コーカサス旅行記-#4
ジョージアの首都トビリシと古都ムツヘタ観光
テラヴィのバザール立ち寄った後、約300年続くワイン農家で伝統的なワインセラーを見学。その後、ジョージアの首都トビリシのおしゃれなレストランでランチをし、歴史あるムツヘタの町と温泉街もあるトビリシの市内観光。最後は高台にある眺めのいいレストランで、ジョージア名物のヒンカリの夕食を堪能。
5日目の主な訪問地:テラヴィ~ムツヘタ~トビリシ
行程
- 1~2日目:成田~ドーハ~バクー
- 3日目:バクー~シャマフ~シェキ
- 4日目:シェキ~(アゼルバイジャン)国境(ジョージア)~テラヴィ
- 5日目:テラヴィ~ムツヘタ~トビリシ
- 6日目:トビリシ~カズベキ~トビリシ
- 7日目:トビリシ~(ジョージア)国境(アルメニア)~ハフパト修道院~セヴァン湖~ツァフカゾール
- 8日目:ツァフカゾール~エレヴァン
- 9日目:エレヴァン
- 10日目:エレヴァン~ドーハ~羽田
コーカサス旅行5日目 テラヴィ~ムツヘタ~トビリシ
「Hotel Dzneladze」の朝食
朝窓から外を見ると今日もいい天気。
さっそくテラスに出てみました。
キリっとした空気の中、朝日に照らされた大コーカサス山脈がとても綺麗に見えました。
絶景を見て目が覚めた後は、ゲストハウスの食堂で朝食です。
手作りジャムやゆで卵などシンプルなメニュー。
テラヴィバザール
8時、ゲストハウスを出発。
まずは早朝の街中を移動し、近くのテラヴィバザールへ向かいます。
10分ちょっとで到着。
バザールには、色とりどりの野菜や肉などの生鮮食品、お菓子にスパイスなど、たくさんの品ぞろえがあり、見ているだけで楽しくなります。
ジョージアらしいお土産としては、チュルチュヘラやドライフルーツ、スパイスなどがおすすめ。
チュルチュヘラは、紐に通したクルミの周りを、ブドウジュースと小麦粉を混ぜた生地で包み棒状にしたもの。
味は、美味しい!という訳ではないですが、地元では人気のお菓子です。
300年の歴史があるワイン農家で伝統的なジョージアワインを試飲
テラヴィの市場でスワヌリというジョージアの塩をお土産に買い、次はベリスティ村にあるワイン農家へ。
長閑な風景の中、市場からは約40分の移動です。
こちらのワイン農家は、約300年ほど続く「ノダリ・ワインセラー」。
仲の良いご夫婦が出迎えてくれました。
まずは、ワインを仕込んでいる「マラニ」という場所で説明。
=====ガイド=====
ブドウの収穫は、必ず晴れている日に行う。なぜなら、水分が混ざると発酵の進みも悪くワインの味が落ちるため。
ワインを仕込む壺「クヴェヴリ」は、使う前に桜の木で作られた「サルツヒ」などで洗うが、大きな壺だと人が中に入って洗う。そのため、ワインの香りだけで酔い歌いながら洗っていた。洗った後は、硫黄を燃やして消毒をする。
後ろにあるのは、一本の木から作った「サツナヘリ」という道具。中にブドウを入れて人がそれを踏み果汁をしぼる。出てきた果汁は種や茎など共に、パイプをつたいそのままクヴェヴリに流れ込むという仕組み。
そこから24日間ほど毎日6回まぜる。ブドウの皮には自然のバクテリアがいるので、それによって発酵が進んでいく。4~6ヵ月たつとワインが出来上がる。その後、ワインと茎などを分け、ワインだけをもう一度クヴェヴリに戻し熟成。取り出した残り物からは、チャチャを作る。
この伝統的な自然発酵、熟成させる製法は、2013年にユネスコの無形文化遺産に登録された。
ワインを仕込むこの場所は「マラニ」といい、ワイン農家には必ずあるもの。トイレや動物の飼育小屋からは離され、日陰につくられる。魚の保存もワインの出来に影響するため禁止だった。でも、ワインづくりに必要な道具やボトルなどは、この場所に保存される。後ろに保存されているボトルのワインは、40年前のもの。
