ANAの直行便で訪れたミャンマーの旅行記。金色に輝くゴールデンロックやシュエダゴン・パゴダ、小さな仏塔が林のように立ち並ぶカックー遺跡、夕日に染まるバガンの仏塔郡や水上村があるインレー湖、色とりどりの野菜や果物が売られるバザールなど、青空が広がる絶好の天候に恵まれのどかなミャンマーの風景を堪能した。
主な訪問地:ヤンゴン~ゴールデンロック(チャイティーヨ)~バガン~カックー~インレー湖
旅行時期:2017年2月/利用航空会社:ANA/[外務省]ミャンマー基本情報
ミャンマー旅行 評価:4.0 -kaycom
2017年2月。今日から7日間のミャンマー旅行へ出発。
往復全日空の直行便とミャンマーの国内線を3回利用するため、この短い日数でも、ゴールデンロックやバガンなどの定番の見所をはじめ、インレー湖とカックー遺跡まで訪れることができます。
成田空港11時発ヤンゴン行きの便に搭乗。ヤンゴンまでの所要時間は約8時間です。
たっぷり時間があるので、機内では映画三昧。今回観たのは、トム・ハンクス主演の「インフェルノ」と、ベン・アフレック主演の「ザ・コンサルタント」。
どっちも面白かったのですが、「ザ・コンサルタント」のベン・アフレックがとってもステキ。マッチョ好きの女子にはおすすめです。
到着時刻が近づくと、窓の外には緑の畑が広がってきました。アナウンスでは、ヤンゴンの気温は30度を超えているということで、真冬の日本から来た私たちにとってはかなり暑そうです。
現地時間の16時、定刻でヤンゴン国際空港に到着(ミャンマーと日本の時差は2時間30分)。
入国審査で、パスポートとビザ(あらかじめ日本で取得)、出入国カード(下の写真の青いカード)を提示し、荷物をピックアップ後、出口手前で税関申告書(下の写真のピンクのカード)を渡します。
※ビザの取得には顔写真も必要なのですが、サイズや背景の色など規定が厳しいので注意。
到着ロビーに出たところで、今回のツアーガイドのワナさんと合流。小柄で人のよさそうな男性です。
17名の参加者全員が揃ったところで空港の外へ。気温が30度以上と聞いていましたが、湿気もなく思ったほど暑くない。むしろ、あったかくて心地よいくらいです。
待機していたバスへ乗り込み、ミャンマーの観光開始です。
まずはガイドのワナさんから、これからミャンマー旅行をするにあたっての説明。
=====ガイド======
今日のこれからの予定は、最初にシュエダゴン・パゴダに行って、その後夕食を食べてからホテルへ行く。
パゴダまでは40~50分かかるので、その間にミャンマーについての説明。
みなさんが先ほど降り立ったヤンゴン国際空港は、東南アジアで最初に開かれた空港で、欧米諸国からの東南アジアの入口となっていた。しかし、1962年ネ・ウィン将軍の時代から治安が悪くなり外国人が訪れなくなってきた。
この空港はヤンゴン市内から北に約20キロのところに位置しているが、最近はヤンゴンでは渋滞がすごくて、市内まで1時間かかることもある。
今走っているのは100年以上まえからある高速道路で、「ヤンゴン通り」と呼ぶ人もいる。高速道路だが、人が横断していたり、自転車が走っていたり、日本の高速道路ではありえないようなことがおきる。通行は日本と反対。ミャンマーでは車優先なので、横断する場合は気を付けること。ミャンマーで走っている車は、多くが日本からの中古車でトヨタが多い。
ヤンゴンではオートバイの走行は禁止されている。アジアでオートバイが禁止されているのはヤンゴンだけ。理由は、燃料の節約など。
水は飲めないので、ミネラルウォーターを飲むように。1本30円とか50円くらい。お酒でおすすめなのが、ミャンマービールやミャンマーワイン。
屋台で料理された食べ物は、ミャンマー人でもお腹を壊すことがあるので食べない方がいい。果物や野菜は問題ない。
ミャンマーの電圧は220ボルト。
ミャンマーは電力不足の国なので、たまに停電することがある。主な発電は水力発電のため、乾季の今は特に不足がちになる。
もし、ホテルのエレベーターに乗っているときに停電で止まったら、高級ホテルには自家発電があるのでそのまま待っていること。
夜外出するときは、街燈もあまりなく暗くなるので懐中電灯を持って行く。道が悪くて穴もあいているから、地元の人でも落っこちることがある。もしトラブルにあったら「199」に電話するとおまわりさんが来てくれる。
移動にタクシーを利用する際は、メーターはまだ普及してないので乗る前に交渉して値段を決める。
ミャンマーの通貨は「チャット(Kyat)」。紙幣のみで硬貨はない。1~10000チャットまで15種類ほどあるが、一番使いやすいのが、500、1000、5000、10000チャット。コーヒー一杯がだいたい500チャット。チャットを日本円に換算すると「0」をひとつなくしたくらいの金額。500チャットなら50円。今日のレートは11円なので、5000円が55000チャットになる。
