主な訪問地:ビシュケク~(国境越え)~アルマティ~ソウル~成田
キルギスのビシュケクを出発し陸路でカザフスタンとの国境を越えアルマティ(アルマトイ)の観光。日本人抑留者が眠る中央墓地から、市内の大規模な中央バザール(グリーンバザール)、28人のパンフィロフ戦士公園にあるカザフ民族楽器博物館、永遠の日や兵士の銅像、世界で二番目に高い木造の教会ゼンコフ正教会を巡った。観光後、市内のレストランで夕食をとりアルマティ国際空港からソウル経由で帰国。
いよいよこのキルギスとカザフスタンの旅行も実質今日が最終日となりました。
朝起きて、ホテルのバルコニーから外を見ると天山山脈が綺麗にお目見え。
朝食を食べて8時に出発。
街中に出ると道に人や車があふれているので何があったのかと思っていたら、今日はイスラムのお祭りなのだとか。
ちょうど男性たちがモスクでお祈りを済ませ帰ってきているところでした。ちなみに女性は家で伝統的な料理を作ったりしているのでお祈りには来ないのだそう。
まずは、市内にある中央郵便局へ寄って、ポストカードを投函します。
外国に行って、現地から現地の切手を貼って日本にカードを送るというのはとてもいい思い出になるのでおすすめ。
バスに戻り、カザフスタンとの国境へ向かいます。
コルダイの国境に近づくとだんだんと車が渋滞してきました。
国境近辺は撮影禁止です。
国境では、バスの中の荷物はスーツケースも含めすべて持ち出し、出国と入国審査を受けます。
凸凹の地面をスーツケースを転がすのはなかなか大変で、この暑さの中ではけっこうつらい。
国境となっているチュー川を渡りますが、この「チュー」は、ビシュケクも含んだこのあたりの州の名前だそう。
雑然とした出入国審査を終え、カザフスタン側でバスを待ちます。
バスが来るまでの間にトイレや両替を済ませましたが、キルギスの硬貨まで両替できるのは助かりました。また、米ドルの1ドル札は両替できないので、5ドル札以上のものを持って行きましょう。
用事も済み、あとはバスが来るのを待つだけですが、待てども待てども一向に姿を現しません。
普段から車輌のチェックは厳しいようですが、今日もかなり細かく検査しているようです。
暑さでぐったりしはじめたころようやくお目見え。予定より20分ほど時間が過ぎたそうですが、想定の範囲内ということでこの後の観光にも支障はないとのことです。
国境を越えてしばらくすると荒涼とした大地が広がってきました。
キルギスでは四角い形の干し草のかたまりが、カザフスタンでは丸くなっています。
ランチの場所まで2時間ほどかかるということで、カザフスタンのガイドです。
=====ガイド=====
「カザフスタン」という呼び名はロシア語風。カザフスタンの人は「カザクスタン」と言う。「カザク」というのはトルコ語系で「放浪の民」を意味している。ちなみに「キルギス」もロシア語風で、地元の人は「クルグズ」と言っている。意味は「40の部族」。
カザフスタンの国旗は、カザフ民族の伝統的な模様、太陽、ワシが描かれている。
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今日のランチはドライブインのレストラン。
メニューは、エリさんたちがその場で選んでくれたもので、サラダ、羊と牛のハンバーグ、パン。
ドライブインだと思ってあまり期待していなかったのですが、このハンバーグがとても美味しかったです。
ランチの後、約1時間ほどでアルマティに入ります。
中心地に行く前に、途中で、日本人抑留者が眠る中央墓地へ立ち寄りました。
=====ガイド=====
カザフスタンには約58000人の日本人が抑留され、その内の1457人が亡くなったと言われている。アルマティ州には約6000人が配属され、アルマティにある3か所の日本人墓地に合わせて201人の抑留者が埋葬された。
カザフスタンにいた日本人抑留者は、旧国会議事堂(現イギリス大学)、カザフスタン科学アカデミー、旧KGBカザフスタン本部(現国家警察本部)、ワイン工場などいろいろな建物を造らされた。
カザフスタンにおける日本人抑留者の死亡率は2.5%で、ソ連全体では10%だっためとても低かった。シベリアなどに比べると気候が良かったというのもあるが、カザフスタン人が親切だったという理由も大きい。
