主な訪問地:ヤンゴン~ゴールデンロック(チャイティーヨ・パゴダ)~ヤンゴン
ヤンゴンからゴールデンロック(チャイティーヨ・パゴダ)の麓キンプンまで移動し、そこから専用のトラックで山頂まで。たくさんのお店が並ぶ見晴らしの良い参道を歩き、ようやく黄金に輝くゴールデンロックに到着。崖っぷちに微妙なバランスで立つその巨石は、やはり一見の価値あり。
早朝6時、ホテルのレストランで朝食です。
広いレストラン内には、朝早いにもかかわらずたくさんの種類の料理が用意されていました。どれもちゃんとしていてさすがレベルが高い。中には麺料理もあって、頼むとあつあつのを作ってくれます。
朝食後、部屋に戻ってだいぶ明るくなってきた外を見てみるとこんな景色が見えました。
昨日着いたときはもう夜だったのでどんな感じかわかりませんでしたが、インヤー湖がすぐ近くにあり出歩くには好ロケーションです。時間があれば周辺を散歩したいところですが、今回はスケジュールがびっしりなのでちょっと無理そう。
7時、ホテル出発。
バスに乗って、ワナさんから今日の予定の説明です。
=====ガイド======
これから山にあるチャイティーヨ・パゴダまでいく。ここから休憩をはさんで約4時間くらい。ヤンゴンから東へ180キロほど移動。
山の麓から山頂まではトラックに乗って40~50分くらいかかる。山の標高は約1250m。今日乗るトラックにはもともと屋根がなかったが、今年からついている。すごいスピードで走るのでジェットコースターのよう。今、ケーブルカーを設置している途中で、来年から乗れるようになると思う。
山頂に着いたらトラックを下りて、お寺まで20~30分歩いて行く。道はなだらかで、途中で入場料を払うところがある。そこから5分くらい行くと階段になり、そこで裸足になって先へ進む。階段を上がって10~15分くらいでゴールデンロックに着く。
30~40分くらい見た後、同じ道を通って戻るが、その途中にあるレストランでミャンマー風の中華料理の昼食。ランチの後、トラックで山の麓に下りて、ヤンゴンへは19時くらいになる。ヤンゴンでイタリアンの夕食を食べてホテルまで。
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というわけで、今日の観光は「ゴールデンロック」だけであとはひたすら移動のようです。
移動が長いので、ワナさんのガイドも盛りだくさん。
=====ガイド======
今はまだ都会だが、ヤンゴン空港を過ぎると田舎の景色になってくる。
この辺りはヤンゴンの入口となる8マイル交差点。ヤンゴンの市内から8マイルの距離にある。バスを待っている人がたくさんいる。日本のような地下鉄もないので、主な公共の交通手段はバスになっている。ミャンマーでは、メートルではなくマイルを使う。
今日は3つの地域を通る。ヤンゴン地方域、パゴー地方域、モン州。ミャンマーには7つの州と地方域があり、ミャンマー連合共和国がつくられている。民族によって地域が分かれている。今は135の民族がいるが、その中でも主なものは80。一番多いのはビルマ民族で、ビルマ族が多く住んでいる場所が地方域になっている。それ以外は民族の名前の州になっている。
ミャンマーで写真を撮ってはいけいないもの。兵隊や警察、大使館、川を渡るための橋。でも橋はそんなに厳しくないので、警察がいないときならOK。あとは妊娠している女性を撮るのはタブー。
ヤンゴンではバイクは禁止だけど、郊外に出ると違反している人も多い。バイク自体も免許があるのは高く、ないのは安い。ナンバープレートがついていないのは免許をとっていない。