そろそろ左側にヤンゴンで有名なインヤー湖が見えてくる。土手が高いので道路からだとちょっとしか見えない。この湖の対岸に、今夜泊まる「セドナホテル」がある。この湖は、デートスポットでも有名。
昔はこの近くにアジアでも優秀なヤンゴン大学があった。アウンサン・スーチーさんのお父さんなどもこの大学を出たが、1962年のクーデターの後、学生寮などがダイナマイトで爆破され、複数の学生が亡くなった。それ以降、ヤンゴン大学は閉鎖された。当時の政権は、教育レベルが上がるほど独裁政権にとってはマイナスだと考え、教育の場をなくしていった。また同時にビジネスも衰退し、今ではミャンマーはアジアで下から二番目に貧乏な国になってしまった。
ヤンゴンには、ミャンマーの人口6000万人の約1割ほどの人が暮らしている。
これから観光するシュエダゴン・パゴダは、ヤンゴンで唯一の山(標高90mくらい)の上にあり、どこからも見ることができる。パゴダの中は裸足で入らないといけないので、足の裏が汚れる。気になる人は足を拭くものを持って行くといい。パゴダのトイレに足を洗う場所もある。
ミャンマーでは18時ごろには暗くなる。パゴダを観光するころには、夕暮れからライトアップの風景を見ることができる。
シュエダゴン・パゴダの「パゴダ」は英語で、ミャンマー語では「パヤー」という。日本語ではお寺。
「パゴダ」は2種類に区別できる。仏塔の種類と寺院の種類。仏塔はレンガを積み上げて造られたもので、中に空洞がないので人は入れない。外をまわって見るだけ。寺院の方は、中に入ってそこにいる仏様に会いに行くような感じ。
シュエダゴン・パゴダというのは、「シュエ」は「金(ゴールド)」、「ダゴン」は町の名前で、「ダゴンの町にある金色のパゴダ」という意味。
ヤンゴンは昔は「ダゴン」という名前だった。よく、「ラングーン」ではないのかと聞かれるが、それはイギリス時代だけの呼び名。ラングーンには何も意味はなく、当時のイギリス人が聞き間違えただけ。ミャンマーでは、今ではラングーンとは誰も言わないし言うと笑われる。
昔このエリアにゴン族という少数民族が多く住んでいて、ダゴンは少数民族の言葉。「ダ」は「三つ」、「ゴン」は「川」という意味で、「ダゴン」は「三つの川に取り囲まれた国」。今でも3つの川が流れ、海までも15キロほどと近い。
パゴダに入るときは、短パンやミニスカートの場合は、腰巻を巻いたりしなければならないので時間がかかるから、なるべく露出の少ない服装で行ったほうがいい。
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車窓からもパゴダが見えてきましたが、本当に眩しいくらいにキラキラと金色に輝いていました。
パゴダの入口の駐車場にバスを停めて境内へ向かいます。
入口を入ってすぐに靴と靴下を脱ぎカゴに入れます。そのあとセキュリティーチェックを受け奥まで行くと、トイレとお土産屋さんがあり、受付の脇のエレベーターに乗って上階へ行くことができます。
エレベーターを降りた場所から渡り廊下を渡ると、すぐ右側に大きな菩提樹の木がありました。
=====ガイド======
この菩提樹は、インドのブッダガヤにある菩提樹の種から育ったもので、約60年前に植えた。この根は40mあるこの丘の下まで届いている。菩提樹は小乗仏教では偉い木なので、ミャンマーの人たちは仏様のかわりとして拝んでいる。お寺のデザインも菩提樹の葉っぱをモチーフにして建てられた。
菩提樹の向かいにある絵は、仏教の勝利を表現した絵で、悪い神さまのマラを仏様が菩提樹の下で退けている。
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その後、ミャンマー一大きなパゴダへ向かいます。
=====ガイド======
このパゴダには、朝から晩まで約10万人以上訪れる。朝は4時半から夜は22時半まで。それ以外は閉められるが、それは、この境内には貴重なものがたくさんあるため。
仏塔は時計回りに回る。
仏塔にある柱ひとつひとつにお供え物を供えるが、それはヒンズー教の影響。ミャンマーはインドと中国の間にあるが、インドにより近いため、仏教はインドから伝わり、同時にヒンズー教の考え方も伝わってきた。ヒンズー教では、左と右で差別がある。左手は汚いものをさわる手のため、右手でパゴダを触れるように時計回りで周る。また、ミャンマーにはミャンマーの仏教の考え方もある。小乗仏教では、この世に仏様が4人いるとされ、一番目の仏が日が昇る東に位置し、次が南になっている。それを順番に拝むとなると時計回りになる。
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私たちも時計回りで歩いて行きます。