この農家では、赤はサペラヴィ、白はルカツィテリのブドウを使ってワインを作っている。両方とも2009年に収穫したもので、今から試飲してみましょう。
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ということで、土に埋まっているクヴェヴリから、直にワインを汲んでふるまってくれました。
自家製のパンと一緒にいただきます。
なんというか、とても軽くてドライな、あまりアルコール度数を感じないワイン。
ボキャブラリーが少なくうまく伝えられないのが申し訳ないですが、普段お店などでいただくものとは違う感じ。
昔は、やぎの角にワインを入れて飲んでいたそうです。お父さんがその様子を再現してくれました。
カラのペットボトルがあればそれに入れて売ってくれますが、水分が残っているとワインの味が落ちるので注意。
私はボトルの赤ワインを1本お土産に買いました。(10USドル)
ジョージアの首都トビリシで絶品ランチ
ノダリさん一家とお別れした後は、一路ジョージアの首都トビリシへ移動。
ここから約2時間ちょっとの道のりです。
移動時間を利用して、ジョージアの産業と、それにまつわる伝説についてのガイドです。
=====ガイド=====
ジョージアでは、天然ガスはアゼルバイジャンから輸入しているが、水は豊富にあり2000種類以上のミネラルウォーターが流れている。これは大コーカサス山脈のおかげ。
健康によい水もたくさんあり、「ボルジョビ」というミネラルウォーターは、胃の病気に良いとされている。もともとソ連時代に軍隊の兵士によって発見され、今ではロシアやヨーロッパに輸出もされている。
ジョージアでは、だいたいどんな果物もとれるが、東ジョージアでは、スイカやメロン、ザクロ、リンゴ、西ジョージアではトウモロコシ、ヘーゼルナッツ、くるみなどが美味しい。ゴリでは、リンゴが一番有名。
また、キウイやレモン、オレンジなどは輸出されている。紅茶もソ連時代から作っている。
国の主な産業は、金と胴の採掘。
ジョージアの北西では金が特に盛んで、羊の皮を川に入れて流れてくる金を集めるという金の採り方も確立されていた。昔、その様子をギリシャ人が見ていて「アルゴナッツ」という伝説が生まれた。
その伝説では、ジョージアに黄金の羊の皮があり、それをとるためにギリシャの王子が「アルゴ」という船をつくり、50人の兵士と共にやってきたとされる。
ジョージアの王様の家に招かれたギリシャの王子は、王様の家に様々な素晴らしい金細工があるのを見て非常に驚き、正直に訪れた理由を話した。すると王様は、ひとつの条件を王子に提示。黄金の毛皮を守っているドラゴンの歯を土に埋めると、そこから兵士が育つので、その兵士と戦って勝てたら黄金の皮を渡すと言った。
とても難しい条件だったが、愛情を司る神様の助けによって王子に恋をした王様の娘メディアが協力し、その条件をクリア。二人は黄金の皮を手にしてギリシャに逃げ結婚した。
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トビリシに近づくにつれ街並みが都会になってきました。
黄色のミニバスは国営のもので、街中ではバスストップに停まりますが、それ以外の場所では手を振ると停まってくれるそう。他の国営の公共交通機関は地下鉄もあり。
まずは、おしゃれなレストラン「Ilouri」でランチ。
さすが都会のお店ということだけあって、内装も料理も洗練されています。客席からはキッチンが丸見え!
ピザのようなハチャプリや皮がカリカリのチキン、濃厚なマッシュルームスープなどみんな美味しい!
パンも販売していて、見た目だけで間違いなしのやつです。
お店の人の対応も気持ちよく、かなり満足度の高いランチでした。おすすめ!
