主な訪問地:カラ・コル~バルスコーン渓谷~ソン・クル湖畔
早朝のカラコルで牛の出勤を見た後、宇宙飛行士のガガーリンが愛したバルスコーン渓谷へ立ち寄り、イシククル湖畔のAMALUU村のユルタでランチ。食後は鷹匠と落ち合い鷹狩の実演を見学し、標高3016mのソンクル湖へ向かった。高度を上げるにつれ高山植物が姿を見せ、天山の固有種シュマルハウセニア・ニュドランス種も登場。この日はソンクル湖畔に設置されたユルタに宿泊し、広大な草原が広がる絶景と満天の星空を鑑賞した。
早朝、部屋の窓から外を見るとちょうど朝日が昇り始めたところでした。
今日もいい天気です。
さっそくカメラを持って周辺の散歩に出発。
ゲストハウスの前の通りに出ると、丘の向こうにカッコいい山の山頂が顔をのぞかせていました。
左の方へ行くと別の通りに合流。
すると、その通りをたくさんの牛を連れた村の人たちが歩いていました。どうやら牛たちを放牧させに行くようです。いいタイミングでこられました。
たくさん写真を撮ったあとホテルへ戻り朝食です。
「GREEN YARD」の朝食はフロント脇の明るい部屋でいただきます。
真っ白なテーブルクロスがかけられたテーブルの上には、数種類のジャムやパンなどが並びいかにも美味しそう。
これらのジャムはこのゲストハウスでも売られているのでお土産におすすめです。
7時半、カラコルの宿を出発。
まずは、宇宙飛行士のガガーリンが好んで訪れたバルスクーン渓谷に向かいます。
=====ガイド=====
今日の移動時間は長いので、キルギスの文化や伝統について説明する。
キルギス人の生活
ビシュケクに住んでいる公務員の月収はだいたい200ドルくらい。
これはけっこう安いので貯金するという習慣はあまりない。ほとんどをその月に使ってしまい、中には足りなくなって知り合いに借りる人も多い。
また、公務員でも銀行員でも、本業が休みの週末などに自分の車を使ってタクシーのアルバイトをしたりしている。すると合わせて300ドルくらいの収入になる。
ビシュケクにはドルドイバザールという中央アジアで一番大きいと言われる市場があるが、そこでバイトをする人も多い。田舎の方ではほとんどの人が農業をやっている。
キルギス人の収入は少ないが、みんな、国は貧乏だが自分たちが貧乏だとはあまり思っていない。なぜかというと、食べ物も美味しいし綺麗な自然にも恵まれているから。
田舎の方の生活は、部屋にトイレやシャワーがなかったり、キッチンもちゃんとしたものがない家が多い。
キルギスの教育と軍隊
11年間学校に通う。小学校が1~4年生まで、中学校が5~8年生まで、高校が9~11年生まで。義務教育は中学まで。男の子は徴兵制があるので18歳になったら1年間軍隊に行かなければならない。大学に行ったりする場合は期間をずらすこともできる。
エリさんのいとこは1年間山の方に訓練に行ったが、とても厳しくて1ヶ月も入院してしまった。
キルギスの防衛費は3.74%で、日本の0.97%やカザフスタンの1.21%に比べると高い。なぜキルギスの防衛費は高いのかというと、ソビエト時代からの影響で「国の軍隊はしっかりしていた方がいい」という考え方があり、小学校の時から「何かあったら戦いに行く」ということを教えられる。
以前、ウズベキスタンと紛争があったが、もともとウズベキスタンとキルギスは仲が良いいので、一般人の間でのことではなく、それによって得をする政府同志だけの問題だと多くの人が思っている。また、カザフスタンとは言語も90%くらい理解できるし、お互いのことを「兄弟」と呼んでいる。名前を知らなくても男の人は「兄さん」、女の人は「姉さん」と呼びあう。
キルギスのお祭り
キルギスの祭りはイスラム教に関係するものだけではない。お正月はヨーロッパ暦と同じ1月1日で、0時をまわるとみんなで花火をしてお酒も飲む。1日~3日まで仕事は休みで学校も1~2週間の休みになっている。
その次の祭りは2月14日のバレンタインだが、キルギスでは男性が女性にチョコレートや花をあげる。2月23日は第二次世界大戦後の男性の軍人の日。3月8日は女性の日で女性の先生やお母さんはみんなからプレゼントをもらったりする。
あとはラマダン後にお祭りがあり、男性はモスクにお祈りに行き、女性は家を掃除して伝統的な揚げパンや料理を作ってお客さんを迎える。お客さんとは、隣人や親せきのこと。一緒に料理やお茶をいただき親睦を深める。
ラマダンはその年によって違い、今年は6月17日から7月17日で来年は6月7日からになる。毎年10日ずれていく。