バイクが禁止なのは、ガソリンを節約したいため。ヤンゴンにはミャンマーの人口の約1割が住んでいて、その人たちの所得を考えると一人一台バイクが買える。そうなるとガソリンの消費量が多くなる。でも車ならガソリンは半分ですむ。あとの半分はミャンマーでとれる天然ガスを利用している。地方では、そんなに稼いでいる人はいないため一人一台は持てないから禁止してない。ミャンマーでの平均給料は1万5千円くらい。
もうひとつの理由に、かつての将軍のプライベートな問題があった。ある日車でヤンゴンにきたとき、バイクに乗った知り合いが挨拶をしようと思ってその車に近づき将軍を驚かせた。このときは大丈夫だったが、これがもし悪い人だったら危ないと思いバイクを禁止したとも言われている。
今ではヤンゴンの車の数は50万台くらいで、ミャンマー全体の8割くらい。ナンバープレートには5種類あり、よくあるのが赤と黒。赤は営業車でトラックとかバス、タクシーで一番多い。次の黒は自家用車。三番目は青で、観光用の車。四番目は白で大使館や国連関係の公用車。
左側に学校がある。今は進級の試験を受ける時期。それが終わると夏休みになる。教育熱心なので、試験のときは親が外でずっと待っている。ミャンマーの学校は6月から始まり、2~3月に試験がある。夏休みは試験のあとから5月までと長い。全部で11年間で、小学校が5年間、中学校が4年間、高校が2年間。
制服はみんな一緒で、下が緑で上が白。白の意味は、子どもだから心が何にも染まっていないということを表している。緑は、未熟という意味。小学生までは、スカートやズボンでもOK。でもそれ以上になると、民族衣装の腰巻ロンジーを着なければならない。
ヤンゴンは今では首都ではないが、大使館が今でも多く残っている。今の首都はここから200キロ以上遠いネーピードーに移ってしまったが、軍事政権時代に首都を勝手に移したため多くの大使館は移動しなかった。
しかしその中で、北朝鮮はネーピードーに移った。なぜなら、アメリカの経済制裁がありミャンマーと交流があったのが、ロシア、中国、北朝鮮のアメリカと仲が悪い国だけで、その時、武器を調達するため軍と関係あるのが北朝鮮だった。
首都を遷移した一番の目的は、ミャンマー軍が原子力爆弾のプレゼントがほしくて、その計画がバレないようにするためだったが、その計画は途中でばれてしまった。なぜそれがばれたのかというと、2007年にミャンマーのお坊さんたち約20万人が、ヤンゴンの道で裸足で歩いて軍事政権に抗議した。そのときに、軍がお坊さんを殺せと命令を出したが、下のレベルの仏教熱心な兵隊がそれを聞かずに逃げた。その逃げた兵隊の中に、爆弾の計画に関わっていた人たちがいて、その計画の情報をタイ経由でアメリカに知らせた。それで、軍がこっそり作っていた原子爆弾の事実がばれた。
それで、この国の上の方の人たちも、この国が変わらないといけないということに気付いた。また、ちょうどその時代には、世界中の独裁国家が潰されたりしていたので、もうすぐ自分たちの番になるかもしれないという危機感も手伝って変わって行くことになった。でもまだまだ軍の力が働いていて、純粋の民主主義にはなっていない。それに向けて努力しているところ。
スーチーさんが大統領になれないように、軍が制定した憲法がある。外国人と結婚した人、外国人の親せきがいる人はなれない。今は、現場で一番勢力を持っている人になっているが、軍関係者が4分の1くらい入っているので、軍の都合の悪い法律の制定などには反対される。戦争をやめれば平和になることはわかっているけど、やめると軍が儲からないから色々な理由をつけてやめない。ミャンマーは独立後から内戦が始まって、その長さは世界一。
ミャンマーは資源が豊かな国で、北部では翡翠が採れる。翡翠は世界中の95%がミャンマー産。その多くが中国に行っているが、中国はそれを中国産として売っている。東の方では、映画『ビルマの竪琴』にも出ているルビーやサファイヤが採れる。また、チック材という木材も多く生産している。
