主な訪問地:シーギリヤ~ダンブッラ~キャンディ
シーギリヤからろうけつ染め工房を見学し、世界遺産のダンブッラの石窟寺院へ。洞窟の中は壁画で彩られたくさんの仏像が鎮座している。そこは圧倒的な空間でまるで小宇宙のよう。スパイスガーデンで薬膳ランチのあと高原の町の世界遺産キャンディへ移動し、仏歯寺の観光と伝統舞踊のキャンディアンダンスを鑑賞。夜は丘の上のホテルから南十字星も輝く満天の星空を眺めた。
6時半朝食。8時ホテル出発。
まずはバスの中で今日の予定の案内です。
=====ガイド=====
ホテルから10分ほどいったところにろうけつ染めの工房があり工程を見学できる。
その30分ほどで世界遺産のダンブッラ。
その後スパイスガーデンでランチ。
そしてキャンディーまで移動し、仏歯寺、夜はキャンディアンダンスの観劇をする。
キャンディーという町は海抜550mくらいの高地でこのあたりに比べると涼しい。
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「涼しい」というだけでキャンディーが好きになりそうです。
気持ちの良い木立の中を走り、ろうけつ染めの工房に到着。
森に囲まれてとても静かです。
庭に面したところに工房があり、女性達が作業をしていました。
実に上手に布に模様を描いています。
=====ガイド=====
ろう(パラフィン)で色を入れない部分に模様を描いたらナフタリンと塩水につけ、色を入れる。
その後お湯で茹でロウを落とす。色はなくならない。
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絵を描いている場所の奥に薬品液が満たされた台があり、外では薪でお湯が沸いています。
順番に女性たちが作業の様子を再現してくれました。
そして、とても手間隙かけて作られているのがわかったところで、併設されているお土産屋さんへ。
すかさず売り子さんたちに取り囲まれます。
一通り見た後、特に買う気はなかったので外へ退散。
中庭をフラフラしていると、ドライバーさんが「面白いものがある」と言って庭の端に設置されているフェンスの囲いのところに連れて行ってくれました。
サルでもいるのかなと思って近づいてみると、予想外の生き物が出現。
こんなパンチのある生き物は今まで見たことがなく、かなりびっくりしました。
まるで絵本や漫画の中に出てくる架空の鳥獣のよう。
ドライバーさんに尋ねてもコレが何なのか知らないそうで、今でも謎のままです。
どなたか知ってる方がいらしたら教えて下さい。
さらにその脇には日本語の書かれたかわいいスクールバスもありました。
今でも使っているのかな?
謎の鳥獣に興奮したあと、ダンブッラに向けて出発。
目的の石窟寺院に近づくと車も人も増えてきました。
本来なら、道路わきの入り口から入って寺院まで山を登っていくそうなのですが、今回はこのままバスで途中まで登れることになりました。
下からだと320段くらいの階段があるらしい。
ここでスサンタさんから見学にあたっての注意。
=====ガイド=====
仏像の写真を撮るときは注意すること。
10~15年前ある大きな問題が起きた。
ヨーロッパの白人女性が仏像の上に座って上半身裸で写真を撮った。それをそこにいた他のお客さんが写真を撮って新聞に載り大問題になった。
寺院はそれから2年ほど閉まってしまった。
最近は若いガイドが増えそういうことに甘くなってきているが、問題が起きた時ガイドが裁判にかけられることもある。
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細い山道をゆっくり進み、棒が下りて通行止めになっているところで下車。
コンクリートで整備された坂道と階段を登っていきます。
シーギリヤロックも遠くに見える景色を眺めながら、約10分ちょっとで頂上に到着。
入り口で靴と帽子を脱ぎ敷地内へ入ります。
チケットを渡して門を抜けると、頭上に大きな岩山がせり出しその下に真っ白な寺院の壁がずっと向こうまで続いている光景が見えました。
その壁の向こうが回廊になっていて石窟への入り口が並んでいます。
=====ガイド=====
昔はこの建物とかなかった。