普段お酒を飲んだりあまりお祈りしない人でもラマダン明けのときだけは、モスクに行ってお祈りするのが普通になっている。
6月1日は子どもの日で子供のいない家にいってお手伝いしたり寄付をしたりする。8月31日は独立記念日で休みになり、アラト―広場で伝統的な踊りや歌などのイベントがある。
キルギスの誘拐婚
10年前までは特に田舎では普通だったが、5年前にそれは禁止され誰かを誘拐したら刑務所に入らなければならなくなった。そのため今ではほとんどなくなったが、それでも完全にはなくなっていない。例えば3年前には、南の方に遊びに行った女性が知り合いの男性に自分の家に黙って連れて行かれ結婚させられそうになった。
今ではだいたい1年くらい付き合ってお互いの家族との同意も得てから、儀式として誘拐婚をすることもある。
誘拐婚の方が離婚率が低いと言われ、誘拐婚で結婚した人曰く、誘拐婚だとそれまでまったく知らなかった人と結婚するから、結婚後お互いの気持ちが分かり合えてくる。でも付き合ってからだと気持ちが冷めてきてから結婚することになるから離婚率が高いのだろうとのこと。
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やっぱり誘拐婚が衝撃的ですが、誘拐婚が普通に行われていたころでも反対していた人はいたそうです。
結婚する本人が誘拐してくることもあれば、その両親がやることもあり、親の場合は息子を心配してのことだそう。
でも突然誘拐される女性にとってはたまったものではないですね。
しばらくは広い畑や草原が広がっていましたが、バルスクーン渓谷へ近づくとだんだんと山が迫ってきました。
=====ガイド=====
バルスクーン渓谷の「バルスクーン」は「ユキヒョウ」という意味。ここで一番大きな滝は「ユキヒョウの涙」という。
バルスクーン渓谷周辺の山道はよく整備されているが、それは、金の鉱山があるから。1992年からカナダの会社が金鉱の採掘をしている。金探しはソビエト時代から始まったが、資金が足りなかったのであまり進まなかった。
カナダの会社が採掘するにあたって、キルギスと協定を結び、採掘した金の33%はキルギスでその他はカナダの取り分となった。しかし、キルギスから採掘したものなのにカナダの方が多いことに不満を持つ人が多く、今では50%となっている。
中にはすべてキルギスのものだという人がいるが、そうするとキルギスには資金がないため採掘ができないし、現地の人の雇用もなくなってしまう。ビシュケクで働く人の月収は200ドルくらいだと言ったが、この金鉱で働いている人は1000ドルももらっている。現地で働いている人は今の状態がいいと思っている人が多い。
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標高2200mほどのバルスクーン渓谷に下り立つと、自然とため息が出てしまうような美しい場所でした。
険しい山肌には「ユキヒョウの涙」という名の滝が水しぶきを上げ、山間の緑の草原にはのんびりと馬が草を食み、その草原には水量の豊富な川が流れ、なんだかファンタジー系の映画の中にいるような感じです。
まずは、草原の真ん中に建っているガガーリンの銅像へ。
=====ガイド=====
宇宙飛行士のユーリ・ガガーリンの像があるが、なぜここにあるかというと、この近くに軍人のサナトリウムのような村があり、ガガーリンはその村が大好きでよく訪れた。
ガガーリンはとても優しくて心の広い人だったため、このバルスクーン渓谷の景色と同じだということでここに像が建てられた。
ガガーリンのことは誰でも知っているが、彼の顔については、キルギスの子どもや若者たちはよく知らなかった。そのため、それはロシアだった国としては恥ずかしいということで、いろいろなところに彼に関することを書いた像や絵などを設置するようになった。
川の脇にもガガーリンの像がある。こちらの方が「地球の歩き方」に掲載されているもの。
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説明後、出発の時間まで自由時間になったので、ひとまわり歩いてみました。
近くにはユルタが設置され、まわりの風景となじみすぎています。その周りでは、子馬が気持ちよさそうに眠っていたり、遊牧民の子どもがロバの世話をしていたりとなんとも長閑。
