主な訪問地:シーギリヤ~ポロンナルワ~シーギリヤ
ジャングルにそびえる世界遺産シーギリヤ・ロック(シギリヤ・ロック)の登頂と仏教寺院跡が残るポロンナルワ遺跡を見学。シーギリヤ・ロックの頂上にはかつての宮殿跡が残り、どこまでも広がるジャングルを見渡せた。途中の岩壁に描かれているシーギリヤ・レディの壁画とあわせて訪れたい場所のひとつ。
6時半に朝食。
オムレツを作ってもらってしっかり充電します。
今日は今回のツアーのメインでもある世界遺産のシーギリヤ・ロックに登ります。
当初の予定では8時半に出発だったのですが、暑くなってきてスズメバチが出てきたということで7時15分に変更。
こちらとしても涼しいうちに登れるのでありがたい。
まずはバスの中で観光にあたっての注意点。
=====ガイド=====
頂上まではだいたい1200段の階段を登る。途中のライオンの足までも800段。
800段のところまでは一方通行で戻れないため、そこまではがんばって登ること。
そこからの360段は登らなくても大丈夫なので、どうしてもダメな人はそこで待つこともできる。
バスから降りるとガイドをするという人たちがやってくる。
使いたい人は1500~2000ルピーで雇うこともできるが、雇いたくない人ははっきりとノーと言うこと。何も言わないで最後までついてこられるとチップを要求される。
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シーギリヤ・ロックまでは、ホテルからほんの10分ほどで到着。
受付がオープンするのは7時からなのですが、すでに他の観光客の姿もけっこう見えます。
赤土の道を進んでいくとチケット売り場が右手にあります。その奥には博物館があるよう。
このあたりから木々の間に巨大な岩山のシーギリヤ・ロックが見えてきました。
山頂の方は靄がかかって神秘的。なんだかペルーのマチュピチュを思い出します。
チケット売り場からしばらく進んで遺跡の入り口でチケットを渡すと、遺跡の紹介映像が収録されたCDをくれました。なかなか気の利いたサービスです。
帰国してから見てみましたが、空撮も取り入れたりしてけっこう見応えがありました。
遺跡の周りを囲む外堀を渡って中へ入ります。
最初の石段を登ると開けた広場にでました。
=====ガイド=====
シーギリヤは世界遺産だが、ユネスコと仲良くなったりお金を渡したりして登録された世界遺産ではない。
世界の8大遺産の中のひとつで文化遺産。
ここはシーギリヤの水の広場。昔は噴水もあった。上の方は修復したところもあるが、下の方は1500年前の石。
池が4つある。王様は岩山の上に宮殿を建てて住んでいたが、なぜここに池があるのかというと、外から若く美しい女性をたくさん呼んで沐浴させていた。奥さんは上においてここまで遊びに来ていた。
昔は遊びがあまりなかったので、こういうことで楽しんでいたが、(その気持ち)わかりますか?