トビリシから古都ムツヘタへ
ランチの後は、トビリシから40分ほど移動し古都ムツヘタへ。
賑わう都会の街並みを見ながら、ムトゥクヴァリ川(ロシア語ではクラ川)を走っていきます。この川は、トルコから流れてきてカスピ海に抜けているそう。
=====ガイド=====
ジョージアは、トルコのカッパドキア出身の聖女ニノによって337年にキリスト教が国境になった。アルメニアに次いで世界で二番目。その前は木の神様アルマニを祀っていた。
聖女ニノの親は、彼女がまだ若いころエルサレムの修道院で働き始めた。そのため、ニノは友人の女性と一緒に暮らすことになったが、まだそのころエルサレムではキリスト教が完全には認められていなかったので、アルメニアにその友人と逃げることになった。
しかし、アルメニアの王によって友人が拷問に会い、ニノはさらに南ジョージアに逃げた。すると夢に聖マリアが出てきて、ジョージアでキリスト教を布教するように言われた。ニノは目覚めた後、ブドウの木を自分の髪で結び十字架を作り、その後、貿易商と一緒にムツヘタへ向かった。
その時、ムツヘタではアルマニの祭りが行われていて、王族も来ていた。ニノは、神様へのいけにえとして牛を捧げた。(牛の角の形は月に似ていて、神様の象徴だったため)
ニノはムツヘタに居を構え修行を始めたが、あるとき、女王が難病に患っていると知りそれを治した。またある伝説では、当時の王ミリアン国王がパリを訪れた際、突然目が見えなくり、アルマニ神に祈ったが治らず、ニノに祈ったら治ったためキリスト教になったともいわれている。
ニノがブドウの木で作った十字架は、トビリシのシオニ教会に保存されているが、1月27日のニノのお祭りの時以外は隠されている。
ミリアン国王がキリスト教を国教と定めた後、これから訪れるジュワリ教会のある場所に、ブドウの木の十字架を象徴として立てた。
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絶景が広がるムツヘタのジュワリ教会
ムツヘタの町に入り、丘の上に建つジュワリ教会まで、どんどん坂道を登っていきます。駐車場でバスを降り、さらに徒歩で上までハイキング。
天気がよくて良かった~
=====ガイド=====
「ジュワリ」はジョージア語で「十字架」という意味で、上から見ると十字架の形になっている集中式四葉型(テトラコンチ)の建築。十字架型教会としては最初に建てられたもので、その後に建築された同型の教会の参考となっている。
ここから見えるのは、ムトゥクヴァリ川とアラグヴィ川の合流とムツヘタの町。巨大な教会「スヴェティツホヴェリ大聖堂」も見える。
この丘には、4世紀に聖女ニノとミリアン国王が立てた十字架の隣に小さな教会もあったが、今あるのは6~7世紀にステファノス王の命によって建てられたもの。1994年に世界遺産に登録されている。
この教会を建てる際、王から「十字架を建物の中央に立てること」との命令があった。そのため、今でも中央に十字架があるが、このような形式は大変珍しくこの教会だけ。今の十字架はレプリカだが、その場所が聖なる場として保存されている。
教会の入り口に二人の天使と十字架のレリーフがあるが、この図柄はジョージアの教会ではとても人気があり、発祥はこの教会の彫刻とされている。また、その上の方には、二人の男性が描かれているレリーフがあり、立っている方はキリストで、跪いている方がこの教会を建てた建築家と言われている。
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続いて中へ入ります。女性は帽子やスカーフを被るのが礼儀。
=====ガイド=====
この教会のドームには、それを支える柱が見えない。柱は壁にうまく隠されていてとても高度な技術が必要。こういうところも世界遺産に登録された理由のひとつとなっている。
ここにあるイコンはジョージアの歴史が描かれている。まだ新しく19世紀に描かれたもの。
板の壁は「イコノスタシス」というもので、この向こうに神父様とミサを手伝う人が入ることができる(男性のみ)。
そしてミサの最中は、神父様はドアの向こうから祈りをささげる。この壁は、神様は人間のために色々なものを隠しているが、信じて祈りなさいという意味が込められている。
十字架はブドウの木からできているのでまっすぐではない。これは、正教会の旗にも記されている。
正教会はカトリックと違って、祈りの際は座らない。楽器も使わず、歌だけで祈る。
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小さな教会なので、その中央に立つ大きな十字架がひときわ存在感を放っています。