残った時間で川の方へ行くと、さきほどの説明通り、大きなガガーリンの像がありました。
ここから眺める渓谷の風景もとても美しい。
短い時間でしたが、おいしい空気と目の覚めるような景色を堪能できました。
ガガーリンが良く訪れたバルスクーン渓谷を後にし、元来た道を戻って行きます。
山道では散水車も見られ、この道が鉱山会社によってきちんと整備されているのがわかります。
道中、エリさんが途中で買ったというキルギス名物の乾燥ヨーグルトをみんなに配ってくれました。
ちょっと癖のある味なので、お試し用に小さな袋でも売っているとのこと。袋にはキルギス語の他に、ロシア語、カザフスタン語も併記されています。
ひとつ食べてみましたが、かなり、しょっぱすっぱい。とても味が濃いので、お酒のおつまみに合いそうですが、確かに好き嫌いが分かれそうな感じ。私もこれは初めて食べる味でした。
だんだんと平坦になり、イシククルが再び登場。
しばらく走ると「トン」という場所に着き、休憩を兼ねて少し写真ストップ。「トン」とは「凍った」という意味だそうですが、イシククルは凍らないのになぜこの名がついたのか謎。
ここにはイシククルを望む展望台があり、モニュメントが建っていました。すぐ目の前に湖が広がりその向こうに天山山脈が連なっています。
そして展望台の入口には、一本の木がありそこにたくさんの紐が結ばれていました。
=====ガイド=====
ここにある木に結ばれている紐や布は、シャーマニズムの願掛けで、自分の願い事をしながら結んだもの。その願いは他の人に言ってはダメで、願いが叶っても特にお礼をすることはない。
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とのことで、私たちの添乗員さんも代表して願掛け。
願いの内容はわかりませんが、どうか叶いますように!
バスでは、イシククルの伝説のひとつとされる話がありました。
=====ガイド=====
昔王様がいて、その娘がある貧乏な青年を好きになった。娘はその青年と結婚したいと思ったが、貧乏だと言う理由で王様が反対し、青年を戦争にやってしまった。青年はその戦争で亡くなり、娘は非常に悲しんだ。イシククルは、その娘が流した涙でできたもので、湖の水がしょっぱいのは涙だから。湖の形は人の目を形をしている。
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ブラナの塔に纏わる伝説でもそうでしたが、キルギスには悲しい伝説が多いのかな。
その後もう一度トイレ休憩で止まったところは、グランドキャニオンのような景勝地でした。
片側にはイシククルが広がり、道を挟んだ反対側に赤茶けた岩山が連なっています。
そこから約20分ほどで、ランチをするALMALUU村に到着。
ここには観光客向けにユルタの中でランチができるレストランがあります。敷地内には、いくつかのユルタが点在し、奥の方に野外に設置されたキッチンがありました。ちょうど、ボールソクという揚げパンのようなものを作っているところだったので見学させてもらうことに。
キッチンの周りを私たちにぐるりと囲まれ、中で作っているお母さんたちはちょっと恥ずかしそうでしたが、快く見させてくれました。
ランチの用意ができたのでユルタの中へ。
鮮やかな赤い絨毯が敷かれ、円をかくようにいくつかのテーブルが並んでいます。
今日のメニューは、スープ、サラダ2種、オロモ(餃子の皮の間に肉を挟んだもの)、ボークソル、パン。
メインのオロモは、本当に餃子の大きいような感じで日本人にもとても食べやすいです。揚げたてのボークソルも美味しかった~。
食後は、お土産が売っているユルタに行ってみました。
中には手作りっぽい民芸品が所狭しと並んでいてとても面白い。
美味しいランチでお腹いっぱいになって、村の人たちに見送られながら出発しました。
次は鷹匠による鷹狩の実演を見学するのですが、途中、車に乗った鷹匠と落合いそのまま会場となる草原へ向かいます。
草原へ着くと、鷹匠は自分の車から鷹を取り出し腕に乗せてやってきました。
=====ガイド=====
この鷹は7歳で体重は4キロ。もう一匹いてそっちは8歳。1歳のころから調教している。
狩りをしないときは落ち着かせるために目隠しをしている。足の力だけで獲物を殺すことができ、2キロ先の獲物が見える。
鷹の飛び方にもテクニックがあり、最初は獲物を狙っていないような感じで飛んでいき相手を油断させて襲う。