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わかりませーん。
サイテー
私も含め、女性陣からブーイングが飛びます。
あとで、この人の行った所業の説明がありますが、王族にはとんと向いていない人格だったようです。
この広場からこれから登るシーギリヤ・ロックの全容が見えました。
ジャングルからニョキッと聳える姿は独特なものがあります。
この時間だと逆光ではないので、写真撮影にはいいそう。
シーギリヤ・ロックの麓まで続くまっすぐな道を進んでいきます。
道の脇には水の流れる水路のようなものがありました。
=====ガイド=====
4つの池以外に、たくさん小さな池も作って蓮の花を植えていた。スリランカでは5種類の蓮がある。
この噴水は1500年前に動いていたもの。
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噴水からは今でも水が湧き出ていました。
だんだん岩山が迫り、上からのしかかってくるような感じになってきました。
岩壁にはあちこちに洞窟や岩の窪みがあり、案内板が立っています。
=====ガイド=====
アヌラーダプラの時代の紀元前3世紀、アショーカ王の息子が7人の集団でスリランカに来て仏教を広めた。
やがてどんどん僧侶が増えると、シーギリヤの城塞が作られる前に、このあたりの洞窟で瞑想をしはじめた。紀元前3世紀から5世紀までずっと使っていた。
しかし5世紀の終わりころ、アヌラーダプラから王様がここにきて城塞を作ろうと思ったため、隣の岩山に瞑想をするための洞窟を作り今までいた僧侶をそこへ移した。
王様は城塞を18年間くらいしか使っていない。
その後、王様がいなくなったことを聞いた僧侶たちが戻ってきた。
戻ってくると、洞窟の漆喰の上に半分裸の女性の壁画があちこちにたくさん描かれていた。
僧侶たちはそれを見て、これがあっても瞑想できないこともないがちょっとやっぱり気が散るので、檀家さんたちの力を借りて消していった。
しかし、消しきれずに少し残っている場所もある。
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そう言って、ひとつの洞窟にいくと確かに上の方にうっすらと壁画が残っていました。
「スズメバチ注意」の看板を通り過ぎると、大きな岩の塊がアーチを作っている場所にでました。
ここは紀元前1~2世紀ごろに、村の偉い人が僧侶が瞑想するために造った場所ということです。
そのアーチをくぐると本格的な登りになってきました。
少し登ると広場があり、そこから麓のジャングルが一望できます。
また、断崖絶壁の岩壁に設置されたこれから通る通路や螺旋階段が見えるのですが、すごいところを通っていくのがわかります。
よくこんなところに道を作ったものだな~
ここまでくると半分以上登ったことになるそうです。
少し休んで、建設現場の足場のような通路を通り真上に延びる螺旋階段を上ります。
スコーンと切り落ちた下の様子が見えるのでちょっとスリルがあり、腰が引けている人もいました。
階段を上がりきると、鮮やかな色を今も保ち続けるシーギリヤ・レディの壁画の洞窟です。
=====ガイド=====
ここではカメラのフラッシュはダメ。フラッシュを切るための操作がわからない場合は係りの人がいるので聞くこと。
人を入れての写真はOK。また仏陀ではないからお尻向けての撮影も大丈夫。
顔が下に向かっていると年上に見えるので上に向くように描き直しているものがある。色は自然の色。
1500年前も女性の人は宝石を使った。グリーンサファイヤとスタールビーなどが描かれている。
宝石を使っていたのはシンドバッドの時代。アラビア人のシンドバッドは世界中でいろいろなものを売り買いしていてここにもきた。
ここに描かれている女性は船で連れてこられた外国の人もいる。
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ガイドブックなどでは見ていましたが、実際に現場で見ると思った以上に感動。
描いてある場所もすごいし何より本当に美しい。身につけている装飾品にも目が行きます。
ここは薄暗くフラッシュも禁止なので、なるべくゆっくりと写真を撮りたかったのですが、あとからあとから観光客が来るのであまりじっとしていることができません。
空いている今の時間でさえこうなのだから、これから混んできたら立ち止まることも難しそうです。
さーっと見学し、下り専用の螺旋階段を下ります。