紀元前77年のアヌラーダプラ時代、バラガンバフという王様がいた。そのとき、南インドから100万人の人がスリランカを侵略するためにきた。王様は考えて、偉い人たちとここに逃げた。逃げてきたときは何もなく洞窟だけがあった。そのとき王様は、二度目に戦いに行って勝ったらここに寺院を作ると約束した。10年以上かけて準備をし、戦いに行ったら勝ったので約束を守りこの寺院を創建した。
全部で5つの部屋がある。
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スサンタさんに続いて一番奥まで進みます。
まずは、第5窟のデワナ・アルト・ヴィハーラの石窟。
5つの中では一番新しく1915年に作られたそうです。
中に入ると小さな部屋に寝仏が横たわっていました。
=====ガイド=====
涅槃像に見えるが涅槃像ではない。涅槃像というのは足が少しずれているが、ここのは揃っている。こういうのは少し休んでいるだけという意味。涅槃は亡くなっているからずらしている。
仏像の色だけときどき塗りなおす。上のはそのまま。
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続いて第4窟のパッツィーマ・ヴィハーラ(三人の王の寺)。
=====ガイド=====
一番古い部屋。塗りなおしている仏像もあるが天井や仏塔は2000年前のもの。
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スサンタさんから話のあった、女性が座って問題になった仏像は第4窟にあり、他のに比べると真新しい黄色に塗りなおされています(上の写真の奥にある仏像らしい)。それはその女性が座ったために法力がなくなったので清めるためにそうしたのだそう。
現地の人の想いと観光マナーは守りたいですね。
いったん回廊に出て第3窟のマハー・アルト・ヴィハーラ(偉大な新しい部屋)へ向かいます。
回廊の天井を見ると、ところどころ岩がせり出していました。
第3窟の狭い入口を入ると思わず息をのむ光景が広がっていました。
小さな入口からは想像もできないような広い空間が広がり、壁から天井からびっしりと極彩色の壁画が描かれ、壁沿いにぐるりと大小さまざまな仏像が並んでいます。その数57体。
今まで色々な石窟を訪れましたがこれは圧巻!
=====ガイド=====
この部屋はだいたい1750年頃描きなおした新しいもの。立ってる仏像はそのときに入れ、お参りしている王様の像も入れた。
立っている仏像は全部木でできている。
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つづいて第2窟のマハー・ラージャ・ヴィハーラ(偉大な王の寺)。
こちらも第3窟に負けず劣らずすごい迫力。
=====ガイド=====
この天井に描かれているお釈迦様は悟りを開くときに、その周りのマーラセーラという悪魔たちに邪魔された。
それでも菩提樹の下に悟りを開いた。
お釈迦様が亡くなった物語やビャクダンの炭で火葬している様子などが壁画に描かれている。
お釈迦様が7年かかって仏陀になると、さきほどの悪魔ではなく、神様たちが周りに描かれている。
この部屋はほとんど800年前に描きなおしている。
ここにも寝仏があるが、日本や中国には少ないがインドやスリランカには多い。
お釈迦様の頭の上にあるものは光っていることを表現している。
キリスト教の頭の後ろにある輪と同じような意味。
下から上に水が流れている跡があり、そのまわりに魚が水の流れている方向に向かって描かれている。
そして落ちた水がためられいるが、お祈りの時にお坊さんが使っている。
今はサル除けのために、そのまわりにフェンスが設置されているが昔はなかった。
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第1窟に行く前に、外にある菩提樹へ。
=====ガイド=====
アヌラーダプラから持ってきたもの。インドの御釈迦様が悟りを開いたものの孫くらい。
葉を取るのはできないが、落ちたものを持ち帰るのはいい。