この周辺で有名な鷹匠はこの人と、あともう一人いる。
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鷹匠は、鷹狩についての説明をしながら、腕にのった鷹の羽を広げさせるようにしてくれたのですが、その広げた姿がなんともかっこいい。
そして、いよいよ実演。彼のこどもが獲物となるウサギを野に放ち、それを谷の上から狙わせます。
その様子はキルギスの動画ページに掲載しているのでご覧ください。
狩りは見事に成功し、遠目でも鷹がウサギをがっつり捕えているのがわかりました。
鷹匠は狩りが終わるとその場所まで行き、獲物となったウサギと鷹を回収します。
いや~見事な実演でした。
ちなみに、鷹に捕えられたウサギは鷹のごはんになるそうです。
最後に、鷹を自分の腕に乗せて記念撮影。重さはそれほど感じなかったのですが、腕を上げる高さがちょうどプルプルくる位置だったので、長い時間は無理そう。でもよく調教された鷹で終始大人しく私たちの相手をしてくれました。
鷹匠の実演を見た後、本日の宿泊地ソンクル湖畔へ向かいます。
1時間ちょっと走ると、オルト・トコイ貯水池に到着。
山間に広がる大きな池は鮮やかな青色をしていてとても綺麗です。
少し写真ストップをしたあと再びバスに乗り出発。
途中、草原の向こうに面白い形というか模様をした岩山の連なりが現れました。
そしてSari Bulak村に到着。
ここから先は道も細くオフロードになり、これまで乗ってきた大きなバスは通れないので、小型のバスに分乗して向かいます。
山道を下り渓谷の中へ入って行きます。
山間には草原が広がり、ポツポツと集落も見えました。
高山植物が咲いているところで写真ストップしながら進んでいきます。
渓谷の奥まで行くと道は上り坂になり、今度はどんどん標高を上げていきます。
すると、さらにすごい植物が現れました。
天山山脈の固有種シュマルハウセニア・ニュドランス種の登場です。
ドレスを広げたようなゴージャスな形でとても個性的。これが、あたりにポコポコとたくさん自生しています。サイズも結構大きく目のような花がついているので、何かの生物にも見えなくもない。
この群生は、植物好きにはたまらないかも。
天山山脈の固有種の鑑賞後、再び車に揺られて高度を上げていきます。
背の高い木はすっかり姿を消し、広大な草原と山並みがどこまでも続いています。遠くに見える山の頂や道中に、雪が残っているところもありました。
坂を登りきると、今度はほとんど平らな平原が広がり、その中の道をひたすら進んでいきます。
このあたりにくると、放牧されている家畜の数も増えユルタや遊牧民の姿も現れ始めました。
冬には雪に覆われ通行不可になる地域のため、今の時期にしか見られない光景です。
そして、バスを乗り換えてから3時間、標高3016mの夕日に輝くソン・クル湖が見えてきました。
ソン・クル湖畔の草原には、遊牧民のユルタがいくつか固まって設置されていました。
今夜はこのユルタに宿泊します。
このユルタ群には食堂やキッチンもあり、ちょっと離れたところにトイレがあります。
キッチンではすでに私たちのための食事が作られていました。
手洗い用の水入れ
バケツに水をくんで入れる
燃料になる馬糞
干されている羊の皮。
地面を見ると、小さなエーデルワイスの花があちこちに咲いています。
ひとつのユルタに3~4人で分かれて入り、それぞれ小さなベッドが割り当てられました。寝具もちゃんとついています。
夕食の時間になったので、ダイニングユルタへ入ります。
中には綺麗なテーブルクロスがかけられたテーブルが並び、サラダやパンがセットされていました。
今日のメインはドゥンダマというじゃがいもと牛肉、野菜のキルギス風の煮もので、これがまさに日本の肉じゃがのようでとても美味しい!
食後にいただくお茶は、煙突付の変わった機器に入れられたお湯でいただきます。
この中に炭を入れて温度を保つようなのですが、このお茶もとても美味しくて何杯もお代わりしてしまいました。
夕食後はお待ちかねの星空観賞。
標高が高く周りに人工的な明かりがないので、それは見事な星空を見ることができました。ここまで来てよかった~と思えた瞬間です。
夜は、持ってきた衣類をみんな着こみ、乾燥と防寒対策を兼ねてマスクをして眠りにつきました。
※ユルタ泊の注意点については、キルギス・カザフスタン旅行のお役立ち情報をご覧ください。
→次は、天山の絶景と伝統音楽の楽団「ダスダン」のディナーショー