たくさんの仏像が安置され、仏塔の周りには参拝客でいっぱい。
=====ガイド=====
パゴダの形の説明。一番下の金箔が張っていない部分は供物台となり、その上の小さな仏塔は仏様である大きな仏塔の弟子たちを表している。下半分は階段のようになっていて、空からみると八角形になっている。上の方は釣鐘の形になっていて菩提樹の葉のデザインがあり、球が並んでいるところは数珠を表現。一番上には76カラットのダイヤがある。
金は5トンくらいあり、もともとは金箔をはっていた。しかし、雨が降ると流れ盗まれることもあったため、金のプレートを接着剤ではった。
この形は、上に行くのは難しく、行ける人の数も少なくなるという人生を表している。広い階段状になっている下の部分は誰でもラクに上れるが、上になればなるほど上るのは難しい。だから、上の部分は細く斜度も急になっている。
このパゴダは歴史的にも重要なところ。イギリスとミャンマーとで今まで戦争が3回あり、2回目のときにここをイギリス軍が駐屯地として使った。理由は、この場所をミャンマーの人が大事にしていることを知っていて、ここを要塞とすれば攻撃できないと考えたため。そのため、その戦いではミャンマーは敗退し、パゴダにあった宝石や鐘などが盗られてしまった。しかしその鐘は、運ぶ途中で川に落ちてしまった。これから、その鐘のところへ行く。
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=====ガイド======
この「偉大なる鐘」は、イギリス人が川に落とした後川床の泥に半分くらい埋まってしまって取り上げられなかったが、ミャンマー人がミャンマーのやり方で引き揚げた。まず筏を作り満潮時に水力を利用して浮かび上がらせた。その様子が絵で描かれている。
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この鐘のお堂の前はお祈りの場となっていて、雨が降ってもみんなここで祈りをささげるそうです。また写真スポットとしても有名。
お祈りの広場の脇にある展示室へ入ります。
ここには主に、シュエダゴン・パゴダに関する資料写真などが展示されていました。
外に出るとだいぶ日も傾き、西の空の赤味がだんだんと増してきています。
ワナさんによると、この夕暮れ時から、ライトアップされる夜間にかけてが一番混む時間帯だとか。
確かに、夕焼けと夜の間のグラデーションの空をバックに、金色のパゴダがライトに照らされ浮かび上がる姿はこの上なく美しい。
そこから脇道に入って別の通りへ出ると、通りの先にパゴダが聳える光景が見られます。ここからの風景も写真スポットのひとつとなっていて、通りの中に立つ背の高いヤシの木とパゴダのコラボが面白い。
ここで写真を撮った後、ワナさんがパゴダの中にある鐘の鳴らし方を教えてくれました。
=====ガイド=====
この鐘は自分がパゴダに来たことを報せるためと、お祈りのために打つ。お祈りのときは、鐘は3回鳴らす。棒は斜めに持ち、一回目は亡くなった祖先がいる極楽浄土に向けて鐘の上部を、二回目は世界で戦争がなくなるように中央を、三回目は死んだあと地獄に落ちた人のために下部を打つ。
ちなみに、このパゴダにある鐘の中で一番いい音がするのが、菩提樹のそばにある鐘。
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続いて、さっきの「偉大なる鐘」より大きな「マハーティッサダの釣鐘」があるお堂へ。この鐘には、音楽や音を司るエッサールーパ(5つの体を合わせもつ体)が配されていてます。ガルーダとは違うもので、ミャンマーにしかいないそう。
お堂から出て出口へ向かいます。さっきよりもより一層暗くなり、パゴダの金色が夕闇に映えて神々しい。
最後に、さきほどワナさんが教えてくれた一番いい音がする鐘を打ってパゴダを後にしました。
今回の旅行では、シュエダゴン・パゴダの観光はほんの1時間ほどでしたが、ここはもっと時間をとってじっくり見る価値のある場所だと思います。私もできればもう少し明るい時間帯から訪れて、夜の8時とか9時くらいまでいたかった。
シュエダゴン・パゴダで興奮したあとは、ミャンマーで最初の夕食に向かいます。
ミャンマーを訪れたことのある友人たちからは、ミャンマーとかラオスの料理は美味しいと聞いていたので楽しみ。
夕食のお店は「ROYAL THAZIN」という観光客向けのレストラン。
=====ガイド======
ミャンマー料理はインド料理のようにカレーが入っているが、インドほど多くないし辛くもない。脂っぽいものが多く、肉の脂身もよく使うが、観光客向けには少なくしている。
タイ料理のように甘くはなく、しょっぱい、すっぱい、辛いが基本。タイのナンプラーのような調味料があり、御飯にかけて他にきゅうりとかネギとかを入れて食べる。でも、匂いがきついのでレストランではでない。そのかわり、バーレーチョップというエビのふりかけのようなものが出る。