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つづいて第1窟デーワ・ラージャ・ヴィハーラ(神々の王の寺)。
ここは先ほどと比べとても狭く、長さ14mあるこの石窟寺院唯一の涅槃像でいっぱいという感じ。
狭い通路を譲り合いながら進んでいくと、像の足の裏が見える位置へ。そこは、真っ赤に染まり花のような絵が描かれていました。そして寝仏と違い涅槃のため足先が少しずれています。
入滅した仏陀の半眼の御顔が印象的でした。
これで石窟寺院の見学は終わりです。
石窟と聞いてイメージしていたのは、ラダックやウイグル自治区で訪れた小さなものでしたが、ここのはとても大きく迫力もすごい。大きなものの広さといったら今まで訪れた石窟の中でダントツでした。
もしこれが、他に観光客がまったくいなく一人きりだったら、まさに別世界の空間に浮かんでいるような感覚を味わえたと思います。
これは一見の価値あり。
入り口でサンダルを履き、今度は麓まで歩いて下山します。
けっこう急で長い階段もあるので、これを下から登ってくるのはなかなか大変かもしれません。
およそ10分ちょっとで下まで到着。
広場に出ると、金色に輝く大仏が建っていました。
「ゴールデンテンプル」とも呼ばれているそうですが、これをみれば納得。
ここでトイレを済まし(チップ制)、バスに乗ってランチをするスパイスガーデンに向かいます。
11時半、スパイスガーデンに到着。
ランチの前に、ここで栽培している様々な薬草やハーブを日本語ペラペラなガイドさんについて見学。
敷地内には所狭しと植物が植えられています。
見学の最後には、これらの植物から作られた天然の薬品や化粧品の紹介があり、なんとも興味のそそられるものばかり。
その中で、いくつか実際に試したものがあったのですが、除毛クリームの効き目にはビックリでした。
実験は同じツアー参加者の男性のすね毛で行われたのですが、クリームを塗って10分放置したあとふき取ると、円形脱毛のようにそこだけきれいさっぱり毛がなくなりツルツル。
そのおじさんによると痛くも痒くもないそうで、ガイドさん曰く、天然なのでもし拭き忘れて一日くらい放置してても大丈夫とのこと。
また、1週間に一度塗り、それを三ヶ月続けると永久脱毛になるということで、それが本当なら女子にとっては夢のようなクリーム。
もともとは、お坊さんが毎日髭や頭髪をそるのが面倒だったためできたそうなので、すでに多くの人に使われているというのも安心材料。
ということで、同行した添乗員さんと一緒に三ヵ月分(約9000円)購入。
現在実験中で、今のところなんの問題もありません。
他にも肩コリに効くオイルも買ったのですが、これも私にはとてもよく効いて、それを塗った日から翌日は、医者やマッサージに行っても治らなかったコリが、本当に何年ぶりかに全く痛みが感じないくらいラクになりました。
実際に自分で試すまでは、こういうものの効き目には半信半疑でしたが、こうまで結果が出るとちょっとこれからも使ってみようかなという気になります。
以前テレビで、スリランカでアーユルベーダをしたら今まで良くならなかった病気が改善して、その後スリランカに移住したという日本人女性が紹介されていましたが、今ならそれもわかる気がします。
今回のビックリ体験でスリランカの天然ハーブの力を身を持って知り、どちらかというと嗜好品や娯楽だと思っていたアーユルベーダや天然オイルなどにかなり興味を持ってしまいました。
次にスリランカに行くなら、医療としての本格的なアーユルベーダを体験してみたいと思います。
信じるか信じないかはアナタ次第。
ランチはここでいただきますが、さすがスパイスガーデンの食事というだけあって薬膳ランチです。
並べられた料理の前には、使われている材料と効能が書かれたプレートが置いてありました。
もともとスリランカで良く食べられるカレーも薬膳料理だと言われていますが、ここのはもう少し体に効くように考えられたメニューという感じがしました。
薬膳といっても癖があるとか苦いとかそういうことはなく、お代わりするほどどれも美味しかったです。
ランチの後は、マータレーを通り高原の街キャンディに向かいます。
=====ガイド=====
この道はあちこち工事してるので、キャンディまで1時間半くらいかかることがある。