キリスト教ではないですが、大仏様的な威厳があり、思わず手を合わせたくなる感じ。
最後は教会の周りを散策してみました。
ジョージアの教会は、戦いが起きた時に砦の役目も担っていたので、城壁がセットで建てられているものが多いのですが、ジュワリ教会の傍らにも城壁の一部が残っています。
ここは本当に景色がいいので、教会の参拝だけでなく、崖っぷちに座ってのんびりしている人がたくさんいました。
ジョージアを訪れたら、ぜひ足を延ばしてみてほしい場所のひとつです。
ムツヘタの町とスヴェティツホヴェリ大聖堂の参道
絶景のジュワリ教会を後にし、ムツヘタの町中にある「スヴェティツホヴェリ大聖堂」へ向かいます。
=====ガイド=====
ムツヘタは、ムツヘタ(ムティアネティ州)の古都。首都トビリシから北西に20kmで人口は約7600人。
紀元前6世紀に成立した西部グルジアのコルキス王国東側の内陸部は、同じころアケメネス朝ペルシャの一部であったが、紀元前4世紀から紀元前3世紀にかけて、ムツヘタを首都とするイベリア王国(カルトリ王国)が成立した。
温和な気候と肥沃な土地に恵まれているムツヘタは交通の要衝にあり、紀元前4世紀にイベリア王国の首都になった。西暦334年には、聖女ニノの働きかけによって、ミリアン国王によって、キリスト教がイベリア王国の国教と定められ、首都ムツヘタにも最初の木造聖堂が建設された。
世界で初めてキリスト教を国教にしたのは古代アルメニア王国。そのため、後のジョージアとなるイベリア王国は世界で二番目にキリスト教を国教として国となる。
この時期がムツヘタの最盛期であったが、5世紀の王ヴァフタング1世(ワフタング・ゴルガサリ)がトビリシに遷都。町の規模は小さくなったが、その後も総主教座が残るなど、グルジア正教の中心地であり続けた。
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麓からは丘の上にポツンと建つジュワリ教会がよく見えます。
駐車場から大聖堂までは、小さなお店がズラリと並んだ参道を歩いていきます。
石畳の街並みはとても風情があり、まさに古都という感じ。
まっすぐ向かえば10分くらいで大聖堂につくのですが、景色も綺麗だし色々なお店があるので、あちこち目移りしてなかなか前へ進めませんでした。
世界遺産ジョージア最古のスヴェティツホヴェリ大聖堂
これから見学する世界遺産の「スヴェティツホヴェリ大聖堂」は、ジョージア最古の大聖堂。
重厚な城壁の間にある入り口から入ります。
=====ガイド=====
赤レンガの城壁のオリジナルは11世紀、現在見られるのは18世紀のもの。門に牛の頭がついているが、角が月の形ににているため月の神様の象徴で、古い文化の影響が残っている。牛はキリスト教以前から、農業のシンボルでもあり、月の神のシンボル、また、4福音書のルカのシンボルだった。
ジョージア語で「スヴェティ」は「柱」、「ツホヴェリ」は「生命を与える」という意味。柱の伝説から名付けられた。この建物はジョージアが経済的に豊かだった11世紀に19年の歳月をかけて創建。13世紀の地震で崩れたが修復され今に至っている。
元々は、キリスト教がイベリア王国の国教となった後、ムツヘタの王宮の庭の木造聖堂の跡地に建てられた。ジョージアの聖堂の中では古さと大きさの点で群を抜く。
首都がトビリシに移った後も、長くグルジア正教の総主教座が置かれていた大聖堂であり、王の戴冠式などもこの大聖堂で挙行され続けた。
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門を抜けると、目の前に堂々たる大聖堂が現れました。
まずは外観を見ていきます。
=====ガイド=====
クジャクの彫刻の目は神様の目として考えられている。神様ががいつでも見ているという意味。
ハンマーのような彫刻はこの建物を建築したアリスキゼの手とされている。完成後、同じ美しいものが造れないように手を切られた。
窓の上にブドウがあるが、それは命の木で、正教ではこの世界と楽園をつなぐ木とされている。木の周りには丸い円が12個。円の中に古いジョージアの文字で12使徒の名前が彫刻されている。一番最後の円は空っぽで何も書かれていないが、これは、キリストを裏切ったユダのものだと考えられている。12人の使徒が祀られている教会。
一番上の窓は三位一体(父、子、聖霊)で、その左に鷹、ライオン、下には二人の天使とふたつの牛の頭がある。
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入り口でスカーフと腰巻をしていざ中へ。
美しいアーチを描いて立ち並ぶ柱の奥に、巨大なキリストのフレスコ画とイコノスタシス(聖障壁)が目に入ります。