ミャンマーのメインの産業は農業で、主にお米。また海では、天然ガスや真珠、川では砂金もとれる。ミャンマーでは車は生産していないため、輸入するだけなので世界一高い。
ミャンマーの国は南北に細長く67万平方キロ。ミャンマーは川が多い国でメインのエーヤワディー川は北から南に流れていて2300キロある。山脈が三つあり東の方は中国側、西はインドとバングラディシュ側で、他の国との城塞のようになっている。北の方はヒマラヤ山脈の一部で、5800mの東南アジアで一番高いカカボラジ山ある。その山には一年中雪があるが、雪のある山は東南アジアでここだけ。その山の麓から、ミャンマー最大のエーヤワディー川が流れている。他の川はラオスやタイなどの他国をまたいでくるが、エーヤワディー川はミャンマーの中だけ。
今日行く山のパゴダは東の山の方にある。その山を越えるとタイに入る。ちなみに、日本軍がミャンマーに入ってきたのが、タイを経由して入ってきた。
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戦争のイメージがつきまとうミャンマーですが、車窓に広がる朝の光景はどこまでも穏やか。
だんだんと水辺の風景が増えて、ヤンゴンに比べて田舎になってきました。
=====ガイド======
さきほどの川で州が変わる。ここからパゴー地方域。バゴ―はまだあまり発展していない地域だが、初めてのミャンマーの統一王朝が開かれた場所。
昔のミャンマー地図。緑色のところがミャンマーだった。今の地図の倍ぐらいの領土で、タイのチェンマイなどもミャンマーの一部だった。
タイとミャンマーは交流があって、文化も習慣も同じ。前のタイの王がミャンマーとの戦争に負けて、この町に捕虜としてきた。その後この町で亡くなった。今、ミャンマーを訪れる観光客で一番多いのがタイ人で、彼らは、自分の国の王を捕虜として連れて行ったビルマという国はどういう町なのか見に来る。
タイの王には息子がいて、ミャンマーの王の息子と同い年だった。ミャンマーの王は、タイの王子を自分の息子と同じように大切にし、ミャンマーの格闘技の「ラウェイ」などを教えたりした。
「ラウェイ」の「ラ」は拳、「ウェイ」は殴るを意味していてこのバゴ―でうまれた。タイで有名なムエタイはこのラウェイからきている。ムエタイと違うところは、ラウェイは頭突きも使うこと。これはとても危険で、ミャンマーで練習をしているとき誤って相手を頭突きで殺してしまったことから、ラウェイをタイに伝えた時に頭突きは教えなかった。
バゴ―は、「ペークー」ともいい「ペー」はアヒル、「ク―」は泳ぐで「鳥の町」という意味。水辺が多くアヒルがたくさんいた。
お釈迦様時代に、お釈迦様もこの町に来た。この地域は水ばかりで島もあったがあまり大きくはない。お釈迦様が来たとき、島の中でも大き目の島でお釈迦様とお釈迦様に会いに来た二人の兄弟が話していた。その時、まわりの水でアヒルが泳いでいたが、そのアヒルが泳ぎ疲れて隣の小さな島に上陸して休んだ。最初に雄鶏があがったが、それ以上余分なスペースがなく、ペアだった雌鶏は雄鶏の背中に乗った。それを見た二人の兄弟が、あれはどういう意味かとお釈迦様に聞いたら、将来あの鳥がとまったところの土地が大きくなり町ができると預言した。それがバゴ―。この町のシンボルはこの鳥の形で町の入口にモニュメントもある。
この町にはビルマ族と共にモン民族も多く住んでいる。モン族の言葉では、バゴ―は「美しい町」という意味になる。綺麗な女性も多い町で、女性が強い。鳥も雌鶏が上になっている。なので、結婚するのはこの町の女性はやめた方がいいと言われる。