マータレーの街には日本の秋田美人と同じように、マータレー美人が多い。
ここにはアルヴィハーラという寺院がある。紀元前6世紀から紀元前1世紀まで口伝えで伝えられていた仏教のお経を本に書いた場所。
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途中、カラフルなヒンドゥー教の寺院も見えました。
そして、マハウェリ河が見えるとキャンディはもうすぐです。
世界遺産キャンディの町はとても賑やかで人も車もたくさん。
街中にはイギリスの植民地時代につくったクイーンズホテルもありました。
まずは細い山道を登り、町を一望できる丘の上へ。
展望の良いその場所にはカフェがあり外国人観光客が景色を見ながらお茶をしていましたが、私たちはそのカフェの前から町を見下ろします。
眼下には、キャンディ湖畔に建つ仏歯寺と、斜面に立ち並ぶ家々が見渡せました。
ここキャンディはスリランカの中でも高級住宅地でお金持ちが多いのだとか。
確かに涼しくて居心地が良いので地価も上がるのでしょう。
景色を堪能したあとは、丘を下りて今夜キャンディアンダンスを鑑賞するホールでトイレ休憩をし、キャンディ湖畔を歩いて仏歯寺へ。
この湖は人造湖で魚もたくさん泳いでいますが、仏歯寺の近くということでとってはいけないのだそう。
湖畔には露店が並び、たくさんの人が散歩をしていました。
仏歯寺の入り口でセキュリティチェックを受け敷地内へ入ります。
広い敷地を歩いて行くと、太陽の光を受けて真っ白に輝く八角堂が現れました。
とても特徴的な形で美しい。
そこは外観だけ見学して、仏歯が収められている本堂へ。
建物の入り口で靴と帽子を脱ぎ、魚が泳ぐ堀を渡って中へ入ります。
少し進むと両側の壁に壁画が描いてある通路に出ました。
=====ガイド=====
1998年、爆弾でこのあたりは破壊されたため、この絵は全部新しく描いた。
壁に描いてあるはペラハラの様子。ペラハラとは行列の祭り。真ん中に仏歯を載せる入れ物(仏舎利)がある。ガイドブックには象の祭りと書かれているのもあるがそれは間違い。
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そこを抜け色鮮やかなアーチの中を進みます。ここは象が通り抜けられる高さがあるそう。
その先に煌びやかな祭壇があり、大きな象牙で飾られていました。
=====ガイド=====
この二階に仏歯があるので、お尻を向けないように写真を撮る。
これは本物の象牙。今でもこのお寺には18頭の象がいる。ペラハラ祭りのときに使う。
1596年に建てられたこの中で一番古い建物。
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続いて脇の階段を上がっていくと、途中の踊り場に、仏塔や仏舎利を入れる入れ物、インドから仏歯が持ってこられたときの様子を描いた彫刻などがありました
=====ガイド=====
仏歯の物語。
この夫婦は皇太子と御妃で、インドで3世紀の終わりごろ問題が起きたとき、御妃の髪の毛の中に仏歯を入れて301から310年の間にインドから秘密にして持ってきた。だから頭が光っている。その物語はインドの歴史にもスリランカの歴史にも書いてある。
年に一回ペラハラ祭りをやるときは仏歯を専用の入れ物に入れて象の背中にのせる。ペラハラでは踊り子さんとか600人、象は200頭近く参加する。
もうすぐコロンボのお寺でペラハラが行われる。そのペラハラでは仏歯でなくお釈迦様の骨。
スリランカは3世紀に仏教が広まってから1500年ころまで他の宗教はほとんどなかった。しかしインドではお釈迦様が亡くなって、アショーカ時代も終わってから、紀元前3世紀から1世紀くらいになるときに、だんだんと仏教の元のヒンドゥー教に戻っていった。仏教ではお祈りする神様はおらず、病気などになったときお願いできない。だからヒンドゥーに戻り仏教は小さくなっていった。それが問題となり、仏歯をスリランカに持ってきた。
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二階へ上がると一際立派な祭壇があり、たくさんの人がその前に座りお祈りをしていました。