=====ガイド=====
イコノスタシスの右側にはイエスキリスト、左に聖母子、右端に12使徒が描かれている。ジョージアでは、右端のイコンがその教会で祀られている対象となるため、この教会が12使徒に捧げられていることがわかる。
教会内部には、キリストが磔にされたエルサレムのゴルゴダの丘に建てられた聖墳墓教会を模して造られた小さな教会がある。そのため、ムツヘタは別名「小さなエルサレム」と呼ばれている。この教会は、もともと外にあったが、保存をするために今の場所に移された。
また、伝説にあったシドニアのお墓もあり、キリストの外衣の一部が今でも埋まっているとされている。
教会にはたくさんのフレスコ画があるが、そのほとんどが17世紀に描かれたもの。
最後の審判の絵には、正教では信じられていない星座や、ラッパで最後の審判を知らせたと言われる天使が描かれている。
■外衣の伝説
キリストが磔にされた際、ジョージアからエリオズという男がエルサレムに向かった。そしてキリストがまとっていた外衣の一部をムツヘタに持ち帰り、妹のシドニアに渡した。
すると彼女は喜びのあまり亡くなってしまい、その布とともに現在の大聖堂にあたる場所に埋葬された。
やがて、そのお墓から杉の木が生えてきたが、キリスト教を国教と定めた後、イベリア国王はシドニアのお墓の場所に教会を建てることを命じた。
その際、お墓に立っていた杉の木を切り倒し七つの柱を作ったが、七つ目の柱が宙に浮かび、聖女ニノが祈りをささげると聖水が流れ始めた。
その聖水が人々の病気を治したことから、「生命を与える柱」という意味の「スヴェティツホヴェリ」という名前が付けられた。
最初に建てられた木造の教会は、シドニアのお墓に生えた杉の木の柱を使って建てられたものとされている。
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やはりこういう場所は、ひとつひとつの意味を知りながら見ていくとかなり楽しめます。
ジョージアの首都トビリシ観光
ムツヘタからトビリシに戻り市内観光です。
=====ガイド=====
トビリシの街は、イベリアのワフタング・ゴルガサリ王が最初にこの場所を発見し5世紀にできた。
伝説によると、彼は自分の鷹を連れて狩りに来た。その鷹が鳥を追いかけて飛んでいったため、それを追っていったら、鷹も鳥も熱いお湯に落ちて死んでいた。彼は、そのことによってここに湧き出る温泉を発見し、町を作ることを命じた。トビリシの「リシ」はジョージア語で「熱い」という意味。
そしてこの場所を首都にしたが、その理由は、街が3つの山に囲まれて、4本の川があるため防衛に都合がよかったため。
山の上に城壁が残っているが、これはナリカラ要塞。4世紀にはあったため、ワフタング・ゴルガサリ王は、この町を首都としてからさらに強化拡大していった。ナリカラ要塞は長さが4キロ、高さは25m、門が7つあり、中には300の家族が住んでいた。しかし、保管されていた爆弾などの武器が爆発して壊れてしまった。その後20世紀の終わりには、教会が建てられ現在に至っている。「ナリカラ」という名前は「侵略し辛い」という意味がある。
「聖なる山」と呼ばれるムタツミンダは、ふもとからロープウェイで行くことができる。山頂には遊園地があり、街の景色が一望できる。
丘の上に建っている女性の像は「ジョージアの母」と呼ばれるもので、剣とワイングラスをもっている。剣で戦い、ワインでお客をもてなすという意味。旧ソ連時代の像で、当時は木造だったが、今はアルミでつくられている。高さは20mほど。
ムトゥクヴァリ川に架かるメテヒ橋では、13世紀にモンゴル人に侵略されたときに、踏み絵のようなものがされたらしい。モンゴル人が聖マリアなどのイコンを置いて、それを踏むか死ぬか選ばせた。結果、数万人の人が断って殺された。それにより、この川は血で赤く染まった。
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メテヒ教会
まずは坂を上って丘の上にあるメテヒ教会へ。
教会前の広場には、ワフタング・ゴルガサリ王の像があり、ここから一望できるトビリシの街を見下ろしています。
=====ガイド=====
メテヒ教会は6世紀にはあったが、現在のは13世紀に修復されたもの。1921年から1991年のソ連時代のころは、劇場として使われていた。昔はこの広場に刑務所があって、ジョージア人だったスターリンも捕らえられていた。
このあたりがトビリシで一番古い場所で、ここから町が広がっていった。
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教会内部は簡素な造りで、イコノスタシスや壁に飾られたイコン、天井から釣り下がるシャンデリアが控えめな彩を与えています。
