンバヴァが浄化し、そこから仏教を広めていった。
この方は、ものすごい超自然的な力を持っているので、自分で歩いて行かなくても、念じただけで思った場所に行くことができる。
実際にチベット中で、パドマサンバヴァが修行したとか瞑想したとかいう場所がたくさんある。
パドマサンバヴァがチベットで教えをしていく中で、たくさんの弟子ができていった。
実際に教えを実践していくことによって、25人の弟子が超自然の力を得ることができ、そのことを、「ジェバンニャルマ」という。
「ジェ」は「金とか王」、「バン」は「周りにいる人々」、「ニャルマ」は「25」。
超自然の力は、例えば、岩を指で突くと水が出てきたり、空を飛んだり、虹の上に乗ったりというのがあるが、それがみんな絵に描かれている。
仏教がチベットに入った初期(8世紀)の修行僧たちの絵。
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ドゥカンの正面に向かって左奥の小堂は「ドルジェ・パンモ・ラカン」で、スタクナ・ゴンパで一番大切にされている仏像があります。
=====ガイド=====
スタクナの一番大切な仏像は、大理石で作られた観音菩薩。シンゲン・ナムギャルがここに納めた。
他に、ブータンを最初につくったシャブドゥン・ガワン・ナムギャルや持金剛など小像やいろいろなお釈迦様がいる。
チベットのアムド(今の青海省のクンブム)で作られた仏像も並ぶ。
ご本尊はバジュラ・ヨギニ(ドルジェ・パンモ)。
バジュラ・ヨギニとは、タントリックのフォームをしながらヨガの実践をする女性という意味。
「バジュラ」は「金剛杵」、「ヨギニ」は「ヨガをする女性」。
ラダックの僧侶は、チベットが中国に支配される前にチベットに勉強しに行った。
そのとき、みんな帰ってくるときに仏像や経典を持ち帰ってきたものが納められている。恐らくみんなアムドで作られたものだろう。
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次は隣のラマ・ラカンへ。
=====ガイド=====
ラマとは導いてくれる先生のこと。
シャブドゥン・ガワン・ナムギャルはブータン全土を統一した人だが、ブータン人ではなくチベット人。もともとチベット本土でものすごい力を持っていたが、権力争いに負けて、ブータンに逃げて行った。
他にドゥクパカギュの偉い僧侶やスタクナリンポチェなどが並ぶ。
世間ではいろいろと、ラマ教とかチベット仏教とかいうが、それは違っていて、仏教は仏教ただひとつ。(チベット仏教といわれているのは、ヒマラヤ系の仏教)
たくさんの人が教えるのでいろいろな宗派はあるが、根幹は一緒。一番基本のお釈迦様の教えを理解していないと意味がない。
仏陀釈迦牟尼がいて、その教えをわかりやすく人に伝えるのがラマ。(だからラマ教という言葉ができてしまった)
お坊さんには自分のラマがいて、いろいろな教えを教えてもらっている。
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周囲には壁画も描かれてますが、ドゥカンのよりも落ち着いた色合い。
ラカンからドゥカンに出てると、左側に、壁画にもあったチャクラサンヴァラ(勝楽尊:デムチョク)の立体像があります。立体のは珍しいとか。
その奥に本尊三世仏(ドゥスム・サンギュ)が鎮座しています。
左から燃燈仏(マルメゼ)、お釈迦様(シャキャ・トゥパ)、弥勒菩薩(チャンバ)。
もう一度グルリンポチェの像と素晴らしい壁画を見渡して、次はストゥーパ・ラカンへ向かいます。
たくさんの経典が収められたカンギュール・ラカンです。
=====ガイド=====
もともとここにある経典。
ものすごくわかりやすく翻訳されてものもあるがちょっと高い。でも、ラダックの仏教センターにあるからいつでも行って見ることができる。
去年ダライラマ法王がここにいらっしゃったとき、経典がしまってある棚に鍵がかかっているのを見て「いつでも読んで勉強しておけるようにしておかないと意味がない」
と言った。
さらに、「大金を使ってものすごい大きな仏像を作るのもおかしい。自分の信仰心の問題だから仏像の大きさは関係ない。そういうのにお金を使うならもっと修行の方に使いなさい。」とも。
よく、ゴンパに来た観光客が仏像などだけを見て帰っていくが、本当はお釈迦様の教えが書かれているカンギュールの方が大切。
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続いてターラ・ラカンへ。
ターラ菩薩は、観音様の慈悲の涙から生まれたとされる女神です。
=====ガイド=====
ホワイトターラはロングライフ、グリーンターラは色々なものから人を守るシンボル。
菩薩とは、ものすごい修行をして既に解脱できるが、あえて輪廻の輪に留まっていろいろなものから人を守っていてくれている。
ここにはグリーンターラが8体描かれている。
それぞれが象徴するシンボルが描かれてあり、それが意味するものから守っている。
ライオン:慢心
象:無知
火:怒り
蛇:妬み
盗人:間違った行い
鎖:羨み
水:欲望
シャザ(悪魔のようなもの):疑惑