ここに仏歯がおさめられていて、扉を開けるとそれを入れた金色の仏舎利が見えるのだそう。
この扉は一日3回のプージャの時に開かられるのですが、残念ながら私たちはその時間ではなかったので、祭壇の脇に設置されたモニターの映像を鑑賞。
その豪華さからもとても大切にされているのだとわかります。
上ってきたのと反対側の階段から下りるとまた立派な扉がありました。
ここもプージャのときに開くのだそう。
一旦中庭に出て、さきほど象牙が飾られていたお堂の裏側まで見学。
建物の壁や柱、天井には、色彩は落ち着いていますがびっしりと絵や模様が描かれ、造りも美しい。
=====ガイド=====
壁にはうさぎや太陽、満月が描かれている。御釈迦様が生まれたり亡くなったりしたのが満月だったから。
それらはスリランカでよく行われる占いとはあまり関係ない。占いはヒンドゥー教から流れてきたもの。
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ここには仏像と仏歯寺の歴史が描かれた絵がありました。
とても美しいお堂です。
=====ガイド=====
建物は200年くらい古いが、お参りするためのハウス30年くらい前に作った。
絵が飾ってあるがこれは外国人や子供に簡単に説明するためにある。
1番の絵、御釈迦様はルンビニで生まれた。
2番、御釈迦様ブッダガヤで仏陀になった。
3番、涅槃になる。
4番、ビャクダンの炭でお葬式。
5番?、お釈迦様が亡くなる前、69人の中の一番偉いお坊さんケーマに自分のお葬式を頼んだ。
6番、仏歯寺ができた。
7番、お釈迦様が亡くなって800年くらいのころ。まだインド。
そのあとの絵、インドでは仏教がだんだん少なくなるからスリランカに行きなさいと言われる。スリランカに行くために船に乗る。
10番、船から降りて王様の宮殿を探すという絵だが、本当は、インドから来ることを知ったスリランカの王様がアヌラーダプラから東の海岸まで行ってインドからの王様を待っていた。仏歯を入れる入れ物も持って行ったので、帰りはそれを象に乗せて、アヌラーダプラまで10日間かけ戻り満月の日についた。それを記念したのがペラハラ祭りで、8月の満月を含む10日間かけて行われる。
1500年くらいになるときにスリランカの王様がシヴァ神の宗教になり、お坊さんたちを迫害し始めた。そのため、お坊さんは仏歯を持って逃げた。今の日本の天皇は126代目だと思うが、仏歯もそれと同じで落ち着くまであちこちに行った。
18番はキャンディのお寺。
19番、偉そうに座っているイギリス人がペラハラ祭りに参加している。イギリスの植民地になった時、宗教的なお祭りを禁止した。ペラハラも禁止されたが、禁止期間中の何十年かの内の2年間雨が降らなかった。そのせいで何人かのイギリス人が亡くなり、困ったイギリス人はスリランカ人に、何をやったらいいのかと聞くと、ペラハラをやってくださいと言われた。そしてそれを一回したら雨が降った。それからイギリス人は、毎年ペラハラをやってほしいとお坊さんに頼み自分たちも参加するようになった。
21番、イギリス人は仏歯寺の責任をスリランカのお坊さんに戻した。今では、仏歯を開けて見る鍵はその責任を持った3人の偉い人に任され、簡単には開けられないようになっている。3人いないと開けられないので、ペラハラの時などはみんな集まる。
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お堂から出ると広い庭に出ました。
右側に集会場と仏教博物館があり、その向こうの山から時折バーンという大きな音がします。
=====ガイド=====
この建物は王様時代に建てられたもの。爆竹の音が聞こえるがそれはサルを追い払うため。
王様のプライベートで使うジャングルだった。
昔は建物に瓦があったが爆撃で壊れてしまった。
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さらに進むと左側にたくさんのランプが灯ったガラス張りの建物が出現。
スリランカの参拝では、オイルランプとお線香とお花でお参りをするそうです。
その向いの建物に入ると大きな象の剥製がありました。