下りてから少し行くと、壁がピカピカと輝くミラーウォールの通路に出ました。
この断崖絶壁の岩壁に、1500年前の壁がこんなに綺麗に残っているのには驚きです。
ミラーウォールを抜けて階段を登るとライオンの足(入口)に到着。
その名の通り、巨大なライオンの足の像がありその間に頂上へ続く階段が見えます。
その巨大さと形の綺麗さから、なんだかまるで冒険映画のセットのよう。
=====ガイド=====
ここから先はスズメバチの巣があるので、あまりしゃべらないように。
上まで登らない人はここで待っていることができる。
スズメバチが襲ってきたらこの建物に入ること。
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そう言われて後ろを見ると、網で囲われた小屋がありました。
十字の看板もあるのですぐにわかります。
人が増えて騒がしくなる前に最後の登りに向かいます。
途中、上りと下りのそれぞれの専用通路に分かれるので右側通行で行きましょう。
ここも切り落ちた岩壁に設置された階段を登っていくのでけっこうな高度感があります。
10分ほどで頂上に到着。
息を切らしながらもツアー参加者全員が登頂を果たしました。
シーギリヤ・ロックの一番高い場所は、広い広場にポツンとある2段の階段の上です。
=====ガイド=====
この石段が一番上で1202段。
ここに王様は王冠をかぶって座っていた。下からくるお客さんはこの一番高い所まできて王様に会っていた。
王宮の広さは35000坪くらい。
下には湖がたくさんある。スリランカでは王様の時代、33000以上あった。
水を上に送るポンプもあり噴水などもあった。
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なんというか、このどこまでも見晴らしのいい断崖絶壁の岩山のてっぺんに王宮を建てるなんてすごいな~という素直な感動の一方、どんだけ自分のためだけに権力を振りかざしていたんだという少々呆れてしまう気持ちも正直湧いてきます。
複雑な感情を呼び起こさせる珍しい遺跡だな・・
頂上の広場でみんなで写真を撮ったあと、宮殿の見学をしていきます。
下の方に下りていくと、まず目に入るのが水を湛えた王のプール。ここには王様とお后、二人の娘しか入らなかったそう。
こんな岩山の上にこれだけの水をためるのは大変だったろうなと思います。
プールの脇まで下りていきます。
途中、プールとは反対側に水の広場や駐車場が見えるポイントがありました。
プールを囲むように通路があり、そこから見上げる遺跡の風景も絵になります。
そのプールの少し上に、プールの水が足りないときなどに使う水をためておいた貯水池とその脇に玉座がありました。
この玉座には王族が座り、ヤシから作られるお酒を飲みながら、当時目の前に建っていたステージで催される踊りを眺めていたそうです。
みんなで、どうしょもないヤツだな・・ななどと言いながら頂上を後にしました。
下を見ながら下りるため、上りよりも下りの方がスリルがあります。
ライオンの足から下り用の道に入り、登山口のところで行きに通った道に合流。
そのあとまた別の道に入っていきます。
出口までの間に会議をした場所やアサナ礼拝堂、コブラの岩などを見学。
=====ガイド=====
帰り道は行きに通った道と変わる。
シーギリヤロックの道は3つか4つくらいあった。今は閉まっているところもある。
王様が会議をした場所。
昔は柱と屋根があった。岩山を半分に切って造った。
お坊さんたちが瞑想するために使ったところ。
その後王様が使い、天井に壁画が少し残っている。
ここから下に降りる階段は角が丸くなっていて滑るので注意する。
この岩山はコブラの岩。
その名前の通りコブラの頭の形をしている。
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そこを抜けると最後に、小さなお土産屋さんが連なった一角がありました。
お店の人たちがのんびりと声をかけてくるのですが、声も小さく態度も控えめ。
同じ客引きでも国によって違うものです。
たどり着いた駐車場は行きに停まったところとは別の場所なので、シーギリヤ・ロックの全景が見える水の広場は通りませんでした。
あとでまた写真を撮ろうと思っていたのですが残念です。
ここの駐車場からはかろうじて木々の間から頂上部分が見えました。
一旦ホテルに戻り休憩。
朝、予定より時間を早めて出発したので午後の観光まで少し時間ができました。
おかげでシャワーを浴びて一息つけます。