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入口で花を買い、40度以上の気温の中、墓守さんの案内に従い20分近く奥へと入って行きます。
途中にはたくさんのお墓があるのですが、生前にその人がどのような活動をしていたのかがわかるデザインがしてあったりと、個性的なものが多くありました。
日本人抑留者の墓地は、敷地の一番奥まったところにあり雑草が生い茂っていました。
碑が立っている周辺だけでもみんなで草を抜き、花を供えて参拝。
「日本軍将兵共同墓地わ国際比政府《ホンド》《将兵を永遠に追慕する》の保護下にある 主催機関〈オベリスク〉アルマタ市中央墓地の日本人埋葬地」(原文のまま)
「第二次世界大戦後に当地で亡くなられた日本人抑留者の英霊を悼むとともに墓地改修を支援いただいたアルマトイ市並びに本墓地を守っていただいているカザフスタンの方々に感謝いたします。」
ここにこうして日本からやってきてお参りできたことは、いろいろな偶然が重なって実現したことなので、なにかとても深い縁を感じました。
中央墓地で参拝したあとは、アルマティの中心部に向かいます。ビルが立ち並ぶ街中からも天山山脈が綺麗に見えました。
初日に宿泊したホテル「OTRAR(オトラル)」にバスを停めて、サンタクロースのような風貌の現地のガイドさんと合流。ここからはそのガイドさんと共に歩いて市内の観光をします。
まずは中央バザール(別名:グリーンバザール)へ。バザール内はトラブル防止のため撮影禁止です。
最初だけガイドさんと一緒に周りましたが、とても規模が大きく食料品から雑貨までさまざまなものが売られていました。アルマティにはロシア人も多いということで、イスラム教徒は食べない豚肉も完備。さらに馬肉も多く目にしました。
私は何も買いませんでしたが、ドライフルーツを買った人が分けてくれた杏を味見したらこれがなかなかの美味。帰国前にお土産を買うならここにも立ち寄ってみるといいかもしれません。
また、市内観光は暑い中けっこう歩くので、手元の水が残り少ない場合は買えるところで買っておきましょう。
中央バザールの後は少し歩いて、カザフ民族楽器博物館へ向かいました。
博物館は、28人のパンフィロフ戦士公園の中にあり、木造のとてもおしゃれな建物。
建物内はとても綺麗で展示数も多いですが、撮影禁止なのが残念。
=====ガイド=====
この博物館の建物は1908年に建てられたが、博物館になったのは1981年。ここの楽器は基本的にカザフスタンのもので、代表的なものとしては三味線のような二弦のドンブラがある。ドンブラは伝統的な祭りや結婚式などで今でも使われている楽器。
カザフスタンで有名な歌手だった人が使っていた楽器も展示されている。楽器に使われている皮は、ラクダやヤギ、馬など様々。
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館内では60種類以上の楽器を見ることができ、真剣に見学すればけっこうな時間がかかります。
カザフの民族音楽のCDも売っていて、この時は11ドルほどでした。興味のある方にはいいお土産になると思います。
博物館のあとは、28人のパンフィロフ戦士公園の見学。
=====ガイド=====
第二次世界大戦(大祖国戦争)中の1941年11月15日から16日に、ドイツ軍がパンフィロフ将軍が所属していた第316ライフル師団の防衛線を突破した。このときに、28人で形成されていた第316ライフル師団が18台の戦車を破壊したという言い伝えがある(誇張した内容らしい)。11月17日に、「第316ライフル師団」が「第8ライフル師団」に改名。翌日の18日、その説明をしている最中に砲撃を受け将軍が亡くなった。
第316ライフル師団とは、1941年7月12日にアルマティで結成された新部隊。隊員の28人はアルマティ出身だったため、このような公園がつくられた。「パンフィロフ」という名前は、この公園以外にも天山山脈のピークの名前だったり、ビシュケクの公園だったりいろいろなところで使われている。