このラカンには、前のリンポチェが趣味で中国などから買ってきた器などがたくさんある。
ダライラマ法王がいらしたとき、それらがただ置かれているのを見て、「(カンギュールと同じように)こういうのは使わないと意味がない」
と言った。
なので今は、お供え物などを入れたりしてちゃんと実際に使っている。
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これで内部の見学は終わり。
外に出て坂を下っていくのですが、インダス川の流れが見え眺めは抜群。道沿いにはマニ塚が連なっています。
晴れていたらもっときれいだっただろうな~と思いつつ後にしました。
スタクナ・ゴンパから車で30分ほど走ると、丘の上にマトゥ・ゴンパが見えました。
麓の緑とゴンパの白、青空とのコントラストがとても綺麗で思わず写真ストップ。
そこから山道を登っていくと、まわりの木々が黄色く色づいてきました。もう少し後だったら鮮やかな黄葉が見れたと思います。
駐車場のあるゴンパの麓に着くと、そこからの景色もまた絶景。
丘の片側には緑が広がり、もう片方は荒涼とした大地が続いています。これは一見の価値あり。
階段を上って、マニ車を回しながらゴンパの前庭へ入ります。
=====ガイド=====
マトゥ・ゴンパはラダック唯一のサキャ派のゴンパ。
14世紀に、東チベットから来たドゥンパ・ドルジェ・パルザンという僧侶が建てた。
今は45人ほどの僧侶がいる。
もともとサキャ派のお坊さんたちは、チベットのサキャという場所に勉強しにいっていたが、今は行けないので、デリーの北にあるデラドゥンというところにある、サキャ派の仏教センターに勉強をしにいっている。
このゴンパでは、冬にマトナグランというお祭りをする。特徴として、剣をもったお坊さんが辺りにある悪霊を切りまくる。
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まずは作りかけのお堂へ。
扉の前では、職人さんが作業をしていました。別のお堂を除くとそちらでも作業中。
中へ入ると正面に鮮やかな大日如来の仏像があります。
まだ作成中なので壁画などはありませんが、この仏像だけでも迫力があります。
最初にパルダンさんが五体投地でお参り。
=====ガイド=====
ご本尊は大日如来(チベット語でナンパ・ナンツァ、サンスクリット語でヴァイロチャナ)。
如来も仏陀のこと。
大日如来にはいろいろな形があって、その中のサロバヴィト・ヴァイロチャナというのがメインの形。(お堂にある仏像)
大日如来は、行タントラ、所作タントラ、ヨガタントラ、無上ヨガタントラとある中で、12世紀から15世紀に一番広がったヨガタントラの教えの一番メインの尊格。
仏教の世界観を表す金剛界の曼荼羅で、中心の尊格として描かれることが多い。
色や方角も決まっていて、本当は白色であるべきだが、ここは新しいので金色になっている。
金剛界五仏(大日・阿弥陀・宝生・不空成就・阿しゅく)が大日をご本尊として、その周りに他の4体が描かれている。(例えば黄色のは宝生)
さらにギャワリンガ(金剛界五仏)の周りにターラなどの女神、その周りに菩薩や色々な尊格が描かれ、それら全体で一つの金剛界の曼荼羅になっている。
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一度外に出て、庭を挟んで向かい側の屋根の上に上ってみます。
ここからもラダックの谷合の絶景が見えました。乾いた風がとても心地いい。
素晴らしい壁画が残るオールド・ドゥカン(ドゥカン・ニンパ)に入ります。
中はそんなに広くないですが、壁一面に絵が描かれていました。
=====ガイド=====
ここにはハイタントリックの絵が描かれているが、力が強すぎて一般の人が見ると危ないので見えないように布で隠してある。
僧侶でもそこまでの力がついていない人は見ることができない。
きちんと修行を積んでその力を受け止めるだけの段階まで達したら、絵を見てさらに修行することができる。
壁には、阿弥陀、大日如来、尊格たちが描かれている。
クンガ・ザンポはとても有名なサキャ派の僧侶。
サキャ派は少数派になっているが力をもっていて、サキャ派のサキャ・パンディタ、ゲルク派のツォンカパ、ニンマ派のロンチェン・ラプジャムパーは、全チベットの今までの歴史上のラマの中で、文殊菩薩と同じレベルまで達したと言われる3人。
文殊菩薩と同じように智慧と経典と一緒に描かれている。文殊菩薩は無知を断ち切る剣と知恵の象徴の経典を持っている。
ここに描かれている人はまだそこまでのレベルに達していない修行中の身なので、修行の時に使うバジュラとベルが描かれている。
ツルテム・リンツェンは、いろいろな経典をもってきて教えを広めた人。
ペンと経典が描かれている。
この二人の僧侶のまわりにはお弟子さんもたくさんいる。
三明主(リクスムゴンポ:文殊菩薩(マンジュシュリ)・観音菩薩(アヴァローキテーシュヴァラ)
・金剛手菩薩(ヴァジュラパーニ・グヒヤパティ))はいろいろなところに描かれていて、それぞれ、観音菩薩は慈悲、文殊菩薩は智慧、金剛手菩薩は力を象徴している。