今日のメニューは、豆サラダ、おつまみに落花生、ひょうたんと春雨のスープ、牛肉のカレー、チキンとじゃがいものカレー、白菜と豆腐の炒め物、デザートはタクチョ。タクチョは小麦粉を丸めたものとさつまいもを黒砂糖のシロップに入れたもの。
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デザートはちょっと甘すぎて苦手でしたが、それ以外は本当に美味しい!どれもしっかり目に味付けがされご飯に合う味。特に、ピリ辛のエビのふりかけが感動もので、これは日本でもぜひ食べたい一品でした。
日本に帰国して調べたところ、ミャンマー料理のレストランで出しているところも多いそうなので、今度行ってみよう。
夕食を終えて今日と明日宿泊する5つ星ホテル「セドナ ホテル ヤンゴン(Sedona Hotel Yangon)」へ向かいます。
ホテルまでは15分から20分ということですが、その間にも、ワナさんが熱心にガイドをしてくれました。
=====ガイド=====
ミャンマーの人は、時間があればあるほどパゴダに行きたいと思う。行けば行くほど死んだあと極楽浄土に行けると思っているから。行く時間は年齢によって違う。年寄りは静かな早朝に行き、10時前後は若者が多い。若者たちはデートも兼ねてくる人もいて、その後映画とかに遊びに行く。11~15時くらいは家族が訪れる。何家族か一緒に来てお弁当をシェアして食べることもある。食事をするのは暑い昼間で、その後どこかに行き、夕方くらいにまたパゴダに戻ってくる。また、遠くからきた人たちも夕方にくることが多いので夕方が一番混んでいる。
ミャンマーの仏教徒は、隣のタイと比べて人数が少ない。タイは人口の9割以上が仏教徒だが、ミャンマーは8.5割くらい。タイもミャンマーも小乗仏教で日本の大乗仏教とは少し違う。イスラム教徒は4%、キリスト教は3%くらいいる。また山に住んでいる人たちは「ナツ」という神様を信仰している。
日常生活でも仏教が深く浸透している。例えば、「ミカラパ」という言葉は挨拶として使われるがサンスクリット語からきている。これは、「人生を幸せなものにするためにお釈迦様の教えを身につけましょう」という意味。また「ありがとう」は「チーズーベ」。
ミャンマーは、バングラデシュ、インド、中国、タイ、ラオスに接している。中国とインドをお互い行き来するにはミャンマーを通らないといけないから、位置的に重要な場所にある。ミャンマーの国土は日本の1.8倍で、東南アジアではインドネシアに続いて2番目に広い。
ミャンマーの季節は、6月~10月の雨季、11月~2月の冬、3月~5月の夏で、真夏の4月は気温が45度くらいまで上がりミャンマー人でもきつい。
もうすぐアウンサンスーチーさんの家が左側に見えてくる。20年以上軟禁された場所。以前はこの道は人も車も入れなかった。スーチーさんは時々この家に戻ってくる。
前の政権の人たちが残した問題が多くあるため、ミャンマーの政治は棘の道。特に大きな問題は戦争。政党が与党になってからこれまでと変わったかと聞かれるが、それほど大きくは変わっていない。でもミャンマーの人たちは喜んでいる。なぜなら、平和を目指してがんばっているから。
この国は多民族国家で少数民族が約35あり、未だに民族同士の戦争がある。お父さんの時代に「テンロン」という平和の契約をしたがなかなか難しい。もともと違う目的で内戦をしていたが、今はその目的が変わり、戦争を止めたくないからという理由で内戦をしている。
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ヤンゴンだけの印象だと、いまだに内戦をやっている国だとはとても思えない。これから地方にも行きますが、だんだんとそういった面も見えてくるのかもしれません。
さて、そろそろホテルに到着。今夜泊まるホテルの隣にはデパートがあり、22時までやっているので買い物するならおすすめとのこと。
ホテルの入り口でセキュリティチェックを受けロビーへ入ります。ミャンマーらしさを出しつつも近代的な造りでとてもおしゃれ。
チェックインをしてワクワクしながら部屋へ行くと、これまたステキな内装でテンションがあがります。もう暗いので窓からの景色はよく見えませんでしたが、眼下には青くライトアップされたホテルのプールが広がっていました。
バスルームも広くアメニティもバッチリ。さらに、後で知ったのですが、ミニバーのドリンクはフリーで飲めるそうです。
お風呂に入って広いベッドに入るとすぐに眠気が襲ってきて朝まで爆睡。やっぱりいいホテルに泊まると疲れがとれます。
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