園内には、戦死者のための像やパンフィロフ将軍と一緒に第二次世界大戦で戦った戦士たちの像などが立てられている。
真ん中で燃えている火は「永遠の火」で戦争で亡くなった人のためのもの。そこにはカザフ人の戦死者の人数が「601011人」と書いてある。
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永遠の火を通り抜け奥に進んでいくと、目にも鮮やかなゼンコフ教会が見えてきました。
=====ガイド=====
ゼンコフというのは、これを建てたカザフスタンの有名な建築家の名前。1904年から1906年に建てた木造建築の建物で高さは56mある(世界第二位の高さ)。建てた後は教会として使われていて、1911年にあった大地震で倒壊しなかったことで有名になっている。
日本の奈良に木造のお寺があるが、その形と似ていると言われている。
中に入るときは、男性は帽子をとる。女性は大丈夫。中は基本的に撮影禁止だが、何も言われなければフラッシュなしで撮影しても大丈夫。
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建物をぐるりと回ると教会の正面に出ます。
青空に黄色の建物とてっぺんにある十字架が映えてとても綺麗。
さっそく中へ入ってみますが、これがすごい。外見も美しいですが中はもっと素敵。
カメラのシャッター音を出すのも憚られるような神聖な雰囲気に包まれているので、音が出ないコンデジに切り替えて撮影しました。
精巧なデザインにしばし目を奪われ、この旅行最後の見学を終えました。
教会の前の広場を通り、バスの停めてあるホテルへ戻ります。
最後の晩餐は、アルマティ市内の「DASTARHAN」というレストラン。
入口に、おじいさんとおばあさんの人形がいて出迎えてくれます。
店内はどこかの御屋敷のダイニングルームのようなステキなデザイン。
まずはビールを頼んで、これまで一緒に旅してきたメンバーたちと乾杯!
今夜のメニューは、スープ、サラダ2種、鶏肉炒め、パン、クレープです。
内装も豪華ですが、料理も美味しく盛り付けも綺麗。最後のレストランにふさわしいお店です。
食事の最後には、メンバーのひとりが誕生日だったのでバースデーケーキが出てきました。これも甘さ控えめで美味しかったです。
食事の後はいよいよ空港へ。
ここでガイドのエリさんとお別れですが、実はエリさんは9月に東京ビッグサイトで開催される「ツーリズムEXPOジャパン2015」に出展するため来日するということで、一時的なお別れということになります。
→エキスポの模様はこちら
アシアナ航空のチェックインと出国審査を済ませ待合室へ行くとすでに人でいっぱい。
こじんまりとしていますが、カフェや免税店もあったので、ちょっと覗いて見ることにしました。すると、カザフスタンのお札のデザインがされたチョコレートがあり、空港にしては価格もお手頃だったので会社用に購入。
今回のルートはソウルで乗り換えなのですが、その時スーツケースは受け取らずそのまま日本への飛行機に移されます。そのため、この空港の免税店などで100mlを越える液体物を買った場合は手荷物として持つことになるので、そのまま日本へ持って行こうとしてもソウルの手荷物検査で没収されてしまいます。
ペットボトルなどの飲み物だったらそれまでに飲んでしまえばいいですが、それ以外の液体物のお土産はチェックイン後は買わないようにしましょう。
搭乗のアナウンスがあり、飛行機に乗り込みます。
23時07分、ほぼ定刻に離陸。ソウルまでは5時間40分ほどのフライトですが、その間に軽食と朝食があります。
韓国の仁川空港で関西、福岡組とお別れ。
成田へは9時のフライトに乗り帰国します。2時間ほどと短い搭乗時間ですが1回の食事が提供。
のんびりする間もなく、あっというまに成田に到着しました。
今回は、ここ数年で訪れた海外の中で一番楽しめた国でした。
キルギスとカザフスタンというとあまりなじみもなく情報も少ない国ですが、それだけに、実際に行って見られる景色や伝統には新鮮な感動があります。
興味のある方は、ぜひ検討してみてはいかがでしょう。