町中には高層ビルがあまりなくて田舎という感じ。大きくはないので、オートバイがあればどこでもいける。しかし、あと4~5年後にはヤンゴンのような町になっている可能性がある。理由は、ヤンゴンにある空港より倍ぐらい大きな空港の建設のプロジェクトがあるから。そのため、土地の値段も上がってきた。
今からバゴ―川を渡る。昔は港もあり倍くらい広かった。橋を渡ると市内に入ってくる。
バゴ―町の有名なお土産は「ナチェ」で、「ナ」は魚、「シェ」は酸っぱいという意味で、日本の鮒寿司のようなもの。ローカルの参拝者向けのもので、外国人が食べるとお腹を壊す。
時計台の下に町のシンボルの鳥のモニュメントがある。
この町には、世界最大のパゴダがある。高さが114mのシュエモードー・パゴダ。「シュエ」は金箔、「モード―」はモン族の言葉で、隠れたり現れたりという意味。昔はこの辺は水ばかりで、一番最初に現れた陸地はそのお寺の場所。水位が上がれば隠れて、下がれば現れた。
もうひとつの名物は涅槃像。日本の映画『ビルマの竪琴』に出てくる涅槃像がこの町にあると言われている。映画の中では、仏像の中に入ったりしているが、本当はできない。映画の撮影は、ミャンマーが鎖国していたためタイで行われた。
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ヤンゴンのホテルを出発して約2時間半、最初の休憩ポイントに到着。
広い敷地内には、ガソリンスタンドやコンビニ、食堂がありました。
コンビニではセールも実施中。
ここで、ホテルで乗るときはよく見れなかった私たちのバスの全体像が見れたのですが、日本をイメージさせるデザインでド派手。これなら間違わないですみそうです。
再びバスに乗り出発。途中、鉄道なども見えました。
=====ガイド======
あと20分後くらいに州境の川を渡る。
ミャンマーという国名はビルマとも呼ばれていたが、それはイギリス時代だけ。なぜビルマだったかというと、ビルマ族が一番多かったから。ミャンマーというのはその前からも呼ばれていた。独立してからまたミャンマーに戻ったが、それはビルマ族以外の少数民族から抗議があったためミャンマー連邦共和国になった。
田舎の方がその国の文化が良く残っている。ミャンマーも同じ。
ミャンマーの田舎の男性がプロポーズをする方法。男性が畑を耕し夕方に戻ってくるころ、家で仕事をしていた女性たちが飲み水をくみに外へ出る。その時女性たちは、ちゃんとおしゃれをして出かける。男性が畑仕事のあとで水汲み場に来た女性と会い、男性が女性の水を持ってあげたりしてお互いに仲良くなっていく。そして気に入れば男性がプロポーズする。
もうすぐシッタウン川。川の向こうはモン州になる。今渡る橋は新しいもので、前のはイギリスの連合軍に爆破されて壊れた。そのとき残った柱が右側に見える。
モン州に入ると土の色が赤くなってくる。赤土によく生える果物はドリアン。ドリアンを食べると熱があがるので、それをおさえるためにドリアンを食べた後にはマンゴスチンを食べる。そういうことからこのふたつは果物の夫婦と言われている。ミャンマーでの果物の王はマンゴー。カシューナッツも有名。ゴムはこの地域のメインの産業になっている。
モン民族の家は、水が多い地域のため高床式が多い。農業と漁業がメイン。
モン民族の家族で女の子が生まれたら、結婚相手ができるように赤ちゃんの時から部屋が与えられる。その部屋の床には手が入るくらいの穴が開いていて、蓋で開け閉めできる。その女の子に言い寄りたい男の子は、誰もいない夜中に女の子の部屋の下に行って床をたたいて名乗る。それで女の子が気に入れば、蓋をあけて一晩中話をする。
モン族の女性はとても恥ずかしがり屋のため、他の人がいるところで言い寄っても逃げてしまうから、このような方法がとられている。
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なんてかわいいんだろう!