12時ホテル出発。
まずはランチをしにレストランへ向かいます。
ジャングルの中に作られた道を通って行くのですが、地元の人(スサンタさんだけかも)はこの道を「ショートカット」と呼んでいるらしい。
この一帯には野生動物がたくさん暮らしていて、たまにこのあたりの畑を荒らして問題になるそうです。
私たちは途中で、道を横切るホシガメなどに出会いました。
ホテルから30分ほどでレストランに到着。
並べられた料理はなかなかクオリティが高く実際に美味しかった。
またここだけではなく、これまでのホテルなどでもそうですが、料理をよそうお皿がちゃんと乾いた状態で置かれているのもポイント高い。
場所によってはお皿についていた水でお腹を壊す人もいるからです。
午後の観光は世界遺産ポロンナルワ遺跡群の見学。
レストランからそこに向かうまでの間に、午前中に登ったシーギリヤロックの宮殿を作ったカーシャパについてのガイドがありました。
=====ガイド=====
5世紀の中ごろ、ダートゥセーナ王は3人の妻を持ち、それぞれに1人ずつ子供がいた。
カーシャパはその中の長男。
スリランカでは何事も占いをして決めることが多かったが、その人の性格なども占いでわかったため、カーシャパが将来人を殺すかもしれないということがわかり、王の裏側にいた先生たちはカーシャパを次の王にしないように決めた。
それを知ったカーシャパは怒り、兵隊の偉い人(カーシャパと仲が良く、こちらもあまりいい人ではない)に命じて父親を殺してしまった。
その後シーギリヤに来て約18年間王様になった。
カーシャパの腹違いの年の離れた若い弟モッガラーナは、兄を恐れインドの王様のところに逃げ、そこで学校に通ったりしながら戦いかたや仏教などを学んだ。
インドで勉強したモッガラーナは、カーシャパに戦いを挑んだ。
そこでカーシャパはシーギリヤの宮殿から下りハバラナという町まで兵隊と一緒に来たが、その兵隊たちはこの兄弟喧嘩に巻き込まれて死にたくないと思い、どんどん後退していってしまった。
カーシャパは負けを悟り、モッガラーナに殺されるくらいならと自らそこで命を絶った。
カーシャパは、性格も悪く父親も殺したけど、シーギリヤを作ったので世界中で有名になった。
スリランカでは紀元前6世紀から1815年まで186人の王様がいた(その中にはお酒を飲んで一日で亡くなった人もいる)が、カーシャパの父ダートゥセーナ王は、186人の中の特に優れた王10人の中に入っているほどの王様だった。
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なんだかちょっと皮肉な話ですが、どういう理由で作ったにしろシーギリヤロックは遺跡としてはとても魅力的なものだと思います。
パラークラマ・サムドラという大きな人工湖の脇を通りポロンナルワ遺跡へ。
まずはクワドラングルを見学。
最初に現れたのはシヴァ・デーワーラヤNo.1。
スリランカでは珍しいヒンドゥー教の寺院です。
カンボジアでもインドでもシヴァ神のお寺は似ているところが多いとのことで、どうりでアンコール遺跡にそっくりだと思いました。
そこから奥に入るとクワドラングルのお寺のためにつくられた苔むした井戸がありました。
その脇には合体木という二本の木が絡み合ったような大木が立っていて、これは元の木が他の木に侵食されてしまったのだそう。
階段を上った一段高い場所にクワドラングルのメインの遺跡があるようで、ここからは現在修復中らしいトゥーパーラーマや円形をしたワタダーゲの一部が見えました。
井戸を見学しているとたくさんの子供たちがトゥーパーラーマから出てきました。
みんな、お寺に行くときに着る白い服を身につけています。
手を振ると、はにかんだ笑顔を向けてくれました。まったくかわいらしい。
子供たちと入れ替えに最初の寺院トゥーパーラーマに入ります。
中は薄暗くあまり広くありません。
=====ガイド=====
入口で靴と帽子を脱いで、写真は仏像にお尻を向けないように撮ること。
トゥーパーラーマは今も使っているお寺。
壁の厚みが2m半から3mくらいあり建物が丸くなっている。
1153年から86年の間のポロンナルワ時代に作った建物。。
仏像が壊されいるが、これは仏像を作った時代に、南インドからきたテロたちが、仏像に埋め込まれていた青いサファイヤなどの宝石をとるために壊した。
昔は壁に壁画が描かれていた。シーギリヤのようなものではなく仏教の物語。