ちょうど信者の女性が聖歌を歌っていたのですが、透き通るような美しい歌声が教会内に響き、より神聖な気持ちになりました。
温泉街もあるトビリシの旧市街を散策
メテヒ教会から歩いてトビリシの旧市街へ向かいます。
石畳の細い路地が続く街並みは、おしゃれなカフェなどが並んでとってもいい感じ。
=====ガイド=====
18世紀にきたシャルデニというフランス人が、トビリシのスケッチを描いていた。前大統領はそのスケッチをもとに町を再開発した。
この通りはシャルデニの道と呼ばれている。カフェやレストランが立ち並び、ランチ時から翌朝の3時とか4時とかまで開いていて、水たばこなども楽しめる。
座ってグラスを持っている像はタマダ像で、タマダとは、宴会で乾杯の音頭をとる役目の人のこと。ここにあるのはレプリカで、本物は博物館にある。紀元前7~8世紀のもの。8000年まえのワインのツボもタマダ像と一緒に発見された。乾杯したら一気にワインを飲み干さないといけない。
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シオニ教会
途中、現在は博物館となっているかつてのキャラバンサライなどを見ながら、ジョージア正教会の総本山だったシオニ教会へ。
=====ガイド=====
この教会は、最初は6世紀に建てられ、7世紀に修復されたが、その後1710年までイスラム教徒によってモスクとして使われていた。その名残で、水道が並んでいる。
今は18世紀のもので古いものはあまり残っていない。
教会内には、19世紀にロシア人の画家によってロシアスタイルのフレスコ画が壁に描かれた。しかし入り口の壁のものは、ジョージアの画家によって描かたもの。ロシアスタイルは、金と青色がよくつかわれているが、ジョージアスタイルは、自然由来の色だからもっとシンプルな色味。
教会には、ジョージアにキリスト教を伝えた聖ニノの十字架があり、二本のブドウの木を彼女の髪の毛で結んだものとされている。
教会の隣にある鐘楼は、ロシアスタイルのもの。赤レンガの小さな鐘楼の方は、15世紀によって神父によって建てられたが、いったん壊されて最近再建された。今でもミサの時などに使われている。
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温泉街(アバノトウバニ)
続いて、旧市街の中心にあるゴルガサリ広場を通って、温泉街(アバノトウバニ)へ向かいます。
だんだんと日が暮れてきて、町の明かりがともりとても綺麗。
=====ガイド=====
アバノトウバニ(ハマム)は、17世紀からある硫黄温泉の大浴場。フランスの小説家アレクサンドル・デュマやロシアの詩人プーシキンもトビリシを訪れた際温泉を楽しんだ。トビリシの伝説に出てくる鷹の像もある。昔は、ここに来て息子のお嫁さんをお母さんが選んでいた。
湧き出る温泉の温度は約47度で、湯舟にお湯をはり浸かることもできる。
ここで目立つのは、イランの文化の影響を受けて造られた高級エステ・オルべリア二浴場。一部屋40リラくらいから入れるが、ジョージア人にはあまり人気がない。
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この温泉の香りは日本人にはとても馴染みのあるもので、外国にいながらどこかホッとできる場所でした。
高台のレストランでジョージア名物ヒンカリの夕食
トビリシの市内観光の最後は、丘の上にあるレストランで夕食です。
今夜のメインは、ジョージア名物「ヒンカリ」(上から9番目の写真)。
見た通り、水餃子の大きいやつで、中央アジアのマンティ(餃子)が伝わったのだそう。
ヒンカリは想像通りの味で、ひとつだけでもけっこうお腹いっぱい。色々な国でこの形状のご当地料理を食べましたが、だいたいみんな似たような感じになるのは、やはりシルクロードなどを通じて文化が伝わっているのでしょうね。
→各国の旅行記はこちらを参照してください。
ヒンカリの上の写真は、マッシュルームのアヒージョみたいな料理なのですが、これがとっても美味しくてワインがすすむ。
レストランは眺めのいい高台にあるので、トビリシの夜景が綺麗に見えました。
「Astoria Tbilisi Hotel」に宿泊
本日から二連泊するホテルは、トビリシの中心街にほど近い「Astoria Tbilisi Hotel」。
特にこれといった特徴はなく、都会によくあるスタンダードなビジネスホテルといった感じ。
ある程度の設備とセキュリティは保ちつつ、リーズナブルに宿泊したいという方におすすめです。