1時間半ほど走って再び休憩。
さきほどの休憩場所と異なり、観光バスがたくさん停まっていて完全に観光客向けの場所のようです。
お昼の時間に近いことから、大きな食堂ではランチを食べている人たちが大勢いました。
今回私たちは、ゴールデンロックを参拝してからお昼ご飯だったのですが、けっこう遅くなったので、ここで軽く食べて行っても良かったかもしれない。
お土産屋さんでは、色々なお菓子などが販売。パッと見、甘そうなのが多い感じです。
この辺りはカシューナッツが名物だそうなので、ひとつ買って食べてみました。まあ、普通かな。
バスに戻り、のどかな田舎の風景を見ながらゴールデンロックを目指します。
=====ガイド======
だんだん左側に山が見えてきたがそこに登る。
これからお寺が何箇所が見えてくるが、それはミニチュアで本物はもっと遠い。
山の麓から乗るトラックは50人くらい乗れて、ひとつの列に5人くらい座れる。ドライバーの横には2人だけ。
チャイ(お寺)ティーヨ(修行した頭)で、修行した人の頭の形の岩があるパゴダという意味。仏陀が山に来たときに、山に住んでいる修行者がお参り来た。いろいろな説教をしたあと、お釈迦様は修行者たちに髪の毛を与えた。修行者たちはパゴダを作ってもらって髪の毛を納めた。しかしそのうちのひとりが、ものすごくお釈迦様を尊敬していて、お釈迦様の髪の毛をパゴダに入れることはせず、小さな針を作ってその中に納め自分の髪の中にしまった。
やがてその人の死期が迫った時、このまま彼が亡くなったら彼の頭にあるお釈迦様の髪が無駄になってしまうということで、いろいろな人がパゴダを建てなさいと言ったがダメだった。そこでこの山の神様が彼の元に下りてきて、パゴダを作りなさいと言った。すると彼は、毛髪は私の頭にあるものだから、私の頭の形に似た岩があればその岩にパゴダをつくると言った。そこで帝釈天様が探してその岩を見つけた。それが今のゴールデンロック。
その岩はもともとは山の上のものではなく、神様が不思議な力を使って今の場所に乗せた。あまりにも山と岩の間が接触していないので、押すとぐらぐら揺れる。本来なら落ちてもおかしくないが、2600年前から今まで一度も落ちていない。地震などもあるが落ちないということは、お釈迦様の髪の毛の力だとみんな信じている。
学者の人たちは、あれはもともとひとつの岩であとになって隙間ができたと言う人もいる。岩の重さは約80t。
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12時、チャイティーヨ・パゴダの麓にあるキンプンに到着。
ここから専用のトラックに乗り換えてパゴダのある山頂へ向かいます。
大きな倉庫のような乗り場へ行くと、車高の高いトラックが停まっていました。そのままだと乗れないので、台の上に上ってから乗り込みます。
客席部分は、シートベルトのついた座席が並びアトラクションの乗り物のよう。
今回は私たちの貸切なので、メンバー全員が乗ったら出発です。
最初は村の中を通って行きますが、やがて山道に突入。すると、なぜだかどんどんスピードを上げて、アップダウンやカーブのある細い道を爆走し始めました。シートベルトがなければ外に放り出されそうな衝撃で、まるでジェットコースター並みのスリルです。
途中、上から下りてくるトラックとのすれ違うポイントで時間調整しながら、約45分ほどで山頂に到着。端っこに座っていた私は、トラックの激しい揺れで振り落とされないようにけっこう必死だったので、怖い人は内側に座った方がいいかも。
また、屋根が付いていますが、そのほかは吹きさらしなので、雨具の用意や日焼け対策はしたほうが無難です。
トラックを降りた後は、さらにパゴダまで歩いて向かいます。
パゴダの入口までは10~15分ほど歩きますが、歩くのが苦手という人は運び屋さんもいるので利用するといいでしょう。
ここからの道のりは、山の上の稜線を辿っていく感じなので、アップダウンはあまりありません。
道の両側には小さなお店がたくさん並びとても賑やか。建物の間から見える景色も開けていて開放感抜群です。
途中、外国人用のチェックポイントがあるので、ここで拝観料を払いさらに進みます。
チェックポイントから5分ほどで、煌びやかで立派な門が現れました。