=====ガイド=====
この象はラージャという名前で、50回ペラハラ祭りに参加しお釈迦様の仏歯を自分の背中に乗せた立派な象。亡くなった時、500~600人のお坊さんが集まってお葬式をした。
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部屋の壁には象の写真が飾られていましたが、その中の一枚に日本の恩人とも言うべきジャヤワルデネ氏が写っているものがありました。
=====ガイド=====
世界戦争の後、いろいろな国で会議があったが、最後に行われたのがサンフランシスコだった。1951年8月15日に行われたこのサンフランシスコ講和会議では、敗戦国の日本に制裁を与えるべきだという議論が起こっていたが、スリランカ代表のジャヤワルデネ氏が「憎しみは憎しみで越えられない」という仏陀の言葉を用いて何時間も説得し、最終的に参加者たちの心を打ち日本の自由を守った。もし彼がいなければ、天皇陛下はイギリスで死刑になり、日本はソ連、アメリカ、中国、イギリスに分割され支配されていた可能性がある。
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この話は、テレビの番組で観たことがあり知っていましたが、まだまだ知らない人も多いのではないでしょうか。
本当に、もし彼がいなければ今の日本はどうなっていたことか・・と思うと恐ろしくなります。
これで仏歯寺の見学はおしまい。
剥製のある建物の隣には考古学博物館がありますが今回はスルー。
お堀を渡り、入り口で靴をうけとって外に出ます。
セキュリティーゲートを通ってキャンディ湖のほとりを歩いていると、その湖畔に大きな何かがいました。
=====ガイド=====
これはミズオオトカゲという名前で毒がある。見ると運が良くなると言われているがなかなか見られない。
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魚をたくさん食べた後らしくお腹かが異常にふくらんでいたのですが、その姿からは、どうも運がよくなるとは思えないなぁ・・。
それにしてもスリランカは、本当にあちこちにいろんな動物がいる国です。
本日最後の観光は、伝統舞踊のキャンディアンダンスの鑑賞です。
仏歯寺の近くの会場に行くと、すでにたくさんの観光客で席が埋まっていました。
私たちはそんな中、前から二番目の席という、とてもいい場所に案内されました。
座席には、それぞれの踊りの意味がかかれた紙が置かれています。
時間になると、煌びやかな衣装を着た演者たちが出てきて、男性は力強く、女性は優雅に踊りだしました。
ときおり、サーカスに出てくるような皿回しのようなものも織り交ぜられ、平和的に進んでいきます。
スリランカ伝統の仮面が素晴らしい。
最後はファイヤーダンスがあったのですが、それが始まる前に、勘違いしたガイドさんに連れられ会場を出てしまったので、気づいて戻った時には人ごみでよく見られませんでした。残念。
18時に終了。
バスにのって、海抜600mほどの丘の上にあるホテルへ向かいます。
細い山道を上り今日のホテル「HOTEL TOPAZ(ホテルトパーズ)」に到着。
丘の一番上にあり遠くの山並まで見渡せます。
部屋からの眺めはイマイチでしたが、広くて内装もおしゃれ。
19時半、少し休憩してからホテルのレストランで夕食です。
レストランの壁は大きな窓になっていて、キャンディの夜景が広がっていました。
ワインを注文し、料理を取りにいきます。
野菜も豊富で料理の種類も多く、綺麗な景色を見ながらの夕食は大満足でした。
夕食の後、ホテルの屋上に上がれるということで、星空の写真を撮るために行ってみました。
三脚は持っていなかったのですが、ちょうどカメラを固定できそうなテーブルや手すりがあったのでそれを利用して撮影。
添乗員さんの案内では、南十字星も見えていたそうですが、ちょっとどれだかわからなかったので、とりあえずその方向をフレームに入れて撮っておきました。
9時半ごろまでがんばっていましたが、高原の涼しい風が寒くなってきたので撤収。
暑さでぐったりしていた体もこの高原の涼しさで元気が回復してきました。