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仏像の前に小さな花が綺麗に並べられていて、みんなに大切にされているのが伝わってくるようでした。
トゥーパーラーマから出ると、目の前にはワタダーゲの全景が見えました。
昔はもっと高く屋根もあったそうです。
他にもいくつもの遺跡が点在しているので順番に周っていきます。
菩提樹跡:昔菩提樹があったとされている
ラター・マンダパヤ:石柱がハスの形をしている
小仏像
アタダーゲ:八つの遺宝の家という意味で仏歯寺跡
=====ガイド=====
これから生まれる仏陀の菩薩をマイトゥリ仏陀という。
御釈迦様の仏歯はインドからスリランカから持ってきたのは、301年から10年間でアヌラーダプラにあった。
ポロンナルワに都がかわったときの最初の仏歯寺がこれだった。2階の建物だった。
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続いて、ワタダーゲとハタダーゲです。
こちらも靴と帽子を脱いで中に入ることができます。
まずはワタダーゲから行ってみました。
円形の建物に素晴らしい彫刻が刻まれ、中央に仏像が並んでいます。
続いて向かいのハタダーゲ。
サンスクリット文字の碑文が残っています。60日で作ったのだそう。
ハタダーゲを出ると隣に1187年に作られた長さが約9mもあるガルポタという石の本があり、その向こうに今にも崩れそうな仏塔サトゥマハル・プラサーダが建っています。
これでクワドラングルの見学は終わり。
本来の入口から退場です。
ポロンナルワ仏教の中心地だというだけあって見ごたえがありました。
いったんバスに乗って、ガル・ヴィハーラへ向かいます。
途中にも遺跡がたくさんあり、今も土が盛り上がっているところを掘ると出てくるのだとか。
10分ほどで到着。
バスを降りると目の前に湖があり、そのほとりに髪型の変わったサルがいました。スサンタさんも言っていましたが、誰かが綺麗に切りそろえたようです。
遺跡まで公園の中を少し歩きます。
日差しが強いので、木陰がありがたい。
奥まったところにガル・ヴィハーラがありました。
熱い砂地の上を靴を脱いで歩きます。
=====ガイド=====
一枚の岩山。1153年~86年の間にパラークラマ・バーフ王が作った。
座像が2体、立像、涅槃像の4体ある。同じひとつの岩山をくりぬいて作った。
昔の屋根はもうないが、最近新しく作った。
この屋根をつくったらたくさんのサルが夕方に屋根の下に集まり家になってしまった。
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これは一見の価値あり。
その巨大さと、曲線の美しさに感動です。そのなだらかさはとても硬質な岩から作られたものとは思えませんでした。
かなり大きいので、全体の写真を撮るにはけっこう離れないと入りません。向かいの小高い岩山に登っている人もいました。
しばらく写真を撮った後、駐車場まで戻って売店で売っていたヤシの実ジュースを飲んでみました。
1個70ルピーでしたが、適度に冷えていておいしい。量も多くたくさん入っているので結構おなかいっぱいになります。
ここから1時間20分ほどかけてホテルに戻ります。
途中、シーギリヤ・ロックが綺麗に見える場所で写真ストップをしてくれました。
周りに人工物がないのでいいポイントです。
17時にホテルに到着し、19時に夕食。
今日はスサンタさんの近くの席になったのですが、食事中、スリランカの話をいろいろと聞かせてくれました。
=====ガイド=====
シーギリヤレディのおなかにはシワがある。だからその時の王様はそういいう人が好きで集めたのだろう。しかし、そういうことが書物に書かれていないのは、それを書いたのがお坊さんだったから。こういう下ネタはみんな削除された。
スリランカの人にはハゲやメガネをかけた人が少ないが、それはスリランカにしかはえていない野菜をたくさん食べていることと、アーユルベーダに使うオイルを頭にかけているから。
スリランカの人はイスラム圏の人と争いをおこさないようにしている。自国のテロはなくしたが、アルカイダのようなのには太刀打ちできないから。
最近は、フランス人と中国人の観光客が増えた。中国人はお金を落としてくれるから旅行会社やホテルは喜んでいる。
飛行機を最初に作ったのはスリランカ人。
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などなど。
ちょっとアレっと思える話もありましたが、とても熱く語ってくれました。
お腹も耳もおなか一杯です。