この門のところで裸足になって中へ入ります。靴は有料の下駄箱に預けるか、自分で持っていっても構いません。
裸足になった途端、じっと立っていられないほどの熱さが足の裏を襲ってきました。この日はカンカン照りで、地面が太陽の熱で容赦なく焼かれていたためです。
大理石やマットの上はそこそこ大丈夫なので、そいうところをなるべく選んで歩きましたが、ないところは小走りで走り抜けながら進んでいきました。
入口からゆるい坂を上り少し行くと、最初の展望ポイントがありました。ここから遠くにゴールデンロックが見え、手のひらに載せているようなトリック写真を撮ることができます。
展望台の先は、山頂とは思えないほどの広い広場になっていて、白い地面に太陽の光が反射してとても眩しい。サングラスは必須です。
熱い熱いと言いながら入口から15分ほどで、ゴールデンロックの姿が目の前に見えてきました。
ゴールデンロックに触って参拝できるのは男性だけなので、女性はゲートの手前で一時待機。ゲートにはガードマンがいて、けっこう厳重にチェックしています。
男性陣を待っている間、近くをウロウロしてみました。ゲートから向こうへは近づけないとはいえ、もうすぐ目の前に岩があるので、そんなに残念感はありません。
みんな揃ったところで、ナワさんと一緒にゴールデンロックの写真スポットへ。まずは階段を下りて、岩を下から見てみます。岩と崖との接地面も間近に見えて、本当によくこれまで落っこちなかったな~と感心。
地面が熱いので数枚撮影して再び上に避難。今度は、ゲートの右側に少し行くとある展望ポイントへ向かいます。
ここからはゴールデンロックとその周りの風景が一望。この日は本当に天気が良くて、真っ青な空と遠くまで連なる山並み、そして金色のゴールデンロックのコラボがとても綺麗でした。
ゴールデンロックと絶景を堪能し、チャイティーヨ・パゴダの入口へ戻ります。下り坂のところは、雨で濡れていたりするとけっこう滑りそうなので注意。
門のところで100チャットを支払い、預けていた靴を受け取ります。
正直、ここへ来るまではゴールデンロックにはあまり興味がなかったのですが、実際現地に訪れて目の前で見てみると、その巨大さと落ちそうで落ちない危うさなどに素直に感動している自分がいました。やっぱりミャンマーに来たら立ち寄るべきスポットのひとつだな~と思います。
チャイティーヨ・パゴダを参拝したあとは、参道の途中にある近くのレストランでランチ。
外は暑いですが、お店の中は涼しい風が通り抜けてほっと一息できます。また、山頂にあるので景色もきれい。
今日のメニューはミャンマー風の中華料理で、日本人にもなじみの味。おなかもペコペコだったので、かなり美味しくいただきました。
ここのお店の人たちはとても親切で、食事をしている間、暑さでぐったりしている私たちに気を使って、大きなうちわで後ろからあおいでくれていました。ホント優しい!
ランチのあとは、いろいろなものが売っている参道を通り、再びトラック乗り場まで戻ります。
帰りのトラックも貸切で出発。
トラックは相変わらず暴走して突っ走っていきますが、行きに比べるとだいぶ慣れたので景色を見る余裕もありました。
途中の擦れ違いポイントで時間調整しながらも、約40分で麓のキンプンに到着。
トラックを下り、バスに乗り換える前にトイレ休憩ということで、近くの広場まで行きました。
すると、その広場に見たことのある大型バスが。京王の高速バス(新宿行)です。
他にも、「ミツワ材木店」と書かれたトラックなどもあり、ミャンマーでの日本車の多さが伺えました。
バスに乗り、キンプンからヤンゴンまで同じ道を通って帰ります。
道中、だんだん日も傾き、綺麗な夕日も見られました。
ヤンゴンに着いたのは20時すぎ。
そのままイタリアンレストラン「Caesar」へ向かい遅い夕食です。
まずはキンキンに冷えたミャンマービールで乾杯。私は飲みませんでしたが、ワインもありました。
サラダから始まり、スープ、ピザ、パスタとどれもちゃんとしてて美味しい!盛り付けもおしゃれでスタッフの感じも良く、おすすめのお店です。店内で売っていたクッキーを今後の旅のおやつに買って帰りました。
夕食のあとはホテルへ帰還。
今日は長い一日だったので、部屋に戻った後はすぐに寝てしまいました。
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