なにをするにもこの3つはなくてはならない。
その中でも一番大事なのは、智慧。知らないと何もできないから。しかし、それだけではなく慈悲の心も持っていなくてはならない。そしてそれを実践できる力も必要になる。
この3つがそろってはじめて修行ができるから、象徴としてよく描かれている。
ご本尊(左:お釈迦様、真ん中:千手千顔十一面観音、右:大日(サロバビドゥ・ヴァイロチャナ))
反対側の壁画には、消えかかっているクンガ・ニンポ(サキャ派を作った人)、黄色い帽子のツォンカパ(ゲルク派開祖)、サキャ・パンディタ(サキャ派の指導者)、青いサンゲメンラ(薬師如来:アルーラという薬の植物が描かれている)、観音菩薩、獅子観音、ヤマンタカ(大威徳明王:守護神でサキャ派とゲルク派だけに見られる)が描かれている。
ツォンカパとヤマンタカは文殊菩薩が変化したかたち(ヴァジュラ・バイラヴァ)。
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これでマトゥ・ゴンパの見学は終わり。
再び絶景を眺めながら下まで下りていくと、途中で火葬をしている現場に遭遇。チベット圏では、鳥葬をするところもありますが、ラダックでは火葬が主流だそうです。
マトゥ・ゴンパから30分ほど走ってストク・カルへ。
博物館ですが、残念ながら内部は写真撮影禁止です。
駐車場の脇にあるチョルテン群を眺めながら敷地の中へ入ると、なんとカフェがありました。
今はシーズンオフなので閉まっていますが、こんなにも観光地化されているとは。
=====ガイド=====
もともとここは、ラダックの王様の別荘だったが、今は改造して博物館になっている。なので、展示されているものはロイヤルファミリーのもの。
グルリンポチェの八変化のタンカ、宝石、王冠、ほら貝、楽器、仏像入れやタンカ入れ、銀や翡翠の食器、装飾品、衣服、コインなどなど、高級品が展示されている。
中には、バルティスタンやトルキスタン、ガンダーラの方のデザインもある。
金よりも高いトルコ石の装飾品は見もの。
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貴重で高価なものをため息をつきながら見学したあと、反対側の出入り口から下ります。
麓のチョルテンの下をくぐるのですが、そこに曼荼羅が描かれていました。
まわりはリンゴの木などもありとても静かでのどかです。
時刻は15時半。
お昼抜きでここまで観光しっぱなしだったのでお腹はペコペコ。
さっそく腹ごしらえにチョグラムサルまで向かいました。
チョグラムサルはチベット難民の町で、ラダックに暮らす難民の多くがここにいるそうです。町には「フリーチベット」などの標語が書かれたポスターや国旗が飾られていました。
パルダンさんお気に入りのレストランが閉まっていたので、その近くのお店に入りました。
名物のトゥクパとモモを注文。
トゥクパはカレー風味のうどんで、柔らかいラム肉がとっても美味しい。
こちらでは、モモをこの中に入れて食べていました。
食後、パルダンさんに付いて、向かい側の本屋さんを覗いてみると、そこには日本でもおなじみのキャラクターが描かれた絵本が!
ディズニーとドラゴンボールはワールドワイドで活躍中でした。
今日の観光は終わりなので、一旦ホテルへ帰ります。
今日の夕食は、上甲さんたちとおすすめのレストランへ行くことになりました。
待ち合わせの時間までまだ少しあるので、山名さんお勧めのレー・パレスのビューポイントへ行ってみることに。
チャンスパからメインバザールを通り、旧市街を入っていきます。夕暮れの薄闇の中に、古びた家が連なり家路に向かう人たちが行きかっていました。
ほどなく行くと、おすすめのポイントの大きなマニ車のお堂に到着。
少し高台になったこの場所から、目の前に広がるレーの町並みとその向こうに聳える旧王宮が見えました。
そこからちょっとわき道を行くとさらによく見え、王宮の全体像の写真を撮るにはうってつけの場所です。
写真を撮った後、行きとは別の道を通って、上甲さんがいるHiddenHimalayaへ。
途中には、色々なお店があってたいていのものは揃いそうです。私も探していた乾電池を買うことができました。
上甲さんのお店でパルダンさんとも合流してレストランへ。
今回連れて行ってもらったのは「チョップスティックス」という中華料理屋さん。
とてもおしゃれなお店で、外国人観光客が多かったです。
そこで、上甲さんおすすめの料理を適当に注文してもらいました。
野菜炒め、チャーハン、春巻き、サラダ、トゥクパなどどれも美味しくて、特にモモはジューシーで一押しです。
最後に山名さんが頼んだカプチーノは、標高が高いせい(?)か泡がてんこ盛りでした。
お腹もいっぱいになったので、食後の運動がてら、真っ暗な町をライト片手にホテルへ歩いて帰ります。
さすがに日が暮れると肌寒く、フリースを一枚はおってちょうどいいくらい。
空を見上げると満点の星が輝いていました。
そして、遠くの丘の上にはナムギャル・ツェモ・ゴンパがライトアップされまるで夜空に浮かんでいるようです。
明日は晴れてくれとお願いし、大きなベッドでぐっすり眠りました。